元魔王、魔女の村を救う
魔女への贄として、サタンとリリィの二人を捕えるため、三十人の村人が息を潜めて宿を囲っていた。そのうちの五人が、二人の捕まえるために宿の中に入っていき、残りが宿の窓や出入り口を固める。声を出さずにこの動きが出来るのを見る限り、こういった行為が今までに何度も繰り返されているのが分かる。
宿の中に入った村人は、足音を鳴らさないよう慎重に階段を上り、二人が借りている部屋の前へと辿り着く。先頭に居る村人は、扉の隙間から光が漏れているのを確認し、後ろに居る村人へと合図を出し、一息に扉を蹴破る。扉が倒れるのに続いて、部屋に村人が雪崩れ込むが、部屋に二人の姿が見当たらない。
「いないぞ!?どこへ行った!?」
「くそっ!気取られたか!?」
居なくなっていた二人に悪態をつきながら、村人たちは部屋を後にしようとして、ある事に気付いて動きを止める。二つあるベッドの内の一つの布団が、不自然に盛り上がっているのだ。それまで険しかった村人の表情が、嬉しそうな顔になり、互いにその顔を見合わせて頷き合う。そして、ベッドに近い村人がその掛け布団に手を掛け、一気にそれを剥ぎ取る。
「……いない…?」
しかし、布団を捲ったそこには、誰の姿も見当たらなかった。人どころか、布団を盛り上げていた何かさえない。不可解な現象を目の当たりにし、薄気味悪さを覚えた村人は、ベッドへと手を伸ばそうとする。だが、後ろから聞こえた物音に、その動きが遮られる。
「あっちか!」
「急げ!何が何でも逃がすな!」
物音を聞きつけた村人たちは、足音も荒く部屋から出て行った。
「……あの人たち、私達の事が見えなかったの?」
「ああ。少し細工をした。」
誰もいなくなった筈の部屋に、二人の声が響く。誰もいなかった筈のベッドの上には、少しうろたえた様子のリリィが上半身を起こしており、今しがた村人が出て行った部屋の入り口を見ていた。
「何の用だったんだろう?妙に殺気立ってたけど…」
「私達を贄として差し出すそうだ。」
「ニエ?何それ?」
「生贄、と言った方が分かりやすいか?」
「はああああああああ!?何で私達がそんな目に遭わなきゃいけないわけ!?」
まだ宿の中を歩き回っている村人に聞こえないように、リリィはサタンに掴み掛かって文句を言うが、何の罪もない彼は、掴みかかってくる彼女を鬱陶しげに見下ろす。
「私に言うな。文句があるなら、そこに居る魔女に言えばいいだろう。」
「………え?魔女…?……っ!?」
サタンが指差した方を見て、リリィは目を剥いて固まる。窓の外には、部屋の中で身を寄せ合っている二人を見ている一人の女性がいた。ただ女性が見ているだけだったなら、リリィはそこまで驚く事はなかっただろう。だが、ここは二階で、この部屋にはベランダもなければ、窓の外に足を置けるような場所もないのだ。
「あら、随分と仲睦まじいわね。お邪魔だったかねぇ?」
魔女はそう言うと、口の端を吊り上げて笑う。顔立ち自体は綺麗に整っているにもかかわらず、その笑みはリリィに恐怖を植え付けるような、いびつに歪んだものだった。思わず後ずさりをするリリィの後方から、先程部屋を去った村人たちの足音が迫ってきていた。
「お前が魔女か?」
「ああ、そうさ。あんたらにゃ、今宵の贄になってもらうよ。まあ、安心しな。出来る限り痛みのないように…」
「きゃっ!?」
魔女が嬉々として、これからサタン達を襲う運命を話そうとしているのを尻目に、サタンがリリィを横抱きして、部屋の別の窓から外へと飛び出す。
「悪いが、殺されるのは嫌なので、逃げさせてもらうぞ。」
「ちょ、ちょっと!?は、早いって…!」
サタンは捨て台詞を吐くと、そのままリリィの悲鳴だけを残して走り去っていく。
「活きが良すぎるのも考えものだねぇ。」
闇夜に姿を消したサタンの事を頭に浮かべながら、魔女は村人の頭へと直接語りかける。
―贄が逃げ出したよ。あんた達、さっさと追いな。―
