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魔王道中  作者: amo
本編
5/13

元魔王、召使いの両親と会う

 街を出た二人は、小屋の形をした馬車の中で、心地良い振動に身を揺らされていた。そんな心地良い揺れに身を任せるように、サタンは備え付けられていたベッドに腰掛けていたが、リリィはそんなサタンとは対称的に、落ち着きなく馬車の中を歩き回っていた。


「すごいすごい!こんな高級な馬車に乗ったのって初めて!っていうか、馬車自体初めて!」

「私も生まれてから城を出た事がないから、このような乗り物は初めてだな。」


 リリィほどではないにせよ、サタンも馬車の中を興味深げに眺めていた。街にあった中でも一番高級な馬車は、本当に馬車なのかと思わせるほどに広く、真ん中には低いテーブルがあり、その両隣にはベッドが付けられていた。その大きさの為に、それは馬六頭で引かれるようになっている。

 どうして二人がこんなに高級な馬車を選んだかといえば、それは単純にベッドが二つ付いている馬車がこれしかなかったからだ。初めは二つの馬車を借りていこうとしたのだが、リリィの村までそれらで行くよりは、この高級な馬車を一つ借りた方が安くつく。よって、仕方なくこうしたのだ。リリィとしては、出来るだけ別々の馬車にしたかったのだが、生まれてから貧乏だった彼女が無駄遣いをする訳もなく、渋々この状況に落ち着いたのである。

 だが、彼女の機嫌が悪かったのも最初だけで、今では初めて乗る馬車に心を奪われてしまっていた。


「ベッドもふかふかだし、何より広いわね。はぁ、何だか夢みたい…」

「先程からうるさいぞ。もう少し静かに出来んのか?」

「あんたも初めてなんでしょ?もうちょっと何かないわけ?」

「何かとは何だ?」

「あ~……何でもないわ。」

「…?」


 どうして自分の主はこうも感情が薄いのかと、リリィは共感を得られなかった事に項垂れる。だが、そんな彼女の態度などどこ吹く風で、サタンは馬車の運転手に、窓から顔を出して声を掛ける。


「おい。目的地にはいつごろ着く?」

「へい。え…と、明日の早朝には着くと思いやす。」


 声を掛けられた馬車の運転手は、少し思考した後、はっきりとした口調で答えた。

 リリィの村はサタン達のいた街からはそこまで離れておらず、普通の馬車なら一日と掛からずに着く場所だった。この馬車は通常のものよりも大きいため、それほどの速度が出ず、明日の早朝まで掛かってしまうとのことだった。

 リリィは服と一緒に買った、唯一の荷物であるバッグの中をごそごそと漁りながら、鋭い目付きでサタンの方を見る。


「私、着替えがしたいんだけど…」


 リリィが着ているのは、未だにボロボロの服のままだった。服を買ったはいいが、着替える機会がなく、買ったワンピースを着られずにいたのだ。どんなに気丈なリリィでも、まだ自分の格好を気にする年頃な少女なのだ。いくらサタンが元魔王だからと言って、見た目が人間の男な彼の前で、そんなみすぼらしい姿を晒すのは恥ずかしく思えた。

 だが、そんな乙女な彼女の心情など、配慮に欠けているサタンに読み取れという方が無理な事だった。


「そうか。だったら、勝手に着替えればいいだろう?それくらいの事は、いちいち私に許可を取らなくてもいいぞ。」

「あっち向いててって事よ!察しなさい、この馬鹿!」

「ぶふっ!?」


 後ろを向くどころか、目を逸らそうともしていないサタンに、リリィは渾身のストレートをぶち込み、倒れた彼を布団で簀巻きにして後ろを向かせる。


「いい!?こっち向いたら殺すからね!」

「向きたくてもこれでは向けんだろう。全く、何だというのだ?」

「うっさい!いいからあっち向いてなさいよ!」


 そう言って、リリィはサタンから目を離さないようにしながら、長らく着ていた服から新品のワンピースに着替えるのだった。

 リリィは着替え終わった後、簀巻きにしていたサタンを開放したやり、彼に対面するように、反対側のベッドに腰掛ける。


「ねえ。聞きたい事があるんだけど。」

「何だ?」


 少し躊躇した後、リリィはおずおずと口を開く。


「あんた、何で魔王をやめたの?本当に勇者に倒されるのが嫌だったから?それだけで魔王をやめたの?」


 そんなリリィの質問の中には、どうしてそんな理由で不自由しない生活を捨てるのか、という意味合いも含まれていた。今までのサタンを見ている限りでは、人間には勝てない程の強さを秘めているように感じた。そして、サタンはまだ会った事もない勇者に怯えているようにも見えない。

