元召使い、魔王に会いに行く
更新が遅れて、本当に申し訳ありません!
投稿した気になって、二か月も放置してましたorz
本当はこれが最終話だったのですが、プロローグがあってエピローグがないのも締まりがないので、本当に短いですが、エピローグもすぐ投稿します。
まだ待ってくださっている方がいらっしゃったら、本当に申し訳ありませんでした!
フェルトス達と別れたサタンとデイザーは、魔物が集められている魔王の城へと戻ってきていた。城に戻る道中、デイザーはいつ殺されるかとびくびく震えていたが、結局彼が殺される事はなく、そのまま生きた身で城に戻ってくる事が出来た。
城に戻ると、真っ先にサタンを迎えにきたのは、城で待っているよう言われ、仕方なくサタンの帰りを健気に待っていたメアだった。彼女はサタンの血塗られた姿を確認すると、ぱあっと顔を明るくし、嬉しそうに微笑みながら彼の方へと翼をはためかせる。
「おかえりなさいませ、魔王様!勇者はちゃんと殺しましたか?」
背中肩生えた小さめな翼以外は人間と変わらないメアが、血だらけの彼を見て、まるで、卵はちゃんと買ってきてくれた、とでも言ったかのような軽い口調でそう言うのが、彼女も魔物なのだという事を証拠付けていた。
「メア。魔物は大広間に集まれと言っておいた筈だ。」
「え~?でもぉ、あそこは魔物が集まり過ぎてて、ちょっと暑苦しかったんですよ。だから、魔王様を向かいに上がりました!」
「はぁ……では、私も行くから、お前も来い。」
「はぁい。」
何とも自由奔放なメアに、サタンは少し溜め息をつき、彼女の背を軽く押しながら、魔物が集められている大広間へと向かう。デイザーは、そんな二人に、相変わらず怯えながらついていった。
大広間に着くと、サタンは世界中の様々な魔物が並んでいる光景を見渡す。魔物達は足の踏み場もないほどに大広間に詰め込まれ、床は勿論のこと、飛べる魔物達は空中へと逃げ場を求めており、どこへ顔を向けても、視界に魔物が何十匹は入ると言ったほどだ。メアの言う通り部屋の空気は、その魔物達から放たれた熱で熱され、何をせずとも汗を掻くほどだ。
そんな、ぎゅうぎゅう詰めにされた魔物達は、サタンが広間に入ってきた事に気付くと、さっさと話しを始めてくれと言わんばかりに、彼の方へと視線を集める。この魔物達もメア同様、彼の服を汚しているのが、彼自身の血液ではないと思っているのか、サタンが血で服を汚している事に、何の疑問も抱かない。
そんな、人間とは全く異なった感覚の魔物達の注目が集まると、サタンは重々しい雰囲気を携えたまま口を開く。
「魔物達よ、遠路遥々ご苦労。単刀直入に言おう。我々魔物は、人間との間に不可侵条約を結ぶ。」
それほど声量がある訳でもないのによく響くサタンの言葉に、魔物達は大きくどよめいた。騒ぎはまるで、静かな水面に石を投げ入れた時の波紋のように広がる。あまりに急な宣言に戸惑う者、その意見に反対の意を唱える者、逆に賛同する者、それぞれがそれぞれの意見を口にする。
サタンの傍らに控えていたメアとデイザーは、その騒動に気圧されるが、サタンは全く動じない。相変わらずの無表情で、しかし張りのある声で一言。
「異議のある者はいるか?」
一瞬で、それまで騒がしかった大広間の魔物達が静まり返り、先程までの話し声が残響を残していた。魔物達の沈黙の意味は、彼の意見に異議がないというものでも、ましてや発言が恥ずかしいなどというものもない。
ただ、恐れたのだ。肌で感じた、魔王であるサタンの発した殺気に。
これまで、政治のほぼ全てをデイザーに任せていたサタンが、誰かに対して意見を言うなどなかった。故に、もしかしてサタンは弱いのではないか、などと言う噂まで立つほどだ。ブレイカ―に勝ったのでさえ、たまたまブレイカ―の気分が乗らなかったからではないか。そんな腑抜けた噂まで立てられたサタンに、まさか魔物が残らず殺気で鎮められるなどと、直に彼の強さを目の当たりにしたデイザー以外に誰が思っただろうか。
「あ、あの……魔王様、お言葉ですが……」
しかし、この空気の中、おずおずと口を開く魔物がいた。周囲の魔物達は、口を開いた魔物の正気を疑った。もしくは、その魔物がろくに知性を持ち合わせていないのだと勘繰った。
