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第3話。贈収賄禁止法。

作者メモ。


司馬徽(しばき)の年齢問題。


史実の司馬徽(しばき)は、諸葛亮(しょかつりょう)徐福(じょふく)徐庶(じょしょ))らの師匠として有名です。

司馬徽(しばき)は、乱を避けて荊州(けいしゅう)(なん)郡・襄陽(じょうよう)に移り住み龐徳公(ほうとくこう)に兄事(兄と慕って仕える事)しました。

故郷(陽翟(ようてき))の乱を避けたなら、黄巾の乱(184年)か、牛輔(ぎゅうほ)董卓(とうたく)の娘婿)の潁川(えいせん)略奪(192年)のどちらかの時点です。

おそらく192年か?


龐統(ほうとう)伝によれば、司馬徽(しばき)龐徳公(ほうとくこう)龐統(ほうとう)の叔父)より10歳年下との記述があります。

龐徳公(ほうとくこう)は163年生まれだと判明しているので、つまり司馬徽(しばき)は173年生まれという事になります。


でも、これは物凄く怪しい……。


何故なら、司馬徽(しばき)陽翟(ようてき)から襄陽(じょうよう)龐徳公(ほうとくこう)の屋敷の隣に引っ越して開いた私塾の門下生には、向朗(しょうろう)がいました。

向朗(しょうろう)は生年不明ながら没年は247年で、80歳過ぎまで生きたとの記述があるので、167年以前に生まれたと判明。

師の司馬徽(しばき)より門下生の向朗(しょうろう)の方が最低でも6歳以上年長。


儒教文化で長幼の序を重んじる漢代で、年長の向朗(しょうろう)が年少の司馬徽(しばき)に師事するでしょうか?

作者は「ない」と考えました。


従って、本作の司馬徽(しばき)の年齢は、兄貴分の龐徳公(ほうとくこう)(163年生まれ)より年少で、門下生の向朗(しょうろう)(最低でも167年以前生まれ)より年長の164年生まれという設定になっています。

つまり、作中の黄巾の乱(184年)時点では大学生くらいの若者です。

 本陣には、私の陣営から現地長社(ちょうしゃ)県令(けんれい)(県知事)の鍾繇(しょうよう)を始め、私の潁川(えいせん)国府の軍団を統率する軍師の荀攸(じゅんゆう)、私付きの秘書官である司馬徽(しばき)、私専属の親衛隊長である関羽(かんう)という面々の他に、豫州(よしゅう)刺史(しし)王允(おういん)と、王允(おういん)の幕僚である荀爽(じゅんそう)孔融(こうゆう)右中郎将(ゆうちゅうろうしょう)皇甫嵩(こうほすう)左中郎将(さちゅうろうしょう)朱儁(しゅしゅん)が同席している。


 州は郡の上位行政区分で、州刺史(しし)は州の長官だ。

 但し、州刺史(しし)は各郡の観察官としての役割が主で、平時には徴税権や警察権や限定的ながら軍権を持つ郡の太守(たいしゅ)の方が権限が強くて、秩石(ちっせき)(官吏の序列)も俸禄(ほうろく)(給料)も高い。


 でも、現在豫州(よしゅう)は黄巾の賊軍に攻められていて戦時下だ。

 だから、豫州(よしゅう)刺史(しし)王允(おういん)は、天子(皇帝)の代理を意味する(せつ)が与えられていて権限が強化されている。


 王允(おういん)は、立ち居振る舞いや私や私の配下に対する態度が丁寧で、とても好感が持てる人物だ。

 史実では、後に三公(さんこう)(最高位の大臣)の長である司徒(しと)になるだけの事はある。


 たぶん、王允(おういん)の幕僚を務めている荀爽(じゅんそう)が、私の事を良い感じに伝えてくれたからだね。

 久しぶりに荀爽(じゅんそう)にも会えたから嬉しいよ。


 私達は、夕食を取りながら軍議を行っている。


 とはいえ、陳諶(ちんしん)曹操(そうそう)の援軍を連れて来るまで、しばらく戦闘の予定はない。

 夕食のお供に飲酒も許可したので、皆は大喜びだ。


 私の陣営には、塔里木(タリム)帝国から輸入した葡萄(ぶどう)酒や、この時代には未だ存在しない醸造酒(所謂(いわゆる)日本酒)や麦酒(ビール)や蒸留酒(焼酎やブランデー)もある。

