第32話 タダなんだし食べなきゃ損よ
肩に、オレとウェディンの肩に白い肘が置かれた。つまりオレたちの真ん中に誰かが現れた。
聞き覚えのある声だった。すぐにある人物の姿が脳内に浮かび上がって、だからオレは振りかえらずに、
「『よぉう』なんて平成時代の不良でも言ったかどうか怪しいんだけどスケバン姐さん」
と軽い口調で言っておいた。
「こっち見て言えよつれねえなあ」
「はぁ」
思わず重い溜め息、オレ。
まさかここでこの人と会うとはなあ。
「久しぶり、キュフィア=クラン」
仕方ないので振り返りながら。
まず視界に入ってきたのは真っ赤な頭。いや赤ではなく躑躅色だったか。その色に染められたツインテールの髪の毛だ。相変わらず目が痛い。
続いて白い肌と黄金に近い黄色の瞳。
ついで和服。こちらも躑躅色がベースの日本の着物だ。
そして彼女の右肩に乗るのはパペット。和の甲冑を身に着けた小さなサムライさん。
「おぅ」
オレたちがきちんと振り返ったからかキュフィア=クラン――キュアは満足そうに頷きながら肩から肘を除ける。
「ウェディン、でっけえ姿で会うのは初めてだな。いつもはガキンチョだろ」
「ええ。もう良いかなって」
「チビにはチビの可愛さがあったがな」
言って遠慮なしに笑う。
ちょっと、他の乗客の咳払いが聞こえていますかキュアさんよ。
「キュア、少し声のボリュームを」
「あ、わりい」
聞こえてなさそうだったのでウェディンが注意。それにキュアは素直に頷き、
「すまねえ!」
でっかい声で乗客たちに謝るのだった。だからうるさいんだって。
「キュアもこれに乗ってたんだ。自腹かい?」
「まあな。
その言い方だとお前とウェディンはちげえのか?」
「ふ、招待された」
ここに至るまでの経緯を説明する。
キュアはそれを黙って聞いて、
「かっ。バトルの場にあたしもいればなあ、もっと楽に勝てたはずだぜ」
残念そうに首を振る。
確かに、キュアがいれば戦況に変化はあっただろう。なんせこの人、アメリカ・ニューヨークのエリアチャンプであるからして。
キュフィア=クラン。愛称・キュア。十八歳。日本かぶれの十八歳。ただし彼女が特に憧れるのは絶滅したはずのスケバンだったりする。左目の【覇】起動紋章『覇紋』は躑躅色のドクロだし。スケバンと言えば地獄のイメージらしい。そうか?
「まあ良いさ。
次だ次。『進化竜』は一匹狩った。
お次にあたしはロッケン=オーヴァーってのを討ち取ってやるよ。
この――」
オイ待て。
「妖刀・枝垂之咲姫でな」
言いながらアイテムである抜き身の日本刀を顕現するのだった。
躑躅色の柄に金のハバキ。
菫色の刃文・糸直刃が美しい銀の刀身。しかも刀身の中には躑躅色の花弁が舞っている。外ではない、中にだ。それがより刀身の魅力を強力にする。
が、突然の刃物の出現に乗客はざわついた。
「ちょーしまってしまって!」
思わずウェディンも大慌て。
「あ? オーバーレイ・ファーストだぜ? ただ表示してるだけさ」
「そう言う問題じゃないの。オーバーレイを上げたら斬れるんだから注意されるわよ。下手したら強制下車」
「む? そいつはイヤだな……」
素直に日本刀を消すキュア。どうやら『空の鏡』を楽しむ気持ちはあるようだ。
「さて、あたしはカジノに行くぜ。
チケット代取り返したいからな。
お前らは? 一緒に行くか?」
「ん~」
ぶっちゃけカジノに興味はあるが……ここでなら年齢も無視して興じる事ができるのだが……。
「ダメよ涙覇。ギャンブルにはまってはダメ」
と、浮きかけた腰をウェディンによって止められた。
「キュアもほどほどにしなきゃダメよ」
「ギャンブルも度を過ぎなきゃ良いもんだぜ?
あたしは全財産スルなんてヘマしないしな」
勝負勘強いしよ。とキュア。
勝負勘、と言うかキュアって少しでも敗けの空気が漂い始めるとサッと身を引くんだよな。
「まあ良いさ。んじゃあたし一人楽しんでくるぜ。
またな」
そう言って颯爽と去って行く。
後姿は凛々しいのだが、向かう先はカジノである。尊敬できないなー。
「で、オレたちどうする? 個人的には小腹が空いてきた感じなんだけど」
「そうね、私もなんだか疲れたからなにかいれておきたいな。
六号車に向かいましょうか」
「ああ」
六号車はお菓子の車両だ。先ほど鼻に届いた甘い匂いが思い出される。
早速オレとウェディンは席を立って車両の移動を開始した。
そう言えば『空の鏡』のガードマンは乗客に紛れていると言う話だったが、キュアが日本刀を出した時にその場にいたのだろうか? 何人かがタイミング良く十二号車に入って来ていたが。睨まれていないと良いな。
「……」
いや、睨まれる――と言うか……なんか女子二人につけられているんですけど?
