表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王道中  作者: amo
本編
2/13

元魔王、召使いを雇う

 魔物がひしめきあっている城を出て、人間の姿に身を変えた元魔王、サタンは、大通りのど真ん中で立ち尽くしていた。


「………迷った。」


 この世に生を受けてからこの方、サタンは城の外に出た事がなかった。そんな彼が目的地もなく、地図もないまま外に出れば、結果は火を見るより明らかだ。だが、子供が親の言いつけを聞かずに遠くへ行ってしまうのは、迷子になる事を頭に入れてないからであり、彼もまさにそんな状態だった。


「執事くらいは手元に残しておくべきだったか?いや、あいつは変身能力がないから、すぐに魔物だとばれてしまうな。」


 行き交う通行人が変な視線を向けているが、サタンはそんな視線を気にする事なく、ぶつぶつと独り言を呟き続ける。


「仕方ない。人間の召使いを召し抱えるとするか。そうだな……出来れば若い娘がいいな。」


 そうと決まれば、サタンの行動は早い。適当に視界に入ってきた酒屋に入り、片っ端から若い女に声を掛けるのだった。







 酒屋に何度目かの乾いた音が響いた。


「召使いになれですって!?ちょっと顔がいいからって調子に乗ってんじゃないわよ!」


 吐き捨てるようにそう言った女は、頬を引っ叩いた男を残して、足早にその場を去っていった。叩かれた男、サタンは少し赤みを帯びた頬を押さえながら、心外そうにその背中を見送った。


「この私の召使いになれるというのに、なぜあんなに反発するんだ?」


 初対面の人に何の脈略もなく召使いになれと言われれば、誰だって侮辱されたと思うに決まっている。だが、箱入り娘のように育てられたサタンには、人間の常識どころか、魔物のそれさえ通用しない。現に、今なぜ自分が叩かれたのかも分かっていない。だが、何となくこのままでは召使いは手に入らないと気付き、場所を変えようと席を立つ。

 しかし、席を立った彼の腕を掴む者がいた。その人物は、酒屋の店主だった。


「ちょっと、お客さん。帰るなら勘定していってもらわないと困りますよ。」

「カンジョウ?何だ、それは?」

「とぼけんじゃねえよ!あんたが飲んだ酒の金!それを払えってんだ!」


 先程からサタンが声を掛けた客が店を出ていっている事で募っていた怒りが、とぼけた様な彼の態度で爆発したのか、店主は声を大きく荒げる。だが、サタンは金を使った事がない。城で暮らしていた時は、何か望めばすぐに執事が用意してくれていた。だから、金を払う意味の前に、金が何であるかさえ分かっていないのだ。


「何の事か分からんが、取り敢えず…」


 サタンの言葉を遮るように、酒屋の扉が大きな音を立てて弾け飛ぶ。酒屋のあちこちで短い悲鳴が上がり、音の発生源から誰もが遠ざかろうと走り出し、その場に混乱が訪れる。混乱した場の中、唯一サタンだけは落ち着き払っており、じっと入口の方を見ている。


「失礼するぜぇ!」


 入口のあった場所に立っていたのは、大きな大剣を背負った、体中に傷を負ったガラの悪い大男だった。男はずかずかと酒屋の奥へと足を進めると、サタンの足元に座り込んでしまっている店主を見つけ、店主の前で足を止める。


「親父、酒だ!酒をありったけ持ってこい!」

「ひっ…!い、今すぐに!」


 情けない声を上げて、店主は逃げるように店奥の酒蔵へと入っていく。男はそれを見送った後、サタンが座っていた椅子に浅く座り込み、足を机の上に投げ出す。行儀の悪い男の態度を見ても、他の客は縮み上がって声を上げる事が出来ない。だが、場の空気を読んだ事のない男が一人いた。


「おい。酒を飲むにはカネがいるらしいぞ。お前は持っているのか?」

「あぁん?何だ、てめえ?」


 サタンの言葉に、辺りが一気に騒然とする。男は今にもサタンに襲いかかりそうな気配を醸し出しているが、サタンはそれを察する事なく、更に挑発するような言葉を重ねていく。


