第5話。棚から羊羹(ようかん)。
作者メモ。
豫州(6郡)
潁川国(史実では郡)
汝南郡
陳国
梁国
沛国
魯国
*州治(州府)は沛国の譙県。
潁川(17県)
陽翟県
許県
長社県
潁陽県
潁陰県
輪氏県
襄県
襄城県
昆陽県
定陵県
舞踊県
郾県
臨潁県
新汲県
鄢陵県
陽城県
父城県
*国治/郡治(国府/郡府)は潁川の陽翟。
(184年時点)
軍議を兼ねた夕食が終わり、今は私の陣営が誇る腕利きの厨士達が作った甜品……つまり、スイーツが供されている。
戦時でなければ酒宴になる所だけれど、流石に敵軍に包囲されている状況で酒盛りをするのは気が引けるからね。
私の陣営では、私の現代知識と皆の努力の甲斐もあって、糖度が高く雑味が少ない上質なスクロースの高純度結晶……つまり白砂糖(グラニュー糖や上白糖)の開発と大量生産に成功した。
いや〜、グラニュー糖や上白糖の製法を正確に知らない状態から、良く作れたと思うよ。
「サトウキビや甜菜(サトウ大根)から汁を搾り、不純物をろ過して煮詰め続ければ、その内グラニュー糖になるんでしょ?」なんて考えは完全に甘かった……砂糖だけにね。
これは、黒砂糖の製法だ。
黒砂糖の製法の延長線上に、白砂糖はない。
黒砂糖と白砂糖は、系統学から言えば、もはや完全な別物だ。
グラニュー糖や上白糖は、農作物の加工品ではなく、もはや化学製品なんだよ。
それでも、如何してもスイーツが食べたくて禁断症状を起こし掛けていた私は執念で成し遂げた。
砂糖、キターーッ!
そのおかげで、私の陣営では甜品(スイーツ)の新商品開発も盛んなんだよ。
甜品(スイーツ)は、皆に好まれる。
子供や女性はもちろん、男性にもだ。
高齢の陳寔や鄭玄、壮年のオッサン連中、伐来や関羽みたいな酒好きで強面の武人も皆、甜品(スイーツ)には目がない。
現代日本では、男性や酒好きには甘い物が苦手な人もいるけれど、塔里木帝国でも漢でも男女を問わず「甘い物が嫌い」だという人には会った事がない。
現代日本人の繊細な味覚を持つ私には、「甘過ぎてクド過ぎる」と思うような菓子でも、こちらでは老若男女に大人気だ。
むしろ、「甘ければ甘い程良い」という乱暴な嗜好ですらある。
頑張って、ケーキとかクッキーとかプリンとかゼリーとかを開発したのに……。
「もう砂糖を舐めとけば」と許可を与えたら、こっちの人達は喜んで舐め続けるからね。
私が悪かった。
病気になるから程々で止めときなさい。
そのくらい甘い物は喜ばれる。
「そんなに甘い物が好きなら」と、一説には世界一甘いスイーツとも云われるインドのグラブ・ジャムンを記憶を頼りに再現して食べさせた時ですら、皆が喜んで食べていたからね。
グラブ・ジャムンは、平たく言うならドーナツのシロップ漬けだ。
インド人は、食事では信じられないくらい辛い物を平気で食べる癖に、スイーツでは反対に信じられないくらい甘い物が好きなんだよ。
私は個人的に、インド人は辛い物を食べ過ぎて味覚がバグってしまったんだと思う。
私の陣営の政商である楊文明商会の菓子売場で売れ筋No.1の人気商品は、何と羊羹だ。
羊羹は、羊肉の羹を意味する。
羹とは、肉や魚や野菜を煮込んだ汁物だ。
つまり、本来の羊羹とは「羊肉のスープ」の事なんだよ。
羊羹が小豆の餡を固めた菓子を意味するようになるのは、日本での話。
肉食を戒律で禁じた禅宗で、小豆を材料に羊肉に似せて作られた精進料理が羊羹と呼ばれた事が由来らしい。
但し、現代(未来)の中国や台湾には、日本から逆輸入された小豆餡を固めた菓子の羊羹がある。
日本の羊羹のレシピを再現した私がウッカリしていて日本語の羊羹のつもりで小豆を固めた菓子を呼んだので、それが漢でも定着しつつある。
皆は、「何で小豆餡を固めた菓子を羊羹と呼ぶんだろう?」と怪訝に思いながらも、「そういう物として飲み込もう」と受け入れてくれたらしい。
いやいや、「何か可笑しいな?」と思ったら、その時に直ぐ確認してよ。
私の自動翻訳機能は、時々とんでもない誤訳をする時があるんだから。
そういう訳で、日本の羊羹は、漢でも羊羹と呼ばれる事になった。
羊羹は、主に潁川の外から旅行や商売でやって来た人達から人気がある。
大量に購入して、積み上げて背負子で担いで行く人や、荷車や荷駄や荷舟に満載して行く人達もいるからね。
あんな量の羊羹を、1世帯で消費出来る訳がないから、あれは漢時代の転売ヤーか、あるいは業務用の仕入れなのかもしれない。
あの羊羹は、現代日本で買えるような洗練された高級和菓子なんかじゃなく、日本人が食べたら甘過ぎて歯が知覚過敏で「キーーンッ!」としそうな甘さの塊みたいな羊羹なんだよ。
