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梟は保護区の先には飛んでは行けない、から

 俺は自分でない自分を目にした事で体が硬直していた。


 俺でない俺の時は普通に歩いている?


 ぶつん。


 モニターは真っ暗になり、しばらくすると年月日の入ったタイトルとなり、再び動画が流れ始めた。


 夜中の二時?に、俺はこんなことをしているって言うのか?


 俺がいつも座るソファには俺でない俺が座り、先程の動画と違い、拓海が俺に向き合ってソファに座っている。

 俺でない俺は身を乗り出して、拓海に挑むようにして言い放った。


「あんたには渡さないよ。晴純は俺のものだ。俺が奴の父になったんだ。」


 俺は低くしゃがれた声を出していて、一方の拓海は後ろ向きで表情はわからないが、彼の声は俺に語りかけるいつもの柔らかいものでしか無かった。


「君の愛情は彼の救いだ。だけどね、アンリ。愛情は一個だけじゃないんだ。増えていったってなんの問題も無いんだ。受け取るのも差し出すのも、たった一個じゃなくたって構わないんだよ。そう思わないか?」


 俺はアンリの返答が聞きたくないからと、両手を耳に当てた。

 それで聞こえなくなるはずは無い。


「おまえのは興味だ。愛じゃない。だがね、今お前を殺せば、晴純はお前に愛されたという記憶だけ残る。あれは哀れな程に純粋だ。」


「わかっている!わかっている。それでもいいって俺は思っているんだ!」


 俺は画面に向かって叫び、それからすぐに踵を返すと、台所に向かってよたよたと歩き始めた。

 途中鹿角が座るソファの後ろを通らねばならなかったが、よたよたと歩く俺が歩きながら、水、と呟いたから鹿角は俺を見逃した。


 これは邪魔されたら大変だ。


 台所に辿り着くや、俺は台所の包丁ストックから文化包丁を引き出し、それでもって一気に左膝に突き刺した。

 一生治らない靱帯や皿を狙って!


「あああああああああ!」


「はれすみくん!」


 俺はその場に崩れ落ちた。

 冷たい床に俺は一人で転がったのだ。

 死んでも生きても俺は冷たい床に一人ぼっちだと、台所の天井を見上げた。


 何もない綺麗な天井だ。


 電動泡立て機はボールから取り出す時には電気を止めなきゃいけないのに、拓海は俺の手から泡立て器を取り上げたことがある。

 自分もやりたいと言って。

 結果、台所はそこらじゅうがメレンゲだらけとなった。


 それなのに、週に一回の清掃の人達は、拓海が汚した天井までもきれいに掃除していった。


 俺と拓海の生活の痕など、俺が死ねばその日のうちに消えるだろう。


 だから俺は死ぬ気はない。

 でも、今一人なのがどうしてこんなに寂しいのだろう。

 まるでこれから自分が死んでしまうみたいだ。


「晴純君!」


 鹿角の呼びかけの声に、俺ははっとした。

 俺の身体に大人の大きな手が伸ばされている。

 鹿角の手が握るのは、俺の大事な抱きぐるみ?


