『咎の詩人とねずみ姫』咎の上に咲く花ーわたしを沈めた詩人を、愛することは罪ですかー【完結記念】
『咎の上に咲く花ーわたしを沈めた詩人を、愛することは罪ですかー』(グラヴィオ編)完結記念として、
本編では語られなかった“もしも”の物語を、童話のかたちで描きました。
モチーフは「カエルの王子さま」ですが、
本作の詩人グラヴィオに合わせて、少しだけ姿を変えています。
“ただのねずみ”と見なされていた存在が、
ひとつの詩によって名前を取り戻す──そんなおとぎ話です。
わたしは、白いねずみになっていた。
目を覚ましたときには、すでに檻の外だった。
名も声も、すでにどこかへ置いてきてしまったようだった。
("正しさ"からはずれた者は、名を失い、記されない)
(──だから、わたしも"いなかった"ことになるのだろう)
ただ、"誰かのまなざし"を感じたとき、目を覚ました。
それが現実なのか、夢の中なのか……定かではない。
どこからか、とぎれとぎれ声が聞こえる。
【???】
「……記録構造に干渉した個体の──」
「──検証中。観察継続──」
わたしは、逃げた。
ただ名もなき、小さなねずみとして。
【場面転換:路地裏・昼下がり】
細い路地に、風に舞う古紙の束。
【グラヴィオ】
「……あれ? ない。どこだ……」
しゃがみ込んで紙を拾う男。
詩人のような雰囲気。服の裾からインクの香り。
わたしは、その紙を一枚くわえ、彼の足元に差し出した。
【グラヴィオ】
「……おや、これは?」
ひょいと拾われる。目が合う。
【グラヴィオ】
「ねずみ、か。……いや、違う。あなたは“文”を読む顔をしている」
くすくすと笑って、彼はわたしを胸ポケットに入れた。
【グラヴィオ】
「今日からあなたは、“詩を食む者”だ」
【場面:グラヴィオの書斎】
それからの日々、わたしは彼の部屋に居座った。
詩の紙片を並べたり、インク瓶を転がしたり。
ときには彼の指示を無視して、勝手に詩を構成してしまうこともあった。
【グラヴィオ】
「……あなた、本当に文意が読めているのでは?」
(……そうかもしれない)
彼は時折、詩を読み聞かせてくれた。低い声が、心地よく耳に響く。
(あたたかくて、ゆっくりで、やさしくて……)
(……うとうとしてしまう)
【グラヴィオ】(微笑んで)
「寝落ちは、詩人にとって最高の称賛です」
(……むっ)
ある寒い夜、彼はふと口にした。冗談のようでいて、隠しきれない寂しさを滲ませて。
【グラヴィオ】
「ねぇ、今夜は……一緒に寝てみませんか?」
彼の手が、寝床の隣に伸びた瞬間。
(だ、だめ!)
小さな体は、ぴょこんとベッドの端に飛びのく。
けれどその胸は、熱く高鳴っていた。
(……なにこれ。近すぎる。男の人の、匂い)
顔が、じわりと熱くなる。
グラヴィオは一瞬驚いたような顔をした。
それから、少し険しい表情になる。
【グラヴィオ】
「羞じらうなんて……本当に、あなたは人間では?」
彼はわたしを手に乗せ、優しく見つめる。
【グラヴィオ】
「実験体にされていたのかもしれませんね。
でも、姿がどうあれ、魂は変わらない」
声が、少しだけ震えている。
【グラヴィオ】
「あなたをこうして手元に置けることが、嬉しい」
「誰に理解されずとも、あなたは私の一部です。
名を持たぬ者だとしても──私は忘れません」
【場面転換:月影亭・夜】
月影亭──グラヴィオがサロンを開く、王都外れの別荘。
普段は彼がひとりで暮らしているが、
時折詩を愛する者たちが集まってくる。
ある夜、客が来た。
冷たい足音。無駄のない問いかけ。
【神殿職員】
「この近辺で“観察対象”を見かけたとの報告がある」
「名もなき存在を見たか?」
【グラヴィオ】
「ええ、最近は“観察”に適した素材も減ってきたそうですね」
「……だからこそ、“記される価値”を見極めたいというお気持ち、よくわかります」
