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寝顔が暴漢

 「さ、寒い!」

 夜勤明けでアパートに戻った僕は、郵便受けに入っているDMを無造作に掴みとって階段を上った。吐く息が白い。

 まだ十二月初旬だというのに何という冷え込みだろう。今夜は雪が降るみたいだし益々冷えるそうだぞこれは。

 ――ガチャリ。玄関を開けるとそこには例のブツ。

 念仏少女が忘れて行った深編笠。すぐ取りにくると思ったんだけど、なかなか現れない。

 部屋着に着替えて電気ストーブのスイッチを入れると、椅子に腰掛け机に置かれたチラシを手にとって眺めた。

 「橙色をした瞳を持つ念仏少女か」

 あの念仏少女事件から5日ほど経ったけど、少女の事を思い出さない日は無かった。倒れた時に漂った甘い匂いがあまりにも印象的すぎて、寝ている時にも思い出してしまうのだから、忘れようにも忘れられるはずがない。 

 それに笠を返さないといけないし、なんで寝ている僕にお経を聞かせたにかも気になる。決して、もう一度あの少女に会いたいだとか、そういうつもりじゃないんだ。うん。

 携帯電話を使って、チラシに書かれているアドレスを打ち込むと、真っ黒な背景に『ろりぽっぷ』という白い文字、そして下の方に『出張申込先はこちら』と書かれているだけの画面が現れる。

 「ええと、名前と性別、住所……隠元町以外は地図を添付……か。ここは町内だから添付は無しでいいよな」

 「鈴木コウタ、男……」と続けて住所を入力してOKボタンを押すといきなり受け付けましたの文字。ええ!? いきなり受付かよ。備考とか希望時間とか普通あるだろう!?

 これじゃあ笠を返すということも伝わってないし、いつ来るかも分からないな……だけど、狼狽えたって仕方がないんだよなぁ……。だってこのサイトしか連絡先がわからないわけだし。とりあえず今日はこのあと予定もないから、少し待ってみるか。

 僕は、夜勤明けで眠たかったから、取り敢えず寝ることにしたが、その前に一つ忘れてはいけないことがある。

 「カギOKと」

 先の念仏少女の侵入を許したのは普段から鍵を掛ける習慣のなかった僕にも非がある。物騒にもなってきたことだし、これからは忘れずに鍵をかけることにしたんだ。とは言っても、そんな事はそうそう起こることじゃないのだろうけどな。

 ベッドに潜り込むと、バイトで疲れたこともあって間もなく睡魔に襲われた。

――カタカタカタ――

 風で窓が揺れ動く音で目が覚めた。

 もう十七時か。外はもう暗くなっている。天気も悪いし今日はもう来ないかもしれない。

 トイレに行ったついでに玄関にある穴を覗いてみたけど人影らしきものは見えなかった。

 「一応、暫くは夜勤だけど……いつ来るか分からないのはヤキモキする」

 足元に置いてあった深編笠を何気なく取り上げ、眺めて見た。綺麗に編み込まれていて結構丈夫そうだけど、こんなにみっちりと編み込んだら前見えないんじゃないだろうか。

 気になって被ってみると、編み目から細かい光が差し込んでいて、想像していたよりもずっと閉塞感は無い。

 思ったよりも外が見えるんだな……。格子越しのように見える外の風景だって、思っていたよりもずっと視野が広い。とは言っても上下方向には狭いから、これで車通りの激しい道を歩くのは危険なんじゃないかと思うけど。

 ん? この匂い……。

 あの少女から香ったのと同じ花のような水菓子のような不思議な匂いがする。 

 そうか、考えてみると、香りが残っていたのはあの少女が使っていたからだ。

それはつまり、少女もこの穴から外を見てた訳で……桜色の唇もちょうど……。

 ――イカン!

