第8話。潁川憲法。
作者メモ。
九卿
*三公に次ぐ官職で、秩石は中二千石。
内閣に相当します。
三公と九卿を合わせて公卿と呼ばれ、それが日本の御所に参内して国政を担う官職を公卿と呼ぶ由来です。
1…太常
宗廟(歴代皇室の墳墓)・儀式・祭祀を所管。
2…光禄勲
宮門の守衛を所管。
*五官・左・右・虎賁・羽林の中郎将も光禄勲に属す。
3…衛尉
宮門の守衛を所管。
4…太僕
国が所有する車・馬・兵器を所管。
5…廷尉
司法と刑罰を所管。
6…大鴻臚
朝貢した外国・異民族の管理と接遇を所管。
7…宗正
皇室の親族の管理と接遇を所管。
8…大司農
国家財政と朝廷の物品管理を所管。
9…少府
皇室財務を所管。
執金吾
天子(皇帝)・宮城内・都の警備を所管。
*場合によっては執金吾など中央官職も九卿に含まれる場合があるようです。
*一応所管業務の役割分担はあるものの結構アバウトで、取り敢えず有能な者や天子(皇帝)から信頼されている者を何かしらの九卿に就けておいて、所管に拘らず天子(皇帝)の勅命により必要な実務を行わせる場合もあるようです。
これは、後漢では、日食・月食・彗星などの天体活動、地震・落雷・台風・洪水などの自然災害、あるいは疫病や飢饉などが発生する度に、それを「天意(神様の意向)」と解釈して官職を変える慣行があり、頻繁に有能な高官を得意分野の職位から辞めさせなければならず業務の効率や連続性を維持する為に行われた施策だと推定されます。
「郭奉孝。お召しにより罷り越しました」
1人の若者が部屋の入口で挨拶をしてから、ズカズカと入室して来る。
三国志でもお馴染みの天才軍師である、あの郭嘉だ。
とはいえ、未だ数えで15歳(中学2年生)の小僧っ子だけれどね。
史実で郭嘉が神算鬼謀の計略を駆使して、主君の曹操を天下分け目の大戦である「官途の戦い」に勝たせるのは16年後の話だ。
今の郭嘉は、ちょっとヤンチャな中二病のガキんちょに過ぎない。
ま、郭嘉が間違いなく天才である事は認めるけれどさ。
この部屋と郭嘉がいた宿舎との距離を考えると随分移動が早かったけれど、左慈が転送で連れて来たのだ。
最近私の神力の徴収量が安定して多いからか、左慈達の霊力の使用頻度が以前よりも高くなっている。
ま、使う為に徴収している神力や霊力なんだから、霊力を行使する事自体は別に問題ないんだけれどね。
但し、ちょっとした距離の移動ですら頻繁に転移や転送を使うのは運動不足になるから、私は推奨していない。
私は結構歩いているよ。
毎朝の散歩が日課だ。
神である私や、仙である婉姈や麻姑や嬋娟や左慈達が転移や転送などを行使するには、その都度エネルギーとして神力や霊力が消費される。
ゲームのMPみたいなものだ。
神力と霊力は同じもので、単に呼称が変わっているだけ。
神の私にとっては神力だし、仙にとっては霊力という事だ。
神力や霊力はMPみたいなものだけれど、勝手に湧いたり時間経過で自然回復はしない。
毎日徴収する必要がある。
でも、徴収は自動で行われるから、私は特に何も面倒はない。
神力や霊力の源泉は、神や仙に対する民からの崇敬や信仰や感謝の念だ。
つまり、私の場合、私が統治する範囲内(塔里木帝国と潁川)にいる民が、神である私に対して崇敬したり信仰したり感謝してくれていれば、1人の民から毎日1単位の神力や霊力が自動的に徴収される。
民からの崇敬や信仰や感謝によって神力や霊力を徴収しているのは、私だけではない。
仙も同じシステムで霊力が徴収されている。
塔里木帝国では、婉姈と麻姑と嬋娟は、帝国民からの崇敬や信仰や感謝の対象だからね。
塔里木帝国と潁川の人口総数は、最近また増えて約800万人だ。
でも、私が徴収する神力は、日毎100万単位を少し超えるくらい。
つまり、神としての私は、対象人数の8分の1からしか崇敬も信仰も感謝もされていないという事。
私って嫌われてる?