そして、現代日本の美味しい羊羹と比べて、大きくて密度がギッシリ詰まっていてズッシリと重くて硬いから食感も悪い。
エスカレーターの手摺部分のラバーを噛んだら、多分こんな感じだと思う。
いや、実際にエスカレーターの手摺なんか噛んだ事はないけれどさ。
見た目のテクスチャーと持った感じが全く一緒なんだよ。
羊羹は、時代劇で握り飯が包まれていたり、現代でもチマキを包んで蒸したりする乾燥した竹皮で包まれて販売されている。
大きな羊羹1本は、持った感じが完全に煉瓦だ。
あれで殴られたら脳震盪を起こして卒倒するし、当り所が悪ければ死人が出るよ。
あの重厚で激甘の羊羹が何で飛ぶように売れているのか、当初私には皆目理解不能だったんだけれど、後から理由が分かった。
楊文明商会の会頭である楊文明(楊璞)本人から聞いた話だと、あの羊羹は、お菓子そのものと言うより保存食や製菓材料として使用され好評らしい。
干し肉・魚の干物・漬物・味噌……などが長期間腐らずに保存出来るのは、高い塩分濃度によって腐敗の原因になる細菌の繁殖を防ぐからだ。
高濃度の塩分に接触した細菌は、浸透圧で体内の水分が奪われて死滅する。
ナメクジに塩を掛けると縮むのも、浸透圧で体液が外部に流出してしまうから。
この浸透圧防腐作用は、砂糖の場合でも起きる。
糖分濃度が高い食品は、腐り難い。
あの甘〜い羊羹を買ったお客さん達は、あれを旅行中の高カロリー携帯食とする場合もあるけれど、大概は遠方に住む家族や親戚や友人の贈答品やお土産にしているらしい。
貴重な甘味は喜ばれるし、あの羊羹は日持ちするからね。
手を触れずに竹皮に包んだままなら、常温で1年保つそうだ。
密閉包装でもないのに賞味期限1年とかヤバい。
そして普通は、私みたいに、あの羊羹をそのまま囓る人はいないそうだ。
食べる時には、あの羊羹の塊を小さく切って茹でたり蒸して柔らかくしてから、栗や胡桃など他の具材と混ぜて、餅米や小麦粉の生地で包んで茹でたり蒸したりして食べるか、羊羹自体に水を加えて加熱してトロトロになった物をお汁粉のようにして味わうらしい。
つまり、製菓材料として、あの羊羹を使う訳。
一般の家庭だけでなく、料理屋や菓子屋でも甜品(スイーツ)の材料として使われているらしい。
試しに、そのレシピで激甘で硬い羊羹を食べてみたら、甘さが丁度良くなって美味しかった。
なるほど、私には想像も付かない工夫だよ。
というか……これって、そもそも私が、この小豆餡の菓子を、本来は羊肉のスープという意味の羊羹と呼んだ事が切っ掛けらしいんだよね。
ある日楊文明商会に「羊肉のスープ」という名前の何だか良く分からない黒い塊がお菓子のコーナーに置いてあったので試しに買って帰って、名前の通りスープ仕立てにして食べてみたら、「甘!何これ、羊肉かと思ったら小豆か?美味しいじゃん!」という事が起きたらしい。
私のミスとお客さんの勘違いによって、意図しない方向に発想がカッ飛んで魔改造が行われ、それが偶然良い感じになったという例なんだよ。
私もお客さん達も間違えたけれど、「棚からぼた餅」ならぬ「棚から羊羹」的な奇跡だね。
ま、こういう本来の意図とは違う応用も、文化の発展や多様化には必要な要素かもしれない。
「三国王の私兵は、一騎当千の強者揃いだそうですね?」
甜品(スイーツ)を美味しそうに食べながら孔融が訊ねる。
孔融は、豫州刺史の王允の幕僚だ。
孔融は、メッチャ太っているから甜品(スイーツ)が異様に似合う。
「国を揺るがす程の反乱が起きるくらい民衆が困窮している現在の漢で、こんなに肥満体って如何いう事?」って訊ねたくなるけれど、漢代には太っている事は醜いとは見做されず、美徳と解釈されていた。
「太っている人は栄養状態が良く裕福な証拠で、生活に余裕があり高貴な身分で、立派な人物だ」という評価になるらしい。
ま、それは生活に困らない士大夫層の価値観だけれどね。
流石に食うや食わずで、いつもお腹を空かしている貧困層は、肥満の人を見たら怨嗟の視線を向けるだろう。
黄巾の乱でも太っている人は、真っ先に黄巾の賊軍から狙われて殺されたらしい。
本当か嘘か分からないけれど、噂では「太っているから」という理由だけで黄巾の賊軍に捕まって生きたまま大釜で茹でらて食べられてしまった人もいるそうだ。
人間を食べちゃうとか……。
私の陣営にも、かつては蒯良と蒯越みたいに物凄い肥満体の配下がいたけれど、今は大分減った。
私が「肥満は諸病の元」という現代(未来)世界の常識を教化・布教して、生活習慣病予備軍のおデブ達をダイエットさせたからね。
蒯氏の2人だって、今は軽度のポッチャリだ。
孔融は、儒教の祖である孔丘(孔子)から20代目の直系子孫らしい。