「カネが何か知らんが、酒を飲むと要求されるから注意するといい。この私にまで…」

「馴れ馴れしいんだよ!」


 サタンの空気の読めない言葉にいい加減腹が立ったのか、背中の大剣をサタンに向けて振り下ろす。再び酒屋に、今度は長い悲鳴が響き渡る。だが、大剣が目標を切り裂く事はなかった。目標にぶつかる寸前、横から凄まじい衝撃を受け、粉々に砕け散った。


「………………は?」

「随分脆い金属を使っているな。もう少し頑丈な物を使う事を勧めるぞ。」


 サタンは何もなかったかのように、金属片の付いた手を二、三度払いながら、大剣を振り下ろしたままの恰好で固まっている大男を見下ろす。

 男には、今何が起きたか分からなかった。サタンの動きが速過ぎて目視できなかったのは勿論、大剣を砕いた衝撃が全て大剣にのみ伝わり、男の腕には少しの衝撃も伝わらなかったせいで、男は一瞬空振ったという勘違いさえした。そして、砕けた自分の大剣の刃先を見て、やっと現実を知り、浅く腰かけていた椅子から転がり落ちる。


「ななな、何しやがった!?てめえ、一体何者だ!?」

「金属を砕いただけで何を騒いでいる?それに、お前に名乗る必要はないだろう?」


 こんな公衆の面前で元魔王だと語れば、たちまち知れ渡ってしまうと思い、サタンは適当な事を言って誤魔化しておく。そんなごたごたが起きている間に、店主が酒を大量に持ってきたが、もう男にそんな酒に構っている余裕はなかった。


「くそっ!覚えてやがれ!夜道には気を付けな!」

「…?ああ、気を付けよう。」


 捨て台詞を素直に聞き入れたサタンに対し、店中から喝采の声が上がる。


「すげえぞ、あんちゃん!見直したぜ!」

「ただの軟派野郎じゃなかったんだな!驚いたぜ!」

「スカッとしたぞ!あの野郎には日頃から腹が立ってたんだ!」


 自分が持て囃されている理由が分からないサタンは、頭に疑問符を浮かべる。大剣を向けられても動揺しなかった彼が、周りの人間に困惑していた。

 この事態を一番嬉しがったのは、厄介な客を追い払う事が出来た店主だった。さっきまで怯えていたのとはまるで別人のように、豪快に笑い飛ばしながら、ばしばしとサタンの背中を叩いている。


「助かったよ、お客さん!これはほんのお礼だ、貰ってくれ!」

「ん?何だ、これは?」

「お礼のお金だよ。飲み代もチャラでいい。どうか受け取ってくれ。」


 サタンは手に押し付けられたお札を眺めながら、更に頭の疑問符を増やすが、取り敢えず感謝されているようなので、それをポケットに捻じ込んでおく。先程までのアウェーな空気から一転したのを何となく感じたサタンは、店主に今の悩みを打ち明けてみる。


「おい。何処かで召使いを雇える場所を知らないか?」

「召使いですか?う~ん…ここらへんでそんな場所は………あっ!」


 何かを思いついたかのような店主だったが、すぐにその顔を曇らせる。だが、そんな微妙な店主の反応にも関わらず、サタンは持ち前の不躾さで話を続ける。


「知っているのか?だったら話せ。」

「それが……その…」


 店主は気まずそうに目を落としながら、しかし仕方なさそうにサタンの耳元に手を当てて、声を潜めて言葉を繋ぐ。


「召使いではなく、奴隷なんですが……奴隷の取引をしているのが、さっきの男が所属している団体でして…」

「ドレイ…?それは召使いの仕事が出来るのか?」

「奴隷も知らないんですか?奴隷は人権を剥奪された、最下級の人間でして…」

「そんな説明はいい。召使いとして使えるのか?」

「それはもう。競りに出されている奴隷は、一通りの教育は受けている筈ですから。」


 サタンはそれだけ聞くと、もう用がないと店を後にした。







 サタンに大剣となけなしの誇りを圧し折られた男は、抑えようのない怒りを周りに歩いている関係ない人々に当たり散らしながら、自分の所属している団体が経営している、奴隷市場へと足を向かわせていた。そんな男の頭上に、先程まで耳にしていた忌々しい声が届く。


