ぐだぐだ彼女。
こそそ。
放課後の家に帰る途中。背後に感じる他校の制服を着た人の気配。
それを敢えて無視をして歩く。これは今日始まったことではない。
後ろにいる私の彼氏は、ストーキングの趣味がある。
訳じゃないと頑張って言いたいところだが、否定できる要素がまったくない。
とても残念なことに。
振り返ったが最後。ホールドされて、彼の家に連れて行かれる。
決して誘拐ではない。おうちでーと、だそうだ。
テレビもスマホも取り上げられた状態で、何時間も一緒にグダグダおしゃべりをしなくてはいけない。
どんな拷問だ、これ。
「(振り返っちゃダメ。振り返っちゃダメ)」
自分に言い聞かせないと、振り返ってしまいたくなる。
身長170cmの彼はまるでゴールデンレトリバーのような愛らしさがある。
同時にのしかかられると動けないという難点がある。
一度も彼のホールドから逃げられた試しがない。悔しい。
「あ」
丁度渡ろうとした信号は赤。まずい。
彼の視線が背中に突き刺さる。振り返りたい。でもダメだ。
今日は見たいテレビがある。それは九時。今は六時半。
捕まったら間に合わなくなるかもしれない微妙な時間だ。
彼と私の家は徒歩で二十分。到底二時間ちょっとで開放されるとは思えない。
しかも、見たいテレビには男性がでる。
彼はとても独占欲が強く、私にベタ惚れだ(自分でいうのも恥ずかしいけれど)。
そんな番組を見たいから帰るとは、絶対に言えない。なにが起こるかわからない。
「うぅ、早く信号変わってよー」
視線に耐えられない。もう泣きそうだ。
こそそ。
後ろから足音がする(メタルギ●のように隠密の、だけれど)。
もうダメだ。録画予約をしなかった自分を責めることしかできない。
それと私の下校時刻を大幅にずらした先生を恨むしかない。
「やっほー」
後ろから近づいてきた彼。夕方なのに元気だ。
今頃信号は青になった。彼は私の手を掴んで、恋人つなぎにした上で、引っ張っていく。
ホールドされなかっただけ、今日は大人しい。
「ダメだよー、こんな夜遅くに一人でいちゃ」
「しょうがないじゃん、今日は放課後課外があったんだから」
先生が勝手に時間を延長するものだから、ストレスは最高に溜まってしまった。
そう話すと、彼は笑った。
「その先生のお蔭で、今日は一緒に帰れるね」
「まぁそうなんだけど」
彼は私とは学校が違う。当然通学路も違う。
出会いは中学の時だった。今はお互い高校一年生。
彼は運動部をしているし、私は帰宅部に近い文化部。
帰りに会えたことはめったにない(偶にストーキングしているのはなしにすると)。
この上なく上機嫌の彼。握られている左手がじんわりと痛むくらい、強く握られている。
ホールドなしの代償がこれか。ブンブン振り回されなかっただけでもいいか。
「今日、暇?」
「・・・・・・・えっと」
テレビは、理由としてあげられない。
他になにか重要な用事があるわけじゃない。断るとしつこい人なので、本気で悩んだ。
今おとなしくついていくか、ネチネチ理由を聞かれても貫けるような用事を捏造するか。
「今日、なんか、いっぱい宿題が出てね。それ片付けなきゃいけないから」
ごめん、テレビがどうしても見たい。
バレないことを祈りつつ、本気で嘘をついた。
彼は訝しげに見るでもなく、笑顔で頷いた。納得してくれたのかな?
「じゃ、宿題もっておいで」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
さよなら、テレビ。ですよね、という感想しか頭に出ない。
彼は臨機応変に考えられる、きちんとした人なんだ。私が絡まなければ。
残念なイケメンという言葉があるけれど、彼は残念なところは全くない。
イケメン気味ではあるけれど。
結局、彼からは逃れられなかった。
彼の部屋に着いて直ぐ。私は彼の勉強机ではなく、低い机のそばに座る。
彼が「何か飲み物持ってくるね」と行って部屋から出て行った。
しかたがないので、数学の宿題をカバンから取り出す。
宿題がないわけじゃない。
解けない訳じゃないはずだから、いい機会だし片付けよう。
「えーなになに?『三角柱に直径が三角柱の高さに等しい球が内接している』?『三角柱の底面の辺は5、7、12』?『三角柱と、球の表面積を求めろ』?」
なんだこれ。授業寝てた記憶はないのだけれど、こんな問題あったっけ?
問題集の範囲を間違えたわけじゃないみたいだけれど。あれ?