 僕は深編笠を脱ぐと、慌てて投げ捨てた。

 「はぁ……はぁ……危なかった」

 なんだ、何なんだ今の気持ちは。思い出せ、相手は小学生なのだぞ! どこへ行ってしまったんだ、紳士的な鈴木コウタは! ま、まさか、僕は新しい自分発見しちゃったのだろうか!?

 いくら年齢=彼女いない歴とはいえ小さい子にやましい気持ちを持つなど紳士のすることではない。それに、僕はどちらかというと年上お姉さんがタイプなのだ。断じてロリコンなんかじゃない。なのになんだ今の気持ちは!

 神様の存在は信じていないけど、僕は僕自身を信じてあげたかった。

 はぁ……顔でも洗ってこよう。

 その場でしばらくの間悶々としたあと僕は、笠を邪魔にならないよう机の上に移し、動転した気持ちを落ち着けようと洗面所に行こうとする。

だが、その時――。

 「ボォォオオオオオオオオ~~~ボォォオオオオオオオオオオ」

 「う、うわぁぁああおお!!」

 聞いたこともないような重低音サウンドが突然玄関の外から鳴り響く。

 慌てて玄関の穴を覗くと……誰か立っていた。

 もしかして、ろりぽっぷ! 今日は来ないと思っていたのに来たのだろうか。

 「ボォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 「ああ……えっと。ちょっと待って、今開けるから」

 深呼吸をして息を整える。ボォォーってなんの合図なんだよまったく。

 前回の読経といい、この常識の微塵も感じられない行動に僕は確信を持った。間違いない、これは橙色の念仏少女――。 

 できるだけ平静を装って玄関のドアを開けると、そこには白装束に浅い編笠を被った、綺麗な黒髪の女の子が手には杖と大きな法螺貝を持って立っている。。

 あの少女ではない。別人だった。

 「あ、あぁ、えっと……。あはは」

 別人だったということ、そして予想の斜め上をいく山伏による法螺貝の洗礼を受けたせいで僕は言葉に詰まる。

 じっとこちらを覗き込んでくる法螺貝の少女は高校生くらいに見えた。凄く整った顔立ちをしており、橙色の念仏少女がフランス人形なら法螺貝少女は日本人形という感じだ。

 「あのさー、寒いから中入ってもいい?」

 「ああ、ごめん。どうぞ」

 「キミ、コウタ君? サイトに申し込みした」

 「ええと、そうです」

 「今日はワンコに申し込みありがとうございます!」

 「ワンコ!?」

 「ワンコイン出張法話のこと! それくらいフツー分かるでしょ!?」

 出会って一分の間になぜだか怒られたぞ? 何かしたっけ僕……。

 「ろりぽっぷの晴間千歳! よろしくおねがいします!」

 言ったからね! ちゃんと言ったからね! と独り言のように呟く晴間……千歳!?

 「晴間千歳! キミが!」

 「あたしのこと知ってるのー?」

 「ろりぽっぷのチラシにキミの名前のプリントがあったんだ」

 「え! ええ!? 勝手に見ないでよっ!」

 「なんだと!?」

 僕は……さっきからどうして怒られているのだろうか? 

 「だって、裏紙で使っているだろ!?」

 「そう言われると……使ってるかもしれない……」

 「じゃあ、見られても文句言わないでくれよなぁ……」

 「経費、削減しなきゃいけないんだからしょうがないでしょー?」

 ふぅ。なんかもういきなり疲れてきたぞ……。

 「経費か。地球じゃなくて財布に優しくしていたのかよ」

 「何か言った?」

 「あーいや、何でもない! こっちの話し。……ところでさ、少し質問してもいいか?」

 念仏少女の関係者なのか、とか、そもそもろりぽっぷって何なのか、とか……聞きたい事が山ほどありすぎて、何から聞いたらいいのか迷うぞ。

考えても仕方がない。まずは頭に浮かんだ疑問から解消していく事にしようか。

 「キミは高校生?」僕の問いかけにコクリと頷く少女。

 「もしかして、ミッチェル卿学園の?」

 「キミやっぱり前世はストーカーでしょ!」

 「違う! ……いや、前世の事は分からないけど……」

 「ほら見なさい! 自分の前世に自信を持てないのがその証拠よ!」

 自信持って自分の前世語る奴がいたら、そいつは漏れ無く電波か中二病だろ!