 ならば、何故それまでの生活を捨ててまで魔王をやめたのか。それが、生涯ずっと貧乏で、奴隷として身売りまでされてしまったリリィの頭に引っ掛かっていたのだ。


「確かに、勇者と戦って負けると決まった訳ではないが、そんな事は正直どうでもいいのだ。」

「へ…?じゃあ、どうして?」

「私は生まれた瞬間から魔王だった。力を持って生れたからだ。そこに、私の意思は一切関与していない。これは分かるか?」

「はああああああ!?生まれた時から魔王なの!?なんか、強さ比べとかして決めるんじゃないの!?」


 てっきり、強い魔物同士が戦って魔王が誰になるのか決めると思っていたリリィは、サタンの何気ない言葉に驚きの声を上げる。だが、そんな彼女の考えを否定するように、サタンは首を横に振る。


「そんな訳あるまい。そんな事をしていたら、今よりももっと魔物の数は減っている。私は生まれた時からこの姿なのだ。人間のように、親から生まれる事はない。」

「じゃあ、あんたは親いないわけ?」

「その通りだ。確かに人間と同じ方法で生まれてくる魔物もいるが、大部分は違った方法で生まれる。」

「そうなんだ……でも、鳥とかだって人間と違うもんね。そりゃそうよね。」

「話が逸れたな。話を戻すぞ。なぜ魔王をやめたか、だったな。」


 話が脱線している事に気付いたサタンは、軽く咳払いをして話を元に戻す。


「殺される事は別に構わんが、魔王と言われるだけで倒される標的にされるのが不愉快だっただけだ。」

「それで魔王をやめちゃったわけ?」


 まだ納得できない様子だったリリィだが、彼女のそんな疑問は、サタンの言葉で簡単に解決してしまった。


「考えてみろ。ただそこに立っているだけで、石を投げられるのは決して気分のいいものではないだろう?」

「……そっか………そうだよね…」


 小さな頃から、貧乏な事で虐められていたリリィは、実際にそのような体験をした事があり、それがどれだけ辛い事なのかが身に染みて分かっていた。だから、サタンの言わんとしている事が分かり、何となく親近感が湧くのと同時に、こんな事を聞いてしまった事に対する謝罪の念も湧いた。


「ごめんね、こんな事聞いて。」

「気にするな。それより、さっき殴った事を謝った方が…」

「さっきのはあんたが悪い!」

「ばへっ!?」


 先程の事を思い出させるような事を言ったサタンに、リリィはボディブローという制裁を加えて黙らせる。


「全く、何だというのだ?」

「女性の着替えは見ちゃいけないものなの!それぐらい覚えておきなさいよ!」

「そうなのか?なら、今後は気を付けよう。」

「まったく……」


 リリィが大きく溜め息をついた後、おもむろにサタンが口を開く。


「お前の質問に答えたのだから、私からも質問してよいか?」

「え?別にいいけど?」

「親に会いに行きたいと言っていたが、なぜ会いたがるのだ?」


 何をそんな当たり前な事を、と口に出そうとして、サタンには親がいない事を思い出し、リリィは喉元まで出かけていた言葉を飲み込む。


「親がとても大切だからよ。」

「大切?それは何故だ?」


 質問に次ぐ質問に、リリィは言葉を一瞬詰まらせてしまう。親が大切である理由など、今まで考えた事もなかった。だが、すぐに親の事を考えて頬を緩める。


「生まれてから、ここまで世話をしてもらった恩もあるし、何より愛情を持って接してもらってるからかな。あんただって、人に好意を向けられるのは悪い気分じゃないでしょ?」

