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第1話。三国志……織。

本作は正史三国志を参考にしながらも、作者独自の歴史考察や推測や拡大解釈、ご都合主義や捏造や創作を多分に含みます。


感想欄にて、作者が知らない史実や皆様の解釈などをコメント頂けますと、三国志好きとして嬉しいです。

 私の名前は、三国志織(みくにしおり)


 うん、言いたい事は、(おおむ)ね分かっている。

 私の名前が古代中国の歴史書「三国志(さんごくし)」と同じ字面(じづら)だというツッコミは、物心付いた時から聞き飽きているからね。


 三国(みくに)家の長女として生まれた私は、三国志好きの祖父と父の影響で、こんな名前を付けられた。

 キラキラ・ネームとまでは言えないかもしれないけれど、この変な名前の所為(せい)で昔から色々と揶揄(からか)われたよ。


 だから私は、自分の名前の由来になった歴史書の三国志や、それを元にした物語の三国演義(えんぎ)については、なるべく避けるように暮らして来た。

 高校時代の選択科目も地理を取ったからね。


 授業で後漢末から魏晋時代の話になると、大抵は教師が私の名前の事に言及して、クラスの皆から注目される。

 だから、世界史なんか選択出来ないんだよ。


 日本史でも邪馬台国(やまたいこく)の話になると、同じような事になる。

 邪馬台国(やまたいこく)を都として()(日本)を統治したとされる女王卑弥呼(ひみこ)は、三国志の()書「烏丸鮮卑東夷(うがんせんぴとうい)(でん)」(所謂(いわゆる)魏志倭人伝(ぎしわじんでん))に記載があり、卑弥呼(ひみこ)は239年に()明帝(めいてい)曹叡(そうえい)曹操(そうそう)の孫)から親魏倭王(しんぎわおう)(ほう)ぜられたからだ。


 そうなれば十中八九「三国(みくに)志織(しおり)さんの名前は、三国志に由来するのですか?」と、教師から訊ねられる。


 クスクス笑われるくらいなら無視すれば良いだけだけれど、変なニックネームを付けられたりしたら目も当てられない。

 小学校の時に一部の男子から三国志の登場人物の名前をニックネームにされたのは、黒歴史だ。


 孔明(こうめい)の罠か?


 三国志最大のスーパー・スターにして、三国演義においては主人公と呼んでも過言ではない諸葛亮(しょかつりょう)孔明(こうめい))。

 諸葛(しょかつ)が姓、(りょう)(いみな)(本名)、孔明(こうめい)(あざな)(通名)だ。


 昔の中国には、名前を以って相手を支配するというオカルトちっくな思想があるので、軽々しく他人の(いみな)を呼んではならない。

 基本的に誰かの(いみな)を呼んでも差し支えないのは、親とか師とか主君とか天子(皇帝)だけだ。

 対等な関係の相手でも(いみな)を呼ぶ事は(はばか)られるし、目上の相手なら無礼極まりない事になる。


 なので、普通は(いみな)の代わりに(あざな)を使用する。

 (いみな)(あざな)に対応するので、諸葛亮(しょかつりょう)、あるいは諸葛孔明(しょかつこうめい)と呼び記すのが通則だ。

 従って、諸葛亮(しょかつりょう)孔明(こうめい)と呼んだり記したりするのは誤りとなる。


 上記の理由で目上や対等な者を (いみな)で呼ぶ事が忌避されるのは当然ながら、(あざな)を親しくない間柄で呼ぶのも失礼だ。

 親しくない相手を呼ぶ場合には、一般的に姓と官職を合わせて呼ぶ。

 官職に就いていなければ、先生を使えば良い。


 中国語の先生は、日本語の先生(教師、医師、弁護士、政治家、作家……など)とは意味が異なり、日本語の「三国(みくに)さん」の「さん」に相当する一般敬称だ。

 先生呼びは万能だから、迷ったら取り敢えず先生と呼んでおけば良い。

 日本語の先生に相当する中国語は、師や老師だ。


 私の変わった名前「三国志織(みくにしおり)」の文字を伝えると、初対面の相手にも大概一度で名前を覚えてもらえるから、必ずしも悪い事ばかりじゃない。

「悪名は無名に勝る」という言葉もある。

 世間に知られるきっかけが悪評だったとしても、全く世間から知られていないより何かと有利である……という意味だ。

 世の中には「炎上商法」というヤバいスキームもあるからね。


 とはいえ、私は出来れば目立ちたくない地味子だから、変わった名前の恩恵をあまり感じた事はない。

 仕事が外回りの営業職とかなら名前を覚えてもらえるのはメリットだけれど、私は引きこもりの研究者気質だからさ。


 どんな仕事をしているのかって?


