リモコン
真冬が過ぎたことに桜が芽吹いているのを窓から数十分眺めてから気がついた。部屋を暖かく保ちすぎたせいか、外に出なかったからか……とにかく、とっくの昔に床にへばりつきそうだった腰をあげて、エアコンのリモコンを探す。いつだったか、ドアのすき間から忍び寄ってきた冷気にさすがに体が悲鳴をあげ、2時間ほどかけた末に見つけたリモコンで、エアコンに終日暖房を入れるよう命じていた。働き者のエアコンは忠実に動き、この部屋を暖めて寒さから守ってくれた。だから、いつの間にかこの部屋は外の春を追い越してしまっていた。……いや、2時間ちゃんと探したのだろうか? そこら辺の記憶ももう曖昧だ。とりあえず、もう一度リモコンを探さなければ……。
その前に、暖かくなりすぎた空気を逃がそうと窓を開ける。以前よりも随分と開けやすくなったそれは、ぎぎぎぎ、とのこぎりで太い丸太を切り裂くような、金属と木材との異質な喧嘩の音がして、木材がすり減ったと思った。遠くの関係ない場所で車が通り過ぎていった。けれど鳴ったのはそれくらいで、外からは人の声などまったくしなかった。一人取り残されたような気分になり、部屋の奥へと逃げ込むように戻る。私はこの部屋のリモコンを探さなければいけなかったと理由を上塗りして。
どこだろう。そもそも、以前はどこで見つけたのだったか。本当は、薄い板と華奢な黒光りの脚の机近くの壁に、リモコンを置いておける場所があったと思うのだけれど、それすらもどこかに放り投げておいてしまっていた。とすると床だろうか。床は良い。用がなくなればすぐにぽいと投げ捨てて右手を開ける事ができた。そしてそのまま寝転び、痒くなった尻をかくことができるのだ。だから、自分自身の右手のために床板が見えなくなった床を探すことにした。
腰をかがめて、空いたペットボトルをどかす。破けた役所の封筒をどかす。かびた本をどかす。途中、突然の災害に見舞われた虫が這い出てきたら、それも適当に追い払って床の顔を出す。ようやく、握りこぶしくらいの床が出てきて、そこにエアコンのリモコンはなかったのだと思い知らされる。ふと、傷だらけで触りたくもない床を覗き込んでみた。何かが描いてあるような気がして、それが殊の外自分の事のように思えて、不気味に見えた。緑色のグラデーションに、か細い年輪。それが途中で切り替わって、無理くり年輪を繋ぎ合わせたようにも思える。けれどその上に乗っていたのはごみだけだった。
床をかきわけ、かきわけても、見つけられたのは汚い年輪の跡だけだった。まだ熱い息を吹き出すエアコンは止められていない。探し回ったせいで体温が上がり、胸が音を立てて息を吐く。それと同時に、エアコンが唸りをあげて必死に部屋を暖めようとする。窓は開け放たれたまま。けれど窓を閉めて熱気を閉じ込めておくわけにもいかない。私にはそれを止める力も道具も、もう無いように思われた。止められない息のように、窓から熱い空気が外に漏れ出ていくのを眺めているしかなかった。