いやいや、そうではない。
これでも相当に多いらしいんだよ。
応竜から教えてもらったけれど、こっちに私が転移する以前の天帝の神力の日毎徴収量は、多い日でも1千程度だったらしいからね。
つまり、形而上学的存在だった姿が見えない天帝よりも、姿が見えて民達に働き掛けられる今の私の方が、直接的な恩恵を与えられるから崇敬や信仰や感謝もされ易いって事なんだろう。
日本時代の私だって「いるか如何か分からない神様」なんかより、毎日通う職場近くのお弁当屋さんで唐揚げを1個オマケしてくれるおばちゃんの方が心からの感謝をしていたからね。
そして、崇敬や信仰や感謝と言っても生半可な気持ちじゃダメらしい。
それこそ、心の底から1mmの疑いもなく崇敬や信仰や感謝をしなければならないんだとか。
たぶん現代(未来)世界なら、世界三大宗教の信者全員を合わせても、神力の徴収量はもっと少ないと思うよ。
だから、毎日100万人に心からの崇敬と信仰と感謝をされている私は結構頑張っている方だ。
それに、神力や霊力は重複して徴収する事は出来ない。
つまり、1日1単位の神力を私にくれた民は、その日は婉姈や麻姑や嬋娟、そして左慈達に霊力を渡せないんだよ。
逆も然りだ。
だから、毎日コンスタントに100万人から神力を徴収している私は結構凄いと思う。
ま、神力や霊力は、私が配下の仙から収集したり、逆に私から配下の仙に分配したり出来ちゃうから、別に誰が徴収しても関係ないんだけれどね。
本来なら天帝は天界に居て、私みたいに人間が暮らす地上世界で自由に行動する事を想定していなかったから、こういう仕様になっているらしい。
「奉孝(郭嘉)。寝ている所を起こしてしまって悪かったね。こちらの皆様が、奉孝(郭嘉)から潁川法について説明して欲しいらしいんだよ。お願い出来るかな?」
私は、郭嘉に一応謝って、お願いする。
私は、立場の上下なんかに関係なく、誰に対しても謝るべきは謝るし、お願いするべきはお願いする主義なんだよ。
「はわぁ〜。ちっ……面倒臭。まあ、仙姫様からの命令ならば仕方ありませんね。で、皆様は『潁川法』の何を聞きたいんですか?」
郭嘉は、ポリポリと尻を掻きながら言った。
こいつ……欠伸と舌打ちをしやがったよ。
だから言わんこっちゃない。
それに、何て格好をしているんだか……。
郭嘉は既に就寝していたらしく、官服はだらしなく着崩しているし、髪の毛も冠からハミ出てボッサボサ。
その上、寝ていた所を起こされて連れて来られたので、明らかに不服そうな態度をしている。
ま、郭嘉の場合、寝間着姿で来なかっただけマシかもしれない。
こいつなら、そういう失礼な事をやりかねないんだよ。
「奉孝。こちらの御三方は、王刺史殿(王允)と、皇甫右中郎将殿(皇甫嵩)と、孔大儒殿(孔融)ですよ。きちんと身嗜みを整えなさい」
荀爽が「目の前にいるのは、偉い人達だ」と教えて、郭嘉を叱った。
「だって、元放殿(左慈)が急がせるから……」
郭嘉は口答えをする。
「私は、『見繕いは、それで宜しいのか?』と確認しましたよ」
左慈が言った。
「だって、仙姫様からの急ぎのお召しだって言うから……取り敢えず、着の身着のまま急いで来ました」
そんな屁理屈を……。
「奉孝。取り敢えず、その屏風の後ろで身嗜みを整えなさい」
荀爽が言う。
「はいはい……ったく、俺は眠いから来たくなかったのに、何で怒られなきゃならないんだよ。老い先短い爺様連中は、眠らなくても平気かもしれないけれど、成長期の若者には睡眠が必要なんだっての……」
郭嘉は、ブツクサと文句を言いながら、屏風の陰に入って見繕いを始めた。
郭嘉。
独り言のつもりなんだろうけれど、悪態が全部こっちに聞こえているんだよね……。
「申し訳ありません」
荀爽は、苦笑いしながら王允と皇甫嵩と孔融に謝罪する。
「私からも後で説諭しておきますので、何卒ご寛恕の程を……」
私もフォローした。
郭嘉は分家筋とはいえ、一応は三公を出すような名家の坊ちゃんなのに、本当に仕方がない奴だよ。