 私は、軍事や防衛や安全保障関連の研究員をしていた。

 高校時代の地理選択が役に立ったよ。


 地政学?


 地政学(ジオポリティクス)という学問体系は存在しない。

 あれは、血液型性格診断や星座占いみたいなものだから。


 地政学で謳われている法則(?)は、歴史を振り返ると何となく実例に当てはまるような気がするけれど、それはデータ上に現れた偶然の一致や単なるイメージでしかなく、実は反証可能性も再現性も全くない。


 例えば「地政学的に隣国同士は仲が悪い」という言説があるけれど、アメリカとカナダは?


 それは、例外。


 なら、その例外が現出する定量的根拠は?

 その確率は?


 もちろん、そんなものは全く存在しない。


 科学は同じ条件下で行われた事は、誰が実行しても必ず同じ結果にならなければならない。

 あるいは、結果にスペクトラムが生じるなら、それが定量的に示せる必要がある。

 それは、地政学には不可能だ。


 もちろん、地政学を学ぶ意味も一応はある。

 外交や安全保障で対峙する相手プレイヤーが、地政学という疑似科学を信じているなら、地政学の知識は相手プレイヤーの行動や心理を理解する助けになるからね。

 つまり、多くの日本人が血液型性格診断や星座占いを信じているなら、科学的根拠なんかなくても血液型性格診断や星座占いにニーズが生まれる理屈と同じ事だ。


 私みたいに軍の飯を食っていた人間は、基本的に非科学的なものは信じないんだよ。

 全く根拠がないものに自分や大切な誰かの命を懸けるような人間は、軍では害悪にしかならない。


 ま、御守りを持つとか、験担ぎをするとか、何かしら宗教を信仰するとか、周囲に影響を及ぼさない迷信の(たぐい)なら好きに信じれば良いけれどね。


 私は、軍人なのか?


 今は違うけれど、以前はそうだった。


 私の前々職は、自衛官。

 前職は、研究員。

 現職は……ま、それは追々説明する。


 とはいえ、自衛隊に任官時の私は、後方勤務の技官だった。

 だから、()()()私は、貧弱なんだよ。

 一応小銃くらいは、撃てるけれどね。


 自衛隊は、軍隊じゃない?


 あ〜、そちら界隈の人と議論をする気はないよ。


 一応説明しておくと、日本国の自衛隊は、国際法上の交戦資格を有し、主権国家の軍隊としての要件を満たし、国際社会から「日本国の正規軍」として認められている。

 自衛隊が「ハーグ陸戦の法規慣例に関する条約」や「ジュネーヴ条約」などの所謂(いわゆる)「戦時国際法」の適用範囲にあると国連や国際社会から承認されているのが、その証拠。


 国際法は、自動的且つ無条件に各国の国内法に優越するから、「憲法9条が云々」という議論も、既に上位規範の国際法で認められている自衛隊にとっては自明的に何ら影響がないという帰結になる。


 ま、日本国民には思想信条の自由が認められているから、国際法と憲法と国内法に違反しない範囲でなら自分の信じたい事を好きなように信じたら良いんだよ。

 私は、「他人の自由を侵害しない限り、個人の自由は最大限尊重されなければならない」という自然権の原則をきちんと守る人間だからね。


 仮に自衛隊の事を嫌っている人でも、自衛隊は日本国民全員を命懸けで守るように宣誓し訓練されているから、そこは心配しなくても大丈夫だよ。


 私は、一定期間自衛隊に任官すれば防衛大学校の学費が無償になる制度を利用する為、学費分お国の為に働いた後、退官して民間のシンクタンクに転職した。

 私の実家(うち)は祖父が元警察官、弟が現役警察官、父が現役自衛官、母と私が元自衛官なので、全員が(訓練として)銃を撃った経験があるという日本では少し珍しい家族だろう。


