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悪役令嬢、何日生きられる?  作者: I嬢
ー 2日目 ー
10/11

転生した悪役令嬢って強すぎる。

不定期化しそうになってる。

2週間ペースになったら申し訳ない.....

廊下を包む沈黙は、まるで息をしていなかった。


壁に吊るされた燭台の炎が、かすかに震える中でガランがそこにいた。


完璧な姿勢。


黒い燕尾服の縫い目ひとつ乱れず。


笑みは礼儀に満ちていて、氷よりも冷たかった。


空気が、重たい中で視線が交差する。


ガランの右手が、滑らかに、流れるように動く。


彼の仕草はいつも優雅で、完璧で、そして恐ろしく静かだった。


銀色の光がかすかに反射した。


ナイフ。


世界が一瞬、止まるのを感じた私は覚悟を決めて目を閉じた。


さようなら、私の悪役令嬢ライフ.....


でも、次の瞬間。


身体が、勝手に動いた。


裾が翻り、靴の先が石畳をかすめる。


刃が、風を切る音を立てた。


血が滲むかと思ったが、何もなかった。


近い。


息が喉に詰まる。


逃げる、というより、ただ距離を取った。


ガランは一歩も動かない。


ただ、空振りしたナイフを静かに見つめていた。


その表情には、焦りも怒りもなかった。


何のつもりよこの男.....!


そして、微笑んだ。


何かが壊れたような、儚い微笑み。


「やはり、貴方様は.....」


口元から、ゆっくりとした声が零れる。


まるで、昔から私を知っているかのような声色だった。


胸の奥で血が脈打つ音がする。


ガランの靴音が、ゆっくりと近づく。


その音は静かで、正確で、まるで時を刻む音だった。


「申し訳ありません。手を滑らしてしまい.....」


声が、柔らかく届く。


絶対故意じゃないでしょあんた。


あの執事特有の、完璧な音程と抑揚。


だがその裏には、熱を持った何かが滲んでいた。


それは、狂気にも似たもの。



呼吸を整えようとするが、肺が拒絶する。


喉が痛く、声が出ない。


夢の時のあの感覚よりも落ち着いてはいる、いるのだが.....


ガランが一歩近づくたびに、空気が沈む。


灯りが消え、蝋燭が息絶えるように落ちていく。


ガランの唇が動いた。


声は低く、祈りのように。


「貴方は、私の主です。そして、私のものです。」


その言葉が、ナイフよりも深く刺さる。


心の奥で、何かが軋む。


怖い。


けれど、その声の中には、微かな哀しみがあった。


それが、余計に怖かった。


優しい声が、底なしに冷たい。


その声に、足が震え、恐怖が、皮膚の下を這い回る。



「さて、と。私は少し用事を思い出しましたので.....」


その声が、雷鳴に掻き消され、足音が、闇に吸い込まれていった。



屋敷の廊下は、しんと静まり返っていた。


風が通り抜けたような気配だけが、わずかに空気を揺らしている。


壁に掛けられた燭台の火は、さっきの雷でひとつ消えてしまっていた。


そのせいか、廊下の片側は闇の帯に沈み、まるで別の世界へと繋がっているように見えた。


光は、彼の瞳だけを残して消えた。


そこに映るのは、私だけ。


この屋敷で、誰よりも美しく、誰よりも孤独な存在。


私は冷たい壁に背を預けた。


息がうまくできなかった。


胸が上下するたび、喉の奥から焦げたような音が漏れる。


ナイフが通り抜けた瞬間の感覚が、まだ皮膚の裏に残っている。


刃の風。


あの一閃が、ほんの少しでも遅れていたら。


でもそれ以前に考えるべき事がある。


どうして、あの刃を避けられたのだろう。


考えた瞬間、背筋が冷たくなった。


息がまた浅くなる。


あれは、偶然?


