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3話

「僕は……一体誰……?」


 そういったおじさまは呆然と自分の掌を見つめていた。その姿があまりにも悲し気で、見ていられない気持ちになる。

慌ててカルヴィンが置いていったベルを鳴らした。すぐに二人分の足音が聞こえてきて、ドアがノックされる。


「失礼しますお呼びでしょうかお嬢様」

「おじさまが目を覚ましたの」

「お、そりゃよかった……って何をあんなに呆けてるんで?」

「それがね……名前が思い出せないんだって」

「……記憶が混濁しているのでしょうか……とりあえず私にお任せを」

「んじゃ俺ぁなんか温かい飲み物持ってきまさぁ」


 部屋を出ていくカルヴィンにいつの間にか目を覚ましたリオンがついていった。未だにぼーっとしているおじさまにコリーが歩み寄る。人の気配を感じたのか、おじさまはハッとした顔をした後、コリーを見上げた。


「はじめまして。私、イーリスお嬢様にお仕えしていますコリーと申します。いくつか質問させていただいてもよろしいでしょうか?」

「……うん。答えられるといいけれど」

「では、まずお名前をお伺いしても?」

「……それが思い出せないんだよね」

「なぜあの森に倒れていたのですか?」

「とても懐かしい感じがしたから……ここに来なきゃって思ったんだ」

「懐かしい感じ……とは?」

「うーん……説明が難しいんだけど……とても幸せな感じというか……うまく言えなくてごめんね」

「いいえ、大丈夫ですよ」

「戻りましたよっと」


 質問をするコリーの声を遮ったのはカルヴィンだった。人数分のカップが乗せられたワゴンを押して部屋の中に入ってきたカルヴィンは軽く頭を下げる。


「どーも、料理人のカルヴィンていいやす。とりあえず温かい物でも飲んでくだせぇ」

「……いいのかい?」

「もちろんでさぁ。アンタはお嬢の客人なんでね。食欲があるなら、消化に良さげなもん作ってきやすが」


 おじさまが返事をする前に、豪快にお腹の虫が鳴った。元な音におじさまは顔を真っ赤にしてお腹を押さえるけど、カルヴィンは青い瞳を細めて笑う。


「そんだけ元気に鳴くんなら、食欲はありそうですな。んじゃちゃちゃっと作ってきまさぁ」

「あ……」


 返事を聞かずに部屋を出ていったカルヴィンに、おじさまは困ったようにコリーと私を交互に見つめた。すごい申し訳なさそうにするおじさまがなんだか可愛く見えてしまう。

それはコリーも同じだったらしく、優しく微笑んで口を開いた。


「カルヴィンも言っていましたが、私たちはあなたを客人として扱わせていただきますので遠慮なさらないでください」

「カルヴィンの作る料理美味しいんだよ!」

「……じゃあ遠慮なく」

「はい、ホットミルクどうぞ」

「そちらを飲みながらでいいので質問にお答えください」


 ホットミルク入りのマグカップを両手で包んだおじさまはこくんと頷いた。


「思い出せる事は何かありますか?」

「ずっと……とても長い間暗くてじめじめしたところに閉じ込められていたのは、覚えてるよ」

「暗くてじめじめしたところ?」

「気づいたらそこにいたんだ。逃げ出そうなんて気も起きないくらい、頭がぼーっとして……でも、着けられてた首輪が、とても嫌だったのは覚えてる」

「首輪!?」

「穏やかじゃありませんね……」

「今はついてないみたいだけど……」

「そう、それが急に外れたんだ。そしたら、ここから出なきゃって気持ちが湧いて来たんだよ。不思議だよね」

「……それはまるで……」

「コリーなにか言った?」

「……いいえ、ただの独り言です」


 何か小さく言葉を漏らしたコリーだったけど聞き取れなかった。でも、なんだか誤魔化された気がする……。なんだか納得いかずにいるとコリーから頭を撫でられた。……今は聞かなかったことにしてあげる。

そんな私たちの様子を見ていたおじさまはとても微笑まし気にしてるけど、なんで?


