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花月堂夜想譚  作者: 翠川舞
一章 人形
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エレナ

「――それでは茉莉枝さん」


 一頻り笑った後、花月さんはついと姿勢を正して、とても美しい形に腰を折って礼をした。


「不思議ごとは和合に還り、そろそろこれにて閉店時間とさせていただきましょうか」


 閉店時間?


「わわ、どうしよう、すみません私、荷物とかお店に置きっぱなしで……」


「それはご心配なく」


 閉店と聞いて慌てる私に、姿勢を正した花月さんが、にっこりと笑った。


「お見送りは僕に依頼をくださった彼女が参りますので、暫しお待ちを。――今宵のご来店、まことに有り難うございました」


 もう一度深く礼をしたその姿は一瞬で光に同化するように消え、その代わりのように、彼が立っていた場所から無数の赤い花弁がぶわりと弾けた。


「えっ……?」


 目の前に広がった赤い花弁の洪水に驚く間もなく、白い空間に心地よい風が吹いてくる。

 微かに風車の音がするのは、きっと気のせいではないだろう。

 まるで高原にいるかのような澄み切った空気の流れ。

 その中に微かに甘い、和菓子のような良い匂いが混ざっている。

 あまりの美しさに言葉も忘れて見入っているうちに、甘い匂いの風は、花月さんの無数の花弁を高い空間まで舞い上げながら吹き抜けていった。

 またいずれ、と風の中で囁かれた気がした。


「え、待って花月さん! 待ってください! まだ私なにも……」


 行ってしまった、と。どこか本能的に思った。

 まだお礼もきちんと言えていないのに。

 ご挨拶もできていないのに。

 空間を移動したり、花になって消えてしまったり、最後まで不思議なことばかりだったけれど、本当にあの人は何者なんだろう。


 でも、また会いたい。

 今度またお店に行こう。

 次は隆宏も連れて、一緒に行ってみたい。

 彼のことを花月さんに紹介してみたい。


 私が知らなかっただけで、どうやらこの世界には人ならざる存在が、普通に人に紛れて生活をしているようだ。

 そう思うと、楽しいような、怖いような、この先に出会う人たちに興味が湧いてくるような、不思議な感覚がする。


 白い空間に吹き上げられた花弁が、はらはらと散り乱れて落ちてきた。

 まるで天から降り注いでくるように。

 目の前に降りてくる花月さんの欠片のような花弁を、手を伸ばしてひとひら受け止めると、触れたはずの花弁はキラキラとした火の粉のような光の粒子になって、掌からまた空へと昇っていく。




 ――茉莉枝……マリエ……。




 何処か遠くで私を呼んでいる声がする。

 その声の主を誰と思うまでもなかった。

 エレナ。

 エレナだ。

 そしてふと思い当たった。

 花月さんの甘味処に入った時「やっと来た」と囁いた声は、この声ではなかったか。

「もしかして見送りって……」

 ここが最初に暗闇に包まれた時、私には悪夢の延長のようなエレナの声が聞こえていた。

 あの時は、花月さんに叱られた。

 私の愛は、相手の見た目や、向けられる感情で失われてしまう程度のものなのかと。

 そうして私は覚悟を決めた。

 エレナがどんな姿に変わり果てていようとも、どんなに私を恨んでいようとも、彼女を変わらず愛することを。


 でも今はそうじゃない。


 むしろ今は、全く違う気持ちでエレナを迎えることができる。

 優しくできなかったことをエレナに謝りたい。そして、エレナをずっと大切に想っていたことを言いたい。

 例え信じて貰えなくても。恨まれていても。


 恐ろしいという感情は、もう欠片もなかった。

 覚悟を決めて向き合うのではなく、変わらない愛おしさを込めて彼女を抱き締めたい。

 私は、彼女を心から愛してる。


「エレナ!」


 私はその名を呼び、声のする方へと小走りに歩み出した。





 白い世界の中に、時折ちらちらと赤い花弁が舞う。

 花月さんが励ましてくれているようで、一人きりでも心細くはなかった。


「エレナぁ。ここだよ」


 いつしか私は、これまでの悪夢と真逆に、こちらからエレナを探していた。

 もう逃げないから、出てきて欲しい。

 ボロボロになってしまったエレナなら、また髪を梳いてあげよう。

 曲がった関節を直してあげよう。

 叶うなら、壊れてしまったガラスアイも、ボロボロになったドレスも、全部直してあげたいけれど、道具を何も持っていない今は無理だ。

 だから叶わない分だけ、抱き締めてあげたい。

 彼女が許してくれなくても構わない。

 私が愛していることを理解してもらえなくても構わない。

 ただ、今のこの胸いっぱいに溢れる愛しさと恋しさを、エレナに捧げたい。


「エレナぁ!」


 呼び掛ける声が白い空間に響いた、その時だった。



「茉莉枝」



 鈴が鳴るような可愛らしい声と共に、小さなつむじ風が舞った。

 つむじ風の中から、大輪の青い薔薇が花弁を広げたように見えたのは一瞬のこと。

 胸の下で優雅に手を組んで、彼女は私の目の前に佇んでいた。



 白金の長い巻き毛。同じ色の長い睫毛に縁どられた、青い大きな瞳。瞳と同じ色の青いベルベットのドレス。ミルク色の肌にほんのりと赤みがさした小さな唇。


「Ça fait longtemps(お久し振りね). 茉莉枝」


 その唇が初めて動き、美しいフランス語を語る。

 私の目の前に現れたエレナは、可愛らしい少女人形の姿のままだった。

 一緒に遊んでいた時と何も変わらない姿。いや、それどころか、こうして動いている姿は匂い立つような愛らしさに溢れている。


「うそ……、エレナ……」


 思わず目の裏が熱くなった。

 ぶわりと視界が霞んでエレナの姿を歪ませ、瞬きをする間もなく熱い涙が溢れ出す。

 もう、今日は泣いてばかりだ。

 そんな私を見て、エレナが小首を傾げて笑う。うふふと笑う声も鈴を転がすようだ。


「相変わらず、泣き虫なのね」

「エレナぁ!」


 堪らずに抱き付いた私を、エレナは受け止めてくれた。

「貴女はお姉ちゃんなのに泣いてばかり、茉莉枝」

 小さな身体が、小さな腕が、小さな手が、私を抱き締めてくれる。

 人形らしいぎこちなさなど感じさせない、まるで人間のようになめらかな動きで、私の頭を撫でてくれる。

 体温などないはずなのに、どこか不思議な温もりを感じさせる手触りも昔のままだ。

 顔を埋めたドレスや髪からは、懐かしいあの子供部屋の匂いがした。


「ごめんねエレナ、ごめんね……!」


 エレナに言いたいことも思うことも他にも沢山あるのに、私の口を突いて出るのは、ただそれだけだった。


「たくさん酷い、こと、して、酷いことばかり、して、本当に、ごめん……ごめんなさい!」


 エレナ。エレナ。エレナ。

 私のエレナ。大好きなエレナ。

 私の頭を撫でてくれるエレナは、私の言葉の一つ一つを拾い集めるように、うん、うん、と可愛らしい小さな声で応えてくれる。


「茉莉枝、いいのよ。そんなに謝らなくていいの。私は貴女の人形だから。茉莉枝に会えたことが、私の幸せのすべてなのだから」



 幸せのすべて――?

 どういう意味なのか問い掛けるようにエレナの顔を覗き込んだ。


「人形にはね、秘密があるのよ」


 エレナは花がほころぶように微笑しながら、涙を拭うように私の頬を撫でくれた。



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