流行性クリスマスプレゼント
少し早いクリスマスプレゼントが届いた。
クリスマスの三日前。私の顔は真っ赤になった。
あのね、サンタさん。心を込めたプレゼントだろうから、私はすごく熱くなった。熱くなったんだけどさ。
クリスマスプレゼントが、インフルエンザウイルスってのはどうかと思うの。
「あーあ、この大事な時期にタミフル飲んで隔離かよ。悲惨だな」
「うっせー。感染すぞ」
馬鹿兄貴はちゃっかりマスク着用。予防接種してないコイツがピンピンしてて、予防接種した私がこの有様ってどういうことよ。
高校の期末試験が終わって気が緩んだところにこれ。冗談じゃない。高熱でまともに動けない体を無理やり引きずって病院まで行って、たったさっき戻ってきたところ。これだけで死ぬほど疲れる。
大学から帰ってきた馬鹿兄貴は私をからかうだけからかってバイトに出かけてしまった。サンタクロースに扮してケーキを売るバイトらしい。女の子用の制服がやたらかわいいとか力説してやがった。畜生め、バイト先で女の子と仲良くなってクリスマスに振られちゃえ。
かく言う私は、クリスマスに一緒に映画を見に行くような相手もいない。かと言って友人達の間で開かれる独り者パーティに参加するのもシャクだったのでクリスマスに予定が全く入らないという寂しい現実がある。
それを考えるとインフルエンザで隔離って言い訳ができたのは良いかもしれない。けど、全然良くない。
クリスマスと言えばケーキと七面鳥。お祭り気分でその日だけは体脂肪とか諸々を気にせずにがっつり食える日だったのに、この状態じゃとても無理。
何せ、お腹が気持ち悪い。湧水みたいに出てくる鼻水を飲み込んでしまって胃にたまってる。今、生クリームのにおいを嗅いだら全力で嘔吐する自信がある。
蓄膿症になるからやめろって言われてるけど、つい鼻をすすっちゃうのは仕方ないと思う。風邪のときって鼻水が黄色くなって気持ち悪いし。
食欲とか欠片もない。パンの耳をちょっとかじったくらいで吐きそうになるくらい。何も喉を通らない。ああ、人間ってこうやって食べることをやめて死んでいくのかな。
ねえ、サンタさん。あなたが慌てん坊なのは良くわかったの。クリスマスの前にこんなひどいプレゼントを送りつけてくるくらいだもんね。
でもね、落ち着きって大事だと思うの。だからさ、せめてあと一週間待てなかったかな? クリスマスに隔離って寂しいどころの騒ぎじゃないんだって。
ため息をつこうにも喉が痛くて、出てくるのは咳とうなり声だけ。十六歳のクリスマスってとても大事な時期だ。せめてもうちょっと楽しげな思い出が欲しい。
ベッドに寝たまま本棚に目をやる。いつもなら二歩でたどり着くのに、なんだかとても遠く感じる。背表紙だけでタイトルと巻数が諳んじられるようになった漫画も、今は読みたいという気すら起きない。携帯も、いくつかメールは来ているだろうけど今は文字を読みたくない。
枕元の時計に目をやる。アナログ時計で針がカチカチ動いてるのを見るとなんだか落ち着く。デジタルはダメ。あの馬鹿兄貴はデジタルを使ってるみたいだけど、あんなに角ばった数字ばっかり見て気が狂ったりしないのかと思う。いや、案外もう狂ってるかもしれない。
時間は夕方。お父さんもお母さんも帰ってくるのは遅いし、晩御飯は作り置きをレンジでチンするだけ。何も心配はない。取り返せない時間を失ったような絶望感はあるけど。
ゆっくりと目を閉じる。さっさと良くなりますように。
―――◆―――
三日後。クリスマス当日。私は目を覚ましてびっくりした。
昨日まで死にそうになっていたのに、薬が効いたのか、かなり楽になっていた。
まだ頭はふらふらするけど喉の痛みも普通に喋れるくらいには引いてきたし、お腹もそんなに気持ち悪くない。いわゆる治りかけの状態だ。
ご飯を食べて薬を飲んで、部屋に戻る。一応、症状が引いても二日くらいは隔離し続けないと危ないよってお医者様に言われたので、ひきこもり状態は継続だ。
でも、今日の私は昨日の私とは一味違う。何せ、ある程度自由に行動できる。漫画も読めるしテレビも見れる。プレステ2だって起動できる。携帯でたまったメールの返信なんていう知的活動もできる。人間って素晴らしい。健康って素晴らしい。
メールには色々と心配してくれる友達のメールが来ていた。三日も部屋にこもってたから、こういう温かさが心にしみる。
つい一つ一つ丁寧に返信して、疲れてしまった。症状が引いてきたとはいえ、やっぱりまだ長時間の活動は厳しい。映画で見た魔法みたいにドン、と治ればいいのに。
寝て起きてご飯を食べて薬を飲んで、しばらく知的活動をしてからまた寝て……。聖なる一日だというのに、夜八時までそれを繰り返した。あーあ、クリスマスが六分の五も終わっちゃったよ。
今日という一日を振り返っても、別段何もない。何度かメールしてたから寂しさは紛らわせたけど、クリスマスがそうやって無為に過ぎていくのはやっぱり悲しい。夜にもなると漫画も一通り読み終えて、退屈になった。聖なる夜をお楽しみ中だろうというわけのわからない配慮が邪魔してそろそろメールも送れない。
お父さんとお母さんはまだ仕事中。馬鹿兄貴もバイトに行ってるか遊びに行ってるか知らないけど朝から不在。私はまた一人寂しくお粥をあっためて食べることになるのだろう。
テレビをつけても面白くない。お笑いで馬鹿やってる世界のざわめきが遠くに感じて、余計に寂しくなった。
ゆらゆらと立ち上がってリビングへ。家に誰もいないと、風邪引いてても自由に闊歩できるから良いね! 良いね……。
ぐったりしながらキッチンのほうを見る。袖と裾が白でその他が全身真っ赤な服の背中が見えた。頭にも先端に白いボンボンがついた赤い帽子。わーい。サンタさんだ。寂しすぎて幻覚でも見てんの?