 「そうじゃなくてプリントに学校が書いてあったんだって」

 ミッチェル卿学園の高等部……つまりは僕の大学と同じ学園の高校生だ。この辺は学校も少ないから同じ学園生っていうのもそう珍しい事ではない。ただ、気になったのは……。

「あそこの学園はキリスト系のミッションスクールだよな?」

 「何でそこまで知ってるのー!?」

 「この辺りで学園のこと知らない人はいないから……」

 どういうことだ。キリスト教のミッション系学校に通う山伏なんて聞いたことがない。

 何が何だかよくわからなくなってきたぞ。だが、ここで質問をやめるわけには……。

 「それなのになぜ山伏やっているんだ?」

「山伏なんて、やってないし!」

 少女の放つカウンターパンチが、混乱する僕に容赦無く牙を剥く。

「……どう見ても山伏の格好だよなそれ!?」

「これ? これはコスプレって言うんだよ」

 「えぇ!? コスプレ?」

 よく見ると、衣装にはフリフリのレースが付いて、杖はまるで魔法少女のそれである。極めつけの法螺貝はというと、スパンコールで「ろり」と書いてあった。

 「これ、自分で付けたの?」

 「……おかしい?」

 「おかしいっていうか(いや、おかしいけど)この衣装のレースとか、杖のデコレーションも?」

 「衣装じゃなくて篠懸! 杖じゃなくて錫杖って言うの!」

 いやそんなことわかっ……わかんねぇよ! 

 本来であれば山伏のそれであろう装備の数々が、ものの見事に可愛い女の子バージョンにリメイクされている。なんだかすごくバチあたりくさいぞ。神様とか信じていない僕が言うのも何だけどさ。

 「ご利益無さそうだな」思わずボソっと呟いた僕に、

 「ええー!? 何それ? ちょっ! メイドさんディスってんの!?」

 なんだって!?

 「……メイドさんって、あの、メイド服着たメイドさん?」

 「メイド喫茶にいるメイドだって、同じコスプレでしょ!」

 言っている意味がよく分からなかったが、どうやら僕は遠まわしにメイドさんをディスった事になっているらしい。

 仮にディスってるとしても、それとこれとは別問題だと思うけど。

 「コスプレはー、今月は仏教強化月間だから、他にも虚無僧や、スタンダード和尚のデスマスクがあってね」

「ちょちょ、ちょっと待ってキミ!」

 ――僕は息を飲んだ。

 やばい……やばいぞ。仏教強化月間? スタンダード和尚のデスマスク? なんだよそれ。危険なキーワードが次から次へと!

 下手に詮索すると底なし沼にはまってしまいそうだ。ここはひとつ、慎重にならざるを得まい。

 僕はバイト先のコンビニで使う必須スキル『苦手な先輩から仕事を教えてもらう時に必要な距離のとり方』を展開しようとした――だが、その時……。

 「ねぇ、コウタ君」

 「え、何?」

「キミじゃなくて、千歳だよ。千歳って呼んでいいよ。私もコウタ君って呼ぶから」

「ああ、ごめん……えっと」

 そうは言われても会ったばかりの女の子を呼び捨てにするのはさすがに抵抗がある。

 「それじゃあ……千歳ちゃん、と呼んでもいいか?」

 「もちろん、いいよ?」 なつっこく元気な声で答える千歳ちゃん。

あれ? なんか普通に可愛いぞ。

 考えてみれば、これまで女の子と親しげに喋った事など、姉妹かネットでしかなかった。実の姉や妹なんて厳密にいえば女の子ではないし(姉貴、文子、すまん)、ネットでは漏れなく『自称』が付く女の子なわけだから、正直なところ心の何処かにいつも猜疑心がついて回っていた。

