第2話。私の蕭何。
作者メモ。
字は、成人(数えで男性20歳、女性15歳)になると名乗る通名です。
基本的に字は漢字二文字で兄弟・姉妹の長幼が分かる法則があります。(例外はありますが……)
8人兄弟・姉妹の場合は、長子から伯(孟・元・長)→仲→叔→季→顕→恵→雅→幼(稚)という順番になります。
司馬家の8人兄弟(司馬八達)は、この法則通りで司馬懿(仲達)は次男ですし、曹操(孟徳)や孫策(伯符)などは長男だと判明します。
また、馬氏の5人兄弟(馬氏五常)の馬良(季常)・馬謖(幼常)は、それぞれ四男・五男だと判明し、2人には史書に名前が出て来ない(伯常・仲常・叔常)の字を持つ3人の兄がいると推定出来ます。
但し男子と女子は別々に法則が適用されるので、例えば女・男・男・女という順番で4人生まれた場合には、長女(伯)・長男(伯)・次男(仲)・次女(仲)という事になります。
伯・仲・叔・季などが全く使われない場合もあります。
兄・諸葛瑾(子瑜)、弟・諸葛亮(孔明)。
漢の都市は、基本的に周囲を城壁で守られている。
つまり、都市は城と同義だ。
小さな集落でも大半は氏族が集住し土塁などの防衛機能を有する邑と呼ばれるコミュニティを形成する。
歴史的に様々な異民族の侵入に悩まされて来た中国大陸では、防衛機能がないとコミュニティを維持出来ない。
また、余りにも国土が広過ぎて地方に目が届き難く、中央集権の箍が緩むと反乱が起き易いという難しい事情もある。
後代にユーラシア大陸を、あと一歩の所で征服し掛けた最強のモンゴル帝国も短期間で四分五裂した。
今でこそ滅び掛けているとはいえ、漢が400年も広大な領土の統治を維持して来たのは、十分に偉業と呼んで差し支えないんだよ。
そういう意味で、四方を海に囲まれた手頃な広さの日本は幸せなのかもしれない。
現在、私がいる城塞都市の長社は、黄巾の賊軍(約10万人)による包囲を受けていた。
私は、長社県府に仮設された本陣にいる。
行政区分上、長社県や陽翟県の上位に、潁川国がある。
その上が豫州で、その上が漢だ。
国と言っても、潁川は漢の一地方自治体に過ぎない。
本来なら、豫州の中にある郡という位置付けになる。
ただし、王の称号を持つ者が郡の統治者に封ぜられた際には、自治体の呼称が郡ではなく国に変わるのだ。
従って、漢代の王は、天子(皇帝)の臣下の1人に過ぎない。
私が統治する潁川の上位行政区分の豫州内には、他にも陳国や梁国や沛国や魯国などの王国を称する郡があり、それぞれ漢の皇族の劉氏が封ぜられている。
豫州6郡で国を称さない郡は、史実では潁川と汝南の2郡だが、現在の世界線では私が潁川王に封ぜられたから、汝南1郡しかない。
豫州に王国が多いのは、天子(皇帝)が座す都の雒陽(洛陽)に近いという理由もあるけれど、土地が肥沃で人口も多く豊かだからだ。
豊かだから、漢の皇族が封ぜられて甘い汁を吸っている訳。
つまり、潁川は、王の称号を持つ私が統治するから、国を称する。
そう、私は女王様(SMのではない)なんだよ。
「元常先生。物資は足りている?」
私は、長社の県令(知事)である鍾繇に訊ねる。
元常は、鍾繇の字だ。
「はい。陳真君様から十分な兵糧を送って頂きましたので、この先1年でも2年でも籠城に耐えられます」
鍾繇は、答える。
鍾繇は、日本とも関係が深い。
史実の鍾繇は、政治家や官吏(官僚)であると同時に高名な書家でもあった。