「なるほどな。親は大切なものなのか。」

「そうよ。あんたにだって、いつか大切なものが出来るわよ。」

「大切なものならあるぞ?」

「へ…?あんたの大切なものって何よ?」


 意外な答えに、リリィは興味が湧いてそう問うが、サタンの答えは予想とは違ったものだった。


「このコートだ。このコートは私が生まれてからずっと着ているものだ。親も生まれた時から一緒だというなら、これもきっと大切なものなのだろう。」

「きっとって何よ、きっとって!?そんなの、大切なものとは言えないわよ!」


 そんな騒がしい二人の馬車の後方に、別の馬車が付いてきている事に、二人は気付いていなかった。







 夜通し走り続けた馬車は、明け方近くに、目的地であるリリィの生まれた村に着いた。二人は馬車の運転手に賃金を払い、村の入口へと向かう。


「ここがお前の生まれた村か。」

「そうよ。人口も少ないし産業も盛んじゃないんだけど、魔物に襲われる事はない、平和な村よ。」


 リリィはサタンにそう言いながら、『ダイン村』と書かれた看板の掛かった門を、懐かしそうに撫でる。


「ここは初代勇者『ダイン』が生まれた村で、それでダイン村っていうの。」

「初代勇者ダイン……歴代最強と呼ばれている、初めて魔王を倒した勇者、だったな。」

「あ、そうか。あんたにはあまり縁起のいい場所じゃないわよね。」


 誇らしげに村の名前の由来を話していたリリィだったが、サタンが元魔王だと思い出し、気まずそうに目を逸らす。だが、サタンは特に気にした風もなく、村の中に入っていく。


「何をしている?お前の親に会いに行くのだろう?」

「……今に始まった事じゃないけど、あんたって本当に人の気遣いを無駄にする天才よね。」


 深く長い溜め息を吐いたリリィは、重い足取りでサタンの後ろをついていくのだった。

 村の中は平屋ばかりが並んでおり、道を歩く人々も、決して綺麗とは言えないような服装をしていた。だが、それぞれが皆笑顔を浮かべて、すれ違う度に挨拶を交わしている。活気こそあまりないものの、温かな空気が村に流れていた。


「お前の言う通り、確かに平和そうな村だな。いい所だ。」

「でしょ?」


 自分の生まれた村を褒められて、リリィは嬉しさを隠すように素っ気なくそう言うと、少し歩みを早くして、サタンの横と追い抜いていく。


「おい。どこに行く気だ?」

「お腹空いたでしょ?いい所知ってるから、あんたに教えてあげる。」

「袖を引っ張るな。私の一張羅が伸びるだろう。」


 リリィはサタンの袖を引きながら、足早に村の道を進んでいく。サタンは袖を引っ張られて嫌そうに顔をしかめていたが、リリィはそれを離す様子もなく、彼は諦めたように一度顔を横に振り、彼女の案内についていくのだった。

 村の中を通っている間、リリィの姿を見てひそひそと話しをしている住人が何人かいたが、リリィはもう拝む事がないと思っていた生まれ故郷に胸を躍らせて、それに気付く事はなかった。

 リリィの案内で村の真ん中を横切ってきた二人は、村の中でも一等古い建物の前に辿り着いた。


「何だ、ここは?」

「ここは『フロール食堂』っていう食堂なんだけど、ここの料理はものすごく美味しいのよ。きっとあんたも気に入るわ。」

「そんな良い物が出てくるようには見えんのだが…」


 リリィが胸を張って紹介したフロール食堂だったが、見た目はまるでお化け屋敷のようになっており、ここで幽霊が出ると言っても不思議に思えない程に古びていた。サタンはあからさまに嫌そうな顔をしながら、ここに着くまでに引っ張られ続けていた袖を直していたが、リリィは渋る彼を無理矢理店の中に押し込んでいく。

 リリィに押し込まれるように店の中に入ったサタンは、外見とは反対に清潔そうな店内を見て、険しかった表情を少し緩める。店内は綺麗に整えられた机と椅子が五組置かれていて、後は窓と観葉植物があるだけで、奥にカウンターとレジを兼ね備えた場所に、年老いた老婆が座っていた。