しかし、口を開いた魔物も、沈黙こそが生存する唯一の方法だと知っていて、尚も異議を唱えるつもりでいた。周りがざわめきを起こす中、その魔物に静かにサタンは目を向ける。目が合った事で、より一層の恐怖を魔物が襲ったが、既に覚悟を決めての行動だ、後悔はない。
「わ、我らの種は……人間を主食とする魔物です!もし不可侵条約を結ぶのであれば、我らに飢え死にせよという事に同義です!魔王はこの事を知ってなお、人間達と不可侵条約を結ぶのですか!?」
魔物の言葉が終わると同時に、言葉を発した者と同じ種の魔物達がどよめき出す。サタンの出した異様な殺気のせいで、そんな些細な事さえ忘れていたのだ。
しかし、そんな反論に対しても、サタンは既に答えを出していた。
「誤った情報で私を愚弄するな。」
「なっ!?嘘など申し上げてはおりません!我らの主食は…」
こんな必死の訴えを、ましてや生死をも賭けた反論を嘘だと言われ、さすがに魔物は語調を荒げるが、サタンはあくまでも冷静だった。
「お前達の主食は肉であろう?人間はただの好みの筈だ。」
「そ、それは…」
サタンの思わぬ正論に、その魔物は口籠ってしまう。確かに魔物の言う通り、人間を主食のように食べてはいるが、それはサタンの言う通り、あくまで好みによるもので、食すのが人間である必要性はない。
反論した魔物は、サタンが考えもなしにこんな無茶を通そうとしているのだ、とばかり思い、あわよくばこの機に彼を葬ろうとさえしていたが、そんな考えはあっさりと打ち砕かれた。自分達が肉食であるという事を把握し、その上にここまで完璧な答えを返しているのを考えると、おそらく彼は全ての反論の可能性に、既に全てに対しての模範解答を見出してこの場に臨んでいるのだろう。
「まあ、お前達の不安も分かる。だが、安心しろ。人間には、労働の対価として家畜を譲ってもらうよう交渉する。だから、お前達は食事の心配をしなくてもいい。」
「承知しました…」
自分達の餌でしかなかった人間に、自らの食事を乞うなど、その魔物からすれば地を舐めるような屈辱なのだが、サタンの言う事が正論なだけに、言い返す事も出来ず、渋々頷く事しか出来なかった。
「これ以上意見はないか?………ならば、用件は以上だ。手間を取らせたな。それぞれの住処へと帰るがいい。ただし、正式に人間との条約の制定が終わるまで身勝手な行動をした魔物に対しては、その種を根絶する事で対処する。」
どの魔物も口を開かないのを見て、自分の意見に全ての者が従うと確認したサタンは、暑苦しい広間に背を向けて歩き出す。デイザーはついて来いと言われたため、恐る恐る彼の後について行ったが、取り残された魔物達はしばらく動けず、これからの身の振り方を考えていた。
魔王の間へと戻ったサタンは、汚れた服を取り換えようと、一緒に部屋に入ってきたデイザーには目もくれずに服を着替え始める。そんな、自分に何の関心も向けてこない彼と、まだ目を合わせるのも恐ろしいデイザーは、沈黙したまま彼の足元に目を向けていた。
サタンの胸元から、薄汚れた布切れが落ちたのは、そんな時だった。風に舞ってひらひらと空を漂ったそれは、少し離れた場所に立っていたデイザーの足元に落ちる。長年執事として過ごしていたデイザーは、無意識の内にその布切れを拾おうとする。
だが、デイザーが身を屈めた瞬間、彼の体は粉微塵に引き裂かれた。そして、一瞬遅れて、それが自分の錯覚だと気付き、また数瞬遅れて、その錯覚を引き起こしたのが、それまで彼に関心さえも示さなかったサタンの殺気だったと知る。息をするのも億劫になる程の圧倒的なサタンの殺気を、頭が理解するよりも先に、体が悲鳴を上げたのだ。
先程、広間で魔物達を牽制するように放った殺気が、彼本来のものであると思っていたデイザーは、そんな勘違いをしていた自分の愚かしさを呪った。あの時の殺気に比べれば、今感じたそれが同じものだとは思えない程に差がある。広間で放ったそれは、サタンが脅しの為だけに放った、まるで本気ではないものだったのだ。
「それに、触れるな。」