「それで、その場所から逃げ出したんですか?」

「えっと、逃がしてもらったかな。よく僕に会いに来てくれた男の子が逃がしてくれたんだ。その後は、夜の街を必死に走って走って……森に入って安心して身体の力が抜けたのまでは覚えてるけど……」

「そして、今に至るわけなんでさぁな」

「うん。その通り」


 いつの間にか戻ってきていたカルヴィンがさらりと会話に加わる。彼が部屋に入ってきた瞬間、パン粥の甘く優しい香りが部屋に漂った。


「はい、熱いから気を付けてくだせぇ」

「ありがとう、いただくよ」


 カルヴィンからお皿を受け取ったおじさまは、息を吹きかけてパン粥を冷ます。一口パン粥を食べたおじさまの動きが止まった。そして、二口三口と冷ますこともせずに食べ進めたおじさまの綺麗な瞳からぼろぼろと涙が零れ落ちる。


「大丈夫?熱かったかな……コリーお水を……!」

「違う……違うんだよ……とても温かくて美味しくて……こんな美味しい物、いつぶりか思い出せない位……食べるのが久しぶりなんだ……」

「え……」


 涙を流し続けながらも、食べるのをやめないおじさまにどれだけひどい状況だったか何となくわかってしまった。あっという間にパン粥を食べ終わったおじさまは、苦笑いを浮かべる。