声なき指示を受け、村人達は一斉にサタン達が逃げ出した方へと動き出す。村人達が二人の方へと走っていくのを、魔女は地面に降り立ちながら見送る。そして、自分へ向けられている視線に気付き、そちらへと目をやる。
「マイルズ。あんたは追わないのかい?」
声を掛けられたマイルズは、やはり悲しそうな目で自分の母親を見返すだけだった。魔女はそんな彼の態度にいらつきを覚え、それを無視するように村人の後を追っていく。
「……お母さん…」
マイルズの呟きは、呼びかけた相手の耳に届く事なく、夜の闇へと溶けていった。
村の道を、リリィを横抱きして走っていたサタンが、急に足を止めた。
「どうしたの?」
急に足を止めた事を不審に思ったリリィは、立ち止まったサタンに声を掛けるが、彼はそれを無視して彼女を下ろし、前に右手を突き出す。直後、ばちっという、何かが弾けるような音がして、前に突き出したサタンの腕が後ろへと弾かれる。
「なっ、何っ!?」
「結界だ。それも、かなり強力なものらしい。しかも、内側にアンチマジックまでかけてある。」
「ア、アンチマジック?」
「アンチマジックも知らんのか?魔法を無効化する魔法だ。」
哀れなものでも見るかのようなサタンの目に、リリィは額に青筋を立てるが、彼の右手が黒く焦げているのに気付き、その鬼のような表情を引っ込ませる。
「サ、サタン!その右手…!」
「ああ、これか。気にするな。これくらい何でもない。」
サタンは何でもないといった様子で、未だに煙を上げている右手をぷらぷらと振るが、リリィはそれを掴み、自分のワンピースの袖を破って、黒く焦げている場所へ包帯として巻きつける。
「おい。別にいいと…」
「だめっ!こんな怪我、放っておくなんて出来ないよ!」
「だが、その服はお前の大切なものではないのか?」
「そんな事言ってる場合じゃないでしょ!」
サタンはリリィのそんな行動を、とても不思議そうに見ていた。彼女を見ている限り、自分の事を嫌っていると思っていた。それなのに、あれだけ欲しがっていた服を破ってまで、なぜ自分の事を気に掛けているのかが分からなかったのだ。だが、そんな彼女の行動を、サタンは心の何処かで心地良いものに感じていた。
とりあえずの処置を終えたリリィは、彼の患部を冷やすための水を探すが、見知らぬ村で、これだけ夜が深ければ、それを探すのは至難の技だった。しかも、誰かがこちらへと近付いてくる足音が聞こえる。隠れる場所を探そうと、リリィが焦っているのを余所に、サタンは落ち着き払っており、彼女がせっかく巻いてくれた服の切れ端を解いていた。
「あんた、何して……あれ?」
こんな時に何をしているんだと憤慨しようとしていたリリィの目に、信じられないものが飛び込んでくる。先程まで煙さえ上げていたサタンの右手は、何事もなかったかのように元に戻っているのだ。見間違いかと思い、リリィは目を何度か擦るが、サタンはそんな彼女には気にも留めず、足音が聞こえてきている方へと顔を向ける。
「ここがばれるのも時間の問題だな。リリィ、移動するぞ。」
「…え!?あ、ええ、そうね。」
声を掛けられて、ようやく危機が迫ってきている事を思い出したリリィは、前を歩き出したサタンへと付いていくのだった。
母親に置いて行かれたマイルズは、膝を抱えて、膝頭に額を付けて泣いていた。頬を涙で濡らしながら、昔の事を思い浮かべていた。
マイルズが小さな事は、ここから少し離れた街に住んでいた。昔は誰にでも優しく、街でも評判の良かった母親。父親もその時は生きており、稼ぎは少ないながらも幸せな家庭を築いていた。だが、マイルズが五歳の誕生日に、父親が買ってきた一組の首飾りの片割れを彼女が付けてから、それまで幸せだった家庭は崩壊した。