 私からの贈答品として、天子(皇帝)や朝廷の高官や各地の名士にも大人気だ。


 でも、一応戦時だから酩酊(めいてい)するまで呑んだら駄目だよ。

 私の陣営が造る酒類は、アルコール度数が高いんだからね。

 籠城中、お酒は1日3杯までとさせてもらう。


 三国志で「酒を10斗飲む」なんて逸話が出てくるのは、中国史書にありがちな誇張も少し入っているんだろうけれど、この時代の酒のアルコール度数が低いからだ。

 漢の酒類は、(がい)して酔っ払うより先に満腹になるようなものばかりなんだよ。


 それから単位の規格も違う。


 斗という単位は、日本人なら一斗缶(約18(リットル))をイメージするように大きい。

 現代日本の感覚なら、10斗の酒は180(リットル)

 とてもではないが、一度の酒宴で人間に飲める量じゃない。


 現代中国の1斗は10(リットル)

 後漢の1斗は約2(リットル)だ。


 10斗の酒なら20(リットル)という事になる。

 酒豪(事実上の大食い)が食事をせずに、ひたすら酒だけを飲み続ければ、一晩で10斗は飲めるかもしれない。


 漢の官職で中郎将(ちゅうろうしょう)とは、所謂(いわゆる)漢の天子(皇帝)から任命される軍の方面司令官だ。

 黄巾の乱鎮圧の為に、大将軍何進(かしん)の元、左右北東の4中郎将(ちゅうろうしょう)が任命されている。


 つまり、豫州(よしゅう)刺史(しし)王允(おういん)と、右中郎将(ゆうちゅうろうしょう)皇甫嵩(こうほすう)と、左中郎将(さちゅうろうしょう)朱儁(しゅしゅん)は、私の陣営の配下ではなく天子(皇帝)の臣下だ。


 指揮命令系統が複数になると、ややこしい事になるけれど、ここにいるメンバーでは一応私の官位と官職が一番高いから、王允(おういん)皇甫嵩(こうほすう)は私の指示に従ってくれている。

 朱儁(しゅしゅん)は、不本意そうに嫌々従っている様子だけれど、こいつの事は無視して構わない。


 朱儁(しゅしゅん)は、私はもちろん王允(おういん)皇甫嵩(こうほすう)よりも格下の雑魚だからね。


 日本では「左上右下(さじょううげ)」と云って左官が右官より高い格式になるけれど、漢では反対に右官が左官に優越する。

 あ、左官(さかん)と言っても、壁や塀にモルタルを塗る職人さんの事じゃないよ。


 つまり、右中郎将(ゆうちゅうろうしょう)皇甫嵩(こうほすう)の方が、左中郎将(さちゅうろうしょう)朱儁(しゅしゅん)より偉い。


 そして、私の官位・官職の正式名称は、「使持節(しじせつ)開府(かいふ)儀同三司(ぎどうさんし)潁川(えいせん)王」という長ったらしいものだ。


 使持節(しじせつ)……天子(皇帝)の代理として管轄領域(潁川(えいせん))の軍権と裁判権を持ち、管轄領域(潁川(えいせん))で法や軍規に違反した(三公(さんこう)九卿(きゅうけい)より下位の官職)の者を天子(皇帝)の許可なく処罰出来る。

 開府(かいふ)……独自の幕府を開き、属官を任命出来る。

 儀同三司(ぎどうさんし)……三公(さんこう)(最高位の大臣)と同等の儀礼と待遇を受ける。

 潁川(えいせん)王……潁川(えいせん)国(郡)に(ほう)ぜられた諸侯王。


 つまり、私は超偉いんだよ。

 私に対して朱儁(しゅしゅん)が不貞腐れた態度を取る事なんて、本来あり得ない。


 王允(おういん)は私を立ててくれているし、皇甫嵩(こうほすう)は以前からの知己(ちき)だから問題ない。

 でも、朱儁(しゅしゅん)は、西域(さいいき)から来た胡人(こじん)(外国人)で、尚且つ男尊女卑の習慣が強い漢では低い扱いを受ける女の私に対して、何やら腹に含む所があるらしい。


 人種差別と性差別?