「おい。ドレイとやらの取引をしているのはどこだ?」

「なっ!?」


 身長が2m近くある男の頭上を越え、サタンは優雅な身のこなしで男の前へと降り立つ。まず自分の頭上を越えられた事に驚いた男は、その人物がサタンだと知り、更に驚いた顔をする。サタンは驚いている男の進路を遮るように立ち塞がり、もう一度質問を重ねる。


「ドレイの取引先を聞いているんだ。知っているんだろう?」

「てめえにそんな事…いや。いいぜ、案内してやるから付いてこいよ。」


 男はサタンの横を通り過ぎ、目的地に足早に進んでいく。サタンは案内してくれるという言葉を鵜呑みにし、見えない位置で口元を吊り上げている男の後ろについていくのだった。







 入り組んだ路地裏を進んでしばらくし、サタンを連れた男が廃屋の前で足を止めた。その廃屋は以前サーカスが使っていたもので、かなり広い敷地を有していた。男は廃屋の扉を三度叩くと、顔を扉に寄せる。


「客だ。アレの準備をしといてくれ。」

「…!分かった。上手くやっておく。」


 扉の錠が外される音がした後、奥では何やら騒がしい気配がした。男はその騒がしさが収まったのを確認してから、サタンを中へ招くように扉を開ける。サタンは廃屋を物珍しそうに一瞥くれた後、そのまま興味津々な様子で中へ入っていく。その後ろを、不敵な笑みを浮かべた男が付いていく。


「それで、ドレイとやらはどこに…」


 サタンが男に振り返るのと、扉が大きな音を立てて締まるのは同時だった。男は鎖と南京錠で厳重に扉を閉ざすと、壁に立てかけてあった大剣を手に取り、それを天井に向けて仰々しくかざす。それが合図だったようで、サタンを取り囲むように大勢の男達が姿を現す。男達は全員が刀や槍を手にしており、サタンに敵意剥き出しで対面している。

 だが、敵意を向けられている本人は、涼しい顔で辺りを見渡している。


「お前達がドレイとやらか?悪いが、私は若い娘がいいのだ。お前達のようなむさい男に用はない。」

「なっ!?お前、今の状況が分かってねえのか!?」

「ふざけやがって!」


 サタンはいたく真面目に話を進めているつもりなのだが、男達からしてみればおちょくられているようにしか感じられない。男達は怒りに身を任せて武器を構えるが、この空気に魔王は何かを察したようで、納得したようにポケットの中の物を取り出す。


「そうか。カネが必要なのだろう?ほら、受け取るといい。」


 そう言ったサタンの手に握られているのは、ぐしゃぐしゃになった1000G(ゴールド)のお札が一枚のみ。サタンは奴隷の買い取り値どころか、今自分が差し出している金額さえ分かってはいないが、それを知っている男達にしてみれば、喧嘩を売られているようにしか感じないだろう。


「そんなはした金で奴隷が買える訳ねえだろうが!」

「それに俺達は奴隷じゃねえ!あんなのと一緒に…」


 自分達は奴隷ではない。その事を言ってしまったのが、男達の運の尽きだった。


「は…?」


 武器を突き出した先に居た筈のサタンが、気付かない間に居なくなっていた。男達はサタンがどこに消えたのかと目を動かすと、尋常ならざる様子の大男が視界に入る。


「あ…あぁ……ぁ…」


 扉の前で大剣を振り下ろした男だけが、全身をがくがくと震わせながらその場に崩れ落ちる。他の男達はどうしたのかと声を掛けようとするが、声の代わりに口から出たのは真っ赤な液体。それが何かを理解する前に意識がなくなり、男達は同時に倒れ込む。男達の死体が転がっている場所から少し離れた所で、右手をどす黒い血に染めたサタンが立っていた。