違う。あの一撃は速すぎた。


風のような一瞬だった。


目で追えないはずの動きを、身体が勝手に、動いていた。


「........どうして。」


声が出た。


かすれていた。


自分の声が、まるで別人のように聞こえる。


足元に視線を落とすと、裾が破けている。


裂け目の中の白い布地が、まるで古傷のように痛々しい。


そう。


まるで古傷のように。


そう思った瞬間、胸の奥に鈍い違和感が走った。


まるで、知らない記憶が、血の底で疼いたようだった。


「........あの時も、こうやって。」


自分でも、何を言っているのか分からなかった。


腰の角度、肩の向き、視線の高さ。


どれも戦闘の構えそのものだった。


呼吸が整う。


心臓の鼓動が、まるでリズムのように規則正しく刻まれる。


恐怖ではない。


それは、冷静さだった。


研ぎ澄まされた静寂が、体の中に広がっていく。


まるで"慣れている"かのように。


意識の表層では、ただ恐怖を感じているだけ。


「なんで、私........」


呟いた声は、震えていなかった。


ただ冷たく、乾いていた。


廊下に立てかけてある鏡の中に映った自分の顔。


それは私の見間違えだったのだろうか。


軍服のような衣装。


鋼鉄の装具。


赤いスコープが片目に輝き、頬には血がついている。


無表情のまま、誰かを見下ろしていた。


息が止まる。


背筋を電流が走るような感覚。


瞬きをすると、鏡はただの鏡に戻っていた。


私はアザミール・ヴァルモント公爵令嬢。


何の変哲もない、美しい悪女。


けれど、指先の中にはまだ、鉄の匂いが残っていた。


なにかが、自分の中で眠っている。


それが、目を覚まそうとしている。


私は唇を噛むと血の味がした。


けれど、その痛みが妙に心地よかった。


自分が生きている証のように思えた。


何故、こんなにも冷静でいられる?

何故、恐怖が引かない?

何故、動けた?


頭の中に浮かんだ問いは、どれも掴めなかった。


まるで霧の中に手を伸ばすように、すり抜けていく。


けれど、答えは確かにどこかにあった。


今はまだ、思い出せないだけ。


記憶の奥に閉じ込められた「前の世界」。


銃声、血煙、指揮コード、戦闘命令。


それらの断片が、私の中で微かに共鳴している.....ような気がする。


「........ふふ、私........何を考えてるのかしらね。」


笑った。


けれどその笑いは、どこか引きつっていた。


「避けたのは偶然。そう、偶然よ。私はただの令嬢だもの。」


言い聞かせるように呟く。


けれど、言葉が空気に溶けていくとき、微かに胸が痛んだ。


そしていきなり、あの映像が脳裏に過る。


荒れ果てた都市。


崩れた鉄骨。


赤い空の下で、誰かが笑っている。


銃を構える自分。


黒い装甲服に包まれた手。


視界の端に、燃える街と.....任務完了という、冷たい電子音。


息が止まる。


胸を押さえる。


痛みではなく、違和感。


まるで、何かが"今"この世界で目を覚ましたような。


けれど私は、ただその感覚を押し殺すように目を閉じた。


「........違う。私はアザミール。悪役令嬢、ただの女。」


そう言い聞かせて、立ち上がる。


おかえり。


その声が、誰のものかを知るのは、もう少し先のことだった。


 ◇ ◇ ◇


部屋に戻ってからもう一度、何故、と自分に問う。何故咄嗟に、あの冷たい銀の刃を躱すことができたのか。


ガランの笑みのあとの、あの一連の動きが目に焼き付いている。


刃をためらいなく、流れるように突き出したその所作。


執事としての仕草の美しさが、そのまま殺意の優雅さになっていた。


完璧さの裏に、どうしても許せないものが隠れている。


近未来で身につけていた何かが、覚醒しようとしている。


それだけでは説明がつかない。


脳が計算する前に体が動いた。


計算の余地を与えず、反射が先に立った。


私は昔から、無駄に鋭敏だった。


街灯の下の影の濃淡、夕暮れに落ちる人の横顔、耳に残る一拍のズレ。


これらが私の感覚を細く研ぎ澄ませていた。


その研ぎ澄ましは、悪役令嬢として生き残るための武器にもなった。


庭で受け取った花の籠が、部屋の空気を埋め尽くしていた。


花弁の柔らかさ、棘の鋭さ、そしてその香りの甘苦さ。


だが生き残るということは、単に刃を躱すことでは終わらない。


刃が刺さらなかった後に襲ってくるのは、別の重さだ。


安堵ではない。


心の中で小さな裂け目が拡がり、そこから後悔や恐怖、そして奇妙な空虚が溢れ出す。


そのすべてが、私の中でぐるぐると渦を巻く。


生きているときの痛みと、死んだ者が残していった静けさとが、混じり合って私の胸を重くする。


ガランが立ち去ったあとも、足先の震えは消えず、胸は重く、没入していた時間の温度が次第に下がっていく。


廊下には刃の跡と私の足跡と、散らばった花弁の痕だけが残る。


私はしばらく、動けず、少しずつ晴れていく外の様子を見ながら社交会への不安を感じた。

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