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花月堂夜想譚  作者: 翠川舞
第三章 猫
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小さな三角の背中

 俺は……深山直哉。三十歳です。普通の会社員で、営業をしています。

 結婚はしていません。一年半ぐらい前に、結婚を前提に同棲していた彼女と別れました。

 理由は……よくある話だと思ってください。

 お互い仕事が忙しくなって、すれ違って、喧嘩が多くなって、そのうち彼女に好きな人ができて。

 どちらが悪いということでもなかったはずなのに、気が付いたら別れる準備が整っていたという感じでしょうか。

 俺の方も未練が無かったといえば嘘になりますけど、ちょっとホッとした部分があったんですよね。

 もう喧嘩して彼女を泣かせなくて済むんだ。彼女をいつも笑顔にしてくれる奴がいるなら、手を離してやった方がいい。そんな気持ちが大きくなってて。

 ちょっといい子ぶって逃げてましたかね。でも、本心だったんですよ。

 本当に彼女を好きだったから、話せば喧嘩になって泣かせるだけの関係に変わっちゃったなら、もう不毛じゃないですか。


 それで彼女が出て行った後、部屋が急に広くなったんです。

 音がしなくなって。気配もなくなって。

 変ですね。喧嘩していても、やっぱり彼女の存在そのものに助けられていたんです。


 一か月ほど経った頃ですかね。ちょうど今ぐらいの季節だったと思います。

 会社から帰って、アパートの階段を上ろうとした時でした。


 階段の下で、小さい猫の鳴き声がしたんです。

 見てみたら、茶色い子猫が地面に這いつくばるように震えていました。

 前の日に雨が降ったからか、震えていて可哀想で。

 でも一旦放っておいたんです。

 野良猫は引っ越しをする時、親猫が一匹ずつくわえて連れて行くって聞いていたので。勝手に保護して引き離すことはしたくなかったんです。

 とはいえ部屋に帰っても気になって、時々覗いてみたりしたんですが、親猫らしきものは一向に現れないし、鳴き声がだんだん聞こえなくなってくるし。

 このままじゃ風邪を引いて死ぬかもしれない。そう思ったら放っておけませんでした。

 タオルに包んで抱き上げて、病院に連れて行っちゃったんです。

 それが、ちまきとの出会いでした。


 ちまきはやはり風邪を引いていました。

 熱が高くて、もう少しで肺炎を起こし掛けていて、感染を恐れた親猫が見棄てたのかもしれないというのが獣医さんの見立てでした。

 里親を探すかどうかも聞かれましたけど、既に情が湧いちゃって、俺が飼うことにしたんです。

 もともとペット相談可の物件でしたし、彼女がいない部屋が広かったし、静かすぎたので。

 五日ほど入院させることになったんですが、仕事帰りに時間が間に合えば見舞いに行って、もう完全に虜でしたね。

 一時は危ういとも言われてたんですけど、元気になってくれた時の喜びは……忘れられないです。今でも。



 元気になった子猫は、よく食べてよく遊びました。夜中に暴れ回って、俺は睡眠不足でしたよ。

 女の子だからですかね、お尻が大きくて、座ると小さい三角形になるんです。

 茶色いし「お前、ちまきみたいだなぁ」ってからかったら、にゃあって笑うみたいに鳴いたんです。

 それで、ちまきと名付けました。

 

 俺は、ちまきにピンクの鈴がついた首輪をプレゼントしたんです。

 茶系の毛皮にピンクの首輪が良く似合うことは……子供の頃から分かっていましたから。

 この子は一生俺が育てる。そんな覚悟の印って言ったら大袈裟ですかね。

 

 ちまきはすくすく育ちました。

 小さい身体は日に日に大きくなって、体重も増えて、布団の上に乗られると重くて寝返り打てないんですよ。

 仕事から帰ると、玄関まで迎えに来てくれて。ずっと俺の側を離れないんです。

 身体を擦りつけて、つぶらな瞳で見上げてきて、呼ぶと返事をしてくれます。

 そんなんされたら、もうデレデレですよね。

 風呂に入ってる時も、ドアの前で待ってる影が見えるんですよ。

 寝る時も一緒です。夜行性だから途中から遊び出すんで「寝かせてください!」なんて悲鳴を上げてね。

 休日も、ほとんど出掛けなくなりましたね。適当に動画流して、ちまきとゴロゴロしていれば、特別なことなんかしなくても満たされてました。

 ああ、面白かったのは、うたた寝して目が覚めたら、ちまきの顔がアップで目の前にあるんですよ。俺が起きるまで、ずっと間近で見つめながら待ってたんですね。笑っちゃいましたよ。

 彼女がいた頃、仕事の忙しさに、あんなに余裕が無くなっていたことが嘘みたいでした。

 だらっとしていて良かったんですよね。

 彼女に対しても、変に気負わず、期待しすぎず、ただ可愛い可愛いと思っていられたなら。


 俺はちまきを助けたんじゃなく、ちまきに助けられたんだって、思ってたんです。


 生き甲斐でした。

 俺の子供でした。

 大袈裟な話じゃなく、俺にとって、ちまきは全てでした。




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