「ドレイでないのなら用はない。さあ、さっさとドレイの所へ案内しろ。」


 怒りも悲しみも哀れみも感じない、何の感情も込められていない声が、唯一生き残った男には、どんな言葉よりも不気味に思えた。サタンは右手を軽く振って、自分の手を汚していた血を飛ばすと、震えたまま腰を抜かしている男へと歩み寄る。


「聞こえなかったか?案内しろ。」


 サタンに怒っているつもりはなかったが、彼の命令口調が、心底怯えきっている男には恐怖の対象でしかなかった。


「ひぃ…!わ、分かった!分かりました!だ、だから殺さねえでくれ!」


 抜けた腰に鞭打ちながら、男は奴隷を監禁している地下への階段を目指す。


「何をそんなに震えているのだ?まだ秋だぞ?」


 どこかずれている事を言いながら、サタンは何度も転びながら進んでいる男についていく。男は地下へ続く階段への扉を開けると、震えた足を踏み外して階段を転がり落ちていく。サタンはそれを見て、人間にはこんな変わった風習があるのかと奇怪に思いながらも、それに倣って階段を転がり落ちる。


「一張羅が汚れてしまった……この風習はあまりよろしくないな。」


 埃の付いた高級なコートを叩きながら、サタンは階段から落下した痛みで悶絶している男の襟を持ち、ぐいっと上方に引き上げる。


「案内の途中で寝る奴があるか。早く案内しろ。」

「はいっ!こちらです!」


 恐怖が痛みを凌駕して、それが男を突き動かしていく。男はふらふらとした足取りで、いくつもある部屋の内の一つの前で立ち止まる。男は震えて上手く動かない手で、何とか腰につけられたたくさんの鍵が括られた輪の中から、今必要な鍵を選り分ける。何度か鍵穴に鍵を差すのを失敗しながら、ようやく扉の鍵を開錠する。


「こ、ここに、わ、若い女の奴隷が…い、います!」


 道を譲るように脇に避けた男の言葉を聞いて、サタンは心躍らせながら目の前の扉を開ける。部屋の中には、薄汚れたみすぼらしい恰好をした少女が、久しぶりに浴びる光で眩しそうに目を細めながら、部屋の入口に立つサタンの方を見上げていた。


「また何かしに来たの!?私は何をされても奴隷になんてならないわよ!」


 格好とは裏腹に、凛とした声を上げながら、サタンの方を睨むように見つめてくる。だが、サタンはそんな少女の視線をものともせず、その少女の前にしゃがみ込み、品定めするようにじろじろと眺める。


「あ、あんた誰よ!?まさか、私を買おうっていうの!?言っておくけど、私は奴隷になんか…」

「私はドレイではなく召使いが欲しいのだ。少し静かにしていろ。」


 『奴隷ではなく召使い』。それを聞いた少女は、それまで警戒して丸めていた体を、少し伸ばす。


「奴隷じゃなくて召使いとして私を買うの?」

「カウ?何だか知らんが、お前の容姿は合格だ。私の召使いにしてやろう。」

「…じゃあ、一つ条件があるの。」


 少女の言葉に、サタンは露骨に嫌な顔をする。


「私の召使いになれると言うのに、条件まで付けるのか?何と厚かましい奴だ。」

「こ、これだけは譲れないの!駄目だったら、あんたの言う事なんて聞かないから!」


 決意の固そうな少女の眼差しに、サタンはがっくりと首を折り、大きく溜め息をつく。


「分かった分かった。可能なものなら聞きいれてやろう。それで、その条件は?」


 意外にあっさり折れたサタンに、少女はそれまでとは打って変わって嬉しそうな顔をする。


「私は無理矢理あいつらに連れて来られて、別れもまともに済ませられなかったから、親に会わせてほしいの!」

「そんな事でいいのか?よし、契約成立だな。これからは私の為に励めよ。」


 目的を果たしたサタンは、さっさと踵を返して部屋を出ていこうとするが、コートの裾を引っ張られて立ち止まる。  元々無駄を嫌う性格の彼は、お気に入りの一張羅を引っ張った少女を鬱陶しそうに見下ろす。