 だが今、僕の目の前にいるのは正真正銘何の変哲もない普通の美少女なのだ。

 温かいのが飲みたいと言う千歳ちゃんのため、単身用の小さなキッチンでやかんを火に掛け、コーヒーを淹れる準備をする僕。千歳ちゃんはというと、落ち着かずキョロキョロとあたりを見回していた。

 女の子が部屋にいるというのは、どうにもくすぐったくて落ち着かない。友だちや彼女を部屋に呼ぶというのはこんな感じなのだろうか。

 でも……こういうのも悪くないかなと思った。独りで居る事が気楽で独りで居ることが好きだと自分では思っていたけど、部屋に友だちを呼ぶというのも悪くないかもしれない。

 それに、あんな可愛い子が彼女だったりしたら、毎日楽しいかもな……まぁ、言動はちょっとアレだけど。

 「ねぇねぇコウタ君」

 「何?」

 「もしかして、最近アミノ来た?」

 「アミノ? 誰? 知らないけど」

 「じゃあ、コウタ君もやっぱり虚無僧なの?」

 「え、ええ!? 」

 深編笠を手に取り、真顔で聞いてくる千歳ちゃん。やっぱりって何だよ!

 「ああそう! それ、知らない女の子が忘れていったんだ。小学生くらいの」

 「小学生ェ?」

 「この前僕が寝ている時に何時の間にか居てさ。机の上にほら、ろりぽっぷのチラシ。転んだ拍子にこいつを大量にブチまけて行ったから、もしかしてここに申し込めば来るんじゃないかなって思って、今日は申し込んだんだ」

 「そうなんだ。……じゃあがっかりしたよね」

 「何が!?」

 「あたしが来ちゃったからー」千歳ちゃんが肩を落として言った。

 「違うんだ! そういう意味じゃなくてただ、笠返そうと思って。あとなんで僕の家にいたのかなって気になってさ」

 「今日は虚無僧じゃなくて、ごめんね」

 ……おや?

 これはもしや、虚無僧姿じゃなかった事にがっかりしたと思われたの僕?

 「次はちゃんと虚無僧希望って書いてくれたら、準備できると思うから」

 「そんな気遣いはいらない!」

 虚無僧服にも可愛いデコレーションいっぱいあるのに……と、そんな話を振ってくる千歳ちゃん。いいから……虚無僧に興味無いから……。

 「でさーコウタ君の家に来た小学生のような女の子って、長い栗色の髪だった?」

 「ああ、そんな感じだったかな。」

 「眠たそうな目つきのヘーゼルアイ?」

 「ヘーゼルアイって?」

 「薄いオレンジ色の目のことだよ」

 「ああ! そう! オレンジ色!」

 薄いオレンジ色って、確かに間違ってはいないんだけど、深みに掛ける表現だよなぁ。

 「やっぱりアミノだ」

 「アミノ……アミノって言うのか、あの子」

 「アミノのやつー、私には『いい? 御宅を訪ねたらまず丁寧に挨拶して、申し込みしてくれたことへの感謝の意を手短にかつ心を込めて述べるのよ』とか言ってたくせに自分は名乗ってもないし!」

 僕はコーヒーをコタツの上に並べ、愚痴る千歳ちゃんの向かい側に腰を下ろした。

 「にしても、小学生ね……明日アミノに言ってやろうかな」

 ニヤリと意地悪そうに笑う千歳ちゃん。

 「え!? ちょっまっ……違うの?」

 「同じ十六だよ。確かにアミノはちっちゃいからね。ちっちゃくて可愛いでしょ」

 十六だと!? 僕と二つしか変わらないじゃないか……。

 アミノという念仏少女と出会ってからというもの、僕は常に新しい自分との邂逅に怯えていた。ひょっとしたら僕は小さな女の子に興味があるんじゃないか……と。でも違った。二つ違いなら十分常識の範疇だよな! よかった! 自分を信じて本当によかった!

