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魔王道中  作者: amo
本編
4/13

元魔王、クエストを受ける

 一騒動起こしてしまったサタンとリリィは、何とかその喧騒の中から這いずり出て、当初の目的だったクエストを受注するため、街のセントラルへと来ていた。セントラルは人々でごった返しており、その多くが受け付けに繋がる列に並んでいた。

 そんな人々の殆どが、クエストの内容を書かれた紙が張りつけられた、四つあるクエストボードの中の一つの前に立っているサタンへ注目していた。先程の騒ぎが見ていた野次馬の口コミで広がり、サタンはあっという間に話題の中心となっていたのだ。ある者は彼の強さを語り、ある物は彼の残虐さを語り、ある物はその時の悲惨さを語っていた。

 サタンはそんな視線など気にしてはいないが、その隣で立っていたリリィは嫌というほど感じていた。


「はぁ。なんか、居づらいなぁ…」

「ん?どうした、縮こまって。何かあったのか?」

「あんたのせいよ!この馬鹿!」


 注目されている事にまるで気付いていないサタンに声を荒げながらも、リリィが苛々していた理由は全く別の所にあった。

 その理由というのは、サタンに対する周りの人々の評価だった。多くの人々がサタンの話をしているが、その中に彼の事を褒めるような評価がないのだ。確かにサタンのやり方はやり過ぎだったかもしれない、酷かったかもしれない。だが、結果として、人質にされていた女は無傷で救出され、無事男を捕まえる事も出来たのだ。サタンのやり方は手放しに褒められるようなものではないが、多少は彼の功績を認めるような声があって然るべきなのに、そんな言葉は一つも耳に入ってこない。それが、リリィを苛々させていた。


「で、リリィ。どのクエストを受けるのだ?」

「まぁ、あんたの実力なら、A級クエストがいいわね。」


 サタンに声を掛けられ、リリィは頭の中のもやもやを振り払うように一度首を左右に振り、彼を数あるクエストボードの中でも一番大きなものの前に引っ張っていく。


「これがA級クエストの張り出されてるクエストボードよ。」

「A級?クエストはランク付けされているのか?」

「そ。クエストは難易度ごとにランク付けされてて、C級からS級まであるわけ。当然、ランクが高いクエストは、その分報酬を多くもらえるの。」


 リリィの説明を受けて、サタンはある疑問を抱く。


「なぜA級なのだ?私なら、S級でもいいぞ。」

「あぁ……S級はあんたには無理よ。」

「なぜだ?私は元魔王だぞ?私に不可能な事など、ほとんどない。」

「まあ、言うより見た方が早いわね。ほら、あっちがS級クエストのクエストボードよ。」


 リリィの指さす方には、四つの中で一番端の小さなクエストボードがあり、そこにはたった一枚の紙が張り出されていた。その内容を見たサタンは、リリィの言っていた事を理解する。

 クエストの内容は簡素なもので、ただ『魔王を殺す事』とだけ書いてあった。


「なるほど。自分を殺して金を貰うなど、本末転倒だな。」


 まだ人間には魔王が変わったといった情報が流れていない以上、人間はサタンの事を魔王として認識しているだろう。そして、情報が漏れていないのも、当然のことだとサタンは思った。現在魔王がいませんなどと人間に漏れれば、こぞって人間は魔物を駆逐しようとするに決まっている。おそらく、自分の執事だった魔物達が上手く情報操作をしているのだろうと、サタンは考えていた。


「そう言う事。一応どの街のセントラルにもクエストとして張り出されてはいるけど、あれは勇者専用のクエストよ。」

「そのようだな。仕方ない、A級クエストで甘んじよう。」


 そう言って、サタンは再びA級クエストの張り出されているクエストボードへ視線を移す。A級クエストの内容の殆どが、山賊を捕まえるものや、魔物の討伐などだ。

 クエストの内容に一通り目を通してサタンが分かった事は、人間はやはり、魔物を嫌っている事だった。彼がこの事に気付いたのは、人間の犯罪者に対するクエストは追い払うか捕まえるに留まっているが、魔物に関するクエストの全てが殺す事となっている。

 サタンはそんな野蛮な内容を見て、心の中で苦笑いをした。あれだけ凶暴で危険だと罵っている魔物と、それをしている当人である人間が、まるで同じ考え方をしているのだ。それが何とも滑稽だった。