 祖父は、三国志の登場人物なら正統派(?)の諸葛亮(しょかつりょう)とか荀彧(じゅんいく)とか周瑜(しゅうゆ)とかが好きだ。

 聖人君子で品行方正な貴公子タイプが好みらしい。


 父は、曹操(そうそう)とか荀攸(じゅんゆう)とか司馬懿(しばい)とかが好きなんだとか。

 実質天下を取る曹魏(そうぎ)陣営でMVP級の活躍をして、尚且つ晩年が少し気の毒だった荀彧(じゅんいく)を除外すると、こういう人選になるみたい。

 父は、勝ち組が好きだ。


 母は、三国志よりローマ史が好みらしい。

 スキピオ・アフリカヌスやガイウス・ユリウス・カエサルが母の推しだ。


 弟も祖父や父から施された幼い頃からの教育(洗脳)によって、まんまと三国志好きになった。

 小さな頃の弟は、分かりやすい武将の関羽(かんう)とか張遼(ちょうりょう)とか孫策(そんさく)とかが好きな脳筋趣味だったけれど、少し成長してからは、オタクを(こじ)らせて鍾繇(しょうよう)とか趙儼(ちょうげん)とか陳登(ちんとう)とかが好きだと言っていたよ。

 覇権を握る曹操陣営で、各方面の統治と軍事両方を支えた人材が好きらしい。

 渋専(しぶせん)を自称していた。


 私?


 私も、学校で変な名前をイジられる以前の無邪気な子供の頃は、祖父と父の影響で三国志が好きだった。


 別に推しとかはいないけれど、強いて言うなら、郭嘉(かくか)とか徐庶(じょしょ)とか管寧(かんねい)とかは、割と好きかもしれない。

 才気に溢れているけれど、病気や陰謀や不遇で大望を果たせなかった……みたいな(はかな)げなタイプだね。


 ()の猛将である甘寧(かんねい)甘興覇(かんこうは))?


 いやいや、(くだ)だよ。

 (あま)くない方。


 私は、基本的に脳筋や乱暴者は嫌いだ。


 志半ばで没した悲運の英才という(くく)りなら、諸葛亮(しょかつりょう)は?


 もちろん、好きか嫌いかで言えば、物語の三国演義において事実上の主人公である諸葛亮(しょかつりょう)は好きだけれど、あまりにもベタだから除外した。

 三国志で推しを諸葛亮(しょかつりょう)と答えるのは、「ドラ〇もんの秘密道具で無人島に1つだけ持っていくとしたら?」という質問に「四次元ポケット」と答えるみたいに、何だか身も蓋もない気がする。


 あ……私の推しメンの話なんか如何(どう)でも良いんだよ。

 何はともあれ、私は目の前の大ピンチを切り抜けなくちゃならないんだから。


 今、私は、猛烈におかしな状況に巻き込まれている。

 ま、半分くらい自分から巻き込まれに行った感もあるけれどね。


 現代日本の知識を持つ私は、史実でこうなる事は分かっていたし、こうならないように時間も労力も費用も掛けて色々と準備して来た筈なのに、如何(どう)してこうなった?


 これも、応竜(おうりゅう)が言う「歴史の修正力」ってヤツの仕業なのかもしれない。


 さてと、一旦状況を整理しよう。


 今は、後漢末の光和(こうわ)七年五月。

 西暦だと184年。


 場所は、アジア大陸、漢の豫州(よしゅう)潁川(えいせん)国、長社(ちょうしゃ)県。


 唐突な話だけれど、今を(さかのぼ)る事14年前、気が付くと私は過去のアジア大陸らしき場所に転移していた。

 転移してからの経緯は、めちゃくちゃ混み入っているし、話すと長くなるから、今は説明を省略する。

 何しろ私は、この14年の間に西域(さいいき)を平定して多民族帝国を築き上げ、広大なタクラマカン砂漠に世界最大の湖と広大な穀倉地帯を作り、あっちでは神様として信仰されているんだから。


 今は、そんな遠大な建国譚や神話的な話なんかを悠長に説明している場合じゃない。


 現在の私は、紆余曲折、暗中模索、七転八倒、何やかんやあって、漢の天子(皇帝)から諸侯王に(ほう)ぜられ、潁川(えいせん)を統治していた。

 つまり、先述した「私の現職」ってのは、潁川(えいせん)の王という事になる。


 ま、既に神様になっている私にとって、王様になるくらいじゃ今更驚きゃしないよ。


 そして、私が治める潁川(えいせん)国の城塞都市である長社(ちょうしゃ)県は、只今(ただいま)絶賛「太平道(たいへいどう)」を称するカルト宗教の狂信者と、そのシンパ約10万の軍勢に取り囲まれていた。