「いらっしゃいませぇ。今水をお持ちしますよぉ。」


 腰が直角近くまで曲がった老婆は、しゃがれた、男性ともとれるような声で、水の入ったグラスを持って二人の方へ歩いてくる。リリィはサタンと一緒に近くにあった椅子に腰掛け、机に置かれていたメニューを眺め始める。


「サタンは何にするの?」

「何が美味いのか分からんから、お前と同じものでいい。」

「そう。じゃあ、私が勝手に決めるわよ。」


 ここでの食事がよほど楽しみなのか、リリィは老婆が来るまでの僅かな間も待ちきれないと、そわそわと落ち着きなく動き続けている。老婆が机に水を置くと、リリィはすぐにメニューの注文をして、またそわそわと料理が来るのを待つのだった。

 しばらく経ってから、今にも持っているものを落としそうな手付きで、老婆がリリィ達の頼んだ料理を持ってきた。


「頼まれた品はこちらで良かったですかぁ?」

「はい、ありがとうございます。」

「ではぁ、ごゆっくりぃ。」


 老婆は注文が合っていたかの確認だけすると、またカウンターの方へと戻っていく。


「ほら、冷めないうちに食べましょ。」

「これは何だ?」


 目の前に置かれたご飯の上に茶色い物が掛かっている料理を見て、サタンはまるで汚物を見つめるような目でそれを見下ろした。


「何ってカレーよ。あんた、そんな事も知らないの?」

「これはかれいというのか?汚らしい色をしているが、本当に食べ物なのか?」

「あんた馬鹿!?今から食べるものに向かってなんて事言うのよ!?食欲が失せるでしょ!」


 カウンターに戻った老婆に聞こえないように、声を押さえながら怒鳴るという器用な事をしながらも、リリィはカレーに突き刺したスプーンを動かす事を躊躇してしまっていた。普段食べる時は意識していない事でも、言われれば嫌でも意識してしまう。そんな負の意識を振り払うように、リリィはカレーを一息に頬張りながら、サタンを睨みつける。


「これは人間の間で普及してる、定番中の定番料理なの!いいから黙って食べなさいよ!」

「そうなのか。まあ、それなら仕方ないな。」


 リリィの説明を受けて、サタンは渋々とスプーンを動かして、恐る恐るカレーを口の中に運ぶ。リリィの見守る中、サタンが一口目を咀嚼し、それを飲み下す。サタンはそれまで黙っていたが、リリィの視線に気付き、素直に感想を言ってやる。


「思ったよりも美味だな。程良い辛みが食欲をそそる。」

「でしょ?やっぱり、定番になるくらい美味しいのよ。」

「そうだな。だが…」


 自分のお薦めのものを褒められ、嬉しそうに頬を緩めたリリィだったが、次のサタンの言葉が彼女の眉間に皺を刻む事になる。


「味が安っぽいな。」

「ふっざけんなああああああああ!」

「ごふっ!?」


 小さい頃、誕生日などのお祝い事の時にしか食べられなかったものを、そんな風に言われたリリィは怒りに我を見失い、食事中であることも忘れて立ち上がり、向かいに座っているサタンにラリアットをかました。







 一騒動あった食事を終えたリリィとサタンは、村外れの森へと向かっていた。


「おい、リリィ。お前の家に行くのではないのか?どうして森へ向かっている?」

「私の家は森の中にあるの。」

「何故そんな不便な所に家を建てたのだ?そんな所に家を建てても、なにもいい事はあるまい。」

「うっさいわね。いいでしょ、どうでも。色々とあるのよ。」


 そう言うリリィの顔には陰りがあり、サタンもそれ以上の言及はしないでおく事にした。

 森の中に入ってすぐに、ファンシーとも取れるような、周りに木の蔓が巻きついている、手造り感漂う一軒の家が見えてきた。その家の前には一人の年老いた男が、斧を片手に巻きを割ろうとしている。


「……っ!パパ!」


 男が見えた途端、リリィは目の端に涙を浮かべて走り出す。


「リリィ…?リリィか!?」


 パパと呼ばれた男は、リリィの方に振り返り、その姿を見た瞬間、その男もリリィの方へ走り出す。二人はぶつかるような勢いで抱き合い、二人して嗚咽を上げる。


「あぁ、夢ならこのまま醒めないでくれ…!本当にリリィなんだな?」

「ぅん…!そうだよ……私、あいつらから助けられて…ぐすっ、戻ってこれたんだよ……」


 二人は再会を喜び合い、力強く抱き合いながら、しばらく涙を流していた。その騒ぎを聞きつけたのか、家の中からリリィの母親と思しき人が現れ、リリィの顔を見た途端、二人と一緒に涙を流し始める。


