ハナという愛犬
頭を下げたまま涙を拭っていると、静かな足音と共に花月さんが近付いてきた。
「……深山さん。これを」
顔を上げると、俺を覗き込んでいる花月さんの労しげな眼差しと目が合った。
差し向けられた掌には、小さな和紙の包みが載せられている。
「なんですか、これ……」
「ここへ来る時に持ってきていたんです。今なら受け付けてくれますよ。あなたの心も、お腹もね」
そう言って渡された包みは、綿のように軽い。
包みを解いてみると、そこには可愛らしい桜色の、丸みを帯びた形をした落雁が一つ、ころんと出てきた。
「これって……」
「本当なら、僕の店にあなたが来た時お出しするためのものだったんですよ。でもあの時はまだ早かった。今は丁度良い頃合いですから、どうぞ。和三盆の落雁ですが、紫蘇が入って少し塩みが効いているので、甘すぎませんよ」
「鈴の形……」
「ええ。さてここで一つクイズですが――これを僕が誰に頼まれて作ったと思います?」
何処か芝居がかった仕草で目の前に人差し指を立てた花月さんは、猫のように目を細めて微笑んだ。
「人間以外のものにお菓子を依頼されたのは、僕の長い甘味処人生でも初めてでしたよ」
「え。ちまき、ですか?」
単純に問い掛けた俺に、花月さんは眉を下げて小さく頭を振る。
その途端、真っ先に脳裏に浮かんだ優しい面影に、顔全体が一気に上気し、ぶわりと視界が溺れた。
「……ハナ、ですか?」
その答えに、花月さんの表情が綻んだ。
「ええ。御名答です。深山さん……今のあなたを形作っているのは、彼女への後悔なんですね」
ハナ。
ハナが本当に、これを俺のために頼んだのか?
俺は、震える指で落雁を摘まんだ。
だがこの鈴の形は、そうとしか思えない。
そう――ハナの首輪も、茶色い毛皮に似合うピンクだったのだ。そして可愛らしい小さなピンクの鈴が胸の前に付いているものだった。
ちまきに同じような首輪を着けさせていたのも、ハナの分まで大事にしようという意志の表れだったのだ。
「壮一郎のカクテルは人の怨みを灼き祓う。僕の甘味は人の苦しみを解きます。――召し上がれ。彼女たちに会えますから」
「あの、花月さん……」
「はい?」
「ええと……」
言い掛けた問いを、俺は飲み込んだ。
花月さん、教えてください。
人間でも動物でも、死んだ存在って、本当に何処かにいるんですか?
例え身体がなくなって、目の前にいなくなっても。この手で触れられなくても。
本当に何処かで、見守ってくれているんですか? また会えるんですか? 本当に?
そう訊ねようとしたのだが、そんなことを訊かれても花月さんは困るのではないだろうか。
例え答えて貰っても、俺だって単なる気休めとしか思えないかもしれない。
だが魂は不滅だというし、壮一郎さんも来世まで続く呪いを見せてくれた。
ここに来るまでに、この世ならざるあわいの道だって、歩いてきたのだ。
それなのにまだ――俺は懐疑的だった。
そんなにも優しい世界が存在することを、認めてもいいのだろうかと。
「それは、深山さん――」
花月さんが俺を見詰めながら、優しく微笑んだ。
「あなたがご自分の目で、確かめてくるといいでしょうね。僕が答えるよりも、ずっと納得できるはずですから」
その言葉に背を押されるように、俺は落雁を口に含んだ。
ほろりと広がる甘さと、少しばかりの紫蘇の塩みが舌の上でまろやかに解ける。
ああこれは、幸福な涙の味だ。
そう思った瞬間――。
どこからかカラカラと風車の回る音がして、視界が滲んだ。