グラヴィオは、詩稿の束をゆっくりと胸元に引き寄せた。その中に、わたしは潜り込んでいた。
【グラヴィオ】
「ですが──“詩を食む者”というのをご存じですか?」
「読まれずとも行間に棲み、言葉の奥で息づく存在──」
「……記されていなくとも、生きている。そんな詩が、ここにあります」
職員が一度去ったかに見えたが、すぐに数人で戻ってきた。
【神殿職員】
「捜査を行う。室内を調べさせてもらおう」
足音が近づく。隠れ場所がない。
(──逃げられない)
グラヴィオの心臓の音が速くなる。
【神殿職員】
「そこの束を見せろ」
手が伸びてくる──
(これ以上は、彼の迷惑になる)
(せめて、わたしだけでも……)
わたしは意を決して、詩の束からそっと顔を出した。小さな白いねずみの姿で。
グラヴィオの琥珀色の瞳と目が合う。
【グラヴィオ】
「あなたの姿がどうであれ……
私は一度も、“ただのねずみ”だと思ったことはない」
そして、頭に──ひとつ、軽くキスを落とす。
【グラヴィオ】
「リア」
「……私は、ずっと覚えていました」
(──名だ。わたしの、名前)
その瞬間、世界が光に包まれる。
手のひらの上で、わたしの小さな体が温かな光に包まれていく。ふわりと詩の束が風に舞い上がり、無数の言葉が宙を踊る。
光が収まり──
詩の紙片がひらりと床に舞い落ちる中、わたしは人の姿でそこに立っていた。
(この肌も、指も、髪も……)
(全部、たしかに“わたし”だったころの形……)
(これは、私が──なんども、なんども、願ってきたこと)
(そして── 一度も、届かなかったこと)
震える手で自分の顔に触れながら、わたしはグラヴィオを見上げた。
【リア】
「グラヴィオ……?」
初めて口にする、彼の名前。
【グラヴィオ】
「やはり……詩を食む者だったのですね」
彼の目に、涙が浮かんでいた。
(わたしは今……人だったころより、優しくされている気がする)
(“ねずみ”として過ごした日々のほうが、ずっとあたたかかったなんて……おかしいよね)
(でも、この人なら……たとえまた姿が変わっても、きっと──)
神殿の職員たちは、
その変化に一瞬だけ目を見張ったが、すぐに冷たく言った。
【神殿職員】
「……観察対象、消失」
「記される資格を失った存在に、処理は不要だ」
発言した者の隣にいた若い職員は、わたしの姿からわずかに視線を逸らし、唇を噛んだ。
けれど、それ以上は何も言わなかった。
彼らは背を向けて、静かに去っていく。
まるで、最初から、何も見なかったかのように。
グラヴィオは、それをしばらく見つめていた。かつての記録をなぞるかのように。
(──わたしの存在は、記されないまま消えるはずだった)
(けれどあなたが、呼んでくれた)
(たったひとつの名で)
【場面:月影亭・詩の部屋】
窓の外では、春の風が花の香りを運んでいた。
机の上に、整えられた詩稿。リアの髪が、そよ風にふわりと揺れる。
【グラヴィオ】
「……やっぱり、あなたは」
「私の手元に残った、たった一篇の詩だったのかもしれない」
彼女は、微笑んでそれを聞いていた。
かつて、白い毛に包まれていた身体は、今や人の形を取り戻している。
【グラヴィオ】
「詩から、こんな美しい花が咲くなんて……」
「記録には残らずとも──詩の中で、あなたは咲き続ける」
彼は、リアの手を取る。
【グラヴィオ】
「あなたがいるなら、記されなくても、詩にできる」
「それで十分だ」
(……そう思ってくれる誰かがいるだけで。
わたしは、胸がいっぱいだった)
【場面:鏡の中・静かな空間】
白い鏡の奥、頁をめくる指が一つ。
【???】
「終幕──詩は、美しかった」
(静かに、次の頁へ)
「だが──構造における“正しさ”からは逸れている」
「記録としては、不適格。実験は終了だ」
鏡の中で、白い頁が音もなく閉じられた。
読了いただきありがとうございました!
7/28(月)7時より別キャラクターの本編公開予定です。
おたのしみに!