罪を与えられた日
捕縛されて廊下を引き立てられていく花月を、人々が囁き合いながら見ている。
「待ってください、何かの間違いです! 僕はやっていない!」
「黙れ鬼め! 証拠は揃っている。申し立ては検非違使庁にて聞く!」
花月の腕を捻り上げ、検非違使が乱暴に引き立てる。
白い直垂の袖が床を擦り、廊下に小さな音を立てた。
御簾の陰、回廊の角、几帳の向こうから、人々は一斉に視線を向け、そして一斉に逸らす。
――やはり鬼だったのだ。
――帝を呪うとは、なんと恐ろしい。
――最初から、そういう者だったのでは。
囁きは風のように流れ、形を結ばぬまま耳を刺す。
(よりにもよって、これを見なければいけないのか)
不可視の存在である今の花月は、かつての自分の転落劇を苦い想いで見つめていた。
白銀夜叉のいる穢れの地でのひと時から、ほんの僅かな瞬きのうちに、場面は半年後に切り替わっていた。
あれから皇子の病は全快し、帝から直々に呼び出され、労いの言葉と褒美の黄金を賜った。
黄金は育ててくれた寺に喜捨し、役目を終えたのでそう遠くないうちに帰ると約束したのだが。
帝は花月を気に入り、皇子のためにもう暫し留まることを求められてしまった。
帝の求めは、つまりは命令である。
花月は変わらず陰陽部とも医療部ともつかぬ、更には皇子の世話係ともつかぬ、極めて曖昧な位置に留め置かれることとなっていた。
そうして忘れもしない。
ある日突然、帝が病に倒れた。
途端に、まるで申し合わせたように自室に検非違使が訪れ、告発があったため部屋を検めると権高に言われたのだ。
そこから見覚えのない呪物と、帝の私物が発見されたのである。
決定的と言ってもいい証拠であり、もはや何をどのように言っても、覆る可能性のない嫌疑であった。
「早く歩け!」
背を強く押され、花月の身体が前によろめく。
その拍子に、懐から小さな数珠が落ちた。
子供の自分を拾ってくれた僧侶が、最初にここに連れて来られる時に御守りとしてくれた数珠。
思えばあの時も、嫌がる自分を彼らが迎えに来た。
こんなふうに引き摺られてはいなかったが――。
「待ってください、あれを……!」
「さっさと行け!」
数珠は床に転がり、誰にも拾われることなく、やがて誰かの足に蹴られて回廊の下へ消えた。
人々が囁き合う廊下の一角には、ひときわ静かな一群があった。
陰陽部の者たちだ。
その中の一人が、扇を口元に当て、目だけで花月を見た。
哀れむでもなく、怒るでもなく、ただ――笑っている。
(あいつか……?)
今の自分にはもはや何もできない過去の出来事と知りながら、花月はそちらを見た。
その瞬間、鼻先をかすめた香りがある。
沈香。
しかも極上のものだ。
宮中でも、ごく限られた高貴な者しか用いることができぬ香。
(……ああ)
漸く悟った事実に、今の花月は歯噛みする他に無かった。
(これは、そうか、そういうことか)
選ばれたのだ。
誰かの陰謀で、誰かの政権争いの盤上の駒として。
◇
石造りの牢は、昼でも薄暗かった。
土と血と、古い水の匂いが混じり合い、息をするたび肺の奥に沈んでいく。
花月は天井の梁から縛り上げられ、足元の冷えた石に膝をついていた。
実際には僅かに膝がついていない。つまり重心が何処にも逃されることなく、空中に吊り上げられているように、全ての体重が縛り上げられた手首に掛かるのだ。
膝を付くには、手首か肘の関節が外れる他に無い。いかに罪人に音を上げさせるかを知り尽くした、手慣れた仕事だと分かる。
「――始めるぞ」
検非違使の低い声。放免たちの構える杖が、床を叩いた。
記録役が脇に控え、木簡に何かを書き付けている。
「帝を呪うよう唆した者の名を言え」
「……僕は、何も……」
答え終わる前に、乾いた音が響いた。
杖が背に落ちる。
痛みは鋭く、しかし一瞬だ。
骨に響くほどではない。
――まだ、最初だから。
「一」
淡々と数が読まれる。
二打、三打。
呼吸の合間を縫うように、規則正しく。
花月は歯を食いしばり、声を噛み殺した。
叫べば楽になることを、本能は知っている。
だが、叫んでも何も変わらないことも、もう知っていた。
「どのようにして呪った」
「知りません……!」
「帝のものをどのようにして盗んだ」
「盗んでなど……!」
否定するたびに、杖が振り下ろされる。
十。
二十。
三十。
振り下ろされる棒の勢いは徐々に増し、痛みを堪えるために身を強張らせるほどに、床に付かない膝がガクガクと震える。
「もう一度聞く。誰に唆された」
「……誰にも……僕はやってない」
ひゅうと杖が宙を薙ぐ。
骨の奥まで衝撃が響く。
歯を食いしばる間もなく次の一打が叩き付けられる。
激痛に呼吸さえ詰まる。息を継ぐ間に宙を切った一打がまた叩き付けられる。
四十。
背中の感覚が鈍くなり、痛みが熱に変わる。熱に変わる痛みの中で思考が渦を巻いたようになる。
熱が灼熱に変わりかける頃、身体の奥で別の何かが目を覚ましそうになる。
それを押し殺すために花月は歯を噛み締め、もはや感覚のない両手を掌に爪が食い込むほどに握り締めた。途端に手首と肘の骨が軋む。
五十。
まだ、意識は落ちない。落ちてくれない。
鬼の血を引く頑強さが、逆に花月を苦痛の中に留めていた。
六十。
六十六。
杖が止まった。
だが決してそれは慈悲ではないことは、花月にも分かっていた。
一人の罪人につき尋問は三回まで。三回の間に杖打ちの総回数は二百打まで。間隔は二十日を置く。それが定められた制度なのだ。
「次は二十日後だ。貴様がどのような状態であれ、同じことをする。その間に良く考えておくがいい」
縄が解かれ、花月の身体はそのまま床に崩れ落ちた。
崩れ落ちるように床に着いた膝に、骨が外れたような激痛が走った。
初めて悲鳴を上げたかつての自分の痛みが甦り、今の花月は顔を覆う。
だが、見届けなくてはならない。
かつて自分が犯した罪が、どのようなものか。それを見届けない以上、渡したい言葉を渡すことができない。
(……僕は)
漸く意識を失ったかつての自分を見下ろしながら想う。
この時は、ここで死ぬと思ったのだ。
それは、誰かに助けを求めることすらも、二度と許されない時間の始まりだった。