日本語の漢字表記で字体を崩さない楷書は、実は鍾繇が書いた鍾繇体が元になっている。
「そんなに長く籠城する気はないよ。あと数日もすれば、季方先生(陳諶)が、曹騎都尉殿(曹操)を連れて戻って来る。援軍が到着して城の内外から挟撃する格好になれば、賊軍は不利を悟って撤退するだろうからね」
「陳真君様(陳紀)からは、『必要ならば追加の物資も送る』と言われておりますが?」
「元方先生(陳紀)は、用意周到で万事に滞りがないからね。でも、たぶん追加物資は必要ないよ」
私は、この黄巾の乱の長社の戦いの結末が、史実で如何なるか知っているからね。
歴史の修正力が働くなら、長社の包囲は1年も続かない。
「畏まりました」
陳真君とは、私が漢の天子(皇帝)から諸侯王として封ぜられた潁川の王国相(宰相)である陳紀の敬称だ。
「陳さん家の真の徳を身に付けた偉い君子」という意味らしい。
漢から時代を遡って戦国時代に活躍した四君……つまり、斉の孟嘗君(田文)・趙の平原君(趙勝)・魏の信陵君(魏無忌)・楚の春申君(黄歇)みたいなものだ。
陳紀は、曹操に援軍を頼みに行っている陳諶の兄で、後代に魏朝を建てる曹丕の元で「九品官人法」を起草する陳羣の父親でもある。
相とは、「補佐する者」の意味だ。
本来、後漢の王の補佐官は、諸侯相と呼ばれる。
諸侯相は、漢の封建領主である諸侯王の領地を実質的に統治・運営する役割。
漢の諸侯王は、基本的に皇族がなるから、能力ではなく血筋が採用基準だ。
だから、王の中には、とんでもない無能もいる。
なので、王に代わって政務を執り仕切れる有能な補佐官が必要な訳。
その諸侯相と、陳紀の官職である王国相との違いは?
それは、潁川王である私の家門が三国氏だからだ。
後漢では、原則として王は天子(皇帝)の一族(劉氏)しかなれない。
例外は、別姓でも特別に素晴らしい功績があった者か、漢に朝貢して天子(皇帝)から冊封された外国の君主の場合だ。
私は、一応後者の範疇に入る。
私は、表向き塔里木帝国の女帝の全権代理という立場だ。
本当は、神様なんだけれどね。
外国の王の代理である私が、何で漢の国内に領地を持つのか?
ま、私にも色々とややこしい事情があるんだよ。
だから、陳紀は、漢の皇族である(劉氏)の王を補佐する諸侯相ではなく、漢から冊封された外国の王の補佐をする王国相と呼ばれて、格式も一段高い。
三国志の三国……つまり、魏・呉・蜀の君主達も、皇帝を名乗る前に、それぞれ魏王・呉王・漢中王を名乗っている。
三国の内、漢の天子(皇帝)から王に封ぜられたのは、魏王の曹操と曹丕の親子2人だけだ。
呉王の孫権は、魏王の曹丕が後漢最後の天子(皇帝)である献帝から禅譲を受けて皇帝に即位した後、曹丕の皇帝位を承認して臣下の礼を取った功績で呉王に封ぜられたので、正式な王だけれど任命者は漢の天子(皇帝)ではない。
漢中王の劉備に至っては、誰からも封ぜられずに勝手に王を僭称している。
劉備が蜀王ではなく漢中王を自称したのは、漢の高祖劉邦が皇帝になる前、漢中王だった先例に倣ったからだ。
劉備は、「漢の天子(皇帝)が、曹丕に禅譲したのは脅迫されたからで、曹丕の行いは簒奪であり、絶対に認められない。私は、この邪智暴虐な曹丕を打倒する。そして、漢の皇族である劉氏の自分こそが、漢室の正当な後継者だ。従って、自分は高祖劉邦と同じく漢中王になった後に、曹丕を倒して漢の天子(皇帝)になるのだ」と喧伝したいんだろう。
漢中王に俺はなる!