「リリィ!ごめんね!私達が貧乏なばっかりに、辛い思いばかりさせて…!」

「ぅうん…!こうして帰って来られたんだから、もういいの!」


 三人が涙ながらに互いを慰め合っている様を、サタンは一人、少し離れた所から眺めていた。

 三人が落ち着いた頃、ようやくリリィが一人で立っているサタンの事を思い出し、慌てて彼の紹介を始める。


「あのね、この人はサタン。サタンが私を助けてくれたの。サタン、紹介するね。こっちが私のパパで、フランク=デイズ。そっちがママのサイ=デイズよ。」

「あなたがリリィを助けて下さったのですか?」

「本当にありがとうございます…!」


 二人は涙の後を拭き取ると、サタンの前に急いで歩み寄り、深々と頭を下げる。


「気にするな。人間として当然の事をしたまでだ。」


 元魔王だと気取られたくないサタンは、人間という所を強調して言ったが、事情を知らない二人にはそれがまるで、それが聖人の言っている言葉のように聞こえた。


「なんて慈悲深いお方だ。」

「その立派な服装からして、どこかの貴族か何かでらっしゃいますか?」

「まあ、それに近しいものだな。」


 三人の遣り取りを聞きながら、リリィはサタンがどこかでぼろを出さないかと冷や冷やしていたが、サタンが特にそれをする事はなかった。

 立ち話もなんだという事で家の中に入った四人だったが、家の中は閑散としており、生活感が殆どなかった。家は部屋の仕切りがトイレと風呂だけしかなく、家具も机と椅子があるだけで、ベッドさえなかった。


「狭い家ですいません。」

「こんな所で宜しかったらゆっくりしていってください。」

「さあ、お茶でも出しますので座っていてください。」

「気にするな。私はここでいい。」


 椅子が三つしかなかったので、リリィの父親は自分が普段座っている椅子をサタンに差し出したが、彼はそれを辞退し、窓辺で立っていた。


「リリィ。サタンさんとはどんな間柄なの?」

「あ、えっと……そのぉ…」


 リリィがサタンの説明を言い淀むと、それまで朗らかだった両親の顔が、すぐさま険しいものへと変化し、父親はサタンとリリィの間に割って入るように立ち、母親は彼女を胸元へと抱き寄せる。


「あんた、リリィに何をしたんだ!?まさか、この子を奴隷として買ったんじゃないだろうな!?」

「もしそうなら、すぐにでも出ていってください!そのような人に出すようなものは何一つありません!」


 みすぼらしい格好とは裏腹に、凛とした態度の二人は、鋭い眼光をサタンに向けて堂々と言い放つ。リリィはどう説明しようかと、頭の中で思考が右往左往していたが、サタンはそんな彼女の両親の言葉にまるで怯んでいなかった。


「リリィは私の召使いだ。その、ドレイとかいうものではない。」


 リリィの両親はサタンの言葉を聞いた途端、なんて失礼な事をしてしまったんだ、と慌てて頭を下げようとしたが、それを遮るようにサタンが手を上げた。サタンがいつになく真剣な顔をしていたので、リリィがどうしたのかと声を掛けようとした瞬間、村の方から悲鳴が聞こえてきた。


「な、何!?何があったの!?」

「どうやら魔物が村で暴れているらしい。」

「そんな!?どうして!?あの村には魔物は現れない筈なのに…」


 リリィは初めての事態に困惑しながらも、サタンに退治してもらおうと、彼の袖を引いて家を出ていこうとする。だが、いつもなら渋ってもリリィに引っ張られるがままについてきたサタンが、今に限って動こうとしない。よりによってこんな時にどうしたのかと、リリィは焦りも相まって口調を荒げながら振り返る。