それまで優しかった筈の母親が、家庭内暴力を振うようになり、素質の片鱗さえも見せた事のなかった魔法を使い出すようになったのだ。それ以来、母親は自分の事を魔女と名乗り、その魔法に魅入られ、三十人ほどの街の人が取り巻きのように、常に彼女の周りを取り囲んでいた。家庭内暴力はひどくなる一方で、父親は何とか魔女の暴力がマイルズに向かないよう説得しようとしたが、それが気に入らなかった彼女は、マイルズの目の前で彼を殺した。夫を殺した狂人として街を追放された魔女は、マイルズと取り巻きの三十人を連れて、この森の中に小さな村を作り、自身が村のシンボルとして君臨するようになった。
そして、ますますエスカレートする魔女の暴走は、遂に定期的に贄を要求するようになってしまった。初めは、悪い冗談だと思った。だが、それを村人に言い触らすのを見て、やっとそれが本気なのだと分かった。それでも、そんな狂気の沙汰にも思える要求など、村人が突っ撥ねてくれると思っていた。だが、それを拒む村人は、誰一人いなかった。ある時は村人の誰かを、またある時は、他の町や村から人を攫ってきては、贄として魔女に献上した。
自分の母親がおかしくなった原因は、幼いマイルズにだって分かっていた。あの日つけた、自分の付けている首飾りと対となっていた、彼女の首に掛けられている首飾りに違いなかった。だが、それを無理矢理外そうとしても、魔女に強く抵抗され、それが叶う事はなかった。力では言わずもがな、魔法まで使われてしまえば、マイルズが出来る事は何もなかった。
何も出来ない自身の無力さを呪った。優しかった母親を替えてしまった首飾りを恨んだ。だが、そんな事をしても、現状を変えられない。そんな事は分かっている。分かってはいるが、それ以外に何をする事も出来ない。だから、自身を呪い、首飾りを恨む。
「……お母さ…」
「あんた、馬鹿じゃないの!?ばれるに決まってるでしょ!?」
それまで静まり返っていた村に、リリィの声が響き渡った。逃げてくれと言っておいた彼女の声が聞こえ、マイルズは顔を上げる。そこには、村の松明の光にうっすらと照らされた、村人に追われているサタンとリリィが、こちらに向かってきているのが見えた。
「おかしいな。ばれないはずだったのだが。」
「いくら暗いからって、足音立てながら目の前を歩いたら、どんな間抜けだって気付くに決まってるでしょ!」
夫婦漫才を繰り広げながら近付いてくる二人を見て、マイルズは驚いていた。今まで贄として狙われた外来者は、逃げ出す事はおろか、訓練されたかのような村人を前に、抵抗すら出来ずに捕らわれてきた。だが、今回狙われた二人は、こうして村人から逃げ回っている。たったそれだけのことだが、マイルズにとっては驚くべき事なのだ。
何か二人を助けしようとマイルズは立ち上がるが、自分に一体何が出来るのか。子供のマイルズは、大人の村人一人にでさえ、対峙すれば簡単に組み伏せられてしまう。だが、これだけ暗い中、目で確認出来るだけでも、二人を追っているのは十人ほどいる。これでは、足止めの役割ですら、マイルズには重荷だった。
「あっ!サタン、あの子を連れてって!」
「え…?」
また自分の無力さを呪っていたマイルズに気付いたリリィは、慌てて進路をマイルズの方へと変えながら、彼の方を指差す。サタンは初めこそ嫌そうな顔をしたが、何かに気付いたような顔をすると、黙って彼女に従い、マイルズを肩に抱き上げる。
「ぅわっ!?」
「ごめんね、急に。私に危険が迫ってるのを教えてくれたんだよね?私がちゃんと聞き入れてれば、こんな事にならなかったのに…」
リリィの申し訳なさそうな笑顔を見た瞬間、マイルズの目の端に、先程までとは違う涙が浮かんだ。何時からだっただろうか、何も出来ないと勝手に決め付けて、何もしなくなってしまったのは。これだけ、たったこれだけの事で、今まで見捨ててきた人たちを助けられたかも知れなかったのに、それさえも自分は怠ってしまった。
だが、今まで死んでしまった人々に対する謝罪の涙と同時に、嬉しさからくる涙も溢れてくる。それは、自分の精一杯のサインを、リリィが汲み取ってくれた事に対する嬉しさだった。