 ま、漢にはポリコレなんかないんだけれどさ。


 朱儁(しゅしゅん)が私に対して態度が悪いのには、理由がある。

 それは、朱儁(しゅしゅん)側の愚にも付かない理由で、道理には合わないけれどね。


 先月、朱儁(しゅしゅん)が黄巾の乱鎮圧軍の1将として私が統治する潁川(えいせん)内に布陣した際、私の陣営の管寧(かんねい)は私の指示で朱儁(しゅしゅん)の陣に出向き陣中見舞いとして大量の補給物資を届けた。

 その時に、朱儁(しゅしゅん)は、私の陣営(うち)管寧(かんねい)に向かって賄賂を要求して来たらしい。

「賄賂を寄越せば、朝廷に口を利いてやる。そうすれば出世出来るぞ」と。


 私は、朱儁(しゅしゅん)軍の為に見返りなしの無償の善意で補給物資を届けてやった。

 にも拘らず、その補給物資を届けた私の陣営の配下に向かって「賄賂を寄越せ」だと?


 私は、官位でも官職でも、朱儁(しゅしゅん)より数段格上だ。

 そして私は、「贈収賄禁止法」という潁川(えいせん)の国内法を作って、朝廷を始め内外に通達している。


 もちろん管寧(かんねい)は、朱儁(しゅしゅん)からの賄賂要求を断った。


 潁川(えいせん)の贈収賄禁止法は、賄賂を要求したり受け取った側だけでなく、賄賂を渡したり誰かから賄賂を要求された際にその事実を司法機関に報告しなかった側も処罰される。

 だから管寧(かんねい)は、朱儁(しゅしゅん)から賄賂を要求された事実をキチンと報告した。


 他所(よそ)から潁川(えいせん)にやって来た文字が読めない一般市民ならともかく、朝廷から官職を受けている朱儁(しゅしゅん)潁川(えいせん)法を知らなかったとは言わせない。

 そして私は、天子(皇帝)から使持節(しじせつ)を授けられているから、潁川(えいせん)法に違反した朱儁(しゅしゅん)を逮捕して処罰する権限がある。


 反省する様子が見えないなら、本当に首を()ねるよ。


 その後に朱儁(しゅしゅん)は、波才(はさい)率いる黄巾軍と会戦に及び、大敗して長社(ちょうしゃ)に逃げ込んで来た。

 その際、朱儁(しゅしゅん)は、私が送った補給物資を、そっくり黄巾軍に奪われている。


 本当に無能だ。


 波才(はさい)は、敗走する朱儁(しゅしゅん)軍を追撃して、現在この長社(ちょうしゃ)を包囲している。

 つまり、黄巾の賊軍が勢い付いて長社(ちょうしゃ)を包囲している原因は、無能な朱儁(しゅしゅん)の責任だ。


 それにしても、朱儁(しゅしゅん)軍は漢の正規軍なのに、(ろく)な装備もない農民反乱軍に負けるなんて弱過ぎない?


 ま、農民軍とはいえ、黄巾の賊軍は死を恐れない狂信者達だから、練度と士気が低い急ごしらえの官軍が苦戦するのも致し方ない面もあるんだけれどね。

 でも、私は、この朱儁(しゅしゅん)の事がムカつくし大嫌いだから、無能な雑魚だと認定した。


 黄巾の乱の鎮圧作戦の当初予定では、潁川(えいせん)方面は朱儁(しゅしゅん)が対応し、皇甫嵩(こうほすう)南陽(なんよう)方面に出陣する筈だったらしい。

 でも、ご存知の通り、朱儁(しゅしゅん)は、黄巾の農民軍に惨敗して長社(ちょうしゃ)に逃げ込んだから、皇甫嵩(こうほすう)も援軍として長社(ちょうしゃ)に入城する羽目になった。

