Bar Abyss
一息に話したせいで、息が上がってしまった。
五日ほど水とスポーツドリンクだけで過ごしていたせいだろうか。こんな程度を話しただけで耳に響くほど動悸がする。
仕事も同じだった。出社はしているが、頭の中に霞が掛っているように、何をしていたか何を話していたか、まるで思い出せない。
夜は家にじっとしていられず、朦朧とした頭で、ふらふらと街を徘徊していた。
きっと身体はとうに限界なのかもしれない。
「腹なんか減っちゃいけねえ……か」
カウンターに両手をついたまま俺の話を聞いてくれていた壮一郎さんが、低く呟いた。
「――なんか食わせてやらなかったのか、お前の店で」
少し離れた壁際に立つ花月さんに問い掛ける。
「いらないと仰るので」
花月さんは視線を伏せたまま答えた。
その仕草が、ほんの一瞬だけ、悔しそうにも見えた。
「……お前らしくねえな」
責める調子もなく言いながら、壮一郎さんがカウンターの下からグラスと緑色の瓶を取り出す。
「ええ」
花月さんは短く答えただけだった。
だがそれだけで、二人の間に何かが共有されたのが、俺にも分かった。
そのやり取りを眺めながら、俺はスマホに視線を落とした。
待ち受けにしたちまきの写真が、俺を見詰めている。
ややあって、俺の目の前に湯気の立つグラスが置かれた。
何やらハーブのような甘い良い匂いがして、黄金色の炭酸の気泡が弾ける音がする。
空腹を覚えた訳でもないのに、その匂いを嗅いだだけで何故か腹が珍妙な音を立てた。
「温めたジンジャーエールにエルダーフラワーのシロップを入れてある。まずはあんたの身体の余分な毒素を落とした方がいい」
「エルダーフラワー……」
「毒素を流す作用があるハーブだ。昂った神経を鎮める効果がある」
「……ありがとうございます」
壮一郎さんに会釈しながらグラスを取り、少し口に含む。
爽やかなハーブと生姜の香りと、酸味のある爽やかな甘さに、舌がきゅっと縮まった。
飲み込むと、優しい温かさが身体の中を流れ落ちていく。
胸の奥で絡まっていたものが、ゆっくりほどけていく気がした。
美味い。
そう感じた瞬間、途方もない罪悪感が胸の奥から込み上げてくる。
俺は、美味いなんて感じちゃいけない。
こんなものを飲む資格はない。
それなのに止まらなかった。一口、また一口と、貪るように飲んでしまう。
飲む度に目の裏が熱くなり、涙が溢れてはみっともなく頬を流れた。
「すみません」
飲みながら、そんな言葉が口をついて出た。
「長々と……取り乱して」
「いい」
壮一郎さんが、短く言った。
「話せるところまでは、話したんだろ」
その声は優しかった。
「……はい」
子供のように頷いた時、呼吸が少し楽になっていることに気付いた。
さっきまで、息を吸うたびに胸が痛んでいたのに。
壮一郎さんは俺から目を離し、バーの中を見回しながら、ゆっくりと体を起こす。
その動きと共に――青い照明の色が、またひときわ濃く沈んだ気がした。
整う。
そんな言葉が浮かんだのは何故だろう。
俺はグラスを持ったまま、スツールに深く腰掛け直した。
心臓の音が、ようやく一定の速さに戻っている。
ふと花月さんを見遣ると、彼は黙ったまま腕を組んで壁に凭れていた。
静かに俺を見守ってくれている視線が、僅かに笑んで揺らいだ気がした。