「えっ!?な、何で泣いてるの!?何か気に触る事言った!?」
「目にゴミが入ったのだろう?」
「あんたは少し黙ってて!」
サタンは、誰がこの子供を担いでやっていると思っている、とリリィには聞こえない声で呟く。そんな二人の会話を聞いて、マイルズは涙を拭いながら笑顔を浮かべる。
「……あり、がと…」
「感謝するのはこっちだよ。ありがとね。」
屈託のないリリィの笑顔に、マイルズは心が安らいでいくのを感じた。そんな二人の会話に割り込むように、サタンが口を開く。
「おい、小僧。その首飾り、どこで手に入れた?」
「え?これは、お父さんが買ってきたものだけど……それがどうかしたの?」
マイルズはサタンにそう言われ、自分の首に下がって揺れているそれを眺める。
「それは中々珍しいものでな。」
「何よ?勿体ぶらずに言いなさいよ。」
サタンはそう言われ、少し思考した後、また口を開く。
「たしか……『封魔の首飾り』だったと思うが、正確には覚えてはいない。」
「何よ、それ。偉そうにして、覚えてないんじゃない。」
まるで姑のように、そんな事をぶちぶちと言ってくるリリィに、サタンは顔をしかめながら言い訳を口にする。
「それは聖具で、私は装備出来んのだ。覚えていなくても仕方あるまい。」
拗ねた子供のような口調で、サタンがそう言うのがおかしく、リリィは吹き出すのを何とか堪える。だが、サタンがマイルズの首輪に触れないようにしているのに気付き、それが嘘ではない事を知る。
「それって、サタンが触るだけでも駄目なの?」
「いや。触るだけなら、ただ肌が焼け爛れるだけだ。だが、首から掛けるとなると、おそらく命はないだろうな。」
恐ろしげな事を、何の事もなく言ってのける彼に対し、マイルズは顔を青くして震える。もう慣れてしまったリリィは、そんな彼の反応に気付き、慌ててフォローを入れる。
「こ、こいつは……そ、の、あれよ!ちょっと呪われててね!だから、聖具とかに嫌われちゃってるの!」
「何を言っている?私は呪われてなど…」
「あんたはちょっと黙ってなさい!」
「ぉふっ!?」
せっかくサタンが元魔王であるのを隠そうと、リリィが必死になっている所に、その努力を無駄にするような言葉を吐こうとしていた彼の脇腹に、牽制の意味で拳を突き刺す。サタンは何か言い返そうとするが、鋭いリリィの目に睨み返され、大人しく黙っておく。
「の、呪われてるの?どんな呪い?それって治るの?」
「だ、大丈夫よ!こいつ、殺しても死なないような奴だから!」
「そっか。だから、こんな体になっちゃったんだ…」
無垢な瞳で心配そうにサタンを見ているマイルズを見て、リリィは痛む良心を押し殺し、嘘を塗り重ねていく。そんなリリィの心の内を知らないマイルズは、慌てて自分の胸元にある首飾りを握りしめ、サタンに触れないようにする。マイルズ自身は善意でやっている行動であったが、それはリリィの良心を痛めつけるには十分な行動だった。
「ぅう……心が挫けそう…」
「何かあったのか?」
「あんたのせいよ、この馬鹿!」
「さっきはあんなに仲が良かったのに、もう夫婦喧嘩かい?」
「なっ…!?」
不意に聞こえてきた声に、リリィは転びそうになりながら足を止める。いつから待っていたのか、目の前には祭殿があり、そこに魔女が鎮座して三人を見ていた。三人を静かに見るその顔は、やはり歪んだ笑みを浮かべており、足を止めた三人に反して、祭壇から腰を上げて近付いてくる。魔女がある程度近寄ってきて、サタンの肩にマイルズの姿を見つけると、突如彼女の顔が激しい憎悪に包まれた。
「マイルズ!何故捕まえるべき贄と一緒に居る!?この役立たずが!」
魔女が別人のように声色を変える。罵られたマイルズは怯え、自分を担いでいるサタンのコートを握りしめる。そうこうしている間に、周りからは村人達の足音が幾つも近寄ってくるのが聞こえた。
「サタン!何とかしてよ!……きゃっ!?な、何!?」
