たった三分
攫われたのは、一週間前です。
その日は、ちまきの健康診断でした。
朝から何も食べさせないようにと病院から言われていたので、俺も一緒に朝食を抜きました。
食いしん坊のちまきの目の前で、俺だけ食べるのも可哀想だったので。
帰ったら御褒美にうまい缶詰食わせてやるからなって約束して、出掛けました。
まさかそれが、ちまきが家を出る最後になるなんて……俺のせいなんです。俺がもっと気を付けていれば。
健康診断の結果は、至って健康体でした。
獣医さんにも「何も問題ありませんね」と笑顔で言われて、ホッとして嬉しくて。
自転車の籠に、ちまきのバスケットをしっかりと括り付けて、何となくいつもと違う道を通ったんですよね。
天気も良かったし、ちまきが健康体というのが本当に嬉しくて、俺は軽く浮かれていたんだと思います。
コンビニが、あったんです。
ふと思い出したんですよ。そういえば家に何もないってこと。
だから昼食の弁当を買っていこうと思って。
三分くらいでした。
ほんの三分です。
「ちょっと待っててな」
路肩に自転車を止めてバスケットの中を覗き込むと、ちまきは欠伸をしていました。
早く帰ってきてね、という感じに見えて、俺は急いで買い物に行ったんです。
店に入って、弁当を取って、レジに並んで。
弁当なんか選びませんよ。もう適当に腹に溜まるものなら、何でもいいやって。
だってちまきを店の前に待たせてますから。
分かってたんです。
分かってたはずなんですよ、あんなことしちゃ駄目だって!
支払いの間だけ、ほんの少し目を離した間でした。
買い物を済ませて自転車に戻った時、空気が違ったんです。
三分前まで当たり前のようにそこに漂っていた温かい空気が、虚ろで寒々しいものに変わっていました。
バスケットの扉が開いて風に揺れていた、あの光景は今でも思い出すと震えます。ほら、こんなに。
一瞬だけ、理解できなかったんです。
頭が真っ白になって追いつかなかった。
大声で名前を呼びました。這いつくばるように探しました。
俺が呼べば返事をしてくれるはずなんです。探さなくても足元に擦り寄って来てくれるはずなんです。
でも、見つかりませんでした。
なんで。
なんでちまきなんですか。
俺が飼ってるんですよ。
人が大事に飼っている猫を、勝手に連れて行って良い訳ないじゃないですか。
なんでちまきが害獣なんですか。
ふざけんな。
ふざけんなよ。
その日のうちに、捜索用のアカウントを作りました。
あとはもう、さっきの通りです。
拡散して貰って、沢山の人たちに励まされて、希望を持っていたんです。
戻ってきたら、もう二度とあんなことはしないと心に誓っていました。
不安な思いをさせてしまったお詫びに、今までよりもっと大切にして、許して貰おうって。
だから早く帰って来てくれって。
拡散して貰って五日後です。……あのDMが、届きました。
警察が駄目だったので、探偵事務所にも行きました。
でも同じことを言うんですよ。人身被害でない限り、器物破損では難しいって。
器物破損って何ですか? なんで器物なんですか?
しかも犯人が公共Wi-fiとVPNを使って作った捨てアカウントで、痕跡がないだけに追えない可能性があるって。
――この犯人は慣れてますね。常習犯ですよ。
探偵にそう言われた時、目の前が真っ暗になりました。
――作品No.47。つまり四十七匹を同じように殺ってるんですよ。
こういう輩は法の目を潜ることに慣れてる。
自己顕示欲の強い犯人だから、その線で追えば辿り着くかもしれないけれど、それも本人を突き止めるまでいけるかどうかは運次第だって。
依頼されれば追うけれど、正直お金の無駄だって言われました。
数百万を捨てるようなものだって。
俺が……コンビニに寄らなければ。
昼飯なんて、買わなければ。
ちまきは、朝ごはんも食べられないまま……。
あんな姿にされても、暫く息してたんですよ。
俺に会いたかったんです。
俺が助けに来てくれるって思ってたんですよ。
家に帰りたかったんです。生きたかったんだと思うんです。
ちまきが地獄のような苦しみを味わわされている間……俺は……俺も、息していました。
仕事してました。
飯食ってました。
電車乗ってました。
風呂入ってました。
寝てました。
心配でどれもこれもうまくこなせなかったけど、ちまきが朝ごはんも食べられないまま苦しめられている間、日常生活していたんです。どこも痛くない身体で。
飯食ってたんですよ、俺は!
すみません。
上手く、話せません。
でも――
俺はもう、腹なんて減っちゃいけないんです。
あの日、ちまきが空腹だったことを考えると。
全部……全部、俺のせいなんです……。