「何だ?まだ何か条件があるのか?」

「違うわよ。まだあんたの名前、聞いてないんだけど?」


 召使いとしての言葉遣いがなっていない少女だったが、そんな細かい事を気にする様なサタンではないので、特にそれについては口を出さない。


「サタンだ。」

「サタンね。私はリリィよ。これから宜しく。」


 少女はコートを引っ張っていた手を離して立ち上がり、サタンに手を差し出す。だが、生まれてからずっと、握手なんてものに縁のなかったサタンは、差し出された手の意味が分からず、ただその手を見つめるだけだ。そんなサタンに痺れを切らしたように、リリィはサタンの右手を強引に握り込む。


「ったく。握手くらいしなさいよね。」

「アクシュ?この行為はアクシュというのか?」

「あんた、握手も知らないの!?一体どこの箱入り…」


 リリィの言葉の途中で、部屋の扉が閉じた音がした。音に反応して、扉の方に二人が顔を向けた時には既に遅く、がちゃりという音とともに鍵が閉められる。


「ははは!馬鹿な野郎だ!自分から牢屋に入るなんて!あばよ!」


 茫然としているリリィを余所に、男は高らかな笑い声を上げながら、一目散に走り出す。男が階段を上り始めた辺りで、ようやく我を取り戻したリリィはサタンに掴み掛かる。


「何であんたまで閉じ込められてんのよ!?あんた、あいつらから私を買い取るんじゃなかったの!?」

「…?よく分からんが、私は召使いを貰いに来ただけだ。」

「はぁ…あんた、どんだけ世間知らずなのよ…」


 呑気にそんな事をのたまっているサタンに呆れ、リリィはその場に崩れ落ちる。サタンはリリィに掴まれていた襟元を直すと、鍵を締められたドアノブを捻り、扉が開かない事に少し動揺する。


「リリィ。この扉、開かんぞ。どうやって開けるのだ?」

「鍵閉められたんだから、こっち側から開けられる訳ないじゃない!あんた、どんだけ馬鹿なのよ!」


 吠えるように叫んだリリィの言葉に、サタンは納得したように頷いた。


「なるほど。つまり、私の開け方が悪かった訳ではないのだな。」

「はいはい、そうよ。」


 あまりに無知なサタンに、リリィは自棄気味に相槌を打つ。せっかくここから出られると、親に再会できると期待していたリリィは、また絶望の念を抱いて項垂れる。だが、リリィの絶望が鈍い音で消え去る。


「……………え?あ、あんた、どうやって扉を…?」


 鍵を掛けられた筈の扉が開いている事に、リリィは驚いて唖然としているが、サタンは少し不機嫌そうに彼女を見下ろしていた。


「おい、何をしている?早く行くぞ。」


 また閉じ込められては敵わないと、リリィは慌てて部屋から飛び出す。サタンはそれを確認すると、そそくさとその場を去ろうとするが、またもやリリィに袖口を掴まれて足を止める。


「今度は何だ?」

「あいつ等がいない内に、他の人も助けてあげなきゃ!さっきみたいに、他の牢屋の鍵も開けてあげてよ!」


 サタンは非常に面倒臭そうな顔をしたが、ふと何かに思い至ったようで、眉間に刻んでいた皺を伸ばす。


「それは、人間として当然の事か?」

「困ってる人が目の前にいたら助けるのは当然でしょ!」

「そうか。なら、仕方ないな。」


 サタンはそれだけ言うと、おもむろに右手を掲げる。


「きゃあっ!?」


 耳を覆いたくなるほどの轟音が廃屋の外にまで響き渡り、リリィは短い悲鳴を上げる。数本の蝋燭しか立っていなかった薄暗い地下に、サーカスの建物が建設されて以来浴びていなかった日光が降り注ぐ。