リリィがそう言うと、少しサタンが難しそうな顔をし、彼女の腰を抱き寄せる。いきなり抱き寄せられ、リリィは大きく動揺するが、サタンは顔色一つ変えず、至近距離にある彼女の顔を見下ろす。
「目と口を閉じていろ。少し移動するぞ。」
「はっ。あんたも気付いてるんだろ?この村からは出られな…」
魔女がサタンの抵抗を嘲笑おうとした瞬間、足元から何かが噴き上がる。それが砂の粉塵だと魔女が気付いた時には、既に三人の姿が消えていた。
「げほっ……おのれぇ…!」
あっさりと逃げられた事に毒づきながら、魔女はまた村人の頭に、三人を探すように指示を出すと、また祭殿へと座り込むのだった。
魔女の前から姿を消した三人は、泊まる事になっていた宿の屋根の上にいた。松明の光も届かないそこは、自分の手さえ殆ど見えないほど暗く、下から見上げても見つかる事はないだろう。月明かりにぼんやりと映し出されているのを頼りに、リリィはサタンの方へ向き直り、これからどうするのか声を掛けようとする。だが、それよりも先に、彼の方が口を開いた。
「小僧。あの女が付けていた首飾りも、お前の父親が買ってきたものか?」
「うん、そうだよ。きっと、あれのせいでお母さんが変わっちゃったんだ。」
「あれも何かの聖具なの?」
含みのある言い方をしたサタンの言葉を急かすように、リリィはサタンに問い掛ける。
「いや、聖具ではない。魔具だ。それも、飛び切りに呪われた、な。」
「え!?そ、そんな!」
「サタン、どんな魔具なの?」
「……昔、仲睦まじい夫婦がいてな。」
急に関係ない事を離し出したサタンに、リリィとマイルズは眉根を顰めるが、彼はそれに構わず言葉を紡いでいく。
「幸せに暮らしていた二人だが、ある日不幸に見舞われる。妻が不治の病に侵されたのだ。夫は何とか彼女の病を直そうと、使った事もない魔法に研究を続け、ある日ついにある魔具を作った。」
真剣に話すサタンに、二人は言葉を出す事が出来ず、話に聞き入る。
「男はそれを『不死の首飾り』と名付け、それを妻に装備させた。だが、数日の間に妻は死に絶え、夫も後を追って命を自ら断った。」
「魔具は出来てなかったの?」
悲劇を聞いたリリィは、思わずサタンに問い掛ける。だが、本当の悲劇はこれからだった。
「いや、完成はしていた。だが、その男が意図していたものとは全くの別物としてな。」
「別物?」
「ああ。女は確かに不死になった。だが、それは精神だけだ。女の精神は首飾りに縛りつけられ、永遠に生きる事を強制された。」
「首飾りの中で生きてるって事?」
「そう言う事だ。そして、閉じ込められた女は、その首飾りを付けた者の精神を乗っ取る。夫を失い、望んでもいないのに他人の精神を乗っ取ってしまい、首飾りに精神だけ生かされた女は絶望と罪悪感から発狂した。だから、あの首飾りは別名『呪詛の牢獄』とも呼ばれている。」
サタンの説明を受けて、リリィとマイルズは言葉を失っていた。妻を思う夫を責めるなど出来ない。そして、望まずに生かされてしまい、狂ってしまった女を責める事も出来ない。誰もこんな事を望んでいなかった筈なのに、偶然が重なってこんな事になってしまった。
だが、今は落ち込む事よりも、すべき事がある。リリィやマイルズのように、魔法も使えないような一般人だけならどうする事も出来ないが、今はサタンがいる。彼ならどうするか出来るかもしれない。
「サタン。あんたなら、その首飾りを壊す事って出来るの?」
「さあ?壊した事がないから何とも言えんな。だが、おそらく可能だろう。」
「じゃあ、ちょっと提案があるんだけど。」
リリィの提案を聞いて、サタンは溜め息を吐き、マイルズはそれを止めようとした。だが、真っ直ぐな彼女の目を見て、二人はその提案を呑んだ。
サタンとリリィを探していた一人の村人が、不意に足を止めた。探している片割れのリリィが、急に闇夜から姿を現したからだ。
「女がいたぞ!こっちだ!」
