報告その三 この子は守られた事が無い
ヤクザを呼んだのは拓海だと鹿角は言い、当り前だが拓海は聞き返した。
「どういう意味だい?」
「菱鳥会。あなたが二月に関わった宗教団体と繋がりがあった指定暴力団です。彼らはあなたのせいで警察の手入れが入り、そのせいで幹部が何人かパクられ、いやいや、逮捕されたと恨んでいます。また、彼らを今日の式に引き込んだ者が学校関係者にいました。その人はあなたの名誉教授の就任が、金に飽かせたものだからと許せないそうですよ?」
「君はなんて失敬な男なんだ!」
そこで、兵頭が再びハイっと手を上げた。
せっかくの優勢な場を壊されたにもかかわらず、鹿角は律義に兵頭へと顔を向けたが、兵頭はやっぱり兵頭だった。
鹿角を一顧だにもしなかった。
「一番のライバルだった東京キャンパスの経済学教授の双添教授は、愛人の情報を奥様にお渡ししたことによる家庭内争議のための脱落です。ですから、名誉教授職獲得は金に飽かせたものではないのでご安心ください。」
鹿角は兵頭を見返したまま固まり、俺はこの茶番に溜息を吐いた。
ああだこうだと討論を鹿角は拓海に仕掛けているが、彼は俺と拓海をどこぞに確実に連れ去るつもりであり、これはきっと単なる時間稼ぎだ。
鹿角は会場にいたけれども、彼の部下、本当は六人いるうちの三人は、俺達が中学校の体育館にいる間にこの部屋の探索をしていたではないか。
俺が見つめていると、鹿角は俺に振り返り、この人達に君は任せられない、などと気安い言葉を俺に吐いた。
「晴純君?君の安全を一番に考えて欲しい。」
「君に預けた方が晴純が安全だとなぜ思う?」
「あなたがいないから。」
「勝手に決めつけるな!」
俺は声を上げていた。
嘘吐きで、俺を拓海から引き剥がそうとする、俺の敵に声を上げていた。
しかし、鹿角こそ俺の叫びは想定内だったようだ。
彼は微笑みを返した。
「決めつけます。私は大人で、あなたは守られるべき子供だ。大人が子供を守らないでどうするんですか?あなたは頭が良すぎる。私達の動きを確認しながら、あのヤクザを挑発しましたね。放っておけば、あの男の銃口は拓海教授に向かうはずだった。だから君は席を立ったんだ。」
俺はそこで両目を大きく見開いて見せた。
そんなことを計算などしていませんよ、そういう顔だ。
鹿角は俺の表情に吹き出したが、すぐに生真面目な顔に戻り、俺を真っ直ぐに射抜くようにして見つめた。
「騙されませんよ。あなたはその腹の傷をみんなに見せた。その傷はできるならば誰にも見せたくは無いものではなかったのでは?」
鹿角の言葉に俺こそ驚いた。
俺達の車を迎えに出た時と、あの一場面でしか俺を知らないのに、彼は俺をよく知り過ぎている?のでは無いだろうか。
拓海を守るために鹿角が動いているというのであれば、拓海の周辺人物の過去現在などこの人達は調べて熟知しているという事なのか?
だからこその、我が家侵入だったのか?
では、やはり、あのヤクザ達は鹿角こそが投入した者じゃないか?
「そこまでだ。」
俺達に拓海の声が掛かった。
卒業式の後からずっと俺を叱りたかった拓海は爆発寸前のようで、俺達に殆ど無表情の顔を向けながら、俺に来いと言う風に手の平をひらっと動かせた。
俺は迷いもなく拓海のもとに行こうとしたが、ソファを立ったそこで鹿角に腕を掴まれて俺の足を止めるしかなくなった。
「あの。」
「私は君を守ると決めましたから。」
俺のもう一本の腕が引っ張られた。
拓海だ。
拓海は俺を自分に引っ張りながら彼もソファから立ち上がり、鹿角に身を乗り出して低い声を出した。
「この子は僕のものです。離しなさい。」
「離しません。この子はものじゃない。健気な程に大人に気に入られようと頑張る必死な子供です。この子があなたを守ろうと動いたのは、あそこまで無防備に自分が死のうとしたのは、守られた事が無いからです。守って貰う事を知らないから、隠しておきたい腹の傷を出してまで、あなたを守ろうとしたんですよ。」
「今日のあの人達、鹿角さん達がいながらどうして侵入できたのですか?国際テロリストじゃなくて、警察の網から逃げただけのヤクザだったから、もしかして見逃されたのですか?警察に恩を売れるから。」
鹿角は俺の質問に気が削がれたのか、え?と言って俺から手を緩め、拓海はそれを利用して俺を自分に完全に引き寄せた。
そして俺がさらに鹿角に言い募ろうとしたのに、俺は拓海に抱きしめられた。
うぷ?俺はもう話すなってこと?
「帰って頂けますか?穴だらけの警護をする人が自宅にいられる方が迷惑だ。僕の大事な子供を惑わせる言葉しか吐かない人がいるのは迷惑だ。」
鹿角は拓海とほんの数秒だけ睨み合い、しかし鹿角の方はすぐに溜息を吐いて引き下がった。
「いいでしょう。猶予をもう少し差し上げましょう。三時間後にお迎えに参ります。あなた方の移送、これは日本国政府の決定ですから従ってください。」
だが、鹿角はそのまま踵を返して玄関に向かわず、上着の内側から取り出した革の名刺入れから一枚名刺を抜いて、それを俺に差し出して来たのである。
「裏には私の個人的な番号が書いてある。君のスマートフォンに登録しておいて。もしもの為に。」
俺は拓海の視線が怖いと思いながら、鹿角の名刺を受け取った。
鹿角は俺に笑顔を見せると、こんどこそ玄関に向けて歩き去って行った。
そして、俺を掴んでいる拓海は俺に、何をした、と冷たい声を出した。
「何もしていません。」
「ではどうして防衛線が破れたんだ?」
「防衛線。あなたがそんな兵士めいたセリフを口にするなんて!」
「医者の術式中の会話はこんなものだよ。前線で戦う兵士そのものだ。それで、晴純?君は僕に告白することは無いだろうか?」
俺は鹿角の名刺を持つ腕を拓海の目の前に翳して、ぴらっと名刺を動かした。
それからもう一方の手の指先で名刺を指さしてから、その指を自分の口元にあてて拓海をじっと見つめた。
拓海は俺から手を外すと、俺を掴んでいた手を自分の目頭に当てた。
「そういうことか。」
鹿角が二月の事件を調べ上げていたとすると、今回の拓海の部屋への侵入は、二月の事件のように、あのヤクザ達のスマートフォンを俺のパソコンがどうにかするのを期待しての、パソコンの動作確認とデータ解析の為なのかもしれない。
手の内を見せずに腹を見せて良かった、と俺は思った。
俺は、自分のパソコンを侵入者から守ること、しか考えていなかった。
会場内で姿が見えないSPだろうが、絶対に俺を守るだろうと見越して動いていて良かったと。