 何が起きたか分からずに天を見上げたリリィの目に、先程まで日光を遮っていた建物が入った。上を見上げれば当然廃屋の床となっている地下の天井が見える筈だが、廃屋は見えてはいけない角度でリリィの視界に入っていた。


「…………屋根?」


 リリィの視界に入ったのは、地下に、いや、地上からでも見える筈のない廃屋の屋根だった。リリィは初め、それが何なのかも分からず、それが何か分かっても、なぜそれが見えているのか理解出来なかった。

 現状に全く付いてこれていないリリィを余所に、サタンは掲げていた掌を大きく開いた後、何かを握り潰すように手を閉じる。再び辺りに響く爆音。まるで紙切れが丸まるように、木造の廃屋が潰れ、人の頭ほどの大きさにまで縮み、重力に引かれて地面へと落ちてくる。目の前で起きた現象に、リリィは目が点になった。


「…な…何あれ…?」

「そんな所で何を突っ立っている?」

「ちょっと!?いきなり何す…」


 サタンに少し乱暴に抱き寄せられて、リリィは至近距離に迫った彼を睨み上げ、抗議の声を上げるが、三度鳴った轟音と地響きでそれは遮られる。リリィが先程立っていた場所に、廃屋だったものが落ちたのだ。体積こそかなり減少しているものの、重量自体には何の変化もないため、一点に集中した衝撃は、地面に小さなクレーターを作っていた。

 リリィは危うく自分が死んでいたという事実を受け入れられず、口をぱくぱくさせているが、サタンの興味はそこに向いていなかった。


「お、おい!日の光だ!太陽だ!」

「やった!出られたぞぉ!」

「あいつらもいなくなってる!」

「自由だあああ!」


 今まで自分達を囲っていた壁が取り払われ、久しぶりに日の光を浴びた奴隷達が、一斉に互いの顔を見合せながら騒ぎ出す。喜びに打ち震える者、嬉しさに涙する者、感動で叫ぶ者、それぞれが色々な方法で自由を謳歌していた。


「リリィ。これで良いか?」

「え?あ、えぇ。ありがと。」


 未だに何が起きたのか詳しくは分かっていないリリィだが、とりあえずお礼だけは言っておく。しかし、義を通した後は、自身の心の奥底から気になっていた質問を、惜しげもなく口にする。


「こんな事が出来るなんて、あんた一体何者なのよ?もしかして、勇者のパーティだったりするの?」


 勇者という単語を聞き、サタンは思い切り顔をしかめる。


「あんな野蛮な奴らと一緒にするな。……そうだな。召使いに自分の正体を隠す事もないか。」


 サタンは少し考え込んだ後、一度頷き、リリィの方へ向き直る。


「いいか。これから言う事は他言無用だ。他人の前では口にするなよ?」

「何よ?いきなり改まっちゃって。やっぱり、どこかの貴族か何か?」

「単刀直入に言おう。私は元魔王だ。」

「…………………………はあああああああああああ!?」


 いきなり大声を出したリリィに方へ、それまで騒いでいた奴隷達が一斉に目を動かす。一気に注目を浴びたリリィは、慌てて口を手で覆いながら、サタンを奴隷達から離れた所まで引っ張っていく。ある程度離れた所で、サタンの胸倉を掴んで、自分の口元に彼の耳を寄せると、声を潜ませる。


「あ、あんた、それ本気なの!?」

「当然だ。私が嘘を言う理由などないだろう。」


 先程圧倒的な光景を見てしまっただけに、リリィもそれを強く否定は出来ない。サタンは乱れた胸元を直しながら、愕然としているリリィを見下ろす。


「そう言う訳だ。しっかり召使いの任、果たせよ。」


 こうして、かなり抜けている元魔王と、かなり気の強い元奴隷の旅が始まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