ま、これはプロパガンダで、劉備が本当に漢の天子(皇帝)の血筋か如何かは、かなり怪しい話なんだけれどね。
劉備が自分の先祖だと主張している前漢の皇族で中山靖王の劉勝は120人も子供がいたらしく、その内の誰かが劉備の先祖という可能性もワン・チャンあるかもしれない。
でも、逆に言えば、劉勝は子供が多過ぎて子供全員の系統を完全には辿れないから、劉備が漢の皇族の血筋を詐称していても事実確認が困難な訳だ。
DNA検査なんかない時代だからね。
因みに、一般的に蜀と呼ばれる劉備が興した国の名前は、彼の陣営では季漢と呼ばれている。
季とは末っ子を意味する言葉だ。
高祖劉邦が建てた漢は、王莽が簒奪して一度は滅亡し、漢王朝の皇族であった劉秀(光武帝)が再興した。
王莽以前の漢が前漢で、王莽以後の漢が後漢。
劉備は、王莽 と同じ簒奪者である曹丕を倒して漢に戻し、以降は自分の子孫によって永遠に王朝を存続させる事を目指したので、前漢・後漢・季漢(末っ子の漢王朝)という理屈になる。
ま、それらの歴史的経緯は、今の世界線では未だ起きていない未来の出来事なんだけれどね。
私が神様として君臨し庇護する塔里木帝国の女帝は婉姈と言う。
私は、彼女の守護神的な、祭神的な何かしらだ。
つまり、私が女帝婉姈の権威の後ろ盾になっているから、私は婉姈より偉い。
そして、ぶっちゃけ、私は漢の天子(皇帝)よりも格上だ。
その事実は、天子(皇帝)自身も認めている。
実は、私が婉姈の後ろ盾になっているのと同様に、漢の天子(皇帝)も代々九尾狐狸という神獣に後見されていて、九尾狐狸が私の事を「最高神たる天帝(の現人神)だ」と認めちゃったからね。
だから、漢の天子(皇帝)は、私を神として拝礼し始めたんだけれど、私は「私が天帝の現人神である事は秘密だ」と口止めした。
だって、世間に私が神様だなんて知られたら、気軽に出歩いたり出来なくなって不自由でしょう?
実際に私は、塔里木帝国の国民には顔バレしているから、日常的に神様として崇め奉られていて、色々と堅苦しくて面倒臭かったんだよ。
それが、塔里木帝国から、私の正体を知らない漢にやって来た最大の理由でもある。
話を戻すと……。
陳紀は、私の陣営の潁川チームで内政面を支えてくれている超有能で忠誠心が厚く最も便りになる重鎮だ。
そもそも、漢人ではない余所者の私が漢の天子(皇帝)から潁川に封国をもらい、確固たる統治基盤を固められた背景には、陳紀の父で大儒の陳寔と、潁川最高の士大夫(貴族みたいなもの)一族である荀氏と、青洲の大儒の鄭玄から信任と協力を得られたのがターニング・ポイントだったと思う。
潁川陳氏の宗主である陳寔・長男の陳紀・四男の陳諶の3人は「潁川の三君」と呼ばれ、その人格・見識において高い名声を博していた。
陳寔が私を認めてくれ、親交のある各地の名士に私の事を褒めて宣伝してくれたからこそ、地元名士の協力が得られて私の潁川国主としての統治が上手く行っている。
大儒とは、儒学の大家の事だ。
特に、この時代の儒学の二大巨頭と並び称されている陳寔と鄭玄は、儒宗(儒学の第一人者)として民衆から畏敬を以って仰ぎ見られている。
この2人には、天子(皇帝)も礼を尽くすらしい。
史実では、陳寔の葬儀に国中から3万人もの参列者がやって来て、100人以上の士大夫が官職を辞して喪に服したらしい。
他人の死を弔う為に公務員が仕事を辞めるなんて、現代では考えられない事だ。
私と出会って以降、現代世界(漢から見れば未来)の知識を得た陳寔と鄭玄、また彼らの学派一門は、儒学だけではなく広範な知識を学び、また門下生にも教えてくれている。
陳氏と荀氏は、私が漢での拠点とする潁川が地元だ。
