篁壮一郎
階段を降り切った先に、頑丈そうな鉄の扉があった。
いぶしたような表面には何の模様も無く、ただ冷たい金属の光が街の灯を鈍く反射している。
しかしノブに触れた瞬間に感じたのは、ひやりとした冷たさではなく、不思議な温かさだ。
「どうぞ。僕がついていますから」
隣の花月さんの声に押され、そっと扉を開く。
途端――青い照明が視界を覆った。
一面のブルー。
店内の空気そのものが青の中に沈んでいるようだ。
落ち着いた間接照明に照らされたコンクリート打ちっぱなしの壁は、グレーというよりも銀色に白んでいる。
カウンターの下から放たれる青い光が、銀色の天板を照らし、ガラスのように透き通ったアクリル製のハイチェアが整然と並んでいた。
こうしたショットバーにありがちなテレビモニターやメニューや観葉植物など、余計な装飾は一つも無く、ただ微かなジャズのBGMだけが流れている。
「壮一郎、彼は君の領域だ」
花月さんが、カウンターの中に立っている男に声を掛ける。
「……相当、こじれているな」
バーテンダーらしく白いシャツに腕まくりをした男が、表情も温度もないままに、俺を見てそう言った。
「彼が、あなたの力になってくれますよ」
俺の両肩を包み込むように手を置いた花月さんに促されるように店内に入る。
「彼はここのオーナーで篁壮一郎。僕の古い友人です。……一応ね」
「やれやれ、一応とはご挨拶じゃねえか。……なぁ花月」
花月さんの何処か含みのある言葉に、男が笑う。
低い声だった。
腹の底を撫でられるような、重く響く声。
聞いただけで背筋が震えるほど艶がある。
「言葉の綾ですよ。君のことは信頼してる。頼んでいいですか? 僕では救えない」
「いいさ。お前が客を連れて来るということは、そういうこった」
二人を見比べながら、俺は動けなかった。
何かが違うのだ。
何と言われれば説明できないが、違和感とでもいうのだろうか。
特に目の前の男には、並みならぬ威圧感を感じる。背丈は、俺より背の高い花月さんよりも更に高く、百九十センチ近くあるだろうか。
シャツに浮き出るほどの筋骨に、木の幹のような太い腕。
緩く後ろに流した強く波打つ短い黒髪が、彫りの深い骨格の美貌を際立させている。
外国人の血が入っているかのようなその顔立ちを一際印象深くしているのは、濃い睫毛に縁どられた、ぞっとするほどの青い双眸だった。
人間のものとは思えないほど透明な青。店内の照明にも似たクリアな青は、心の奥まで見透かされそうな気がする。
重く、静かに凪いだ圧。
ただそこに立っているだけで、店内の空気が一段深く沈むようだ。
まるで闇そのものが、人の姿を取っているようだった。
それなのに、不思議なほど目が離せない。
何も言えずに立ち竦んでいる俺を見て、壮一郎さんがゆっくりと口角を上げた。
笑っているのかどうか分からない、微妙な表情。
「座りな」
指先で彼の正面のカウンターを軽く叩く。
「あんたの闇、ここで預かってやる」
何となく花月さんを見ると、彼は微笑して頷いた。
軽く背を押されて、促されるままに指定された席に座ると、ふわりと甘い香りが鼻を掠めた。
木材と黒糖を思わせる、どこかスモーキーな香り。
これは葉巻だろうか。
不快じゃない。むしろ落ち着くような、どこか昏い奥底へと沈んでいくような、深い夜の香りだ。
「怒りの匂いがするな、あんた」
揶揄めいた響きは一切感じられない声で水を向けられたその途端、俺の視界に、あの「作品」が――思い出したくもないのに忘れてはいけないあの「作品」が、鮮やかに割り込んで来た。