 ふと、ベランダの方に目をやると、胸のつっかえが取れて安心した僕を祝福するかのように、洗濯物が風に吹かれてクレイジーな踊りを披露していた。誰かが引き留めてやらねば今にも自由を求めて旅立ちそうな勢いである。

 「まずい! 嵐になってる! 洗濯物取り込んでくるから待ってて!」

 「ええ!? ほんと?」

 天気予報は当たった。雪、しかも強風で横殴りの雪だ。

 「良かった、飛んで行く前に気づいて……って、あれ? 千歳ちゃん?」

 千歳ちゃんがいない。どこいったんだ!?

 ――バタンッ!

 玄関のドアが開いた。千歳ちゃん? ……のほかに誰かいる! 山伏が増えてる!!

 「いろり~しっかり!」

 「ああう、うう、む、しゃ、む、ひい」

 雪がほんのり積もった浅編笠を外すと、髪が肩にかかる長さの女の子がいた。

 ブルブルと震えるその女の子を千歳が温めるように抱きしめている。

 「ごめんねいろり。気づくの遅くなっちゃって」

 「千歳ちゃん! だれ? その子」

 「あたしの友だち。外、嵐になっちゃったから、お家入れていい?」

 「あぁ。座ってて、今暖かいの淹れるから!」

 「あうあ、ま……ちとせちゅあん……みはり……」

 「いいっていいって! 大丈夫! コウタ君はロリコンだから!」

 今何か言われた気がするけど、深追いしてはいけない言葉だった気がするな。気にしないでおこう。

 この嵐の中、山伏の格好は流石に寒かったはずだ。千歳ちゃんの友だちって言ってたけど、同じ格好をしているところを見ると、恐らくこの子もろりぽっぷの関係者なのだろう。

 「えっと……いろり、ちゃん? で、いいかな」

 「は、はひ!」いろりという女の子はびくっとして答える。

 「はい、暖かいコーヒー。……でも、どうしてずっと外にいたんだ?」

 コーヒーカップで冷たい手を温めながら口ごもるいろりちゃんの後ろに抱きついて、ごめんねいろり~と言って離れようとしない千歳ちゃん。おい……いろりちゃん、ちょっと嫌そうだぞ。

 「それはその……ええと……決まり、なので……」

 「決まり?」

 「そう、決まり。ワンコのね。出張先に一人が入ったら、一人は外で待っていることになったの」千歳ちゃんが割って入る。

 「何かあった時のため……一人だけだと……危ないかも……だから」

 何かあった時のためか。確かに必要かもしれない。こんな可愛い子たちが来てくれると分かれば、良からぬことを思いつく輩もいるだろう。しかもワンコインとかハードル低すぎるし。

 まてよ? そういやワンコとかろりぽっぷって、結局なんだっけ?

 僕と目が合うと、いろりちゃんはさっと目を逸らすように下を向いてしまった。もしかして僕、怖がられている!?

 「実際にこの前、ともだちが出張先で襲われちゃって、記憶なくしちゃって……」

 「だから、あの、ちょっと怖くって……ごめんなさい」消え入るような声でぽつぽつと喋るいろりちゃん。

 「え、それって……」もしかして、例のアミノという念仏少女の事なのだろうか?

 「いろり、そういえばアミノ押し倒した犯人、このコウタ君だよ」

 「へっ!? うええええええーっ!!」

 不意打ちを食らったいろりちゃんは、森の中でクマさんにでも会ったかのような表情を浮かべ、後ずさりする。

 確かに僕が犯人といえば犯人なんだけど、今の話の流れでカミングアウトしたら怖がられるに決まっている! まったくなんてタイミングで言ってくれるんだ千歳ちゃんは!

