プロローグ
某ライトノベル新人賞一次通過作品です。
※誤って消したままになってました。再投稿です。
いつものベッドで目を覚ますと、深編笠をかぶって大袈裟を羽織り、明暗箱を首から下げた虚無僧がこちらを向いてお経を唱えていた……。なんてことが起きてしまった場合、一体どうすればいいのだろうか。
現実味の無いこの状況……僕は一瞬目を見開いて『これは悪い夢の途中なんだ』と自分に言い聞かせると、そっと再び目を閉じた。
今日から確か冬休みで、これからバイトが入ってて……というかバイトしか入ってなくて、本を読んだりビデオを見たりして過ごす予定だったはずだ……。
周りの連中はサークルとか入って友だち作ったり彼女を作ったりと忙しそうにしていたけど、なんというか、そういう馴れ合いが僕は苦手で、彼女どころか胸を張って友だちと呼べるような関係作りも出来やしなかった。
親は家に帰って来いって言ってたけど……ま、地元に戻ったからといってやる事があるわけでもない。うるさい姉妹もいるしなぁ。
むしろバイトがある分だけここにいたほうがまだマシだ。それに、独りなら誰に文句を言われることもなく、こうして昼まで寝てられ……。
「是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減――」
って、寝られない!
地の底から響く虚無僧の容赦無い読経が、寝起きの僕を残酷な現実へと連れ戻す。
言っている意味は分からないがしかし……このテンポ、間違いなくお経だ。
――いる、やっぱりいる!
僕は現実に起きているこの異常事態に戦慄を覚えた。
朝起きて見知らぬ美少女が隣で寝ていたらどうしようだとか、可愛い幼馴染が、遅刻よ遅刻! なんて叫びながら僕を起こしに来たらどうしようだとか……健康な青少年であれば誰しもが一度は想像するようなことはまぁ人並み程度に考えたことはあった。
しかし、朝起きたら虚無僧が読経しているなどというシチュエーションはいくら何でも想定外すぎるだろ!?
虚無僧の知り合いなんて当然いないし、友だちのいたずらだろうか? いや、それにしては悪質すぎる。そもそも僕にはそのような仲の良い友だちなんて思い浮かばない。
……あと理由として考えられるのは、強盗の類だろうか。だとしたらマズイぞ。起きている事がバレたら何されるか分からない。
「是大神呪是大明呪是無上呪――」
それにしてもこの読経は何なのだ一体!? 僕が熟睡しているかどうかを試しているとでも言うのか。
心臓の鼓動が早くなるのを感じながら、寝たフリの表情を崩すまいと必死に平静を装いつつ虚無僧を観察していると、首元で何やら光るものが。
あれは……十字架だ。虚無僧のくせに十字架をつけている。こいつ、まさか隠れキリシタンだというのか!?
――僕は息を飲んだ。
いやまて! この信教の自由が保障された現代日本において、隠れる理由など無いはずだ。隠れキリシタンにせよただのサイコ野郎にせよ、話がわかるような相手ではなさそうだぞ。だとすればもう、隙を見て跳びかかるしかない。幸い、見たところガタイはあまり良くないようだし。
大き目の黒装束に高さのある深編笠、それらを差し引いても犯人は小柄だというのがわかった。
そして、僕は息を殺し跳びかかるタイミングを見計らう。
見極めるんだ! 必ずどこかで、熟睡していると踏んで動き出す!
「僧羯諦菩提薩婆訶般若心経――」読経が終わると同時、虚無僧が一瞬だけ下を向いた。
――今だ!
「うぉぉおおおおおおお!」
僕は西郷隆盛式起床法のごとく掛け布団を天高く蹴っ飛ばし、ベッドの上から虚無僧に跳びかかった!
「――!」
虚無僧に覆いかぶさるようにしてバタンと床に倒れこむと、その拍子に深編笠や明暗箱が弾き飛んで、箱の中に入っていた大量の紙が宙に舞った。
「ハァ、ハァ、お、大人しくしろ!」
虚無僧は抵抗するどころかぴくりとも動かない。観念したのだろうか?