 言わずもがな、「黄巾(こうきん)の乱」である。


 歴史の知識がある私は、黄巾(こうきん)の乱を防ぐ為に奔走して来たけれど、結局史実は覆せなかった。

 応竜(おうりゅう)が言う「歴史の修正力」なる謎の作用が働いていて、私が必死こいて過去のトリガー事象を改変しても、史実において発生したイベントは、ある程度の強制力を以って再現されてしまうらしいんだよね。


 因みに、応竜(おうりゅう)ってのは、私の眷属である竜の名前だ。

 私は神様だから、竜くらい従えているんだよ。


 他にも私の眷属は、沢山いる。

 私が従えている眷属の応竜(おうりゅう)に、同じく私の眷属の鳳凰(ほうおう)麒麟(きりん)霊亀(れいき)を含めた4柱が最高位の神獣で、四霊(しれい)と呼ばれるらしい。


 応竜(おうりゅう)四霊(しれい)の筆頭で、私が此方(こっち)に転移させられた時、最初に召喚した最古参の眷属だ。

 本来なら、四霊(しれい)の残り3柱や、その配下に連なる眷属達も同時に召喚される筈だったんだけれど、ちょっとした手違いで私が召喚を行う際に必要な霊力を無駄使いしちゃった所為(せい)で、応竜(おうりゅう)しか召喚出来なかったんだよ。


 テヘペロ。


 ま、そんな仕様は、事前に何も教えてもらわなかったんだから、私は全く悪くない。

 私は、チュートリアルもガイダンスもなしに、いきなり身一つで砂漠の真ん中に放っぽり出されたんだからね。


 史実において黄巾(こうきん)の乱を主謀した太平道の教祖である張角(ちょうかく)ら主要人物は、私が東奔西走したおかげで現在の世界線では史実と異なり死亡したり、改心したり、そもそも闇堕ちしていなかったりするんだけれど、結局のところ黄巾(こうきん)の乱は指導者が変わっただけで起きてしまった。

 大きな流れでは、歴史が変わらなかったんだよ。


 神の眷属や人間と対立する側にいる魔獣や妖魔が暗躍しているのは確実だろう。


 ま、私が歴史に介入した事で、史実より多少は現状がマシになったと信じて、私は私のやるべき事をやるだけだ。

 そうしないと日本に帰れないしね。


 実際、史実では100万人規模とも云われる黄巾(こうきん)の大反乱軍は、現状では漢全土の合計でも数十万人程度に治まっている。

 それでも十分に多いんだけれど……。


 いや……そもそも、この史実との人数の齟齬(そご)は、中国史書にありがちな数字を盛って大袈裟に書いているからで、実際の黄巾軍は現状と同じで最初から数十万人だったのかもしれない。


 三国志に限らず中国の歴史書は、誇張して書かれているからね。

「100万人の大軍」とか「40万人を生き埋めにした」とか、簡単に書くなっての。


 そんな膨大な兵站(ロジスティクス)如何(どう)やって維持すんだって話なんだよ。

 略奪して現地調達するにしても、1週間でその周辺地域が干上がるわ。

 この時代の漢の都の雒陽(らくよう)洛陽(らくよう))や、大都市長安(ちょうあん)を含む首都圏の司隷(しれい)だって人口300万人余りなんだからね。


 現代だって、100万人規模の遠征軍に年単位の補給を行き渡らせる兵站(ロジ)能力を持つのは、アメリカ合衆国しかない。

 前職がミリタリー・シンクタンクの研究員だった私を舐めんな。


 兎に角、私は今、黄巾の乱の真っ只中(ただなか)にいる。

お読み頂き、ありがとうございます。

もしも宜しければ、いいね、ご感想、ご評価、レビュー、ブックマークをお願い致します。

作中の時代背景上、人名・地名などに非常用漢字を多用しておりますので、文字化けなどが起きるかもしれません。


・・・


【お願い】

誤字報告をして下さる皆様、ありがとうございます。

心より感謝申し上げます。

誤字報告には、訂正箇所以外のご説明ご意見などは書き込まないようお願い致します。

ご意見ご質問などは、ご感想の方にお寄せ下さいませ。

何卒よろしくお願い申し上げます。

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