だから世の中から尊敬されている。
ま、私は血筋とかに興味がない。
私の陣営には、「性悪説」を提唱した荀況(荀子)の子孫である潁川荀氏の荀爽や荀彧や荀攸、本当か如何かは知らないけれど「非攻不落」(自分からは侵略せず、城を守って負けない)を提唱した墨翟(墨子)の子孫を自称する墨勒もいるから、孔丘(孔子)の子孫くらいじゃ全然驚かないよ。
そもそも、私自身が天帝の現人神だしね。
でも、孔融は別に悪人という訳ではないようだし、声望の高さも孔丘(孔子)の子孫だからだけじゃなく、本人の品行や教養も評価されての事らしいから、邪険に扱うつもりはない。
「私の陣営の軍は、将はもちろん末端の兵卒に至るまで全員専業兵です。戦がない平時でも毎日ひたすら戦闘訓練と戦術研究に明け暮れているので練度が高く精鋭である事は確かでしょうね。しかし、『一騎当千』というのは言い過ぎですよ。1人で千人を撃破出来る武力を持つのは、私の陣営には私と他に3人の神仙だけですね」
私は、孔融の質問に答えた。
「ほ〜お、神仙の三国王に匹敵する武勇を誇る勇将が他に御三方もいらっしゃるとは凄い」
孔融は、感心する。
但し、私の答えは意図的に事実を隠していた。
嘘を付いている訳ではないけれど、私が孔融に説明した内容は、既に世の中に一端が知られている私の陣営の少し前の戦力評価であって、現在の私の陣営は約1800年分の軍事力の飛躍を果たしている。
かつて、私の陣営の対人撃破対被撃破比率の平均は100対1くらいだった。
私や、私の陣営の3人の神仙が突き抜けて撃破対被撃破比率を稼いでいたから、それ以外の前線の兵士は戦闘の度に結構な数が戦死している。
敵味方が肉薄する白兵戦では、単純な手数が物を言うから、寡兵の味方が大軍の敵とぶつかって近接戦を強いられると、武術の達人や十人力の豪傑でも数の暴力によって無残に揉み潰されてしまうんだよ。
私は、何度も配下との永遠の別離に泣いて来た。
だから、私は個人の武勇や鮮やかな計略に頼った旧来の戦闘ドクトリンを全面破棄し、火砲を主力とした火戦を軸に軍を再編した。
もちろん、銃火器や弾薬の開発が成功し、大量生産が始まった事が転機になったのは言うまでもない。
だから、塔里木帝国軍も潁川軍も鎧なんか着ない。
私達は、迷彩の戦闘服にヘルメット姿で戦う。
私達は、馬にも乗らない。
かつては最強の兵科だった騎兵も、火力と弾幕の前には、物資を無駄に消費するだけの負荷という事実以外には何の意味も持たないからだ。
今の私の軍には、無双の猛将なんかいらない。
勇敢な英雄もそうだ。
史実より1800年も早く軍の近代(未来)化を達成した我が軍は、これからの戦争では圧倒的な撃破対被撃破比率を叩き出すだろう。
私達は、近代(未来)兵器で無双する筈だ。
第一次世界大戦後、当時英国の海軍大臣サー・ウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチルは、こう記した。
戦争から煌きと魔術的な美がついに奪い取られてしまった。
アレクサンダーやシーザーやナポレオンが兵士達と危険を分かち合いながら馬で戦場を駆け巡り帝国の運命を決する……そんな事はもうなくなったのだ。
これからの英雄は、安全で静かな事務室にいて書記官達に取り囲まれて座っている。
一方何千という兵士達が電話一本で機械の力によって殺され息の根を止められる。
これから先に起こる戦争は、女性や子供や一般市民全体を殺す事になるだろう。
やがて、それぞれの国には大規模で際限のない一度発動されたら制御不可能となるような破壊の為のシステムを生み出す事になる。
人類は初めて自分達を絶滅させる事が出来る道具を手に入れた。
これこそが人類の栄光と苦労の全てが最後に到達した運命である。
但し、私は先制攻撃と侵略戦争において、これらの近代(未来)兵器を使わない。
というか、先制攻撃も侵略もする気はないんだよ。
私が元自衛官だからだ。
専守防衛。
「そんな考えは甘い。日本人は平和ボケだ」と言われるかもしれない。
でもね、かつて私が所属していた自衛隊は、日本国民が、ずっと「平和ボケ」でいられる日本を守る為に血道を上げ、体を張り、命を懸けて来たんだよ。
お読み頂き、ありがとうございます。
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*本作の舞台となる時代背景的に非常用漢字が多用されていますので、文字化けが起こるかもしれません。
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