「おまたせー。やってるね」
「これ、わかる?」
「お、なになに?」
問題集から離れたところに蒲萄とオレンジのジュースをおき、私の横にくっつく彼。
私の耳の上の方から、彼の声が聞こえる。あったかくてちょっといい気分。
「これ?」
「これ」
「これはねー、立体じゃなくて平面で考えるのじゃない?三角の中に円があると考えてー」
彼は、勉強もできる人だった。ありとあらゆる面で負けている感がなんともいえない。
いや、付き合っている彼氏に対して勝つとか負けるとかないけれど。でも悔しい。
いつも私にべったべったしている人が実は私よりも優れてて。
もしかして、内心馬鹿にされているとか?
「わかった?」
「うん、なんとなく」
教え方もまるで先生のよう。
彼が数学を教えていたらきっと私百点取れるんじゃないかってくらい分かり易い。
「私って馬鹿なのかな?」
「そんなことないよ」
横からさりげなく右手を伸ばして私の肩を抱く彼(左手で私の頭を撫でている)。
甘んじてそれらを受け入れる。単に手が離せないだけなんだけれど。
今彼に聞いた説明のとおり計算式を余白に書く。
「教えればちゃんとわかるし、落ち着いて考えればきっとわかってたよ」
ピタ、と答えを書いていた左手が止まった。
「それって、教わらなきゃ、落ち着いて考えなきゃわからないってことじゃん」
つい、語調が強くなってしまった。彼に非などないのに。
自身の劣等感からきた非難などしてはいけないと頭ではわかっているのに。
でも彼は相変わらず私の肩から手をはなさない。それどころか私を彼の方へ引き寄せる。
「ん~、いい匂い」
そして、私を机からも引き離し抱きしめ、一緒に床に転がる。
一方的に引っ張られた私は驚いて身動きできない。
右手からシャーペンが離れる。消しゴムは床に飛ぶ。
「っちょっと」
「カリカリしちゃダメ。可愛い顔台無しー」
「っな」
「そんな顔するなら勉強禁止ー」
暴れる私の足を彼の足が絡めとり、更に私の頭を真っ平らな胸に沈める。
息がしづらい、だけじゃなくて動けない。
今ホールドするか、このタイミングで!
でも往来の場じゃないしいいか、と安易な考えの自分もいる。
「俺だって教わんなきゃわかんないし、考えなきゃわかんない」
「・・・・(う゛)」
まるで子供に言い聞かせるように、先ほどの私の言葉を繰り返す。
私達の通う学校はそんなに学力の差があるわけじゃない。
でも彼の通っているのは普通科じゃない。だから、余計に焦ってしまった。
彼の方が私よりも多くのことを知っているから。
「だから教えて。なんでそんなに顔真っ赤なの?」
私を力強く抱きしめる腕に、ぎゅぅっとしがみつく。
言えるわけない。彼に優しくされるのが、堪らなく嬉しいなんて。
口が裂けても言えない。
耳元で囁く声が艶っぽいとか、部活後に使った制汗剤の香りが好きとか。
言ったらきっと、私は恥ずか死ぬ。
彼の意地悪な言葉で、先程までの理不尽な怒りが全て吹っ飛んだ。
「ね~?」
「~~~~!」
これはわざとだ。からかわれている。
そこまでわかるほど冷静なのに、顔が紅潮するのはなんともできない。
いつも通り、彼のホールドからは逃げられない。
「・・・・・・・・・・・・・うっさい」
「かわいい」
ちゅ、と小さなリップ音がする。彼は頬にキスをするのが好きだ。
・・・されるのが嫌いじゃない。でも、付き合ってから一度も口にされたことがない。
理由を訊けば、「虫歯にさせたくないから」だと言っていた。
キスをすると虫歯は伝染るとか、なんだとか。
痛い思いさせたくない、という純粋な彼の優しさに感動した。
「今日は勉強禁止ね」
「なんで?」
「俺といる間は、俺だけのこと考えてよ」
「やだって言ったら?」
「ん~~~、ちゅっちゅしちゃうぞ」
ちゅ、とまたリップ音。さっきとは反対の頬にキスをされた。
そしてぎゅぅっと抱きしめ直される。
彼の息遣いや心臓の音が、時計の針の音よりはっきりと聞こえる。
また、赤くなってるかもしれない。
「明日の宿題出せなかったら、どうするの?」
「大丈夫。二十四時間質問は受け付けるから、わからないとこあったら連絡して」
「・・・・・うん」
何があっても連絡しないぞ。そう決意した。
電話だってメールだって、途切れることなんてしないじゃないか。逆に終わらないよ。
非難の意味も込めて、もう一度彼の腕をぎゅぅ、と掴んだ。
嬉しそうな彼の声が、ものすごく近くで聞こえた。