僕は相手が抵抗して来ない事を確認しながら、恐る恐る虚無僧の両手を抑えつける力を弱める。すると、その時虚無僧の首元から甘い花の蜜のような……水菓子のような匂いが、ほのかに僕の鼻をかすめる。
「この匂い、ひょっとして女の子!?」
僕は抱き合った状態のまま少しだけ体を離し、顔を覗き込むと、女の子……それも、まだ小学生くらいの子どもだった。
――時が止まった。本日二度目の想定外である。
よく見ると、長いまつげに整った綺麗な顔や肌、長く艶やかなココア色をした髪、うっすらと紅色をした唇など、各パーツがあまりにも整いすぎていて一見しただけだと人形じゃないかと思ってしまうような小学生くらいの少女だ。
「おいキミ、大丈夫か?」
身体を揺すってみても、全く反応がない……。まずいな、子どもだと思わなかったから、思いっきり押し倒してしまったぞ。倒れた拍子に頭を打ったのかもしれない。顔は真っ白だし大丈夫では、なさそうだな。
「……救急車!」
とにかく救急車を呼ばなければ一刻を争う事になるかもしれないと思い、僕は携帯電話を掴もうと腕を伸ばした。
けど待てよ……救急隊員が来たとして、この状況をどう説明すればいい!? 家の中に勝手に虚無僧が上がりこんで読経していただなんて、果たして信じてもらえるだろうか。いや、それどころかヘタをすれば逆に僕が救急車で運ばれる可能性の方が高いのではないだろうか!
傍から見れば気絶した女子小学生に馬乗りになる自称大学生の男(十八歳)である。こんな状況、どう見たって僕が悪者にしか思えない。それに、万が一僕が救急車に乗り込むことを免れたとしても、あとから遅れてやってくるであろう警察官にパトカーで運ばれることは必至だ。
被害者は僕のハズなのに、どうしてこうなったんだ!
考えがまとまらない僕はどうしていいのかわからなくて、しばらくの間少女を眺めることしか出来なかった。
白い肌・綺麗な髪・虚無僧服・十字架。いつまでも動く様子のない、現実離れした少女の存在を目の当たりにしていると次第に本物の人形のようにも見えてくる。
「……まさか、本当に人形なんてことはないよな」あまりにも綺麗な顔立ちに、ありえないだろうと頭ではそう思いながらも、僕は無意識のうちに呟いていた。というのも、大きな男の子たちが遊ぶ特別なお人形が存在するということをバイト先の先輩から最近聞いたばかりだったのだ。なんでも本物の人間と見紛うリアルな作りなのだとか。
試しにもう一度触れてみると、白い肌は暖かく、胸は上下し呼吸をしている。『人間のような人形』ではなくて『人形のような人間』で間違いなかった。
「まったく僕としたことが非現実的なことを。……第一、そういう目的で作られたとしては胸も無いし幼すぎ……」
「摩訶般若波羅蜜心経――!」
「うおぉぉあああ!」
突然、どこからともなく始まった読経に、僕の寿命は結構な勢いで縮んだ。
「お、おい! 他にも誰か居るのかよ!?」
慌てて玄関の方を振り向き、呼びかけるも地鳴りのようなお経が淡々と読まれているだけで人影は無い。
――緊張が走った。
自慢じゃないけど僕は神様というのを信じてはいない。だけど心霊現象は別だ。幽霊とかを信じているかどうかじゃなく、単純に苦手なのだ。
声の正体を確かめる事も出来ず、少女の傍らでじっとお経の読まれる方向を向いて固まっていた僕、すると突然……。
――ガシッ!
「むふぅぅぅっ!」
足が何者かに掴まれる感覚に驚いて下向くと例の少女が僕の足を掴んでいた!
心臓が飛び出るかと思うくらいびっくりしたぞ。でもよかった、救急車呼ぶ前で……じゃなくて、意識が戻って!
