玄関ベルを鳴らしたのは聖者の名を持つ男
レセンデスと鹿角の対決動画の公開は、既存の放送をジャックしてのものではなく、スカイタワーの周辺、ビルなどにある広告用の大型液晶ビジョンに流しただけである。
そのせいかレセンデスの事件は新聞にも載らなかったし、ニュースで放送される事も無かったが、レセンデスは事件の五日後に失脚して急死することになった。
ネットの動画サイトに突然の謎映像だと不特定多数から投稿され、少女をレイプして殺す嘘映像を見た人の中に、実際に彼にレイプされた人間も多数おり、ネットの掲示板は大賑わいになったのだ。
この暑苦しい白人男が誰だって?
南米のコルカデスの駐日大使だって。
日本でも女の子をレイプしてたんだってさ。
日本ではニュースにならなかったはずなのに、日本での騒ぎとして海外ニュースに取り上げられ、レセンデスは事件から三日もしないで大使の座を失った。
外交官で無くなった男は、特権も全て失う。
彼は逮捕前に国に逃げ帰るつもりで成田の高級ホテルに泊まったようだが、翌日には室内の浴槽で死んでいる姿で発見されていたのだそうだ。
コルカデスの元大使の自殺について、ニュースは先日の動画流出事件と合わせて騒々しく放送している。
それは、この事件をきっかけに巷のスマホに少年の幽霊騒ぎが納まったから、レセンデスこそその原因だと思われているからかもしれない。
「偉そうな割には小心者だったんだなあ、レセンデス。」
俺は呑気に呟きながら、リモコンを持ち上げてテレビを消した。
「それは私に対する嫌味ですか?」
鹿角は俺を見返した。
俺はようやく自宅に戻り、春課題を自室ではなくリビングのソファセットの座卓に広げてやってるのだが、いつも拓海が座っている向かいのソファにはなぜか鹿角が安っぽいスーツ姿で座ってだらけている。
手には大きな氷が入ったグラスを持ち、そのグラスの中身の液体は琥珀色で綺麗だがとてもウィスキー臭い。
「人んちで昼から酒飲んで寛いでいる人は小心者言わないです。」
「人目が怖くて外に出られなくなった私に!あなたは!」
鹿角はグラスを持った手を額に当て、これで何度目だよという嘆き声をあげた。
レセンデスがここまで悪者扱いされたのは、動画内で鹿角をレセンデスが殺せと部下に喚いていたからであろう。
無駄に美形の男を悪人と誰もが考えるどころか、正義の執行者の彼がレセンデスに殺されたと思い込んだようなのだ。
結果、鹿角は休職中である。
彼が何者かと巷では大騒ぎとなっており、セキュリティポリスな人ですと公表すればいいだけなのだろうが、それが大人の事情で出来ないからである。
大使館員特権で家出少女を喰うレセンデスや、日本に偽名で潜んでいる連続殺人犯の元ギャング、警察の手入れから逃れたヤクザを掃除できる機会だと彼が頑張りすぎたことで、警察が違法捜査やっていると名指しされかねないのだ。
名指しどころか、鹿角こそテロリストだよね?
「だからって、我が家にいつこうとするなんて、厚顔じゃないですか?」
俺は鹿角が座るソファの脇で放られているボストンバッグを見つめながら、颯爽としていたが今は薄汚れた人となった落後者に言い放った。
「そういう君こそ、私を普通に家に入れたじゃないか!これは君の敬愛する拓海先生への裏切りになるんじゃ無いのかな?」
俺は鹿角を睨み返し、俺が鹿角を家に入れてしまった理由を今度こそ寄越せと言う風に彼に手を伸ばした。
鹿角は微笑んで、それからウィスキーを軽く煽った。
「まずはあなたと腹を割って話したい。それを許してくれるならば、です。拓海教授がコレクションしていた動画には、君が一人も映ってはいない。これを君が知らないのは、彼が君の事を思ってのことかもしれない。ええ、動画を見た私も同じような懸念を君に持っています。」
「腹って何ですか?割るも何もご存じでしょう?俺は虐めに遭って裸の屈辱的な動画を撮影された。未だにそれを消去されてもいない。そして、その動画を元にして、俺が拓海の愛人をしているって噂を流した奴もいる。」
「経済学の教授も名誉教授選でかなり恥知らずな真似をされていましたものね。ハハハ、あの姐さんがあそこ迄するはずだ。そこで?君はあの素晴らしきパソコンデータを使ったのですか?」
「いいえ。何のことです?単純なウィルスですよ。俺の動画を撮った奴らの繋がりに流しました。そのウィルスは繋がっている人達の所に勝手に飛んで増殖します。俺の動画が消してあれば何もしません。消してなければ死んでしまった北沢君の映像が出現します。彼が俺の腹を切り裂いた犯人です。彼のナイフは彼のペニスそのものだった。俺はだから彼を見世物にしたんです。よもや、児ポタグが付く動画全てに作用してあんなにも増殖するとは思いませんでしたけどね!」
鹿角は俺をしばし見つめた。
俺を推し量っている?
「君に真実は辛いかもしれない。」
「あなたの揺さぶりにはうんざりなんです。」
「揺さぶりと思うのは君がもう限界だからじゃ無いのかな。君が楽になる一番の解決方法は君がここを出る事だと思う。ここは君には安全だろう。自然保護区の梟と同じぐらいに拓海教授に見守られている。だけど、君。梟が野生の生き物ならば、保護区の外の空にこそ飛んでいくものじゃ無いのか?」
「保護区を飛び出た梟など、すぐに死んでしまうじゃないですか。」
「そうかな。人の手の無い全くの自然だって残っているんだよ?君は君を知らない土地で一から始める事こそ幸せなのかもしれないと思わないかな?」
俺の手の平に銀色の円盤が入った透明で四角いケースが渡された。
わざわざDVDに焼き付けて保存していたのかと考えたが、これは鹿角が俺がすぐに確認できるようにとの彼がやった事なのかもしれない。
記録媒体を貰っても俺が直ぐにパソコンに差し込むはずが無い。
なかなか手渡さず、俺を気遣うセリフこそ、鹿角の揺さぶりか?
俺は立ち上がると、痛みのある重い左足を引き摺りながらテレビモニターまで歩き、それに繋がっているDVD再生機に銀色の円盤を差し込んだ。
真っ暗だった画面は明るくなり、ペットカメラの映像がそこに写された。
ソファに座る俺だ。
偉そうにゆったりとソファに座り、誰も座っていないソファを睨んでいる。
そこにいつも座っている人物を殺してやりたいぐらいの意思を込めて、だ。
だが、しばらくすると立ち上がり、俺は自分の部屋へと戻っていくのだ。
それだけの映像だが、映像の中の俺は俺でない。
映像の中の俺は、麻痺しているはずの左足など、全く引き摺ってなどいないのである。