 「怖ひ、怖ひよ千歳ちゃん。どうしよううぅ」

 「待て! 誤解だ誤解! そんな汚物を見るような目で僕を見るんじゃない!」

 「誤解なの!? コウタ君さっき、アミノ来たって言っていたじゃない!」

 「ふえええぇぇ」今にも泣き出しそうないろりちゃん。

 僕なのか!? 果たして悪いのは僕なのだろうか!?

 「確かに、小学生みたいな女の子は来た。来たけど……押し倒したとかって……そういう意味のじゃなくて……」

 「そういう意味のって、どういうのなの!? やらしいやらしい! この変態!」

 二人が落ち着くまで、僕は暫くの間、千歳ちゃんに罵倒され続けた。

 ――寝ていたら虚無僧が勝手に家の中に入っていたこと、強盗か物盗りだと思って取り押さえようとしたら頭を打って気絶させてしまったことなどを、僕は始めから丁寧に説明した。

 「目が覚めて虚無僧がお経を唱えていたら、フツーは抵抗するだろう!?」

 「フツーは、読経有難うございましたの後に、手を合わせてお布施よ!」

 「無い! 寝起きでその流れは絶対に無い!」

 真顔で突拍子も無い事を言ってくれる。千歳ちゃんは天然なのか狙っているのか分からないのが実に恐ろしい。

 「お経はフツー、お外で托鉢の時に流すんだよ。目立つように」

 「なんで目立つ必要があるんだ?」

 「そりゃーお布施沢山もらえるようにとか? あとー……うんと、暴漢への牽制?」

 「それを、なぜ寝ている僕になんか聞かせたんだよ……」

 「寝顔が暴漢ぽかったとか?」

 「暴漢ぽい寝顔ってどんな夢の真っ最中なんだよ!? そんな夢見ていないし……百歩譲って暴漢ぽかったとしても、寝ているんだから牽制する意味なんか無いだろ!?」

 千歳ちゃんはいろりちゃんの耳元で「あ、認めた」って囁いた……聞こえているからな!

 「知らないよあたし……じゃあーきっと起こそうとしたんじゃないのー?」

 「寝ている所にお経唱えられたら、起きるどころか、永眠しそうで怖いだろ!?」

 寝ている人に向かってお経を唱えちゃいけないと思うんだ。絶対。

 「アミノちゃん。どうしてコウタさんの家に来たのかな。呼んでないんですよね……」

 「呼んでない。ろりぽっぷを知ったのだって、その時ぶちまけられたチラシでだし」

 笠を返そうと思っただけなのに、なんだかややこしいことになってきたぞ……。

 僕は机の上のチラシに目をやった。

 「そういえば、そのチラシ。何か大切そうなのも裏紙になってたけど、いいのか?」

 「大切?」

 いろりちゃんはチラシを手にとってペラペラめくり、裏紙を確認する。

 そしてある一枚で手が止まった。

 「これ?」

 いろりちゃんの顔がみるみる険しくなる。そんなにヤバイものが混ざってたのか?

 「……何コレ?」と横から覗き込む千歳ちゃん。

 まったく、財布にやさしいのもいいけど、裏紙の利用は計画的にしないと誰が見てるか分からないんだぞ?

 「これ、コウタさんが?」

 「え? ああ、見てたら混ざっていたんだ」

 「この手書きの詩のことですよね?」

 「え……へ?」

 「だって、アミノちゃんの目、橙色だしお人形さんみたいだし」

 「橙色の念仏少女って、アミノちゃんのこと、ですよね……」

 ――あっ!

 「あ……あああああああああ! ふぁ;sでうtg@psろぐじゃsdk!」

 しまったぁ――。 あの詩、書いたの一緒に……!

 「へぇーふーん。アミノの事なんだぁー」千歳ちゃんがニヤニヤしながら見ている。

 くそっ! 死にたい! 今、すぐにでも!