初め、それが声だとさえ気付けなかった。いつも通り感情の籠っていない語調の、しかし逆らえば殺されるという恐怖を深く刻む声。表情が普段通りである所を見る限り、本人は殺気を放っている事に気付いてさえいないのだろう。だが、そんな無意識に放たれた殺気に、いや、無意識にそれだけの殺気を放っている彼に、デイザーは心底震え上がった。
自分の理解を超えた事態に、デイザーが寸分足りとも動けない中、サタンは落ちた布切れを拾い上げると、新しく着た服の胸元に、それを大事そうにしまい込む。それが彼の何であるか、気にならない訳ではなかったが、今しがた起こった出来事のせいで、デイザーは声の出し方さえも忘れてしまっていた。
そんな、恐怖で何も出来ない彼を置いて、サタンはフェルトス達が日時を伝えに来ると言った場所へ向かうため、再び城を出掛けた。
そして、サタンが出掛けてから数日後には、人間と魔物間に、正式な不可侵条約が結ばれる事となったのだった。
サタンと別れてから一週間ほど経ち、リリィはようやく前と同様の生活に戻る事が出来た。家に戻ってからこれまでは、悲しさで食事も碌に取らず、ずっと寝たきりで過ごし、両親が心配していたが、ようやく立ち直る事が出来た。まだまだ本調子とはいかないが、それでも出来るだけ明るく振る舞い、両親に心配を掛けないようにしていた。
幼い頃からわだかまりがあったダイン村との関係は、サタンが大量に稼ぎ、そのまま荷物と一緒に置いて行った金のおかげで、徐々にではあるが改善しつつあった。元々、際立った特産物もなく、人口も少なかったダイン村が栄えていたのは、初めの勇者が生まれた村として有名だった事を利用して、観光地としての地位を確立したからだ。そんな、歴史あるダイン村に、みすぼらしい格好で出歩くリリィ達が煩わしいという理由で、村ぐるみで排斥しようとしていたのだが、サタンが置いて行った金のおかげで生活に余裕が出て、きちんとした服装をするようになったため、村が彼女らを追い立てる理由がなくなったのだ。
そして、リリィも村に馴染み始めたちょうどその頃に、ダイン村にも不可侵条約が制定されたという知らせがきた。不可侵条約が結ばれたというだけでも驚きなのだが、それを伝えに来た人物を見た村人たちは、まるで祭りでもしているかのように騒いだ。
ダイン村にその知らせを届けに来たのは、現勇者であるフェルトス一行だった。初代勇者であるダインの恩恵を受けて育ってきた村人は、フェルトス達が村に来た事で大いに沸いたが、同時にある疑問を持つ者も少なくなかった。
なぜ、報せを届ける程度の仕事を、勇者が行っているのか。
そんな事は、それ専用の仕事をしている者に任せれば済む筈なのに、なぜ勇者が来たのか、辻褄が合わないのだ。しかし、そんな疑問を更に深めるような言葉が、フェルトスの口から聞かされる。
「すいません。この村に、リリィ=デイズという方がいらっしゃると思うんですが、どちらにいますか?」
「リリィ…ですか?あの娘は村外れに住んでいますけど…」
「そうですか。ありがとうございます。」
思わぬ名前が出て、村人の眉間に皺が寄る。しかし、勇者に聞かれたとなれば、正直に答えない訳にもいかない。勇者に名指しにされたリリィに軽い嫉妬をしながらも、村の外れの彼女の家の位置を教える。フェルトスは軽く会釈して礼を言うと、ジェラードとマティアを引き連れ、教えられた村外れへと足を向ける。そんな彼らの背中を、村人は不思議そうに見送った。
フェルトス達が自分を探しているなど、夢にも思っていなかったリリィは、彼らが家の前に来ているのを窓のガラス越しに見て、叩かれる前の扉を開ける。
「こここ、こんな所でどうされたんですか!?」
「や、やあ。しばらく振りだね。」
相当慌てていたのか、服や髪に乱れが見られるリリィの剣幕に押され、フェルトスは少し身を引きながらも、人懐っこい笑みを浮かべる。そんな彼の後ろから、ずいっとジェラードが難しい顔を脇に出す。
「よう!やっぱりてめえが魔王の召使いだったか。探すのに苦労したぜ。」
「え?あ、あのっ…!あれは、その…」
「ちょっと!リリィちゃんを怖がらせないの!」
「ぎぇいっ!?」
