55:常識人の部屋
爆弾魔と化したアリシアに戦々恐々としつつ、癒しを求めて鬼のいぬ間に移動を開始する。
「で、なんでウチのところやねん」
逃亡の経緯を説明すると、狐々乃月が憮然とした態度で言い放った。
頬がやや赤く染まっているのは怒っているからだろうか?
しかし、今現在の知り合いの中で最も常識人であるのが彼女なのは、誰から見ても明らかだ。
常識というものがまさか癒しになるなんて思ってもみなかった。
普通って、大切。
「まぁまぁ、そう怒らないで。少しいさせてくれるだけでいいから」
ここを追い出されたらまた部屋に戻るしかない。
あそこは何か変人を呼び寄せる気がして、いまはいたくない。
「まぁ、邪魔せんのやったらええけど」
どうやらお許しが出たようなので、遠慮なく居つかせてもらうことにする。
そのうち部屋に誰もいないことに気付いたアリシアがここに来るだろうけど、それまでの間だけでものんびりさせてもらおう。
「いつまで立ってねん。座りーや」
部屋の隅でボケっと突っ立っていると、狐々乃月がベッドを叩いて着座を促した。
「え、いいの?」
「むしろそんな部屋の隅で立たれてる方が気になるわ」
言われて想像してみる。
自分はベッドに座りくつろいでいるのに、部屋の隅で手持ち無沙汰に立つ知人。
うん、確かに気になる。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
断りを入れて、狐々乃月の隣に腰掛ける。
「って、なんでそこに座んねんな!」
「え、だってさっきここ叩いたから」
普通、ベッドを叩いて座れと促されたら、叩かれた位置に座らないか?
「そ、そやけど。うー、まぁええわ。好きにしーや」
納得したのかしてないのか分からないけど、狐々乃月は顔を真っ赤にしながらも許してくれた。
「いや、そんなに嫌ならどくけど」
と、気を使ったつもりだったのだけど、
「べ、別に嫌やとか言うてへんやろ! 座っとけ!」
何故か怒られた。
うーん、訳が分からん。これが乙女心というやつか?
乙女心は秋の空のように変わりやすいというからな、男では分からない目まぐるしい感情の変化があったんだろう。
座ってくつろぐことを許可されたとはいえ、何もすることがないのは変わらずだ。
狐々乃月はこの部屋にお邪魔したときに読んでいた本へと再び目を落としている。
狐々乃月が背中を丸めて本に顔を埋める様にしているせいで、本の中身はほとんど頭で隠れてしまっていて見えない。
その分というか、自然頭に目が行く。
そこには跳ねた髪のように、空に向かって立っている耳があった。
最初はただの髪の毛だとおもってたけど、こうして近くでまじまじと観察してみると、それは確かに耳にしか見えなかった。
ふさふさの綿毛にくるまれた縦長の耳は時折ピクピクと動いている。
音を拾ってるのか、はたまた本の内容に感情が動いているのが、可愛らしく動いている。
狐というより兎っぽいなぁ。
それをジッと見ながら和んでいたせいか、つい手が出てしまった。
硝子細工にでも触るような手つきで、耳の表面をなぞると。
「ひゃあああ!」
ビクンと身体全体を跳ねさせながら、狐々乃月の口から妙に艶っぽい声が上がった。
あまりにもの大きな反応にこっちまで驚いて固まってしまった。
狐々乃月は涙をうっすら浮かべながら、こちらを睨みつけると、
「ななななな、いきなり何すんねんな!」
茹で上がった頬を膨らませながら叫んだ。
「ご、ごめん。耳を見てたら、可愛らしくてつい」
つい無意識に手が出てしまった。
「かっ」
いまの言い訳がお気に召さなかったのか、沸騰してるんじゃないかってくらいに顔が赤く染まりあがった。
「ごめん、本当にごめん!」
言い訳を止めて、謝り倒す作戦が功を奏したのか、狐々乃月は赤い頬と鋭い目はそのままだけど、ゆっくり呼吸を落ち着かせていった。
そして、顔を隠すように俯くと、
「……ーや」
「え?」
なにか呟いたようだけど、小声過ぎて聞こえなかった。
「……から、な……か……しーや」
「ごめん、もう一回」
まだ聞き取れない。
狐々乃月は数秒黙り込むと、一語一語を区切りながらも、
「だから、撫でたかったら、好きにしーや」
ハッキリ口にした。




