それでも、人の世で
一面の白い光の中を、花月は歩いていた。
処刑の直後――白銀夜叉に首を斬り落とされそうになったその直後、かつての自分の力が暴走した。
全てが一瞬で白い光に包まれ、失われたところまでを見届けて来たが――胸に迫る想いはただ、自分がいかに穢れているかということばかりだ。
あんなにも必死に想ってくれていた皇子を、蓮寿姫を、あんなにも良くしてくれた帝をも巻き込んで、全てを存在しなかったものにしてしまった。
ただ殺すよりも遥かに残酷だ。
彼らが生きて来た時間、感じて来たこと、成してきたこと、生きる姿勢の全てを、無に帰してしまったのだから。
こんな自分だから、壮一郎に見限られるのも頷ける。
いっそあのまま殺して貰っていた方が、ずっと良かったのではないか。
白い光の中に、ふと宮中の回廊のような渡り廊下が現れた。
何とは無しに階段を昇り、巡る廊下を歩いていく。
この廊下は何処まで続いているのかと思った、その時。
蓮寿が、そこにいた。
まるで待っていたかのように。
回廊の向こう、柔らかな光の中で、何も変わらぬ姿で立っていた。
花月が名を呼ぶより先に、静かに微笑む。
長い裳裾を引きながら、ゆっくりと近付いてくる。
言葉は何もなかった。ただその黒目勝ちの双眸に温かな微笑をたたえ、まっすぐに歩いて来る。
(蓮寿姫……)
名を呼び掛けた花月は、しかし声に出さずに姫に歩み寄っていく。
名を呼ぶことも、駆け寄ることも、平伏することも、してはいけない気がした。
姫がそれを望んでいない。それが本能的に分かるのだ。
回廊の途中で向き合った二人は、ただ互いの瞳を見つめ合う。
花月を見上げる姫の瞳には、怒りも悲しみも無かった。
惨禍の元凶である花月を責めることも、引き起こした理由を問うこともない。
ただ、ゆっくりと白い手が差し伸べられる。
それは赦しを与えるような、誘いを向けるような、全てを許容するような、そんな風情で。
花月は一歩、踏み出しかけて――止まった。
その手を取れば、ここではないどこかへ行ける。
それでいいのだと姫は示してくれている。
全てを取り戻せる日々に還れるのだと。
だが、どうしても手が動かない。
あれほどに切望した再会が叶っているというのに、差し伸べられる手を取っていいと示されているのに、言葉は見つからず、動くことさえできなかった。
何処かでカラカラと風車が回る音がする。
手を取るならば、今しかない。何かを言うならば、今しかないのに。
太腿の脇で握り込む拳が震える。
蓮寿はそれを見て、ほんの少しだけ目を細めた。
全てを分かっていて、全てを許容する微笑。
――そう。あなたはそういう人だった。
空間にふわりと響いた想いは、果たしてどちらのものだったのだろう。
蓮寿姫はゆっくりと踵を返し、微笑みを残して回廊の奥へと歩いていく。
振り返ることなく、そのまま光の中へと溶けていった。
◇
「……行ったか」
夜風が、煙を揺らした。
バーの入り口で、壮一郎は星空を仰ぎながら寂火をふかしていた。
何かが昇天した。
そんな気配が肌で感じられる。
できれば都会のくすんだ星空の向こう、花月と蓮寿が昇っていくような何かの気配が感じられればと思っていたが、夜景に照らし出された夜空は何事も無く冬の星が煌めくばかりだ。
夜風にはほんの少しだけ、春の気配がする。
片手に寂火を携えたまま、バーに戻る階段を降りかけた壮一郎は、驚いたように脚を止めた。
階段を降り切った先のバーの扉の前に、花月が袂の中で腕を組みながらこちらを見上げている。
微かに笑んだその表情を暫し見詰めた後――瞼を伏せた壮一郎は、俯いて笑みを隠した。
「……まだやるのか」
「ええ」
階段を途中まで昇って来た花月が、壮一郎の頭上に広がる夜空を振り仰ぐ。
「もう少しだけ。人の世の業というものを、見ていたくなりました」
その言葉に片眉を上げた壮一郎は、寂火をゆっくりと銜え――ただ煙を一筋、夜空へと吐き出した。