いきなり核心を突かれ、リリィの顔が青褪めるが、ジェラードの更に脇からひょっこりと顔を出したマティアが、顔色の悪い彼女を安心させるように、そうさせた本人の足を思い切り踏みつける。如何に優れた格闘家であろうと、筋肉の付けられない場所を思い切り踏みつけられれば、それがマティアのような非力な少女のそれでも痛い。ジェラードは奇声を上げて尻もちを突き、踏みつけられた足の甲を抑えながら、自分の事を睨み下ろしてくるマティアを睨み上げる。
「いてぇじゃねえか!何しやがる!?」
「あれだけ怖がらせないように、って言ったでしょ!?何で人の言う事が守れないの!?」
いつも通りの言い合いを始めた二人に、フェルトスは苦笑いを浮かべて、何とか宥めようとするが、彼の声など、とっくに二人の耳には聞こえなくなっていた。
三人が目的である筈の自分を置いて盛り上がっているのを見て、特に言い合いをしているジェラードとマティアを見て、リリィの心は酷く複雑な思いに絡め取られる。
―なんか、私とサタンに似てるなぁ…―
また嫌な事を思い出し、リリィは余計な事を考えた頭を左右に振る。もう元には戻れない、サタンは自分とは分かり合えない、自分は彼に嫌われてしまったのだから。
もう何度目かになるかも分からない悲しみを、リリィは必死に心の隅へ押し込む。考えないようにしていたのに、気を抜けばすぐに彼の事を思い出してしまう自分の弱さにいらつきながら、リリィは三人から顔を背ける。
リリィが動きを見せた事で、ようやくここへ来た本来の理由を思い出したフェルトスは、取り敢えず二人の事を後回しにし、リリィの方へ向き直る。
「リリィさん、ちょっといいかな?」
「あっ、はい!な、何でしょうか!?」
溢れそうになっていた涙を無理矢理仕舞い込み、リリィはフェルトスの方へ視線を移す。
「そんなに緊張しなくてもいいよ。僕らはただ、報告をしに来ただけだから。」
「報告、ですか…?」
「ああ。人間と魔物の間で、不可侵条約が結ばれたんだ。内容は単純で、原則魔物に手を出してはいけない。例外は、魔物が虐げられていて、その魔物を助ける時だけ、というもので、魔物側も同じような内容だから、今後は魔物に警戒しなくてもいいよ。」
フェルトスの話す内容を聞き、リリィは顔を輝かせる。彼が言う不可侵条約の内容を言い換えれば、人間と魔物で互いに助け合っていきましょう、というものに他ならない。
しかし、リリィが心の底から喜んだのは、ほんの少しの間だけだった。彼女の心には、暗雲のような疑問が二つ持ち上がったのだ。
第一に、それだけの条件をサタンがどうして呑んだのだろうか。
彼が人間嫌いだと言いつもりはないが、何に対しても容赦がなかったのは覚えている。何よりも、別れる前に見た、あのブレイカ―の亡骸は、今でのリリィの臓腑を凍て付かせる程に無残なものだった。
そして、それ以上に彼女の心を曇らせているのは、わざわざフェルトス達がここへ来た理由だ。
ジェラードが先程魔王の召使いだと言っていたのを考えれば、おそらく三人はサタンに会っているのだろう。ならば、サタンは一体どうなったのだろうか。
サタンは勇者と闘う事を避けるために、魔王を止めたと言っていた。ならば、サタンがフェルトス達と闘えばどうなるのか。考え出すと、すぐに最悪の答えへと辿り着く。
―彼は死んだのではないか?―
間近で彼の強さを見続けていたリリィは、有り得ない事だとは分かっていても、やはり不安になるのは止められなかった。サタンがいくら強くても、彼は魔物であり、封魔の力に弱いのはマイルズの村で分かっている。そして、その封魔の力を刃に宿したのが、今目の前に立っているフェルトスの腰に下げられた、封魔の剣なのだ。
だが、そんな彼女の心配を余所に、フェルトスは困ったような苦笑いを浮かべる。
「これで僕らはお役御免、という訳さ。まさか、魔王自らこんな事を提案してくるなんてね。」
「サタンがっ!?」
先程までの暗い顔はどこへやら、リリィは喰い付かんばかりにフェルトスへと詰め寄る。比較的にリリィが彼の前で猫を被っていた事もあり、彼女の態度の急変に戸惑いながらも、一応説明をしてやる。
「魔王直々に呼び出されて、この条約を持ちかけてきたんだ。一応戦いはしたんだけど、軽くあしらわれちゃったよ。まあ、あんな嘘を吐かれた結果が、この不可侵条約なんだから、文句は言えないけどね。」