後ろをじっくり見たわけではないが、オレたちが十一号車に入った時にすくっと二人は立ち上がりそれからずっと後ろにいる。そりゃもう一メートルくらい近くに。
どうして? ただ単に先の車両に用があって偶然並んで歩いているだけ――なら良いのだが、近すぎないか?
あまりに近すぎるせいでウェディンとひそひそ話もできそうにない。ないが、横に目を向けるとウェディンも困り顔。間違いなく後ろの二人に困っている。
一度靴ひもが解けたフリして止まってみようか? あ、今日の靴、ひもないや……。
ならば。
「ウェディン、ちょっと待ってて」
「え? あ、うん」
車両と車両の間で止まってみた。そこにトイレがあったからだ。トイレは全車両間に用意されていて、その気遣いがありがたい。
が、今の目的は用足しではなく女子二人がどうするのかを見る事にある。
オレは一人トイレに入ってウェディンの気配をじっと観察する。別に彼女のストーカーになったのではない。オレがいなくなった事で女子二人がウェディンになにかする可能性があるからだ。
しかし、どうやら全てが杞憂だったようで。
「涙覇、あの子たち行っちゃった」
丁寧にドアを二回ノックしてドア越しのオレに聞こえるように。
「ん」
ウェディンの声を聞いてオレはトイレのドアを開けて外に出た。
「普通に通り過ぎたか……つけられていると思ったのは心配のしすぎだったかな?」
「ん~、一応用心はしときましょう? 誰がどんな目的で潜んでいるか分からないから」
「……そうだね」
特にウェディン周辺は。ウェディンはお姫さまだ。危ない連中に狙われる可能性はいくらでもある。例え見た目が女子であっても心の内が分からない以上気を緩めてはいけない、か。
オレとウェディンは再び歩き出した。
いくつかの車両を抜けて、六号車へ。目的の車両だ。
「……」
思わず「あ」と言いそうになった。
だって例の女子二人がいたから。目もばっちりあってしまった。しかしまだ偶然の可能性はある。新しく人が車両に入ってきたら目を向けてしまう人もいるだろうから。
件の女子二人はケーキを選んでいる最中のようで、いくつかクルーに注文していた。
オレたち、と言うかウェディンもそこに用があったらしくそわそわしだした。
「……行っても大丈夫かしら?」
オレの耳元で密やかに。くすぐったかった。
「う……ん。ここでもめ事を起こす気ならもうやってそうだし、オレたちも見た目普通にしてよう」
「……そうね。それじゃ早速」
ケーキコーナーに突撃するウェディン。と彼女に手を引かれるオレ。
問題の女子二人とは数人分距離を取ってケースを覗き込む。三角に切り取られたケーキ、四角に切り取られたケーキ、スプーンに乗っている一口ケーキ、グラスに入っているケーキ、カップに入っているケーキ、種類は様々だ。
イチゴにキウイに栗にパイナップル。使用されているフルーツも様々。
ふむ、全部食べたくなってくる。だからオレは大小合わせ十個ほど選んで注文してみた。人ってこうやって太っていくんだろうな。夢で良かった。
「え、涙覇それだけで良いの?」
「むしろ二十個も取って食べられるのウェディン?」
「多分余裕」
「マジか」
女の子の胃袋ってブラックホールなのか?
「せっかくタダなんだし食べなきゃ損よ」
『空の鏡』でのお菓子代は全てチケットに含まれている。この車両ではお菓子以外の軽食もとれるがそれもだ。
『星織紙』のライブを含め他の利用料金も同じく。チケットさえゲットできればあとは堪能するだけである。
「オレはまずこれで良いよ」
足りなかったらまた来れば良い。
「そ? んじゃテーブルに行きましょ」
「ああ」
ケーキの乗ったトレイを持って丸いテーブルに着くオレとウェディン。
『空の鏡』は横にも広いから(だから専用の駅がいる)隣のテーブルとはちょっとだけ余裕がある。と言っても一メートルくらいだが。
「では早速」
「いただきましょ」
ウェディンの目が輝いている。結構楽しんでいるな。良かった。
このまま何事もなく過ぎていけ、時間。
なーんて願いと祈りは神さまにあっさりスルーされてしまい、隣のテーブルについたのは件の女子二人。
ええ……。
おまけになんか手を振られたんだけど?
ええ……?