「サタン…?どうかした?」

「いや、何でもない。」


 そんな彼の心情を僅かに悟ったのか、リリィがおずおずと声を掛けてくる。


「あんたからしてみれば酷いと思うわよね。魔物は問答無用で殺せ、だもん。」

「いや、これが当然だろう。魔物も身を守る時、相対する相手を追い払うのではなく殺している。」


 そう言うサタンの声には、やはり殆ど感情は表れていなかった。本気でそう思っているのだろう。そんな彼の態度に、リリィは少しむっとした。


「あんた、仲間が殺されても何とも思わないわけ?」

「仲間?一体誰の事だ?」

「……何でもない。」


 きょとんとした様子でこちらを見返してくるサタンを見て、リリィは少しでも心配した自分を殴ったやりたい気分に襲われた。やり場のない怒りに声を震わせながらも、リリィは何とか作り笑顔でサタンに問い掛ける。


「で?どのクエストを受けるの?」

「金は多い方がいいのだろう?私にはどれが金額を多くもらえるのか分からんから、お前が適当に決めてくれ。」


 そう言われて、リリィは長く溜め息をついた後、クエストの書かれた紙の中でも、金額の大きなクエストを探し始める。だが、やはりというべきか、金額の大きなものは魔物を殺すものばかりだ。サタンも口ではああいっていたが、それでも同族殺しをさせるのは気が引ける。結局リリィが選んだのは、魔物以外で一番金額の高い、付近の山を拠点として活動している山賊を捕まえるクエストだった。


「じゃあ、私はこれを受け付けに出してくるから、あんたはここで待ってて。」

「ああ、分かった。」


 素直に頷いたサタンを確認して、リリィは受付に紙を出しに行った。







 セントラルでクエストを受注した二人は、山賊がいるという山を登っていた。だが、体力がないリリィにとって、獣道の続く山登りは過酷で、どうしてもサタンに置いて行かれそうになってしまう。だが、気を遣う事などした事がないサタンは、ぜいぜいと気息奄々でふらふらになっているリリィに容赦ない言葉を掛ける。


「おい、どうした?ペースが落ちているぞ?」

「私を、あんたみたいな、体力馬鹿と、一緒にしないでよ!」


 いつもなら勢いのあるリリィの言葉も、途切れ途切れではそれも半減してしまう。


「あんた、体力が、あるなら、私を、おぶってってよ!」


 遂にその場に足を止めてしまったリリィに、サタンは軽く溜め息をつく。


「お前は召使いなのに、主に手間を掛けさせるのか?」

「うっ……わ、分かってるわよ!でも、せめて休憩させてよ!」


 口では反抗的なリリィだが、一応サタンに救われた恩を感じている。これ以上恩を貸し付けるような事はしたくはないが、気合だけでは体は動かず、その場にへたれ込んでしまう。サタンはそんな彼女を見た後、辺りを見渡して、軽く溜め息をつく。


「おい、リリィ。こんな所で休憩なんてしていると…」


 サタンがリリィの方へ戻ってきたのと時を同じくして、山頂の方から大量の鳥が飛び立つ音がした。サタンは言葉を止め、リリィは目を剥いて山頂を見上げた。二人の視線の先には、坂を転がり落ちてくる巨大な岩があった。


「…こうなるぞ。」

「ぎゃああああああ!言ってないで何とかしなさいよ!」


 リリィは泡を食って逃げようとするが、これまでの山道で酷使していた足腰が言う事を聞かず、目の前に立っているサタンを頼って指示を飛ばす。


「何とかとは、具体的には一体どうすればよいのだ?」

「昨日みたいに小さくしてよ!そうすれば簡単に避けられるでしょ!」


 リリィの提案に、サタンは不満気な顔をする。


「駄目だ。最近は消費するばかりだから、そろそろ補充しておきたい。」

「何訳分かんない事を、ってもうだめええええ!」


 リリィがサタンと不毛な会話を繰り広げている間も、当然岩は転がり続けている。そして、リリィが気付いた時にはもう、目と鼻の先まで岩が迫ってきており、彼女は短かった人生を振り返りながら目を固く閉ざした。

 だが、いつまで経っても痛みが襲ってこない。それどころか、岩が転がる音さえ消え、辺りはしんと静まり返っている。そんな異変に気付いたリリィは、恐る恐る目を開けると、目の前にはまだ岩があった。


「やっぱり死ぬうううう!って、あれ?止まってる?」


 思わず腰を抜かして倒れ込んだリリィだったが、良く見れば岩は先程の勢いをどこへ消したのか、微動だにしていない。彼女の右斜め正面には、岩を片手で押さえているサタンがいた。