 「返せ! それは違う! 違うんだ!」

 「コウタさん! 待って! ちょっと聞いてください! きゃあ!」

 詩の書かれたチラシを奪い返そうと必死になるあまり、いろりちゃんの上に覆いかぶさるような格好で倒れてしまった。

 「あ、あ、あんたアミノのだけじゃなく、いろりにまでも手をかけるなんて……」

 「あう……お、重い。痛い。ぐるじい」

 「うあ! ご、ごめん!」

 慌てて僕はいろりちゃんから離れると、奪い返したチラシをそっとズボンのポケットに仕舞い込む。

 「あの……コウタさん」

 「いやこれは、なんていうかその……あの子の瞳が珍しかったからであって、他に深い意味合いは無いんだ」

 「それなら別に隠さないでもいいのにー?」

 「詩とか書くの久しぶりで、なんか痛々しくて恥ずかしいし、それに……」

 僕はこの時、思い出していた。誰にも見せるつもりの無かったノートの詩を友だちに見られ笑われたり、ブログで中傷されたりした――同じだ。あの時と同じ。

 詩を書く事が大好きなはずだったのに、いつしかそれはトラウマになっていたんだ。

 自分の大切なものをただダサイとかくらだないという理由だけで笑われる理不尽な世界。

 下手糞だっていいじゃないか。それなのに人はどうしてこうも残酷になれるのだろうか。

 「とにかく、こんなのダサイだろ! 見ないでくれ!」

 「……く、ないです」

 「え?」

 「ダサくなんかないです。素敵ですこの詩!」

 「いろりちゃん、どうしたの? 急に大きな声で……」

 この詩、そんなに良かっただろうか……。

 きっとバカにされる。そう思っていた僕には意外な展開だった。

 「いろりも、詩が好きだもんね」

 千歳ちゃんが話に割って入ってくる。 

 「う、うん」

 「そう……なの?」

 「あたしは詩とかよくわかんないけど、いろりが良いって言うなら良いんだと思うよ」

 「私は、詩が好き。でもうまく書けなくて」

 「もしこんな素敵な詩を作れるコウタさんに、教えてもらえたら、いいなって……」

 え? 今なんと?

 「僕はそんな、詩とか本格的にやっている訳じゃなくて、あくまで自己流だから……ただの下手糞だし」

 「そんなことないです! コウタさんの詩には力があります! 今の詩とても優しくて暖かくって包み込んでくれるように感じました」

 そうか? 僕にはただ中ニくさいだけにしか見えないけど……。

 でも……『コウタの詩には力がある』……そういえば昔、母親にそんな事を言われたことがあった。小さい頃の僕は褒めてもらうのが嬉しくて、書いてはよく親に見せてたっけ。

 「ろりぽっぷでも丁度、詩を始めました、ですし」

 「教えてくれませんか!? お願いします!」

 教えてくれと言われてもなぁ……これまで詩を誰かに教えた事なんて無い。習ったことのない僕がそんな事できるのだろうか。

 「……駄目、ですか?」

 いろりちゃん。その上目遣いは反則だよ……。断れないじゃないか!

 「駄目っていうか時間が合わないというか……僕は大学生で、冬休みだからお昼は空いているけど、夜はバイトがあるし」

 「夜は、何時からバイト、ですか?」

 「シフトにもよるけど、だいたい二十一時くらいからかな」

 「なら大丈夫だよ。ろりぽっぷは十六時半から活動しているもんね」

 「う、うん! そうだよね!」

 千歳ちゃんの援護射撃。放課後のちょっとの時間を使えば確かに時間は合わなくもないのだが。

 僕は迷っていた。今日出会ったばかりの少女に詩を教えてくれと言われ、二つ返事で承諾するというのも何だかな。

 しかも相手は得体のしれないろりぽっぷとか言う団体に属しているのだ。ホイホイついていったら、壷とか印鑑とか絵画とか買わされるような気がしなくもない。

 だけど、それよりも何よりも、詩が好きという少女がいるという事、しかも僕に教わりたいのだと言う事実。

  ――詩友だち。なんて甘美な響きなのだろうか。

  抗い難きその誘惑。断ってしまって、後悔しない自信が無い。

 「その時間、ろりぽっぷに来てもらえると、嬉しいです」

 ……ん?