鄭玄は、青洲から一族郎党・門人らと共に潁川に移住して、今は私の陣営に入ってくれている。
私は、基本的に陣営の皆を信頼して丁寧に扱っているけれど、一般常識や社会通念上のマナーとしてではなく、心から敬意を払って先生と呼ぶのは、陳寔・陳紀・陳諶の「潁川の三君」と、荀爽と鄭玄の5人だけ。
5人の中で一世代年長で、尚且つ何処の馬の骨とも分からない当初から私を認めて協力をしてくれた陳寔は、特に気を使う大老師だ。
陳寔は、好々爺然とした温和そうな容貌をしているけれど、あの威厳ある眼光で見つめられると、豪傑で士大夫嫌いの関羽だって緊張して居住まいを正し、思わず最敬礼をするくらいなんだから。
私や皇甫嵩の上奏を受けた天子(皇帝)によって「党錮の禁」(知識人を公職から追放する政策)が解かれた後、陳寔は、真っ先に雒陽(洛陽)の朝廷に出仕を請われた。
同じく、鄭玄や荀爽も朝廷から招聘されている。
荀爽は出仕したけれど、陳寔と鄭玄は高齢を理由に朝廷からの再三の招聘を辞退していた。
党錮の禁で散々冷遇しておきながら、国を揺るがす未曾有の大反乱が起きて慌てて天下に名声が知れ渡っている陳寔と鄭玄を、その門人も含めて官職に就かせようとしたって今更虫が良過ぎる話なんだよ。
儒宗2人には、私が治める潁川国の国府がある陽翟で温泉にでも浸かってマッタリしながら余生を過ごしてもらおうと思っている。
とはいえ、陳寔と鄭玄は、「仙姫様のお役に立つ為に、人材を育成致します」と言って、2人共意気軒昂。
楽隠居なんかする気はないらしい。
確かに人材は宝だし、齢80を過ぎた陳寔が私の為に張り切ってくれるのは有難い事だよ。
因みに、仙姫というのは、私の字だ。
塔里木帝国には字を使う習慣がなかったから、私は本名の志織で通して来たけれど、漢では字が必要だからね。
え〜と、何の話だっけ?
あ〜、そうそう。
つまり、陳紀は、私が治める潁川国の総理大臣的な何かしらで、私の陣営で漢の天子(皇帝)から官職を受けている者の中では私の次に偉い。
陳紀は、漢建国の功臣で「三傑」の1人蕭何並に有能だ。
だから、彼に内政を任せておけば間違いない。
史実では、曹操が荀彧の事を「我が子房(漢建国の功臣三傑の中で軍師だった張良の字)」と呼んだ逸話が有名だけれど、陳紀は差し詰め「私の蕭何」という事になる。
蕭何は、劉邦陣営で領地経営と兵站を一手に引き受けた「内政のバケモノ」だ。
陳紀にも、蕭何と比肩するくらいの内政手腕があると思う。
ま、私の陣営には、特別な流通システムがあるから、それ込みでの評価だけれどね。
物資が足りなくなったら、私の潁川の拠点である王国府の陽翟や、私が神として君臨する塔里木帝国の帝都タクラマカンから必要なだけ輸送すりゃ良い。
私の陣営は、私が塔里木盆地のタクラマカン砂漠に造ったタクラマカン湖の潤沢な水資源のおかげで食糧生産量は膨大だ。
何しろ、史実ではサハラ砂漠に次ぐ世界第2位の面積を持つタクラマカン砂漠は、私が石油採掘の為に大量の真水を注入したおかげで、一帯の湿度が上がり降水量が増えて、既に砂漠気候ではなくなっている。
現在の歴史線のタリム盆地は、現代も含めた世界史上で最大の穀倉地帯と豊かな森林が広がる桃源郷に様変わりしていた。
そして、私の陣営の兵站能力は、21世紀のアメリカ軍のそれすら上回るんだよ。
私の神力や、配下の仙人達の霊力で転送や転移をすれば、距離や移動時間を無視出来るからね。
例え、この先何年、黄巾軍に包囲されても、城門を破られたり城壁を崩されたりしない限り、長社は永久に籠城を続けられる。
お読み頂き、ありがとうございます。
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