「サンタさんサンタさん。インフルエンザウイルスあげる。ギフトフォーユー」
「全力で遠慮してやる」
割とフランクなサンタさんだ。遠慮しなくても良いのに。振り向いたサンタ服の馬鹿兄貴はもじゃもじゃとヒゲまでつけていた。顔にはシワひとつついてないのに、そのギャップが妙に笑える。
「ヒゲってのは年取って貫録出てきた人の象徴であって、兄貴みたいな若造がつけていいものじゃないんだよ」
「良く口が回るようになったなマイシスター。飯の用意なら終わったからさっさと部屋に戻れ」
つーかその格好でしてたのかよ。バイト先から制服そのまま借りてきたんだな馬鹿兄貴め。
私は言われるままに部屋に戻った。どうせ隔離された寂しいご飯だ。孤食って言うんだよこういうの。現代人のコミュニケーション不足とかだけじゃなくて、アルコール依存症とかの原因にもなるんだよ。まあ、ランチメイト症候群になるほどじゃないけどさ、一人で食べるの寂しいじゃん。寂しいじゃん! 寂しいじゃん……。
ドアを足でノックする音が聞こえる。開けろって言ったり閉じこもってろって言ったり勝手で忙しい連中だ。ちくせう。
ドアを開けるとそこには、サンタ服のままの兄貴がお盆を持ってきていた。わー、ご飯ここに置いていきますねとかそういう世界? 冗談キツいぜお兄ちゃん。
かと思いきや、お盆の上にはどう見ても二人分の食事が。
「そんなに食えないんだけど」
「半分は俺が食うんだよ」
わお、どういうこと? 一緒にご飯? やったね! これでもう寂しくないよ!
なんていう本音は微妙に悔しいので言わない。言ったら絶対馬鹿にされるから言わない。
食べるのに邪魔になりそうな白ヒゲと帽子は外してある。しかし服はサンタのままだ。気に入ったんだろうか。
「一人で寂しがってる子にサンタさんからのプレゼントだ」
エスパーかよ。そんなことを言いながらサンタ服のポケットから四角いケースを取り出す。ちょっと前の映画のDVDだ。
「レンタルじゃん」
「細かいことは良いんだ。とっとと見るぞ」
プレステ2で再生。実は私の部屋以外にDVDの再生環境が存在しないので、ここで見るしかない。
そんなわけで、二人で見ながら夕飯タイム。イケメンの外人俳優に二人して興奮したりしながら、二時間の映画はあっという間にエンディングを迎えた。
しかし、二時間という時間は体が弱っていると結構長く感じる。物語の後の余韻を感じながら、すでに眠気が迫っていた。
「早いとこ治せよ」
それに返事をしたかどうかは覚えていない。サンタに扮した馬鹿兄貴がもたらしてくれたのは心地よい眠りだった。
―――◆―――
十二月二十六日の朝。清々しい目覚めとともに、私は大きく伸びをした。
枕元に置いた体温計の仕事。三十六度二分。いつも私をイラつかせる角ばった数字も、この時ばかりは思わずガッツポーズを決めるくらい嬉しい。
立ち上がって軽く体を動かす。けだるさもない。完全復活だ。
久々にリビングに出ての朝ごはん。マーガリン塗ったトーストがここまでおいしいとは思わなかった。健康って素晴らしい。
とにかく清々しい。全ての部屋のカーテンを勢いよく開け放ってしまいたくなるくらいに嬉しい。朝の日差しがここまで素敵なものだとは思わなかった。
実際にカーテンを開けまくって、最後は兄貴の部屋。どうせ寝てるだろうと思ったら本当に寝ていた。日差しが眩しくて「うーん」とか言いながら目を覚ます幸せな朝を味わうが良い!
差し込む朝日に照らされて見えたのは、真っ赤な服。サンタのまま寝てたのかよ。馬鹿じゃねーの? うっすらと目を開けた兄貴の口から発せられたのは「おはようございます」でも「グッドモーニング」でも「グーテンモルゲン」でも「ドーブラエウートラ」でもなかった。
ていうか咳き込んで「あ゛ー」とか言ううなり声をあげている。
「サンタ服って通気性良いのな」
どうやら、今度はこいつがタミフルを飲んで隔離される番のようだ。