「いえいえ。若者は、あのくらい鼻っ柱が強い方が将来大成するものですよ」
王允が鷹揚に笑う。
しばらくして、多少はマシな格好に身嗜みを整えた郭嘉が席に座った。
「では、不肖なる郭奉孝めが、『潁川法』についてご説明申し上げます」
郭嘉は、礼をする。
身嗜みや態度さえピシッとすれば、郭嘉は荀彧や陳羣にも負けないくらいの才気走った俊英にしか見えない。
いつも、こうなら誰からも文句を言われないし、説教される事もないんだけれどね。
何はともあれ、郭嘉が「潁川法」の講義を始めた。
所謂「潁川法」は、「贈収賄禁止法」や「男女機会均等法」など個別の法規を包括する概念としての総称の意味もある。
これを私は個別の法規と分けて、特に「潁川憲法」と呼んでいた。
「潁川憲法」は「権利法」と「義務法」の2本の柱からなる。
まず「権利」とは、大前提として常に自他を完全な等価として扱われなければならない。
即ち、個人が持つ「権利」は、無条件で他者にも完全に同じ基準と重さで与えられている。
従って、他者の「権利」を侵害するような個人の「権利」などは絶対に存在し得ない事が全ての個別法規の概念の前提にある事を理解しなければならない。
例えば、「自分の主張は『言論の自由』(権利)として無条件に認められるべきだが、自分が気に入らない主張や反対意見は『差別』だから全て規制されるべき」などという整合性がない一方的な主張は絶対に認められないのだ。
「言論の自由」(権利)は、自分と正反対の主張をする人達に対しても常に同じ基準と重さで「権利」として完全に認められているのだから。
もちろん、差別をしてはならない事は言うまでもない。
これも、「全ての『権利』が誰に対しても等価である」という大原則に立脚すれば、差別を受けている人達の「権利」を侵害する事は誰にも出来ないのだから。
この時に重要な事は、何が「差別」なのかという定義だ。
「差別」とは、日本国憲法に拠れば「すべて国民は法の下に平等であって、人種・信条・性別・社会的身分又は門地により、政治的、経済的、又は社会的関係に おいて差別されない」という条文に規定されている。
また、慣習法としての国際法においては、「正当な理由なく不当な区別を設ける事は差別である」とされていた。
潁川法においても、これらの定義を踏襲する。
従って、これ以外は定義として差別ではない。
例えば、日本に対して国際法に反するような何らかの不当な要求をして来る他国に対して「国際法」という原則を踏まえて他国からの不当な要求を拒否する事は、正当な理由があるので差別でも何でもない事になる。
この大原則の上にある「潁川権利法」の概要を説明すると……。
「潁川権利法」の概念は、「全ての潁川の民は、生きる権利と、健康でいる権利と、自由である権利と、公正に扱われる権利と、個人の財産が守られる権利が認められていて、潁川の民は潁川内にいる限り、正当な理由なく何人からもそれらを脅かされない事を認めた法律」だ。
また「潁川権利法」によって、潁川の民には、信教・学問・思想・言論・集会・結社・職業選択・居住・移転の自由が認められてもいる。
これらの基本原則の下に「男女機会均等法」などの個別法規が規定されている訳だ。
「潁川義務法」の概念は、「全ての潁川の民は、潁川法を守る義務と、納税する義務と、正規の手続きに則って潁川で行われた契約を守る義務と、15歳未満の子供に教育を受けさせる義務と、毎年行われる健康診断を受診し規定に達した20歳以上の潁川の民は外部から攻撃を受けた際に潁川軍に加わって軍の指揮系統に基づき戦う義務を定めた法律」だ。
また「潁川義務法」は、「潁川の民は、潁川内において他者の権利を侵害してはならない」という、一部「潁川権利法」と重複する内容も含む。
大切な事は、繰り返し言って聞かせなければならないからね。
郭嘉は、こういう話を春秋時代や戦国時代、それから秦や楚漢戦争、前漢・後漢などの故事を引用しながら分かりやすく説明して見せた。
説明に全く間違いがないし、言葉にも全く淀みがない。