彼の言う嘘とは、世界中の重力を増やした、というサタンの発言だった。あの時サタンは、陽動として魔力を大量に放出し、デイザーだけの重力を増やしたのだ。周りには三人と二匹以外、生物がいなかったため、アンチマジックで身を守っていた三人には、その嘘を見抜けなかったのだ。まあ、そんな事はリリィに分かりはしないのだが。
そんな、自分の失敗を苦笑いしながら話す彼の言葉で、リリィの脳内に様々な想いが駆け巡ったが、一番強く感じた想いは、自責の念だった。そして、マイルズの村を出た森で、自分が言った言葉を思い出す。
―ねえ、サタン。魔物と人間が共存する事って出来ると思う?―
こんな事を偉そうに言っていた癖に、彼を容赦のない、自分とは別の生き物だと勝手に決めつけ、分かりし合おうともしなかったのは自分だった。今回の事が自分と関わっているのかは定かではないが、少なくとも彼は行動し、見事に結果を残して見せたではないか。
そう思うと、体がひとりでに走り出した。
「あっ!?リリィちゃん!?」
マティアが呼び止めようとした時にはもう、リリィの耳には何も聞こえてはいなかった。ジェラードとマティアは言い合いを止め、少し茫然としていたフェルトスの方に近寄る。
「何かあったのか?」
「いや、急に走り出して……ただ…」
「ただ?」
「ただ、すごく悲しそうな、追い詰められたような顔をしてた。」
フェルトスがそう言った時にはもう、リリィは村を飛び出していた。リリィの体が目指しているは、始まりの街だった。
馬車を使ってリリィが魔王の城のある街へと着いたのは、もう夜も更けてからだった。リリィがサタンと会った時には、魔王の城がある街として、ほとんど旅人が立ち寄らなかったこの街にも、不可侵条約が結ばれて以降、遠目ではあるが、城を見に来る観光客も増え、以前よりも活気に満ちていた。
そんな活気溢れる街の中、リリィは一人走っていた。肺はきりきりと痛んで酸素を求め、足は棒のように疲労し、心臓は普段の倍近く働いていたが、そんな事が足を止める理由にはならないし、彼女も止まろうとは思わない。
―一刻も早く、サタンに会って謝りたい。―
何を謝るかなど自分自身でも分かっていないし、会ってどうにかなるものではないかもしれない。それでも、一生会わずに後悔するよりも、もう一度会って傷付いた方がよっぽどましだ。
そして、リリィの体が限界に達しようとしたその時に、ようやく魔王の城の門前まで辿り着いた。門の両側には、門番と思しき、武装した魔物が二匹立っており、彼らはリリィを見て眉根を寄せている。リリィはゆっくりと深呼吸し、声が出せるように息を整えると、ぎしぎしと軋む膝を無視して、門番へと声を掛ける。
「あ、の……っ!…サタ、ン…いますか…!」
こんな所に人間がくること自体稀有なのだろう、声を掛けられた魔物達は、そんな稀有な人間の口から、自分達の主の名が出てきて、更に眉間の皺を深くする。
「誰だ、貴様?魔王様に何の用だ?」
「まさかとは思うが、不可侵条約を破る気ではないだろうな?」
門番は華奢な少女を脅すように、手に持っていた武器を交差させ、門への道を塞ぐ。これだけ自分を警戒するという事は、城にはサタンがいるのだろう。リリィにとっては、その門番の反応だけで十分だった。
「すいません!話があるんです!」
「なっ!?貴様…!」
「勝手に通すと…」
リリィが脇を抜けて無理に通ろうとするのを、当然魔物達は止めようとする。だが、彼らの手が彼女へ伸びようとすると、不意に力を失い、そのまま腕の主ごと前のめりに倒れ込む。
「え…?何で…」
「まったく、危ないわねぇ。私が通り掛からなかったら、あんたは重罪人として捕まってたわよ?」
門の中から出てきた魔物を見て、リリィは動きを止める。その魔物は壁に寄り掛かって立っており、少し唇を尖らせながらリリィを見つめていた。
「メ、メア…?どうして…」
「さあ?私は何も見てないし、何もしてないわよ?」
そう言いながら、どこか不満げにリリィを一度見て、肩を竦めて溜め息を吐く。そして、もう一度リリィを見た後、彼女に道を譲るように城の外へと歩いて行く。
「あっ!?ねえ!何であんた、私を…」
「そう言えば、今魔王様は最上階にいたかな~?多分この時間帯は警備も手薄だし、廊下で寝てる魔物がいても不思議じゃないわよね~。」