 皇甫嵩(こうほすう)も、まさか朱儁(しゅしゅん)が農民軍に負けるとは思わなかっただろうね。


 公然と賄賂を要求するクズの犯罪者な上に、役立たずの無能って、もう朱儁(しゅしゅん)は必要ないよ。

 黄巾の乱鎮圧に……というか世の中に。


 私は、長社(ちょうしゃ)に逃げ込んで来た朱儁(しゅしゅん)に対して「賄賂を要求した件」を厳しく抗議した。

 朱儁(しゅしゅん)は当初否定していたけれど、誤魔化せないと悟ると、「潁川(えいせん)に贈収賄禁止法なるものがあるとは知らなかった」と弁解したんだよ。


 違法行為の取り締まりに際して、「そんな法律は知らなかった」という言い分は通らない。


 とはいえ、今は黄巾の乱が起きている緊急事だから、私からの厳重注意と再発防止の完全な履行で赦す事にした。

 もちろん配下の将兵も含めてね。


「今は、族の討伐が最優先の緊急時ですから、今回だけは特別な配慮を以って罪には問いませんが、次はありませんよ」

 私は笑顔で釘を刺した。


「ぐぬぬ……」

 朱儁(しゅしゅん)は、胡人(こじん)(外国人)で女の私から叱責された事が面白くないらしい。


 そして、その後も朱儁(しゅしゅん)は、「賄賂など要求した事も渡した事もない。生涯に一度もだ」とか何とか愚痴愚痴と言い訳をしていた。


 はい、嘘だね。

「語るに落ちる」とは、この事だよ。


「なるほど。(しゅ)左中郎将(さちゅうろうしょう)殿(朱儁(しゅしゅん))は、若い頃から義を(たっと)び、財貨には執着しない気風(きっぷ)の良い方だという評判ですからね」

 私は、朱儁(しゅしゅん)に言った。


「その通りですな」

 朱儁(しゅしゅん)は、満更でもない様子で頷く。


「しかし、(しゅ)左中郎将(さちゅうろうしょう)殿(朱儁(しゅしゅん))は、『(おおやけ)の法よりも個人の義を重んじる独善的な御仁(ごじん)だ』という良くない噂もありますよ」


「何をっ!私を愚弄(ぐろう)なさるか?」


「以前、(しゅ)左中郎将(さちゅうろうしょう)殿(朱儁(しゅしゅん))が会稽(かいけい)郡の郡吏(ぐんり)だった頃、上司の(いん)太守(たいしゅ)殿(尹端(いんたん))が、賊の許昭(きょしょう)の討伐に失敗し、観察役の(ぞう)揚州(ようしゅう)刺史(しし)殿(臧旻(ぞうびん))の上奏により『職務怠慢』で処刑され掛けた事がありましたよね?その時、(しゅ)左中郎将(さちゅうろうしょう)殿(朱儁(しゅしゅん))は密かに雒陽(らくよう)洛陽(らくよう))に向かい役人に賄賂を握らせて、(ぞう)揚州(ようしゅう)刺史(しし)殿(臧旻(ぞうびん))の上奏文の内容を書き変えさせましたよね?おかげで、(いん)太守(たいしゅ)殿(尹端(いんたん))は減刑され処刑を免れました。大変に上司想いの行動です。但し、悪法でも法。人助けの為でも賄賂は賄賂です。これを(ないがし)ろにしては、天下の正道は立ち行かなくなりますよ。お分かりですか?(しゅ)左中郎将(さちゅうろうしょう)殿(朱儁(しゅしゅん))」


