108:アイデンティティー
最初に目を覚ましてから2週間が経った。
この部屋には、もといこの施設には時計やカレンダーといった類のものが無い。
ただ、寝て起きたら次の日というだけ。
だけどアリシアに聞けば正確な日数を教えてくれるし、自分で数えた限りでもやっぱり目覚めてから2週間だと思う。
その間は、大体似たような日々の繰り返しだった。
朝起きて検査して、食事を取ってイデアにボコボコにされて、食事をして本を読んだり風呂に入ったり遊んだりして、食事をしてしばらく経って眠気が来たら寝る。
ちょくちょくリリスが思いつきでイベントを催すことがあったけど――迷路もまたあった――おおむね変わり映えのない毎日だった。
退屈かもしれない日常は、平穏な日常でもあった。
それは多分掛け替えの無いもので、尊重すべきものだった。
けれど、日を重ねるごとにこの心には影が落ちていった。
「リリス、ちょっといいかな」
アリシアは夕食の片付けの為に、狐々乃月は読みかけの本の続きの為に、それぞれ部屋に戻り、珍しくリリスだけがこの部屋に残った。
イデアもいるけど。
「あらん? もしかして夜のお誘いかしらぁ?」
「ち、違う! 違うからイデアは睨まないで!」
普段から訓練と称して痛い目に遭ってるだけに、イデアに睨まれると反射的に身が竦んでしまう。
あれ? これ調教されてね?
いやいやいや、余計なことは考えない。
いまはそんな話をしたいんじゃないんだ。
「えと、真面目な話なんだ。出来れば2人で話したいんだけど……」
「ふぅん、分かったわぁ。イデア、ちょっと席外してくれるかしらぁ」
「ja」
普段はふざけているくせに、大事なところはちゃんと対応してくれるのがリリスなんだと、ここ2週間で気付いた。
やっぱりアリシアの考えている通り、根はお人好しなんだろう。
イデアを退室させたところで、リリスは椅子に座って自分が使っていたカップに紅茶を注いだ。
こちらも対面の椅子に腰掛ける。
「それでぇ、何の話かしらぁ? あんまり色気のある話じゃなさそうだけどぉ」
「うん、なんて言ったらいいか。要は相談なんだけど」
「相談ねぇ」
「自分でも漠然とした悩みだから、上手く話せるかは分からないんだけど」
「別に思いついたままでいいわよぉ。意外とそういうのは言葉にしてみたらまとまってみるものだわぁ」
「ん、ありがとう。それで、悩みって言うのは」
一旦言葉を区切って、改めて頭の中から1番言いたいことを引っ張り出す。
「過去の自分についてなんだ」
「でしょうねぇ」
「え、知ってたの?」
「いいえ、知らないわぁ。でも記憶喪失の患者が悩むことなんて十中八九過去のことについてでしょぉ」
「確かに」
言われてみればそうだ。
「でぇ、どうしたのぉ? やっぱり過去が知りたいのぉ?」
「いや、そういうのとはちょっと違うかな。変な話だけど、どうしても記憶を取り戻したいっていうのはあんまり思わないんだ」
「へぇ」
「ただ、気になるのは過去の自分の影なんだ」
「……なるほどねぇ」
リリスは納得したように頷くと、紅茶を口に含んだ。
「リリスもアリシアも狐々乃月もイデアも、みんな良くしてくれてる。全てを忘れてしまってる男相手に、それを気にさせないほど明るく接してくれる」
それは献身と呼ぶに相応しいものだった。
「けど、みんなが優しく接してくれればくれるほど、自分の後ろが気になるんだ。アリシアたちが、自分ではない背後の何かを見ているような気になるんだ。いま優しくしてくれてるのは過去の姿を見ているからであって、いまここにいる自分じゃない。自分にそんな風に尽くしてもらえる価値があるのかって」
「それに関してはぁ、前にアリシアからも聞いたでしょぉ? 大事なのは今からだって言われてぇ、貴方も納得したじゃない」
「そうなんだけど、やっぱり気になるんだ。最初の1週間くらいは気にならなかったんだけど、最近は特にそれを考えるようになって」
「そうねぇ、それはもしかしたら欲が出てきたのかも知れないわねぇ」