リリィが呼び止めようとする声を遮り、自棄のような口調でメアは一息にそう言うと、また不満気にリリィを見て、今度こそ城から離れるように羽で夜空へと飛んでいく。夜空へと飛んでいく彼女の後姿を、リリィはしばし呆然と見送っていたが、ようやく捨て台詞の意味を知り、照れ臭そうに溜め息を吐く。
「私の人の事言えないけど、あいつも結構天の邪鬼ね。」
そうひとりごちり、リリィはたまたま警備の手薄となった城へと入って行った。
城へと入っていく彼女の姿を、メアは目の端に涙を浮かべながら、夜空の下で見ていた。
「私だって、何でこんな事してんのか知らないわよ…」
誰にも届かない文句を呟いたメアの頭には、愛しいサタンの悲しげな顔が浮かんでいた。再びリリィの入っていった城の方を見つめると、彼女はまた唇を尖らせる。
「サタン様を元気にしなかったら、あなたの感情を喰ってやるからね。」
そんな事をすれば、サタンが悲しむのは分かっている。だから、絶対に自分はそんな事をしないのも分かっている。しかし、このもやもやした感情の矛先が欲しくて、つい彼女に当たってしまった。
そして、そんな彼女が城の窓に映ったのを見ると、メアは自分の故郷へと、暗くなっていく夜空を飛び去っていった。
リリィは夜の静けさを裂くように足音を立てながら、一人最上階を目指して走っていた。夜の城の中は不気味ではあったが、メアが言った通り警備の魔物がまるでいなかった。勿論、廊下で寝てしまっている魔物を除けば、の話だが。
そして、走り続けたリリィは、遂に最上階へ辿り着いた。最上階といっても、部屋数はかなりあり、リリィはどの部屋か分からないかも、と心配していたが、案外それはすぐに見つかった。明かりが消えている部屋が連なる廊下の一番奥、唯一光が扉の隙間から漏れている扉があった。
普通ならば、そこにサタン以外の魔物がいて、しかも起きているという可能性も考えられたが、まるで本能に導かれるように、その扉を迷う事なくリリィは開けた。
やはりという表現は間違っているかもしれないが、それでもそこにサタンはいた。部屋の中には、サタンの別にもう一匹の魔物がいたが、その魔物は特に何をしようともせず、ただ目を見開いて、今しがた扉を開けて入ってきたリリィを見つめていた。しかし、彼女に驚いたのは、その魔物だけではなかった。
「こんな時間に誰…っ!」
「………サタン…」
それまで何か書類を書いていたのであろうサタンは、傍らに控えている魔物に遅れる事数秒、その魔物と同様に、普段の彼から考えれば有り得ない程に驚いた表情をした。互いに沈黙という気まずい状況の中で、こんな表情の彼を初めて見た、などと呑気な事をリリィは考え、自分で自分の事が少しおかしく感じた。
しかし、そんな沈黙も、そう長くは続かなかった。
「に、人間…?どうしてこんな所に…」
サタンの隣で、依然状況の読めていなかった魔物の声が耳に入ると、それまで見開いていた目を、サタンはすっと元に戻し、冷たい目をリリィに向ける。
「なぜここにいる?お前、不可侵条約は知らんのか?」
少し前だったら、この彼の冷たい態度を、リリィは間違えて解釈していただろう。しかし、もう彼女はぶれない。どんな些細な彼の仕草でも、今なら気付ける気がしていた。
今の彼の冷たい態度も、無理をしてそう取り繕っているのが分かる。だからこそ、自分は迷わず、言えなかった言葉を言おうと、頬を緩めて口を開く。
「サタン、あの時は怖がってごめんなさい。」
「…!……質問が聞こえなかったのか?」
一瞬冷徹でいようとしたサタンの顔が、リリィの言葉でほんの僅かに崩れ、すぐにまた元の冷たい表情に戻る。しかし、その顔は慣れない表情のせいなのか、どこかぎこちなく見えた。表情に乏しい彼だからこそ、リリィは確信する。
自分は、サタンに嫌われた訳ではない。
もしサタンに理由があり、もう会う事がないとしても、もう会う事を望まれないとしても、その事が分かっただけでも、ここへ来てよかったと思えた。
だが、そんな分かりやすい彼の動揺に、気付いてしまった者がリリィの他にもいた。サタンの脇で茫然としていた、未だに魔王の座を諦めきれない哀れな魔物、デイザーだ。
「きゃっ!?」
「っ!?」
