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花月堂夜想譚  作者: 翠川舞
第三章 猫
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来世まで続く地獄

 「呪いってのはな――強ければ強いほど、じわじわ効いてくるもんだ」


 葉巻を咥えたままの壮一郎さんの青い眼差しが、煙の中に見える。

「今のはただの序章ってやつさ」

 俺は思わず眉をひそめた。

「序章……?」

「呪いを浴びた奴はな、まず夢が変わる」

 壮一郎さんが煙を吐くたび、青い光が揺らぐ。

 店の空気がまた一段と深く沈むように感じた。

「あいつは今後、普通の夢なんざ一つも見られねえ」

「……え?」

「眠りゃ必ず夢を見る。だがそれが、必ず悪夢だったら? それも自分がやってきたことが、そっくりそのまま自分に起きる夢だとしたら?」 

「それじゃ、さっきのが……」

 俺の呟きに、煙の中で壮一郎さんが僅かに微笑した気配がした。 

「ああ今夜から始まるな。眠れば必ず拷問の悪夢。……当面、どうなるかね」


 でも。

 俺は言葉を飲み込んだ。

 でも所詮は夢だ。どんなに裁きが下っても、現実には干渉できない。


「眠らせないというのは古典的な刑罰なんですが、それだけに確実に人を壊すんですよ」

 壁際から花月さんが言った。

 振り向けば、葉巻の煙の中に花月さんのシルエットが浮かんでいた。

「犯人にはもう、心地良い眠りは二度と訪れません。睡眠不足と交感神経の絶え間ない緊張によって、正常な思考ができなくなり、幻覚を見始めます」


 その言葉に、俺の脳裏に先程の悪夢の中で見た、動物たちの姿が浮かんだ。

 夥しい数の犬、猫、鳥、小動物、昆虫。

 ただ、じっと見つめていたあの姿。

 あいつは――犯人は、起きている間にも、あの子たちの姿が見えるようになるのだろう。

 物陰から、背後から、頭上から、目の前から、感情のない瞳でジッと見つめ続ける、かつて虐め殺した動物たちの姿が。

 きっと犯人は、何もない空間に驚き、怒り、やがて怯えて威嚇するのだろう。そんな自分の奇行により、奴は孤立を深めてゆく。

 そんな光景が、まるで投射されているかのように、ありありと煙の中に浮かんでくる。

 

(ちまきも、あの中にいるんだろうか)

 それを見ながら、俺は思った。

 俺は、ちまきのために正しいことをしたんだろうか。

 

 でも、殺されたのが俺だったとしたら――。

 もし俺が、誰かのくだらない快楽のために、理不尽な苦痛の中でいたぶり殺されたとしたなら――。

 きっと誰かに、仇を取って欲しいと思う。同じ苦しみを与えて欲しいと思う。

 人間じゃない。人知を超えた強い存在の、何者かに。


 俯いた脳裏に、あの「作品」とDMの文面が浮かんでくる。

(暫くカヒュカヒュ息しててウケた)

(害獣駆除ざまぁ☆)


「だとしても、そんなものじゃ……」

 頭を抱えながら、俺は呻いた。

 ああ――ああ。俺は、なんて残酷な人間なのだろう。

 でも、こんなものじゃ生ぬるい。こんなものじゃあいつの罪に見合っていない。

 そう思ってしまうのを止められない。

 

「そうだ。そんなもので終わるわけがねえ」

 俺の言葉を繋ぐように、壮一郎さんがきっぱりと言った。

「極限のストレスに消耗したあいつは、憂さ晴らしに次の『作品』を作ろうとするだろう。あいつの頭の中は承認欲求と嗜虐心の中毒だ。そして野良猫でも捉まえようとする所から、第二の呪いが発動する」

 青い照明が、さらに深みを増す。

「精神の次は身体だ。逃げた猫に引っ掻かれた傷から謎の菌が、あいつの皮膚の下、全身に繁殖していく。医者も原因が分からねぇ。薬も効かねぇ。痒みに掻き毟れば余計に悪化する。やがて皮膚は赤剝け、膿み爛れる。まず日常生活は壊れるな」

 痒みは何よりも人を壊す。

 痛みを堪えることはできても、痒みを堪えられる生き物はいない。

 どこかで聞いたそんな言葉を思い出し、俺は息を飲んだ。

「それでもまだ虐待を続けようとするなら――今度は世間があいつを地獄に落とす」

「……世間?」

「動画編集の時にうっかり『自分の個人情報』を流しちまう。特定班によって、義憤と面白半分で住所と素性が晒される。どうなるか分かるだろ? 社会的な死ってやつだ」

 壮一郎さんは、葉巻を灰皿で静かに砕いた。

「だがそれでも終わりじゃねぇ。呪いってのは因果の総決算だからな。あいつが殺した命の数だけ、その命が本来生きられた寿命の分だけ、返ってくる」

「一生……ですか?」

「いいや」

 壮一郎さんの声が低く落ちる。

「来世まで含めて、だ」

「……来世……」

「動物虐待犯なんてのはな、鬼や悪魔ぶってるつもりかもしれねえが、人間風情が滑稽なもんだぜ。あいつらが面白半分に握り潰してるのは動物の命なんかじゃねえ。――自分自身の魂。生まれた時に元来持っていたはずの幸運だ」

 壮一郎さんは、まるで天気の話でもするようだった。

「殺した数だけ終わらねえ不運の坩堝に落ちていく。そんなことさえしなけりゃ、どんな運に恵まれたか知れねえものを。――あいつはもう、永い永い歳月を浮き上がれねえ。僅かな幸せも感じることなく、逃げりゃ倍の不幸が押し寄せる。生きても死んでも地獄だ」

 

 店内に満ちた煙が、徐々に薄れていく。まるで霧が晴れていくように。

 その中で静かに因果を語る壮一郎さんの青い瞳が灯のように光り、店内に伸びる影には――頭上に微かな角らしきものが見えた気がした。

 そのシルエットを見上げながら、俺は胸元を握り締めた。

 やってしまったと思う。

 俺は一線を踏み外したのかもしれない。


「深山さん、そいつは見当違いってもんだぜ」

 俺の心を読んだように、壮一郎さんが微笑する。

「確かにあんたの怒りと悲しみ、それから猫の恐怖をベースに呪いをシェイクしたがよ。あんたは何もしちゃいねえ。俺が少しばかり、奴の因果を前倒しにしてやっただけさ」


 煙が晴れた店内は、いつの間にか最初に来たままに鮮やかなブルーの光を湛えている。

 目の前の壮一郎さんも、壁際の花月さんも、ただ静かに笑んで俺を見ていた。

(ちまき――)

 胸の奥が痛いほどに熱くなった。

 これでいい。

 俺の恨みに嘘なんかないけれど、もし――もしもこの復讐が、いつかどこかで俺の業になったとしても。

 これでいい。

 ちまきのためなら、これでいい。


「壮一郎さん、花月さん」

 俺は立ち上がり、二人に深々と頭を下げた。

「……ありがとうございます」

 言った瞬間、涙が落ちた。

 ちまきのために。

 あの子を苦しめた奴が同じ苦しみを味わうのなら。少しだけ、呼吸ができる気がした。






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