 「ちょっと待って! 僕が行くの!?」

 「え、でも……できればみんなに教えて欲しいですし」

 ……いいのか僕、ろりぽっぷなどという得体のしれない活動団体の巣窟に足を踏み入れて!

 悶々とする僕に千歳ちゃんが話しかけてくる。

 「コウタ君」

 「何?」

 「アミノに、用事があるでしょ?」

 「え?」

 「ほら、笠を返すでしょ?」

 「そうだけど……」

 「他にも聞きたいことがあるって言ってたでしょ?」

 「なんで僕の所に来たのか、聞きたかったけど……」

 「それじゃあ決まり! 明日の十六時半に部室で待ってるよ」

 「え、ええ!? でもさっき、記憶をなくしてるって……」

 「……笠、……返す、でしょう?」

 笑顔の千歳ちゃん。なんか目が笑ってないようなきがするのは気のせいだろうか。

 だけど、千歳ちゃんの言う通り、僕はアミノという少女に用があるのは間違いない……

 「わ、わかった。じゃあ明日とりあえず行くから」

 見るといろりちゃんの顔が明るくなっている。

 「コウタさん、来てくれる。やったぁ」

 いろりちゃんの笑顔に、僕はドキっとした。

 さっきまでうつ向いていたり泣きそうな顔をしているから気づかなかったけど、いろりちゃん、笑うとすごく可愛いんだな。

 「その代わり一つだけ教えてくれ」

 「ろりぽっぷって、一体何?」

 「うーん、そう言われるとぉ……」「え、えーと……」

 顔を見合わせるいろりちゃんと千歳ちゃん。なんだ、そんなに言い難い事なのだろうか?

 「部活、かな?」

 ――ぶ、部活!?

 まただ、また! 一つ質問をすると次から次えと沸き上がってくる疑問の嵐が僕の思考を占拠する。

 さらに質問をぶつけようとした僕の口の前に、人差し指を立てる千歳ちゃん。

 「一つ、の約束!」

 「む、ぐ……!」

 「続き、詳しくはミノに聞いてちょうだい。ろりぽっぷの事、あたしもうまく説明できないんだ。ゴメン」

 千歳ちゃんの言い方、何か引っかかるけど……まぁいいや、どうせ行くのだからその時に聞く事にしよう。

 「じゃー帰ろっかいろり~」

 「ええ!? もう、いいの?」

 「だってコウタ君、アミノに会いたくて申し込んだんだしー」

 「そ、そうなんですか……」

 「いやだからそれは~」

 ほらほら、いろりちゃん本気にしちゃうから! ……あれ? いろりちゃん?

 「どうした? 元気ない?」

 「ふへ? あ、大丈夫。えへへー」

 「外、もう暗くなってるし、天気も悪いから遅くならない方がいいかな」

 「そうですね。じゃあ今日は帰りますね」

 「送っていこうか?」

 「いいよ、あたしたち、お家すぐ近くだから」

 忘れ物がないように法螺貝や笠を確認すると、二人は玄関を出ていった。

 帰り際、ワンコイン出張ということだったので五百円を渡そうとしたところ、いろりちゃんは断って来たのだけど結局千円を払うハメに。

 千歳ちゃん曰く、二人でなんて滅多に来ないんだからねッ! という理由らしい。

 こっちが頼んでもいないのに二人分を請求されたのは少々腑に落ちないところがあったものの、まぁそんな事はどうでもよかった。

 念願の詩友だちが出来るかもしれないという期待と、壷を買わされるかもしれないという不安。そして……。

 「コウタさんの詩には力があるね」

 あの二人が、何か大切なものを久しぶりに思い出させてくれたような気がした。


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