「先程から何を騒いでいる?人間の休憩とは、そんなにも騒がしいものなのか?」

「ち、違うわよ!っていうか、止められるなら早くそう言いなさいよ!」


 一人で勝手に騒いでいた事を恥ずかしく思いながらも、リリィは薄汚れていた服の汚れを叩いて落とす。そこで、リリィは自分のみすぼらしい服装を思い出した。奴隷として監禁されてからまともに着替えていない服は、所々綻んでおり、目も当てられない程ぼろぼろだ。リリィは報酬金を受け取ったら、まず服を買おうと心の中で決めた。


「何でこのクエストの報酬金が一番高いかが分かったわ。まだ罠があるかもしれないから、気を付けておいてよ。」

「まあ、この辺りの地形は罠を仕掛けるにはかなり適しているからな。こうして話している間にも…」


 何かに気付き、サタンが言葉を途切れさせた。リリィは急に言葉を止めた彼を不審そうに見上げたのと同時に、辺りから十人ほどの、屈強そうな男達が姿を現した。その誰もが無精髭を蓄え、手にそれぞれ得物を持っている。


「ここは俺たちの縄張りだ!」

「余所者は出て行けぇ!」

「死ねぇ!」


 山賊の一味と思しき男達はかなり腕に覚えがあるのか、リリィが彼らの人数を確認する前に、二人への間合いを一気に詰め、構えていた得物を一斉に振り下ろす。

 今度こそ死を覚悟したリリィは、身を固めて目を瞑るが、何かに襟を強く引かれ、一瞬息を詰まらせる。


「げほっ、ごほっ…!な、何…?」

「リリィ、お前はここでじっとしていろ。」


 リリィが目を開けた時には、男達からかなり離れた場所で、サタンに抱き抱えられていた。サタンはリリィをその場に下ろすと、標的を見失って困惑している山賊の方へ歩み寄っていく。


「おい。この紙に書かれているのはお前達の事か?」


 クエストボードに張り出された紙をひらつかせながら、サタンは男達に声を掛ける。突然離れた場所に移動したサタンに驚きながらも、山賊は頭数で勝っている事に余裕を感じ、すぐに持ち直す。


「あん!?舐めてんのか、てめえ!」

「俺達はここら一帯を縄張りとする山賊だぞ!」


 それを聞いたサタンは、後ろで座り込んでしまっているリリィの方へ顔を向ける。


「リリィ。無力化とはどうすればいい?」

「え…?いきなりそんな事言われても……」


 急に話を振られ、リリィは慌てふためく。サタンは前回リリィに言われた事を考慮して質問してきているのだろうが、彼女は戦闘に関してはサタン以上の素人だ。前回は一対一だったので、男一人を押さえ込めばそれで済んだのだが、今はリリィの素人目でもサタン一人で山賊達を押さえ込むのが無理だという事が分かる。

 どうしようかと考えている間にも、山賊達は再び武器を構え始めており、今にも飛び掛かってきそうな雰囲気を醸し出している。切羽詰まったリリィは、取り敢えず思い付いた解決法を片っ端から口にする。


「あれよ、あれ!武器を奪うとか、気絶させるとか、そんな感じよ!」


 やはり戦闘という行為に慣れていないリリィには、この程度の案しか出てこない。だが、サタンにとってはそれだけで十分だった。


「武器を奪えばいいんだな?」

「へ?」


 素っ頓狂なリリィの声と被さるように、辺りに風を裂くような音が鳴り、それまでリリィの側にいたサタンの姿が消えた。姿を消したように見えたサタンは、山賊達を挟んだ反対側へと姿を現し、その手にはいくつかの武器を持っていた。


「あれ?俺の武器が?」

「お、俺もだ!なくなってる!」

「それに、あの野郎も居なくなってやがる!」


 山賊達はいきなりの事に戸惑い、取り乱して辺りをきょろきょろと見渡した。そして、自分達の武器を持って後ろに立っているサタンを目にして、すっかり戦意を喪失し、蜘蛛の子を散らしたように逃げ始める。


「何だあいつは!?」

「ば、化け物だぁ!」

「ひぃっ!に、逃げろぉ!」


 逃げ惑う山賊を、少しの間呆けて眺めていたリリィだったが、すぐにクエストの事が頭に蘇り、奪った武器を手に持て余らせているサタンに荒げた声を掛ける。


「あんた、何突っ立ってんのよ!?こいつらを捕まえないと意味ないでしょ!」

「ああ、そうだったな。」


 リリィに怒鳴られて、サタンもようやくわざわざここまで足を運んだ目的を思い出す。だが、既に山賊は放射状に逃げており、リリィは全員を捕まえるのは骨が折れそうだと感じた。

 しかし、そう感じていたのはリリィだけで、サタンは焦るような事もなく、彼女の方へ歩み寄る。そして、何をするのかと自分を見上げている彼女を肩に抱き上げると、軽く右足を上げる。