「やめて!熊ゴローが汚れてしまう!」


「黙れ!ぬいぐるみぐらいいくらでも買ってやる!」


 鹿角は俺の左足の下にぐいっとぬいぐるみを押し込み、さらに自分のネクタイを俺の腿に巻きつけて思いっきり強く引っ張った。


「うう!」


「止血ぐらいで痛がるな!包丁で足をぶっ刺す方が痛いだろうが!」


 俺に覆いかぶさる大きな男は俺を怒鳴りつけたが、その男の息に熱い所どころか酒臭さなども無く、酒に酔ったふりこそ演技だったと俺を笑わせた。


 乗せられた、ああ、お前にまんまと乗せられた。


「お前のせいだ!お前のせいで全部台無しだ!熊ゴローは拓海先生が意味も無い日に買ってくれた大事なものなのに!」


「だったらこんな馬鹿なことをしなきゃ良かっただろう!」


「俺は拓海先生を傷つけたくない。あの俺が表に出た時に、この俺を止めてくれるものが無いと大変じゃないですか!あいつは普通に歩けるんだ!」


 俺はリビングのモニターを指さした。

 俺じゃない俺ばかりが映っているモニターだ。

 鹿角は、舌打ちをして俺の頭を支えて自分の膝に乗せた。

 そして、俺の顔をずっと支えているじゃないか。

 視界を遮り、モニターの音声だって聞こえないように。


「いやだ、あなたから優しさなんかいらない!あなたは俺を貶めてばっかりじゃないですか!」


「ちがう、違う。ああ、ちくしょう!私は何をしたかったんだ。――ああ!救急車を早く!このまんまじゃ子供が死んでしまうじゃないか!」


 鹿角は床に放ってあった、彼のスマートフォンに叫んだ。

 ああ、ちゃんと救急車を呼んでいたんだ。


 本当にこの人は何がしたいんだよ?

 人殺しの子供を追い詰めて自殺させに来たんだろ?

 なのに何で俺を助けようとしているんだよ。


 俺が壊したのは足一本だ。

 死ぬ予定なんか無いんだよ?

 俺は左足を失いたかっただけなんだ!


 俺は鹿角の手を振り払い、鹿角の膝から頭を落とそうと動いた。

 ぶつっ。

 ちょうどそこでモニターの動画が途切れた音が聞こえ、さらに俺に追い打ちをかけようというのか、また新たな動画が始まった。


 パッヘルベルのカノンが流れてきた。

 天国の音楽みたいだって、俺が拓海に言った曲だ。

 グランドピアノで弾いたものを聴いてみたいって。


「煩いよ、お前。イライラする。」


「どうして?君も覚えようよ?晴純は音楽が好きだ。僕がピアノを弾くとね、晴純はそれが何の曲かすぐにわかる。曲名を覚えるのは彼が音楽に興味があるからでしょう?自分で奏でられたら彼の世界も広がる。そうでしょう?だから君が覚えよう。そして晴純から制限を解いてくれ。」


「馬鹿だな。あいつはピアノなんざ嫌いだよ。お前に付き合っているのは、お前を俺の代りにしているだけだ。赤ん坊のあいつはな、抱きしめられるだけで満足して動けなくなるんだ。抱く奴に愛情が無くともね。」


 もう俺の視界はぼんやりしていた。

 ちがう、泣いてなんかいない。

 俺の頭を支える鹿角の腕に顔を当てて泣いてなんかいない。

 だから、ぼんやりするのはなぜかと俺は自分の左足を見下ろした。


 ああ、包丁を刺さした場所には動脈?があったっけ?

 たしかに、俺は死にそうだ。

 必死に救助しないと鹿角は問題になるな!

 死にゆく俺に優しくしないとな!

 愛など無くとも、なあ。


 俺は自分の手が鹿角の手首をしっかりと握っていることが無性に腹立たしくて、無性に情けなくて、笑い声をあげていた。

 だって笑うしか無いだろう。

 俺がこんなにも必死に人を求めているだなんて。


「ははは。」


「しい。すぐに救急車が来るから、意識だけは保つんだ。」


「あいつは動いてなきゃ殺されるんだよ!進撃をし続けなきゃ死んでしまうんだ!だからそれを止めようとするお前は殺してしまわなきゃいけないんだ!」


 俺はもう聞きたくも見たくも無いと身をよじり、血塗れの手であろうが、その手で顔を覆った。


「動くんじゃない!血が噴き出してしまう!」


 手に着いていた血が口に入ったからか、俺は酷い吐き気に襲われて、鹿角の膝に思いっ切り腹の中のものを吐いた。

 腹に何もなくても、俺の胃は疼いて収まらない。


「はれすみくん!」


 全部お前のせいだと色々言ってやりたいのに、俺の腹の中には何もない。

 胸の中だって空っぽだ。

 拓海が弄った頭の中だって、きっと空っぽに違いない。

 

「僕は君と生活がしたいんだ。」


 拓海?

 俺と生活できなくなったら、あなたは泣いてくれるだろうか。


「晴純君!」

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― 新着の感想 ―
[良い点] これは辛い……。 こんな形でアンリを見たくなかったけど、アンリが晴純のためにならないことはしない……と信じてますが。 アンリ本人も、裏切られ続けて愛情に飢えてるというか。 晴純に救われてい…
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