一通り説明した郭嘉は、王允と皇甫嵩と孔融からの質問にも当意即妙に回答して行く。
見事な講義で、聞き惚れてしまうようだ。
「……このように潁川では、必要な法を新しく作る際にも、『潁川憲法』という個別の法を全て包括する基本理念や基準が示されているので、潁川憲法に従えば必要に応じて個別の法も作り易く、複数の個別法の間に矛盾が生じるような事もありませんし、また裁判において判例がない問題にも潁川憲法の理念を基準とすれば判決に困る事もない訳です。極めて合理的、且つ実用的。素晴らしいものです」
郭嘉は、言う。
「なるほど。極めて理路整然としている」
皇甫嵩が深く頷きながら感心した。
「仰る通り。仙姫様は、このように天下に存在する様々な問題を全て論理と数理によって捉え、その合理的解決策を探る方法論の1つとして『法』を位置付けておられます。このような考え方は、私のような法家の家系に生まれた者にとっても極めて斬新で画期的だと思います。端的に言って、仙姫様は一代の智聖、あるいは学神ですよ」
郭嘉が言う。
「いや。これは私が考えた訳ではなく、私の生まれ故郷の人達が何千年も掛けて積み上げて来た叡智の結晶だからね」
私は、郭嘉の誤認を訂正した。
私の「生まれ故郷の叡智」とは、人類文明の始まりから現代(未来)までの歴史全てという意味になる。
つまり、その中には当然ながら、この後漢代までの歴史も含まれている訳だ。
だから、私の知識は全て誰かのパクりでしかない。
「もちろん仙姫殿のお考えが素晴らしいのは数々の書籍を拝読して存じているが、私が感心したのは郭後輩(郭嘉)の事だ。君は、まだ若いというのに極めて理知的だ。仙姫殿の陣営には、君(郭嘉)や荀家の両名(荀彧・荀攸)、陳家の俊英(陳羣)や、司馬秘書殿(司馬徽)や、管書事殿(管寧)など優れた若者が数多くいて羨ましい」
皇甫嵩は、称賛した。
「お褒めに預かり光栄です」
司馬徽が礼を言う。
「ふっ……あのくらいの説明は、仙姫様の書籍を1度読めば馬鹿にでも出来るので、大した事はありませんけれどね」
郭嘉は、鼻で笑いながら言った。
おいっ!郭嘉。
褒められてんだから、お前も司馬徽みたいに素直にお礼を言っておけ。
本当に口が減らないガキなんだから……。
その時、ドーーンッ!ドーーンッ!ドコドコドコ……という太鼓の音と「おーーっ!」という大勢の声が響いた。
ん?
これは軍鼓(軍隊に指示を送る太鼓)の音だ。
昔の軍隊には無線機なんかないから、全軍に指示を行き渡らせる為には、軍鼓や銅羅で大きな音を鳴らすか、旗のような視覚目標で行う。
軍鼓は、「ドーーンッ!」と長音で1回叩くと前進の合図で、2回なら突撃の合図。
「ドコドコドコ……」と短音で乱打する時は総攻撃の合図だ。
銅鑼は、「ジャーーンッ!」と長音で1回叩くと停止の合図で、2回なら後退の合図。
「ジャンジャンジャン……」と短音で乱打する時は退却の合図となる。
旗は、左に振れば左に進み、右に振れば右に進む合図。
軍鼓や銅羅の叩き方の基本は変えずに微妙な節回しを変えたり、旗の色を使い分けたりして、総軍の中の各部隊ごとに細かな指示を送れる訳だ。
もちろん伏兵による奇襲を仕掛ける場合には敵に気付かれるような事はしないし、敵軍を欺く場合などにワザと通常とは違う指示に変更する場合もあるけれどね。
つまり、この軍鼓の打ち方は「総突撃」という意味になる。
長社を包囲している黄巾軍が総突撃を命じたのか?
いや、違う。
音と声は、明らかに長社の城内から聞こえているよね?
つまり、「総突撃」の指示は、味方勢から発せられたものだ。
はっ?
私は、そんな指示は出してないんだけれど?
「元放」
私は、左慈に「状況確認をしろ」と指示する。
「はっ!」
左慈は走って部屋の外に向かい、姿が見えなくなった場所で即座に転移した。
この場にいるメンバーで、王允と孔融は、天帝や仙が転移などの特殊能力を使える事を知らないからね。
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