「ちょっと!?早く村の人たちを助けにいかないと…」

「本当に助けたいのか?」

「……え…?」


 そう言ってリリィを見下ろすサタンの目は、いつもとは違った非情さが滲み出ていた。


「な、何それ…?どういう事?」

「村の者共が口々に噂していたぞ。『デイズの娘が帰って来た』『いなくなればいいのに』と。」


 サタンの言葉を聞いた瞬間、リリィの体が凍りついた。


「お前はあの村で除け者にされていたのだろう?なのに、その張本人共を助けたいと思うのか?」


 サタンの言葉で蘇ってくる、忘れたくても忘れられない記憶。ただ家が貧乏というだけで虐げられ、馬鹿にされ、そこにいるだけで石を投げられた過去。そんな残虐な事をしても、村人は歪んだ笑みを浮かべていた。


―本当に助けたいのか?―


 何度も頭の中で繰り返される、核心をついた様なサタンの言葉。息が詰まり、鼓動も早くなっていく。本当に自分は、あの村の住人を助けたいのか。

 そんな事を考えていたリリィの耳に、また誰かの悲鳴が聞こえた。それを聞いて、彼女はこれから自分が何をすべきか決めた。


「助けたいに決まってるでしょ!いいから早く行くわよ!」


 先程までより力強く、今度は迷う事のないように、サタンの袖を引っ張るリリィ。サタンも、今度はそれに逆らうような事はしなかった。







 村に着いたリリィは、その惨状に目を疑った。村のあちこちで火災が発生しており、木造の家の殆どに燃え広がっている。人々は悲鳴を上げながら逃げ惑い、我先にと村の出口へと駆けこんでいた。村の中心には馬型の魔物が四匹おり、口から炎を出しながら暴れ回り、逃げ惑う人々の逃げ道を潰していた。

 村に着いたサタンは、騒ぎを起こしている魔物を見て、少し驚いた顔をする。


「あれは『フレイムホース』ではないか。おかしいな。」

「何言ってんのよ!?いいから、早くあいつらを退治してよ!」


 リリィは必死にサタンにそう言うが、彼はそれを無視し、辺りを注意深く見渡した。そして、逃げ惑う人々の中に、一人だけ逃げていない男を発見した。


「犯人はあいつか。」

「え?犯人って……あの魔物がやったんじゃないの?」

「フレイムホースは元来大人しく、一匹で暮らす魔物だ。こんな風に群れをなして人を襲う事など有り得ん。」

「……誰かがこいつらを操ってるって事?」

「ああ、そうだ。」


 サタンはリリィにそう説明しながら、右手を村に向けて横に薙ぐ。すると、それまで燃え盛っていた炎が、それを合図にしたように、煙さえ立てずに鎮火していく。更にサタンは、また炎を吐こうとしているフレイムホースの方に人差し指を向け、それを地面に向けて軽く下ろす。たったそれだけで、フレイムホースは見えない何かに押さえ込まれたかのように地面に崩れ落ち、再び立とうともがいても立つ事が出来なくなってしまった。


「な、何したの?」

「魔法だ。それより、今は騒ぎを起こした張本人に出てきてもらおう。」

「ちょ、ちょっと!?待ちなさいよ!」


 サタンは先程のように、自分の視線の先で、フレイムホースが抑えつけられた途端に逃げ出した男の方に人差し指を向け、それを下方に下ろす。すると、フレイムホースのように、男が地面に縫い付けられる。男が逃げられなくなるのを確認すると、サタンは男の方へと歩き出す。リリィも彼についていくが、村人の混乱は未だに収まらず、サタンが誰の方へ歩いているのかは分からなかった。

 サタンが歩みを止めた場所では、一人の男がうつ伏せに地面に倒れ込んでいた。リリィはどこか怪我をした村人かと思い、慌てて近寄ろうとするが、サタンがそれを片手で制する。