「ちょっと!?あんた、いきなり何…」

「黙っていろ。舌を噛むぞ。」


 不意にサタンに抱き抱えられたリリィは、足をばたばたと暴れさせるが、サタンはそれを窘めて、上げていた足を踏み下ろす。

 轟音。リリィに分かったのは、地震の様な揺れが起きた事だけだった。過度な量の音波が、彼女の意識を一瞬で奪い去ったのだ。

 振り下ろされたサタンの足が、そこを中心にして地盤を砕き、辺りの地面を蟻地獄の巣のような形に捲れ上げさせる。そして、その巣に掛かった哀れな蟻は、先程逃げ出していた山賊達だ。浮き上がった地面に弾かれるように投げ出され、彼らはサタンの方へと飛ばされる。


「な、何だ…!?こりゃあ!?」

「何が起きたんだ!?」


 宙を舞う山賊達は、口々に驚愕を現していたが、自分達が飛んでいく方に誰がいるのかに気付き、既に見開いていた目を更に大きくする。


「おい、リリィ。どうやって捕まえ……ん?何だ、気を失っているのか。」


 これからどうするかを考えていなかったサタンは、リリィに意見を聞こうとして、彼女が肩の上でぐったりとしている事に気付く。だが、サタンがもたもたしている間に、山賊が止まる事はなく、無様にサタンの足元に落ちてくる。

 落ちてきた山賊は腰を抜かしているようで、何とか這って逃げようとしているが、依然地盤は捲れ上がったままで、たった今出来あがった斜面を登れずにいた。サタンはまだ逃げようとしている山賊を見下ろし、面倒臭そうに顔をしかめる。


「お前達、大人しく捕まれ。手間を掛けさせるな。」


 無感情な声でそう言われ、山賊達は恐怖で動きを止め、壊れた人形のように首を何度も縦に振る。まるで心臓を握り潰されたかのように彼らの鼓動が高鳴り、呼吸をしているのに息苦しくなるのを感じていた。それほどまでに、山賊達は目の前の男に怯えていた。

 こうして、色々とあったサタンの初クエストが終わったのだった。







 騒がしい人々の声を耳にして、リリィは重い瞼を開けた。寝起きのリリィのぼやけた視界に入ってきたのは、周りを取り巻きのように囲った人々が、何かを大声で叫んでいる姿だった。


「あれ…?ここは、街…?」

「起きたか。まったく、主に背負われる召使いなど初めてだ。」


 耳元でサタンの声がして、リリィはのっそりと顔を動かすと、至近距離に声の主の顔があった。目の前にいきなり現れたサタンの顔を見て、リリィの眠気は一瞬で吹き飛んだ。


「ななな何っ!?何であんたが…!?」

「耳元で騒ぐな。喧しくて敵わん。」


 冷静にそう言われ、やっと少し落ち着きを取り戻したリリィは、自分がサタンにおんぶされている事に気付いた。サタンの歩く前には、自分達を襲ってきた山賊達が、ちょうど街の警備隊に引き渡されている所で、自分達がクエストを達成した事を理解する。周りの人々は、人並み外れた功績を残したサタンを褒め称えているようだった。


「何が起きたの?私、全然覚えてないんだけど?」

「お前は途中で気を失ったのだ。覚えていないのか?」

「気を失った…?」


 そう言われても、リリィは覚えている最後の記憶は、サタンに抱え上げられて暴れたまでの記憶しかない。脳があの轟音を、音として認識できていないのだ。


「そんな事より、目が覚めたなら自分で歩け。」

「あ、うん。ありがとね。」

「気にするな。」


 何はともあれ、迷惑を掛けてしまった事に負い目を感じ、リリィは素直に謝ってサタンの背中から降りる。リリィが降りると、サタンはポケットの中でくしゃくしゃになった紙を取り出す。それがなんだか分からず、少しの間それを凝視していたリリィだったが、それがクエスト内容の書かれた紙だと分かり、サタンが言いたい事を悟る。


「ああ、報酬金を貰うには、警備隊にサインを貰って、それをセントラルに出せばいいのよ。」

「そうなのか。では、手続きは任せたぞ。」


 サタンは紙屑をリリィに押し付けると、自分はもう仕事は済んだと示すように、腕を組んでしまう。ここまで背負われてきたリリィに、そんなサタンの要望を断る事も出来ず、文句の一つもなしに、警備隊にサインを貰いに行くのだった。







