第93話 行ける
「エア・アップ」
上に行く為の言葉をもう一度。止まっていた体が浮上していく。
一メートル進み、十メートル進み。
スタートレイルが近づいてくる。
ある日青空を覆うように現れた黒い空。星が曲線の軌道を描く黒い空。
スタートレイルの空まで十メートル、一メートル。
なんとなく左手を伸ばす。
さあ、ぶつかるか? 邪魔が入るか? それとも?
「――行ける」
伸ばした手の指が、なににも触れる事なくスタートレイルの空を突き抜けた。
天への道はきちんと開かれている。
手首までスタートレイルの向こうに消えて、肘まで消えて、頭が触れる。いや、突き抜ける。
一瞬黒に染まる視界。しかしそれは本当にすぐに終わり、黒い空がごくごく薄いのだと気づかされた。
そして晴れた視界に映るのは――太陽。
眩しさに目をそらすと月が入って来て。
オービタルリングは見えない。それは良いのだ。だって地上からの天体観測を邪魔しないようある程度近づかなければ視認できない仕様になっているから。
虹の塔はまだまだ続いている。
眼下に目を向けるとスタートレイルの黒い空に覆われた地球が見える。いや、覆われていて見えないと言うべきか。
体の浮上が続く。
そうして静かに皆上昇していき――突如現れるオービタルリング。視認の壁を超えたのだ。
オービタルリング【地球城】。これは純白の不死鳥を象っている。と言っても大部分はXRの光なのだが。
それでも大きい。地球を囲む輪になっている部分は地球が三つ入る大きさだ。
良くぞまあこんな巨大構造物を作れたなと思うが実はあまり大変ではなかったらしい。
理由は二つ。建築用光子の登場と精神力をエネルギーに変えるシステム・ルミナスハートの登場だ。
建築用光子とは設定した通りに色・形・強度・重量を変える光子群。
ルミナスハートとは電気・石油・ガス等と互換性を持った無限に近いエネルギー。よーく思い出してほしい。体・魂・心に浸透している【覇】がエネルギー切れしない現状を。虹の塔が常に天に伸びている現状を。これらここ数年に作られた製品の多くが登録者のルミナスハートを受けて起動しているのだ。
製作者は安全の為に秘匿されていてどこの国の人物かすら知られていない。ただ秘匿網がゆるかった頃に本人が身は男、心は女とSNSで言っていた。はたしてどこまでが真実なのか……。
そんな事を思い出しているとオービタルリングの入り口の一つに着いた。
純白の不死鳥への入り口だ。
そこに入っても浮上はしばらく続き、虹の塔から伸びる光がとうとう途切れて体がポーンと大きな無重力空間に投げ出された。
オレたちの登場に驚きざわつくオービタルリング側の人たち。そりゃそうか。降下も通信も邪魔されていたんだ。そんな中でいきなり現れた地上の人間。驚くか。
「よ」
本来ここに出ると手を取ってくれる案内人がいるのだが今はいない。こちらの登場で驚いている人たちも違う模様。だから自分で壁を蹴って方向転換し、1G――地球と同じ重力になっている通路に脚を降ろすオレ。無重力から通常の重力になった事で少々もたついたが、まあ良い。他の皆もよろけたりたたらを踏んだりしているから。
「さて……どうしようか」