「おい、大丈夫か!」心臓の鼓動を必至に抑えながら、僕は少女に語りかける。
意識がちゃんと戻っていないのか、少女は朦朧としながら僕の方を見て、
「お……おかぁ……さん……?」と言った。
「おか……え?」
本日三度目の想定外だった。
しかし僕はもう、それくらいの事で驚いたりなどしない。
僕のことを『おかあさん』と尋ねる少女。もちろんだが、僕は彼女のお母さんではない。
頭の打ちどころが悪かったのか、元々電波を受信する属性なのかは分からないが、これは慎重な対応が必要だぞ。
僕はバイト先のコンビニで使う必須スキル『他のお客様の御迷惑になるお客様への対処方法』を光の速さでスキルを頭の中に展開させると、シンプルかつ丁寧な言葉を慎重に選び、未だ朦朧としている念仏少女へ向け躊躇なく言い放った。
「僕は、キミの、おかあさん、じゃ、ないよ。恐れ入りますが、お引き取りください!」斜め四十度に頭を垂れる。ご覧のとおり、このスキル最大のポイントは四十五度以上の鋭角姿勢を保つ所にある。
「……そう」
うつ向き、スッと立ち上がり玄関に向かう少女。頭部強打のダメージが残っているのかフラフラしている。
「邪魔したわね」
玄関先に落ちていたラジカセを拾い上げた。ラジカセからは先ほどから僕を悩ませるお経が流れている。こいつか犯人は!
「…………」
振り向く事なく、無言のまま少女はドアをバタンと閉め、出ていってしまった。
先ほどとは打って変わって静まり返る室内に、やっぱりあれは夢だったのだろうかとさえ思ってしまう。
「一体何だったんだ……あれは」
その場でしばらく呆然と立ち尽くした僕は、少女の不思議な色をした瞳が忘れられないでいた。琥珀色のような、金色のような微妙な色合いでいて、澄んだ綺麗な瞳。
そう、言うなれば『淡い橙色』。
僕は足元に落ちていたチラシを拾い上げ、即興で思いついた詩を裏紙に書き写す――。
橙色の念仏少女
まるで穢れを知らない人形のよう
永遠の虚空に纏うはまるで
花蜜か 水菓子か――
編目より薄ら輝く淡い橙色の
その儚き瞳に映るは金色の世界か。
――久しぶりに書いたけど、なんという中ニ臭。……抜けていないなぁこの癖は。
以前、僕は詩を書くのが好きだったけど、ある事をきっかけに、今ではもう書いてはいない。それなのに、念仏少女の綺麗な瞳の色は、ずっとくすぶっていた僕の心の琴線に触れるものがあったらしい。
――コツン。
ベッドのある部屋に向かおうとしたところ足に当たるものが。
「あ、笠! 忘れ物!」
急いで玄関に出てあたりを見渡したけど、少女の姿はどこにもいなかった。
どうするんだこれ。
ひとまず、玄関に笠を置いて部屋に戻ると、さっき僕が拾ったのと同じダークな配色のチラシが部屋の至る所に落ちている。
『心が疲れた時は、ワンコイン出張 ろりぽっぷ』
チラシにはこの一言のほかに、申込先らしいサイトのアドレスが載っているだけ。
……怪しすぎる、何の活動団体なんだ?
あの虚無僧はこのろりぽっぷとか言う団体の関係者なのだろうか? 心が疲れた時は……って、僕そんなの頼んだ覚えが無いんだけどな。
まぁとりあえず片付けよう。こんなに散らかってちゃあ……て、なんだこれ? 裏にも何か書いているのもあるぞ。
「ええと、『問一、次の文章を読んで作者の気持ちに一番近いものを……』って、学校のプリントかよ!?」
他のチラシの裏も確認してみると、罫線ノート、藁半紙、方眼用紙、高校か中学のテストのプリントなど。中には朱印の押された重要文章ぽいのも混じっている。これはもしや、裏紙としてリユースしているのか? そうだとしたら、最近の世間は地球に優しすぎる嫌いがあるな。
しかもミッチェル卿学園名発出の文書まであるという事は、僕の通う大学の関係者という事になるのだが……。
集めたチラシを机の上に置いて、時計を見ると、既に十四時を過ぎている! まずい、今日は先輩とシフト交代したんだった!
笠をどうするかは帰ってきてから考えることにして、急いでコートを羽織り家を出た。