第89話 人の世の平和の為に、悪がいるか
「?」
巨木だ。黒い巨木。感じる気配は【世界の患い】。
根はある、幹はある、枝もある、葉もある。
しかし花はなく実もない。
大きいのにとても寂しい木に思えた。
気づけばもうスフィアはなくて、残った【世界の患い】全てが集合しこの巨木になったのだろう事が伺える。
巨木の根元にはウェディンが一人。
右腕を伸ばし幹に掌を当て、目を閉ざしていた。
なにやら口元が動いている。
そして巨木の上方に目をやるとそこには燦覇が。横になった状態で葉を持つ枝に絡めとられていた。
「やられてないよな?」
急ぎ上昇して燦覇の元へと駆けつけるオレ。
燦覇に呼吸は――あるな、胸は上下している。
けれど目は閉ざされていて汗も多くかいている。苦しそうだ。
オレは枝を切り落とさんと巡による光の刀剣を振りかぶ――
――下がっていよ。我らは今、二人と対話をしている――
「対話」
【世界の患い】の声に振り下ろそうとしていた刀剣を止める。
――なぜ人は人に復讐をしないのか――
「……いや、していると思う」
残念な事に。日本人には犯罪者の子孫まで恨むと言う感覚は薄いが他所の国はそうではない。
恨みは末代まで。
と考える国はたくさんある。
例え個人的になにも悪事を働いていなくとも恨まれる事はたくさんあるのだ。
――ならばその理不尽にどうして悪意が湧いてこない?――
「湧くさ。なんど怒りを持ったか。
けどそれを抑えるのが理性って奴だろう」
――理性。感情に対する抑制機能――
――しかしそれを持っている者はごく僅か――
――にも拘らず人の世はまがりなりにも平和を保てている――
「平和……」
保てている、だろうか? 人の歴史には常に戦争がついて回ると言うのに?
「……悪いが、お前たちは人を表面しか見ていない」
――表面。表面のみで我らを封じ、虐殺したか――
――なんと浅い生き物――
「いやそうじゃなくて――」
「人は臆病なのよ」
「!」
気づけばウェディンが浮上しオレのすぐ近くまで来ていて。
「臆病だから、恐怖せずにはいられないの」
オレの右横に並ぶ、ウェディン。
――恐怖?――
「そうよ。
自己を肯定する為に他者を否定し、批判し、追い詰め、時には殺す。
そうして自分を守ってもなにも向上しないと言うのにね」
――人は自分の為に我らを殺す――
「そう。
あなたたちが憎いわけではないわ」
――そうして愉悦にまみれるか――
「残念だけれどね。人の業って言う奴よ。
人はそうやって歴史を歩んできたのよ。
けど同時に、そこには確かな正義もあったの」
――正義――
「正義と悪意。
これが共存しているのが人の歴史。人の暮らし。人の現状。
今だってそうよ。
人が平和を保てているように見えているのなら、それはたまたま皆の正義が同じ方を向いているから。
けどこれ、ちょっとした悪意ですぐ壊れるのよ。
だからあなたたちと言う“悪”が必要だった」
――人の世の平和の為に、悪がいるか――
「そう。人の悪意が人に向かないように」
――なれば我らは道具ではないか――
「……ごめんなさい。そう言う事よ」
――この怒りを! 我らは人にぶつける!――
――人の悪意を受けた我らと同じく! 我らの悪意を受けよ!――