突然のリリィの訪問で取り乱し、サタンの動きが鈍った一瞬に、デイザーはリリィの首に掴み掛かる。サタンが動こうと椅子を後ろに倒して立ち上がった時には、既にリリィの喉元にデイザーの指が喰い込んだ状態になっていた。
リリィを人質として確保した彼は、サタンの方へ勝ち誇った笑みを浮かべた顔を向ける。
「これの命が惜しけりゃ、一歩もそこから動くなよ。いくらお前でも、この距離なら私の方に分があるぞ。少しの魔力でも感じれば、これの首をへし折る。」
それまでずっと従順な振りをしていたデイザーは、優位な立場に立って初めて、敬語を遣わない、彼本来の汚い口調を発する。その事が如実に、彼の卑劣な性格を表しているようだった。
首筋を押さえられたリリィは、恐怖で緩めていた全身の筋肉を緊張させ、助けを乞うようにサタンの方を見やる。
しかし、彼女が見た彼は、こんな状況でありながら、少しも慌ててはいなかった。リリィには気付けた、そんな彼の不審な点に、いつものデイザーだったなら気付いただろうが、今の彼は有利になった事で、完全に有頂天になっていた。
「いいか?まず不可侵条約の破棄と、魔王の座を正式に…」
「三度目だな。」
「……何…?」
せっかくいい気分で話していたのに、それを訳も分からぬサタンの言葉で遮られ、デイザーは不快そうに顔を歪める。そんな、不機嫌そうな彼を無視し、サタンはリリィへ手招きをする。
「もう大丈夫だ。こっちへ来い。」
「え?う、うん。」
この状況で戸惑いはしたものの、サタンの事を信頼し、リリィは勇気を持って一歩前へと踏み出す。当然、人質を失いたくないデイザーは、一々手間を取らせるリリィにいらつきながらも、逃げようとする彼女の腕を取ろうとする。
「なっ!?」
だが、デイザーはリリィの腕を掴み損ねた。それどころか、掴んでいた首の拘束さえも、彼女がただ踏み出しただけで振り解かれ、彼が事態を理解する前に、リリィはサタンの後ろへと隠れてしまった。
「なぜ非力な人間などに…?いや、手応えはあった筈だ!なのに、なぜ!?」
いくら取り乱していようとも、デイザーも馬鹿ではない。口ではそう言いつつも、心の中では分かっていた。サタンが、何かしらの魔法を使ったのだ。
しかし、それはあり得ない事だった。デイザーも魔力を察知する能力は備えており、仮にサタンが魔法を使ったのならば、彼が気付かない筈はない。魔力に対する認識力に関しても、勇者との戦いではサタンの魔力を感じていたし、その後も常に彼の側にいたが、魔法を使う素振りさえ見せなかったため、それもない筈だ。
そんな、思考の渦に飲み込まれている彼から目を離し、サタンはリリィに怪我がないか確認すると、普段通りの面倒臭そうな顔へと表情を戻す。
「二度ある事は三度あるというが、まさか本当に三度も反逆するとはな。」
「三度だと…?お前に背いたのはこれで二度目だ!」
こうなってしまった以上、どう取り繕っても無駄だと悟ったデイザーは、語調も荒く捲し立てるが、そんな彼とは正反対に、サタンは本当に面倒臭そうな顔をしている。
「いや、三度目だ。まあ、お前は覚えていないだろうがな。以前、お前は自分の傘下にいる魔物達を率いて、私に反逆を起こした。数に任せるだけで、何の前情報もなしに襲ってくるなど、下策も下策だったがな。」
それを聞いた瞬間、デイザーは一つの仮定を導き出す。だが、その仮定を、それを打ち立てた彼自身、素直に信じられなかった。だが、その仮定が正しいならば、サタンの言っている事の辻褄が、全て合ってしまう。
そして、そんな彼の仮定は、サタンの次の発言で肯定された。
「お前がその事を覚えていないのは、魔法でその反逆に対する記憶力を消したからだ。」
サタンの言葉を聞いて、デイザーは背筋が凍り付く思いだった。たとえ、全ての魔物の頂点に立つ存在だからと言って、そんな事が出来ていいのだろうか。
しかし、サタンの言う事が真実ならば、それまでの事に全て合点がいく。デイザーが以前に一度反逆をしたのであれば、彼がフェルトス達をけしかけて自分を殺そうとしたのを見破ったのも、まるでタネの分かったマジックを見破るが如く簡単な話だ。そして、また裏切るだろうデイザーに、自分の魔力に対する認識力を失くす魔法を掛けたのは、おそらくフェルトス達と闘った最後の、重力を増す魔法を掛けた時だろう。確かに、あれ以降サタンの魔力を感じなかったし、あれならば、はっきりと表立って見える効果の裏で、彼が他の効果を上乗せしたのに、自分が気付けなかったのも頷ける。