 セントラルで警備隊のサインの書かれた紙を提出した二人は、たんまりと報酬金の入った布袋を携えて、街で一番大きな服屋に来ていた。


「おい、リリィ。街を出ていくのではなかったのか?」

「こんな恰好で他の街になんて行けないわよ!さあ、早く行くわよ!」


 渋い顔をしているサタンの腕を引いて、リリィは晴れやかな笑みを浮かべて店に入っていく。生まれてずっと貧乏だったリリィは、こんな服屋に来た事はなく、いつも母親の手作りの服を着ていた。今までは、羨望の眼差しで服屋の前を通り過ぎたり、綺麗な服でおしゃれをしている同世代の子供を眺めたりもしていた。そんな経緯があるせいで、リリィは服屋で買い物をする事に強い憧れを抱くようになっていたのだ。

 そして、今リリィの手にはその夢を叶えるだけのお金があり、今の自分はとてもみすぼらしい恰好をしている。これだけの条件が揃っているのに、服屋をスルーする事など、彼女には出来なかった。

 服屋の中は、リリィの予想以上に煌びやかな空間が広がっていた。見渡す限りどこにでも服が飾りつけられており、そのどれもがリリィの心を惹きつけて止まない。目をらんらんと輝かせながら、リリィは手当たり次第に服を自分の体に当てては、鏡の前でポーズを取ってみる。


「わぁ……これも可愛い!ねえ、サタン!これはどう?」

「どうと言われてもな……私にこういうのは分からん。」


 それまでの態度とは一変して、明るい表情のリリィを前に、さすがのサタンもたじろいでしまう。だが、そんな彼の態度にも気付かず、リリィは意見をくれなかった事にぶぅぶぅと文句を言いながらも、また新たな服を手にとって身立てる。

 リリィの様子を見て、これは長く掛かるだろうと思い、適当に見つけた椅子に腰掛けて、楽しそうな彼女を見守る事にした。はしゃぐ彼女は楽しそうで、年相応にあどけない表情をしており、サタンは珍しいものを見た様な気がしていた。

 リリィは周りの人が迷惑そうにしているのも構わずに、色々な種類の服を手に持ち、大量のそれを持って試着室へと入っていく。しばらく中でごそごそと動いた気配があった後、試着室に持ち込んだ服の一枚を着たリリィが姿を出した。


「ねえ、どう?似合ってる?」


 そう言うリリィは純白のワンピースを着ており、貴族のように裾を摘まんで軽く会釈をしている。サタンは彼女を品定めするように一瞥くれた後、素直に思った事を口に出す。


「ああ、似合っているぞ。」

「本当!?じゃあ、これにする!」


 リリィは掛け値なしのサタンの言葉に、嬉しそうな笑みを浮かべて、また試着室へと入っていく。ぼろぼろの服を身に纏ったリリィが試着室から出てきて、先程のワンピースを二着胸に抱え、それをレジの方へ持っていく。

 支払いを済ませたリリィは、ほくほくとした顔をして、サタンの方へ小走りで寄ってきた。


「サタンは何か買わないの?」

「私はいい。これが気に入っているからな。」


 そう言ってサタンは自分のコートをはためかせるが、リリィはそれを見て少し顔をしかめる。


「それが気に入ってるのはいいんだけど、替えが一枚くらいは要るでしょ?」

「何故だ?」

「何故だ、って……汗掻いたりして汚れるでしょ?それを洗ってる間、裸でいるつもり?」

「汗など殆ど掻く事はないから、これを洗う必要もなかろう。それに、汚れるような事も、っておい。何をする?」


 何だかんだと服を買おうとしないサタンを見兼ねて、リリィは強引に彼の背中を押して、彼が着ているコートに似た、彼女が買ったワンピースとお揃いの白いコートの置いてある店の一角へと連れていく。


「色は違うけど、これならいいでしょ?」

「白か……今まで黒い物しか身に付けた事がなかったから、こういうのもいいかもしれんな。」


 自分が着ているコートと見比べながら、サタンは一度頷き、リリィに指定されたそれを手に取る。そして、それを持ったまま店の出口へ行こうとする。彼が何をするのか見当のついたリリィは、当然それを全力で阻止するため、彼の袖を強く引っ張る。


「待ちなさいよ!あんた、それをどこに持ってく気!?」

「どことは?」

「まだ支払いが終わってないでしょ!」

「シハライ?」

「……もういいわ。あんたはここで待ってなさい。」


 やはり分かっていなかったと、リリィはサタンからコートを奪い取り、レジの方へずんずんと足を進めていく。


「一体何だというのだ?」


 買えと言われたから買ったのに、今度はそれを勝手に持って行かれ、意味が分からないと言った顔でリリィの背中を見送るサタンだった。この後、彼はリリィからこっ酷い説教と、買うという行為がどういうものかを教え込まれる事となる。

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