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花月堂夜想譚  作者: 翠川舞
第三章 猫
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カクテル

「材料には十分だ。……とっておきのやつを作ってやるが、どうする」

「とっておきの……?」


 何の話だろう。

 意図が理解できずに鸚鵡返しに繰り返した俺に、ふと壮一郎さんが笑って壁際の花月さんに視線を向けた。

 途端、今までの張り詰めた空気がふわりと軽くなる。


「花月。お前、ここに連れて来る時に説明もしてねえのか」

「うるさいなぁ。慌ててたんですよ、これでも! 君の店なんだから君が説明すればいいじゃないか」

 羞恥を誤魔化して苛立つような花月さんの声が、背後の壁際から聞こえる。

「違いねえ。……なぁ、深山さんよ」

 くっくっと喉を鳴らして笑う壮一郎さんが、まだ目元に笑みを残したまま俺を見詰めて来た。

「あ……はい」

「さっき俺は、あんたの闇を預かってやると言ったな」

「はい」

「ここが普通の店じゃねえことは、分かってるな?」

「……え」

 なんだ。まさかぼったくりバーか?

 いや違う。きっと壮一郎さんはそういうことを聞いている訳じゃない。

「ああ、そうだ。ぼったくりバーなんかじゃねえ」

 俺の胸の内を読んだかのように、壮一郎さんが繰り返す。その眼差しが語っていた。もう分かっているだろうと。

 分かっている。

 俺は、あの奇妙な「あわいの道」を花月さんに連れられて歩き、此処へ来たのだ。


「お願い、できるんですか? ちまきを殺した犯人を、捕まえてくれるんですか?」


 思い切って訊ねてみれば、壮一郎さんは意を得たように笑んだ。その笑みはさっきとは違う、何処か毒のような笑みだった。

「捕まえる、か。――あんたがそれを望むならそれでもいい。だがそうじゃねえだろう」

 その瞬間。

 俺の中に、俺の意思で、熱いほどの想いが喉まで吹き上げた。


「ちまきと――同じ目に遭わせてください!」


 思わず立ち上がった途端、ガタン、とスツールが音を立てた。

 背後で花月さんが俺を見ている気配がする。

 でも止まらなかった。むしろ聞いて欲しい。

「あいつは、あの犯人は、ちまきの他にも四十七匹を殺してるんです。『作品』なんて嘯いて、馬鹿馬鹿しい承認欲求を満たすために! きっとその中には、俺みたいに泣き寝入りしている人だっているはずです。これからもそうだ。放っておけばもっと犠牲が出る。早く見つけ出して罰してくれ! あんなやつは、同じ目に遭えばいい!」

 カウンターに両手をついて、俺は一気にまくし立てた。

 そうだ。

 俺は、犯人を捕まえて欲しかった訳じゃない。

 必ず探し出して、この手で始末をつけてやりたかった。

 ちまきの感じた恐怖と苦痛、そして孤独を、魂に焼き付かせるほどに刻み込んでやりたかったんだ。

 肩で息をしながら言い切った俺を、暫くじっと見つめていた壮一郎さんが――やがてゆっくりと目を閉じた。


「承った」


 その一言が落ちた瞬間、店の空気が僅かに揺れた気がした。

 裁きの木槌が、鳴り響くように。



 壮一郎さんがシェーカーを取り出す。

 背後の棚から大小のボトル選んでは手際よく中身を注いでゆく。

 冷蔵庫から氷を取り出し、それも入れる。

 音が、やけに大きく聞こえてくるのは、俺の聴覚が過敏になっているのだろうか。

 氷が躍って金属にぶつかる音。ボトルから流れ落ちる液体の音。金属が触れ合う音。

 それら全てが、俺の心臓の音と共鳴するかのようだ。

 

 壮一郎さんがショートカクテルのグラスを目の前に、流れるような仕草でシェーカーを振る。

 その瞬間、店の青い照明がもう一段回ほど暗くなった気がした。

「……あ」

 周囲を見回しながら、まるで海に潜っていくようだと思った。

 ここに来たばかりの時には浅瀬のような鮮やかなブルーが、俺が話している間に徐々に色濃くなり、今はもう深海を思わせるようなミッドナイトブルーに変わっている。

 店の空気までもが、心なしか濃厚になっているのは気のせいだろうか。

 うまく言葉にできないが、空気中の粒子の密度が濃い。

 息苦しいような、逆に息がしやすいような、奇妙な感覚だ。


 念入りにシェーカーを振る壮一郎さんは、目の前のグラスを見下ろしながら、何処か違う所を見ているような遠い眼差しをしていた。

 声を掛けることさえ躊躇われるほどの静謐ささえ感じるその表情に、何故かぞくりと胸の内が震える。

 今、俺は禁忌を犯している。そんな想いが過ぎるのは何故だろう。

 同時に、それをしてくれている壮一郎さんに、どうしようもなく心強い想いが込み上げてきた。

 まるでそれは幼い頃、公園で俺を理不尽に突き飛ばした子に、当時の飼い犬だったハナが聞いたこともないほどの大きな声で吠え掛かった時のような。


 ハナ。

 ハナ、俺は、いいのかな。

 いいよな。

 ちまきの仇を、取ってもいいよな。

 


「――できたぜ」 


 シェーカーの音が止まり、深い色の液体が注がれたショートグラスが、目の前に置かれた。

 黒に近いのに、どこか赤みを含んでいる。

 青い照明を受けて、深い紫色に揺れているそれは、まるで「作品」にされたちまきの血のようだ。

 グラスの縁の部分が心なしか色が薄く、まるでちまきの首輪のようにも見える。


「……これは?」


 情けない質問だったと思う。

 でも他に、言葉が見つからなかった。


「端的に言う。呪いのカクテルだ」


 短く答えて、壮一郎さんは俺を見る。


「呪い……」

「ああ――。あんたの怒りと怨み、それから自分の猫への愛情。これまでの犠牲を悼む同情。誰も同じ目に遭わせたくないという義憤。そして俺と花月の怒り。猫が感じた恐怖――全てを込めたショートカクテルだ。度数は最高に強い。仕掛けた呪いの強さは、度数に比例する」


 壮一郎さんの、存外整った指先が、スッと俺の方へグラスを押しやる。


「飲めば呪いが発動する。だがあんたの怨みが正当じゃない場合、或いは話に嘘があったなら、呪いはたちまちあんたに返る」


 心臓が、どくんと跳ねた。


「――それでいいなら、飲みな」


 脅しでも、試すようでもなかった。

 ただの事実を告げられているような口調だった。


 俺は、グラスを見下ろした。


 液面に、自分の顔が歪んで映っている。

 ひどい顔だ。なんてひどい顔だろう。

 泣いて、やつれて、目が落ち窪んでいる。


 嘘なんて吐いてない。

 この怨みが正当かどうかなんて分からない。

 俺が悪いんじゃないと、言い切れる自信もない。そもそもあの三分を許してしまったのは俺なのだから。


 それでも。

 それでも――。


 ここまで来て、このカクテルを飲まない理由が、俺には見つからなかった。

 ちまきが攫われたのは、俺の落ち度だ。だったら俺に返って来てもいい。

 この事件で一番悪い奴を、裁いてくれ。


 俺はグラスを握り、一気に呷った。




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