だが、それならば、今掛けられているのはどんな魔法なのか。単純に自分の腕力などを奪うような魔法ならば、いつも通りに体が動くのはおかしいし、リリィほどの非力な少女にあっさりと振り解かれる程に力がないのならば、立ってすらいられない筈だ。
デイザーの心の声でも聞こえているのか、サタンはその疑問の答えも教えてくれた。
「ちなみに、今お前に掛けた魔法は、この世の物質に対しての影響力を奪うものだ。だが、安心しろ。動ける程度と、言葉を発する、呼吸をするくらいの影響力は残してある。」
「なっ…!?」
記憶力を奪う以上に恐ろしげな事を、目の前の魔物が、本当にどうでもいい事のように話すのを見て、デイザーは今更ながら、なぜこんな次元違いの生き物に盾突いてしまったのかと疑問に思ってしまう。彼の言葉を聞くまでは、ほんの少しでも勝つ可能性があると思っていた事が、恥ずかしくさえ思えた。
絶望感に打ちひしがれ、その場に崩れ落ちたデイザーに、サタンは非情な視線を向ける。
「殺すつもりはないが、今後私の前に現れぬ方が利口だぞ?」
「ね、ねえ…」
「ん?どうし……何だ、人間。」
すっかり蚊帳の外だったリリィは、ようやく話し合いが終わったのを見計らい、目の前で絶望しているデイザーを見下ろしているサタンの注目を引こうと、軽く袖を引っ張る。自分の袖を引くのにつられ、サタンは思わずいつも通りに振り返ってしまい、慌てて素っ気ない態度を取ろうとする。
そんなサタンの胸元から、前にデイザーが拾おうとした布切れが、ひらりとサタンを挟んだリリィの後ろに落ちる。サタンはそれを見て、しまったという顔をするが、リリィはそれが何なのかも分からず、何となしにそれを拾う。
「サタン、これって何?」
「……………」
サタンが押し黙って答えないので、リリィは手の平に収まっているそれに目を凝らす。リリィの拾ったそれは、元は白い布切れだったようだが、片側は黒く薄汚れ、端は引き千切られた様にぼろぼろだ。すぐにはそれが何なのか分からなかったリリィだったが、不意にそれに思い当たる記憶が頭に浮かび上がる。
「これ、マイルズ君の村で、私がサタンの手に巻いた服の切れ端?」
「…………」
その沈黙が、リリィの言葉の正しさを示していた。そして、手の平に乗っている物が、彼の自分に対する想いの回答だと分かった瞬間、リリィは頬が熱くなるのを感じた。
「ずっと持っててくれたの?」
これ以上黙っているのは無理だと判断したサタンは、諦めたように口を開く。
「そうだ。お前が………大事にしていたものだからな。」
サタンの言葉で頬が更に熱くなり、彼の頬が少し赤らんでいるのに気付き、これ以上熱くなると思ってもいなかった頬が、本当に燃えているのではないかと錯覚するほどに熱くなる。
だが、前に言われたサタンの言葉を思い出し、少し体温が下がるのを感じた。
―お前は……解雇だ。―
いつまでも心に引っ掛かっていたこの言葉を否定してほしくて、リリィは全身の力を振り絞って、サタンに問い掛ける。
「じゃあ………私、サタンの召使いに戻っていい?」
全ての勇気を振り絞っても、恋人になりたいと言えない自分の素直さに、内心で自己嫌悪しながらも、消え入りそうな恥ずかしさの中、彼の答えを待つ。
問い掛けられたサタンは、少し迷うような素振りを見せ、いつも迷いのなかった彼には珍しく、戸惑いがちに口を開く。
「いいのか?私は魔王だ。それに、私といれば、この者のような奴に狙われる事になるぞ?」
彼に似合わず気弱な発言を受け、リリィは胸の不安が晴れ渡っていく気がした。今日は珍しい彼の一面を沢山見られる日だ、とおかしく思いながらも、彼の胸を覆っている不安の雲を消し去るように、リリィは最高の笑顔を見せる。
「もしそうなったら、またサタンが今みたいに守ってくれるんでしょ?」
リリィの笑顔を見て、サタンが生まれて初めて作る表情を見せる。
「ならば、契約成立だな。」
そう言うサタンの表情は、幾分慣れないものの、リリィ同様に最高の笑顔だった。