当然、他の村人に知らせるように、その村人は村中に響き渡るような声で叫ぶ。リリィはその声を聞いたのを合図に、踵を返して走り出す。
「逃げたぞ!追え!追え!」
リリィが逃げるのを切っ掛けに、命を掛けた鬼ごっこが始まった。
村人の叫び声でリリィが見つかった事を知った魔女は、二人同時に見つからないのが腑に落ちなかった。あの二人は一緒に動いていた筈なのに、なぜ今になって別に行動しているのか。確かに、別行動すれば一度に見つかる事はないだろうが、結界の中では、いつか捕まるのは分かっている筈だ。その時、二人一緒の方が、逃げ出すのが容易くなる。ならば、何故別行動をしているのか。
その答えを教えるかのように、不意にサタンとマイルズが魔女の前に現れた。
「なるほど。あの小娘は囮じゃったか。」
「お母さん…」
透き通るような声はしゃがれ、今まで時折見せていたような古臭い口調で話す様は、マイルズの母親に何者かが取り憑いているのを証拠付けていた。
「その首飾り。やはり『不死の首飾り』か。」
「ほう。そこまで知っとったか。それに背中のそれは何じゃ?おぬし、一体何者じゃ?」
「やはり村人や自分にアンチマジックを掛けていたか。心配するな。ただの旅人だ。決して魔王とか、そういう類のものではない。」
サタンが言っている事は、嘘がばれる典型的なものだが、その嘘の規模が大き過ぎたため、何とか二人にばれる事はなかった。
「そんなただの旅人が私に何の用じゃ?まさか、自ら贄になりに来たのかえ?」
「いや、そうではない。話している時間も惜しいから、手短に話すぞ。村人にマインドコントロールを掛けているな?」
「ほう。それくらいは見破れるほどの力量は…」
魔女の言葉を遮るように、サタンは彼女へと手を向ける。瞬間、魔女は圧倒的な魔力を感じた。首飾りに精神と閉じ込められてから数百年の時と過ごしてきたが、ここまで圧倒的な魔力を感じたのは初めてだった。そして、先程のサタンの言葉が嘘ではないと分かった時には、既に時を逸していた。
一人で囮として逃げ回っていたリリィだったが、連携の取れた動きをする村人相手に、長く逃げている事は出来なかった。元より、一日中歩き回っていた体だ。すっかり村人に取り囲まれた時には、もう立っている事さえも出来ず、その場に座り込んでしまう。
「ようやく諦めたか。」
「よくも手間を掛けさせてくれたな。」
「もう一人の男はどこへ行った?」
農具を振り上げながら、村人が近付いてくるのを見て、リリィはサタンが上手くやってくれるのを願い、固く目を瞑る。だが、そんなリリィの願いを無視するかのように、農具が振り下ろされた。
サタンの魔力を感じた瞬間、魔女は全身から力が抜けていくのを感じた。いや、正確には、この女の体を乗っ取る力がなくなっていく。それは、首飾りに込められた魔力が減っている事を示していた。魔女は体をまともに動かす事が出来ず、その場に這いつくばる様に倒れる。
「な、何を…した…?」
「ほう。今ので全ての魔力をなくすつもりだったのだが、まだ女の精神を乗っ取っているだけの魔力が残っていたか。」
あれだけも魔力を放っておきながら、サタンは涼しい顔で魔女を見下ろしていた。そして、もう一度先程したように、倒れ伏している魔女へと手を向ける。それを見た魔女は、慌てたように目を剥き、何とかまともに動かない声帯を震わせる。
「ま、待って!あの、人が私に言っ、たの!」
魔女の目の狂気が消え、正気に戻っているのに気付き、サタンは一旦手を下ろす。魔女は目に涙を浮かべながら、自分を見下ろしてくるサタンに縋るような目を向ける。
「あのひ、とが……わた、しに生き、ろって言った、の……だから、私は…」
「あの人というのは、お前の夫か?」
「そう、よ……」
こうして話している間にも、首飾りの魔力は弱まっているのか、魔女の言葉が弱々しくなっていく。だが、それでもサタンを見上げる目の力は、依然として強いものだった。
「それは大切な者か?」
「そ、よ…」