「おい。何の目的でこの村を襲わせた?」

「こ、こいつが犯人なの!?」


 サタンの言葉に、リリィは警戒して後ろに下がる。よく見てみれば、男の手には大剣が握られており、それだけでも一般人でない事が伺える。


「答えろ。殺されたいのか?」

「ひぃっ!?わ、分かった!分かったから、この変な戒めを解いてくれ!息苦しくて敵わねえ!」


 男の声にどこか聞き覚えのあったリリィだったが、それがすぐには分からず、仰向けになって見えた顔を見て、初めてその男が誰なのかに気付く。


「あ、あんたは…!?」

「よく分かったな。そうだ、俺だよ。」


 その男の事は、リリィも良く知っていた。その男は、リリィを奴隷として誘拐した張本人であり、サタンをリリィのいる奴隷取引所まで案内した男でもあった。


「リリィ、この男と知り合いなのか?」

「あんただって知ってるでしょ!?こいつは私を攫った奴らの一人よ!」

「そうなのか?私は会った覚えがないのだが…」


 リリィはその因縁から、男の顔を覚えていたが、サタンは特になんとも思っていなかったため、男の顔を覚えていなかった。

 しかし、それが男の癪に障った。仲間を皆殺しにされ、わざわざ前に居た街から跡をつけ、奴隷として売り払うつもりだった魔物を使ってまで殺そうとしている相手に、顔さえも覚えられていないのだ。これに腹が立たない人間などいないだろう。


「ふざけんじゃねえ!こっちがここまでしてるってのに覚えてねえだと!?死にやがれぇ!」

「サタン!危な…」


 男は逆上し、手に持っていた大剣を大きく振りかぶって、腕を組んで構えもしていない丸腰のサタンに振り下ろした。リリィは吹き出るであろう鮮血を見ないよう、固く目を閉じるが、生温かい血が彼女に降りかかる事も、何かが斬られるような音もしない。恐る恐る目を薄く開けて、リリィがサタンの方を見てみると、彼の頭には男の大剣が当たっていた。

 だが、それだけだった。血が吹き出る事も、男の大剣がそれ以上進む事もない。ただ、サタンの頭頂部に触れているだけだった。


「な、何だ……こりゃぁ…?」

「さっきの言葉が聞こえなかったのか?目的は何だと聞いている。」


 サタンの脅しのような言葉を聞いた瞬間、男は背筋の凍るような思いをした。本人にはそのつもりはなくとも、目の前で圧倒的な力を見せつけられた後に、この台詞を無感情に言われれば、大抵の人間は怯えてしまうだろう。この男のその例に漏れず、握っていた大剣を取り落とし、腰を抜かして座り込んでしまう。


「あ、あんたに仕返しがしたかっただけなんだ……本当にそれだけだ!もう追い回すような事もしねえ!だから、どうか殺さねえでくれ…!」

「…?何をしているのだ?」


 男は土下座をして、無様にサタンに許しを乞うているが、彼は土下座というものをここで初めて見た。故に、そのポーズがどのような意味を持っているのか知らない。サタンの事が大体分かってきているリリィは、助け船を出すように口を開く。


「あんたに許してほしいって言ってるのよ。で、こいつ、どうするの?」

「お前が決めてくれ。私はこういった時、どうすればいいのか分からん。」

「じゃあ、こいつは警備隊に引き渡すって事でいい?」

「それが人間として当然ならばそうしてくれ。」


 二人が男の処遇を話していると、ようやく混乱が収まり始めた村人が、急にサタンに向かって石を投げ始めた。


「きゃっ!?ちょっと!あんた達、恩人に向かって何するのよ!?」


 次々に投げられる石を避けるように頭を下げながら、リリィは村人に声を荒げるが、村人たちは彼女の言葉を遮るように罵声を浴びせる。


「黙れ!お前さえ来なければ、村がこんな事になる事はなかったんだ!」

「そうだそうだ!元凶はお前だ!」

「この村から出て行け!デイズの娘も出て行け!」


 村人はリリィの言葉には耳も貸さず、口々にサタンを罵りながら、彼へと石や瓦礫を投げ始める。そして、その標的は側にいたリリィにまで向けられる。サタンはリリィを後ろに下げて、飛来物が当たらないようにしていたので、彼女に物が当たる事はなかったが、彼女の心は傷だらけにされてしまった。


「何で…受け入れてくれないんだろう……そんなに貧乏な事が悪い事なの…?」


 謂れのない迫害を受け、リリィの頬を涙が伝ったのをサタンが見た瞬間、その場の空気が一変する。気温自体が下がった訳ではないのに、その場にいる誰もが肌に鳥肌を立たせ、背中に冷たい汗が流れる。それまで、手当たり次第に物を投げていた村人の動きは止まり、次第に全員の体が小刻みに震え出した。