「なっ!何故それを?」


「私は、国中に間諜(かんちょう)を放っていますので、色々な情報を知っているのですよ」


 私がスパイ網を構築しているのは本当だけれど、今回の件は、「朱儁(しゅしゅん)が賄賂を渡して上奏文を書き変えさせた史実」を知っていたからだけれどね。


 こうして私は、賄賂の件について朱儁(しゅしゅん)に事実を認めさせ、謝罪させて、反省文を書かせた。

 だから、朱儁(しゅしゅん)は機嫌が悪い。

 つまり、自業自得だ。


 因みに、漢では賄賂が合法な訳ではなく、一応は贓罪(ぞうざい)(贈収賄罪)という「役人が賄賂を貰う事を禁ずる法」がある。

 でも、贓罪(ぞうざい)(贈収賄罪)を取締り摘発する役目の役人達こそが、世の中で最も積極的に賄賂を要求して来るんだよ。

 今の漢が腐りきっている証拠だね。


 賄賂の罪を揉み消す為に賄賂を払う……こうなって来ると、もはや救いようがない。


 とはいえ、一応漢にも「賄賂は善くない」という社会通念はある。

 但し、全く贈収賄をやっていない官吏(かんり)(役人)は、本当に僅かしかいない。


 陳寔(ちんしょく)と彼の一族は、贈収賄をやっていなかったけれどね。

 だから、私が最初に会いに行った時、(ちん)家は名門の筈なのに使用人が1人もいなくて、超貧乏だった。

 お客の私をもてなす準備の為に、ガチで衣類とか家財道具を売り払いに行こうとしていたからね。

 必死に止めたよ。


 陳寔(ちんしょく)の一族みたいに贈収賄をしない清廉潔白な人達は、漢では圧倒的少数派だ。

「賄賂を拒否する清廉な人柄だ」なんて、()えて史書に記載されているという事は、「普通はそうじゃない」という事だからね。


 そもそも今の漢では、賄賂を渡さないと出世出来ないし、上位者から賄賂を要求されて断ると、讒言(ざんげん)(嘘も含めた悪評を言い触らす事)されて左遷されたり罷免されたり、酷い場合は冤罪をでっち上げられて処刑される事もある。


 私の陣営では賄賂を渡すのも受け取るのも認めないけれど、私の陣営に入る以前の贈収賄に関しては、ある程度は大目に見なくちゃならない。

 過去に贈収賄をやっていた者を全員排除していたら、漢では人材が集められないからね。


 例えば、長社(ちょうしゃ)出身で地元の名士として声望が高い鍾繇(しょうよう)だって例外じゃない。

 彼も贈収賄を行なっていたクチなんだよ。


 長社(ちょうしゃ)県令(けんれい)鍾繇(しょうよう)は、私の陣営に加わる前は、潁川(えいせん)郡(当時は私が潁川(えいせん)王に(ほう)ぜらる前で、自治体呼称は郡だった)の功曹(こうそう)だった。

 功曹(こうそう)は、郡の役人の採用人事や評価査定を担当する。


 漢で各郡の太守(たいしゅ)は、本籍地がある地元には赴任出来ない決まりがあった。

 これは、地元の既得権者と結び付いて私腹を肥やしたりしないようにする制度なんだよ。


 でも、太守(たいしゅ)の下で働く郡の役人は、基本的に地元から登用される。

 特に、功曹(こうそう)は強力な権限を持つから、()()()()()()財産を築く事も出世する事も可能だ。


 つまり、功曹(こうそう)の役割である採用人事や評価査定に手心を加える替わりに賄賂をもらい、その賄賂を上位の権力者に渡して出世するという汚職スキームだね。

 後漢末は、賄賂が何より物を言うんだよ。


 これは、漢で行われている「郷挙里選(きょうきょりせん)」という官吏(かんり)登用システムが賄賂の横行を許し、汚職の温床となっている事も関係している。

 郷挙里選(きょうきょりせん)とは、高官や元高官や地方の有力者が、朝廷の国家官僚や、州・郡・県などの地方官に、地元の優秀な人物を推薦・紹介する、平たく言えば公務員をコネで採用する仕組みだ。


 こんな馬鹿なシステムが行われている理由も一応ある。


 前述の通り、郡太守(たいしゅ)などは癒着を防ぐ為に地元出身の人物を任用しない。

 例えば、汝南(じょなん)郡の太守(たいしゅ)は、汝南(じょなん)以外の他郡から採用される。


 他所(よそ)から来た太守(たいしゅ)は、汝南(じょなん)固有の問題や地域事情を知らないから、地元から部下を登用して、それを補うという訳だ。

 また、地元の者が、昔から良く知っている人物を推薦・紹介するのだから、一度の面接で採用するより人物評価の信頼性が高い。

 そして、推薦者は自分が推薦・紹介した人物が仕事が出来なかったり悪さをすれば間接的に責任を問われるので、明らかに無能だったり平素から素行が悪い人物を推薦・紹介しない。

 人材の能力や人柄について一定の水準は保たれる。


 でも、こういうメリットは、コネ採用のデメリットを相殺しない。

 明らかに、デメリットの方が勝ち過ぎている。


 そもそも、郷挙里選(きょうきょりせん)では、賄賂が横行するというリスクを軽く見過ぎだ。

 これは、孟子(もうし)が提唱し、後の儒教の基本思想を形成している「性善説」の悪い影響だと思うよ。

お読み頂き、ありがとうございます。

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*作中の時代背景上、非常用漢字を多用しておりますので文字化けがあるかもしれません。


・・・


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