それを聞いた上で、サタンは魔女へと手を向ける。魔女は何とかそれを止めてもらおうとするが、それよりも先にサタンが口を開く。
「大切な者がいるのならば、その者の側に居てやれ。それに…」
サタンは目を横に動かし、隣で事の顛末を見守っているマイルズへと視線を動かす。魔女は小さい少年を見て、やっと自分がしていた過ちを知る。大切な者を失うのがどれだけ悲しいかを知っていた筈なのに、自分と違って幸せを味わっていた家族に嫉妬し、その悲しみを他人に押し付けていた罪に気付き、魔女と呼ばれた女はマイルズへ涙に濡れた目を向ける。
「おと、さん殺、してごめん、ね……お母、さん…取って……ごめんなさ、ぃ……」
その言葉を最後に、永遠とも感じる長き時を生きた女は首飾りの呪いから解放されたのだった。
首飾りの呪いが消えた夜が明け、魔法で操られていた村人も正気に戻った村で、サタンはリリィに正座させられ、衆人のもとで説教を受けていた。
「何でもっと早くしてくれなかったのよ!?危うく死ぬ所だったじゃない!」
「仕方ないだろう?マインドコントロールが掛けられているかどうかを確認しなければ…」
「言い訳しない!」
まるでリリィという親に叱りつけられている子供のようなサタンを見て、村人たちは生温かい視線を二人に向けていたが、それを知らぬは本人達だけだった。そんな村人を代表するように、マイルズと魔女に取り憑かれていた、彼の母親が二人に頭を下げる。
「お姉ちゃん、本当にありがとう!」
「この度は本当にありがとうございました。」
「あっ、いえいえ!私達は当たり前の事をしただけですから!」
「そうだ。人間として当たり前の事をしただけだ。けして、私はまお、ふぐっ!?」
余計な事を言い出しそうになったサタンの口を、リリィは慌てて押さえながら、誤魔化すように苦笑いをする。そんな二人のおかしな態度に首を傾けながらも、村人たちは感謝の言葉とともに、笑い声を上げていた。
だが、そんな人々の笑い声を打ち消すように、森の方から大きな唸り声が聞こえてくる。その場にいた誰もが、その声のした方へと目を向け、声さえ上げられずに固まる。唸り声を上げた主は、昨日サタンに倒されたオークだった。
「サ、サタン!」
「何だ?」
「何だ、じゃないわよ!また倒してよ!」
この場で一人呑気にしているサタンに、リリィは助けを求めようとする。だが、オークはサタンを見た瞬間、薄緑だった身体が深緑へ変色し、がたがたと震え出す。
「おい、お前。」
サタンに声を掛けられただけで、オークは過剰とも取れるほどに反応し、持っていた棍棒を手放す。だが、次のサタンの言葉は、誰もが予想していないものだった。
「この村の護衛をしてやれ。」
「えっ!?あんた、何言って…」
またサタンが変な事を言い出したと思い、リリィは慌てて誤魔化そうとするが、その必要はなかった。凶暴である筈のオークが、サタンの言葉に素直に頷いているのだ。驚いているリリィに、サタンは勝ち誇ったような顔をする。
「言った通りだろう?昨日は、おそらく魔女に操られていただけだ。オークは本来、自分より強い者には逆らわん種族だ。」
サタンはリリィにそう言った後、村人の方へと振り返る。
「おい。この者に食料だけは用意してやれ。そうすれば、この者も逆らいはしない。」
目の前の光景に呆気に取られていた村人は、ただサタンの言葉に頷くだけだった。
そんな光景を見ながら、リリィはサタンと初めて出会った時の言葉を思い出した。
―もしかして、勇者のパーティだったりするの?―
―あんな野蛮な奴らと一緒にするな。―
これは何も、勇者だけに向けられただけの言葉ではないような気がした。オークが凶暴なのは、人間が勝手にそう決めて、いつも対峙していたからではないのか。その勘違いさえなくなれば、人間と魔物の共存も可能なのではないか。
オークと村人の間の架け橋の役割を果たしたサタンを見ながら、リリィはそんな事を考えていた。