「……………サタン…?」


 側に立っていたサタンの変化に遅れて気付き、リリィは彼を見上げる。しかし、サタンが村人の方を向いていたせいで、角度的に彼の表情を見る事が出来なかった。だが、サタンの表情を直接見ずとも、それに対面している村人の顔を見れば、彼がどんな表情を浮かべているのか大体察しが付く。

 サタンの顔を食い入るように見ている村人全員が、何をするでもない彼に怯えていた。おそらく、街で女を助けた時と同じような顔をしているのだろう。無感情な筈なのに、氷で出来た刃のように、恐ろしく冷たく鋭い、そんな表情だ。


「おい。」


 一声。サタンのたった一声で、村人は何かに怯えるようにびくりと肩を跳ね上げ、何人かは腰を抜かしている。サタンはそんな彼らの反応に興味を示さず、無感情に言葉を紡ぐ。


「不愉快だ。道を開けろ。」


 サタンの言葉を聞いた村人たちは、まるで訓練された兵隊のような動きで、サタンの前方に空間を作る。サタンはその空間を、まるで闊歩するかのように大股で歩き、リリィはそれに戸惑いながらもついていくのだった。


「ちょ、ちょっと!あいつはどうするのよ!?」

「知らん。奴らの好きにさせればいい。どうせ腰を抜かしているのだ。しばらくはまともに動けまい。」

「何怒ってるのよ?どうかしたの?」

「別に怒ってなどいない。ただ、奴らが不愉快だっただけだ。」


 リリィの言葉に答えるサタンの声は、僅かではあるものの、確かに不機嫌そうなものだった。リリィはそんなサタンの僅かな変化に気付き、少し頬を赤らめて、小声で感謝の言葉を告げる。


「ありがと…」

「ん?何か言ったか?」

「……何でもないわよ。」


 振り向いたサタンの顔がいつも通りだったので、リリィは勘違いだったのかもと思い、口をすぼめて早足で先に行ってしまう。そんな、不機嫌とも取れる彼女の態度を見て、サタンは頭を傾けながら、足を速く動かすのだった。







 二人が家に帰ると、リリィはこの後すぐに旅に出ると言い出した。これ以上ここにいると、親に迷惑を掛けてしまいかねないからだ。親は悲しそうな顔をしたが、娘の恩人であるサタンの旅を邪魔するのも忍びないと、笑顔で見送ってくれた。


「リリィ、元気でやりなさい。何かあったら、いつでも帰ってきていいんだぞ。」

「そうよ。今度は、四つ椅子を用意しているからね。」

「うん……じゃあ、行ってくるね…」


 リリィは無理矢理顔に笑みを浮かべると、力なく手を振って、先に行かせていたサタンの隣まで走り寄った。サタンの隣に来たリリィの目の端には、うっすらと涙が浮かんでおり、今にもその雫が溢れそうになっていた。


「本当にもう行っていいのか?」

「うん。仕方ないよ。これ以上あんたの旅を邪魔出来ないしね。さあ、次はどこへ行くの?」


 空元気にしか見えない彼女の笑顔を見て、サタンは気付けば、彼女の事を抱き寄せていた。リリィは勿論、抱き寄せた本人も驚いたような顔をしていた。


「サ、サタン…?どうしたの?」

「分からん。何故か、体が勝手に動いた。」


 そう言いながらも、サタンの腕はリリィを抱きしめたまま、彼女の体を離そうとしなかった。そんなサタンの腕の中で、リリィも抵抗せずに、その温もりを肌で感じていた。そして、それが彼女の心の堰を壊した。


「ぅ、ぅうう…!ぅわあぁぁん!ぐすっ、ぅえぇえぇぇぇ!」


 泣いているリリィ自身にも、それが何に対する涙か分からなかった。迫害を受けた事に対する悔しさへの涙なのか、親と離れる事に対する寂しさへの涙なのか、それともその両方なのか。いずれにしても、この涙はしばらく止みそうになかった。

 そんな彼女の事を、サタンは黙って、泣き止むまで抱き締めてやるのだった。

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