「大の男が泣くなんて情けないよね……待ってね、今止めるから」


 涙を止めようと目元を擦る姿を見て、無意識のうちにおじさまの頭を抱き寄せていた。驚いたように声を上げるおじさまの頭を撫でる。


「誰も見てないから、大丈夫だよ」


 誰かが見てる状況でなんか泣けないよね。ちらりとコリーとカルヴィンに目配せしたら、二人は一礼して部屋を出ていった。

おじさまの嗚咽を聞きながら、私はただただ彼の背中を撫で続けた。





「……恥ずかしいところを見せたね」

「私は何も見てないよ?」


 落ち着いたらしいおじさまは恥ずかしそうに笑いながら私を見る。おかしいなー私は何も見てないんだけどなー。そんな気持ちを込めて首を傾げる私におじさまは、目を細めた。


「ありがとう……イーリスちゃんは優しいね」


 そういっておじさまは私の頭を撫でる。撫でる手がとても温かくて、なにも嫌な感じがしない。なんか、とても落ち着く。


「……って急に撫でてごめんね」

「ううん。おじさまに撫でられるのは嫌じゃないから」

「そっか……良かった」


 その時、部屋の扉がノックされコリーが入っていた。おじさまが私の頭を撫でているのを見て、一瞬眉が動いたように見えたけどすぐにいつもの優しい笑顔を浮かべる。

それに気付いているのかいないのか、おじさまは私の頭から手を退けた。


「どうしたのコリー」

「そろそろお風呂の準備をしようと思います」

「うん、わかった。お願いねコリー」

「お風呂の準備?」

「毎晩井戸から水を汲んできてくれてるんだよ」

「……魔道具とかは?」

「魔道具のことはご存知なんですね」

「うん、なんか自分の事だけ思い出せないみたいで」

「さようですか。私は獣人なので魔道具が使用できないのです。それに、元々この離れには魔道具の類はおいてありませんので」

「……それなら僕が役に立てるかも」

「はい……?」


 珍しくきょとんとするコリーとおじさまは任せて、と微笑んだ。





 おじさまはコリーに呼んでもらったカルヴィンに肩を借りて、お風呂場に向かう。

たどり着いたお風呂場を見渡したおじさまは、これならいけるかなと呟いた。よろけながらも湯船に歩み寄ったおじさまは手を伸ばす。

その途端、ふわふわさんがおじさまの周りに集まった。


「……これでいけるはず……水よ!」


 凛とした声が響いた瞬間おじさまの周りのふわふわさんがすっと消えた。そして、おじさまの掌から水が溢れ出し、湯船を満たしていく。


「魔法……!?」

「ああ、エルフの魔法は初めて見やしたねぇ」

「すごいすごい!魔法が使えるんだね!」

「うん、身体が使い方を覚えてるみたい。エルフだからかもしれないけど」


 すぐに湯船がお湯で満たされるのを見て、やっぱり魔法ってすごいなって再確認する。

おじさまのおかげでお風呂の準備がすぐ終わったから、順番に入ることになった。

いつも通り、コリーにお風呂を手伝ってもらう。本当は一人で入れるんだけど、これでも侯爵家の令嬢だからと、コリーが引いてくれなくてこの形に落ち着いた。


「おじさま、魔法が使えるんだね。エルフってすごいなぁ」

「そうですね……お嬢様どこかしみたりしませんか?」

「うん、平気だよ」

「ようございました」

「……ねえ、コリーっておじさまの事、嫌い?」

「……なぜそう思われるのですか?」

「コリーとはずっと一緒にいるから、なんとなくわかるよ」

「さすがイーリスお嬢様……嫌いというのは少し違いますね。警戒している、と言ったほうがよろしいかと」

「うーん……悪い人じゃないと思うけどなぁ」


 私に言葉に、コリーはあいまいに微笑むだけだった。大丈夫だと思う理由をうまく説明できない私は、これ以上強く言えなかった。






「お嬢様、お客人の入浴が終わりました」

「大丈夫そうだった?」

「はい。カルヴィンにお世話を頼みましたから」

「そっか」

「お嬢様。カルヴィンとお客人について相談させていただきました」


 そう告げるコリーの表情はいつも通り穏やかで、なにを言われるかが予想できない。

本当はおじさまが元気になるまででいいから、ここに置いて欲しいんだけど……。いくら私がコリーの主人だとしても、子供であることには変わりない。決定権は私にはないんだ。

おそるおそるコリーを見上げる私に、彼女はふっと微笑んだ。


「そんな顔をされないでください。とりあえず、お客人が元気になるまで離れにいてもらうつもりです」

「いいの?」

「ええ、もちろん。悪い人ではないのでしょう?」


 コリーの青い瞳に映った私の表情はとても明るくて、我ながらわかりやすいと思ってしまう。そんな私を見て、コリーは表情を柔らげた。


「私はお嬢様の決めたことに従うまでですので」

「ありがとうコリー」

「ですが、私とカルヴィンが危険と判断したら、その時は従ってくださいませ」

「うん、わかった」

「ではお客人に会いに行きましょうか」


 コリーと一緒におじさまがいる部屋に行って、ドアをノックする。すると落ち着いた声でどうぞと返事があった。私が開ける前にドアが開かれたから、目線を上げるとカルヴィンが立っていた。

おそらくカルヴィンの物だと思われる夜着を着たおじさまがベッドの上で微笑んでいる。痛んでいた金色の髪は手入れされたらしく、肩をさらりと流れていてますます美しく輝いていた。短くなっているのは、酷く痛んでいた毛先を切ったからかな。

……どう手入れしてもくすんだ灰色の髪にしかならない私とは大違い。


「ゆっくり入らせてもらったよ、ありがとうイーリスちゃん」

「ううん、こちらこそお湯を溜めてくれてありがとう!」

「お安いご用だよ」


 手招かれてるままに、ベッドサイドに置かれたままだった椅子に座る。

おじさまはさらりと私の頭を撫でて微笑んだ。その顔に、お風呂に入るまで無かった丸眼鏡がかけられていることに気付く。


「あれ、その眼鏡どうしたの?」

「どうも見にくいらしくて、大旦那様の眼鏡を貸してるんでさぁ」

「この眼鏡、魔道具なんだね。かける人に合わせて度数が変わるんだ。おかげでよく見える」

「そういえば、おじいさまがかけてたのと同じだね」


 レンズ越しでもその綺麗なエメラルドはきらきらと輝いていてとても綺麗。


「あのねおじさま。コリーたちがおじさまが元気になるまでここにいていいって」

「……いいのかい?自分で言うのもなんだけど、僕とても怪しいよ?」

「お嬢が悪い奴じゃないって言うんなら、俺たちはそれに従うだけでさぁ」

「それに、衰弱している方を放り出すほど、私たちは鬼ではありませんから」

「旦那様には事後報告になっちまいやすが……まあ、奥様の尻に敷かれてやすが、悪い人ではないんでね、置いててくれるでしょうな」


 その通りではあるんだけど、あんまりな物言いをするカルヴィンはコリーに足を踏まれていた。見なかったことにしよう……。

そんな二人のやり取りにおじさまは不思議そうに首を傾げた。


「旦那様は留守なのかい?」

「どっかの家のご隠居が亡くなったとかで葬儀に参列されてまさぁ」

「オキセナモラ公爵家のご隠居ですよ。王家の血を引く方なので大規模な葬儀になっているのでしょうね」

「ああ、だからアンブロシア様まで参列してるっすね」


 葬儀の話を聞いたおじさまは私をちらりと見てくる。どうしたのだろうと見上げると、何でもないと首を振られ頭を撫でられた。変なの。


「ねえイーリスちゃん」

「なあにおじさま」

「僕に名前を付けてくれないかい?」

「え……?」

「いつまでも『おじさま』って呼ぶもの不便でしょ?それに……僕を見つけてくれた君に名前を付けてもらいたいんだ」


 真っ直ぐ私を見つめてくる穏やかなエメラルドに見とれてしまう。


「エメってどうかな?おじさまの瞳がエメラルドみたいに綺麗だから、エメ」

「エメ……うん、素敵な名前だね」


 そういってエメさんはとても嬉しそうに笑った。

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