報告その二 SPが我が家に必要な理由
「大した手術じゃないんだから、執刀依頼なんか受けるんじゃ無かったよ。ということで、僕は一抜ける」
神の手を持つ拓海先生は神であるからか、物凄く人でなしなセリフを凡夫な人間が集う場所で口にした。
卒業式は俺の送辞の後に、ちゃんと卒業生の元生徒会長が答辞で繋げてくれた。だからか、現生徒会長の送辞の頃には卒業生席と家族席には涙を零す方々も見受けられ、闖入者の出来事など忘れ去るぐらいとなったのだ。
しかし、拓海の怒りは卒業式の感動シーンでは収まらなかった。
式の終了となるや予定の祝賀会も断り、藤の運転する車に俺を誘拐犯のように捕まえて放り込むや自宅に戻って来たのである。
だが家に着いても俺が拓海の叱責を受けることはなかった。
それどころか、拓海は俺を叱ることのできない状況にされて、さらにイライラしているという有様なのである。
なぜならば、自宅に到着した俺達が部屋着に着替える時間どころか、自室を覗く間もなく、押しかけて来た訪問者があったからである。
「今はそんなことを言っている状況ではありません」
室内に良く通る低い声が響いた。
自宅ソファに座る俺は、拓海をイライラさせている原因である声の主を見上げる。仕立ての良いスーツ姿に、片耳にはイアホンを差しているという、アクション系の映画かドラマの主人公みたいな見栄えの良い男性だ。
彼は背が高く顔も彫りが深いという異国風な外見だが、生まれも育ちも家系も血筋も純日本人だという、鹿角十六夜さんである。
清潔感のある髪型に軍人のよな姿勢できびきびとした立ち居振る舞いをする鹿角は、日本にもSPいたんだと俺が感心してしまった警察官な人だ。
なぜ、我が家にSPがいるのか。
それは、異国の元元首様、それも日系人な方が、頭の腫瘍の切除手術に日本に滞在されているだけでなく、拓海を執刀医に指名したからである。
それだけなら普通に雲の上の凄い話だが、この元元首には元首時代の汚職の追及中という注釈が付く。さらに、汚職仲間が自分の追及を逃れる目的で、元元首を殺しちゃえ、と、判断したらしい状況のおまけ付なのだ。
よって、元元首が死んでしまったら国際問題的緊急事態だからと、彼と執刀医の拓海にSPがつけられたという事情である。
「ええ~。まだ執刀していないんだし、執刀医を変えちゃってよ。僕じゃなくてもね、あんな単純な腫瘍、誰でも簡単に切除できるから大丈夫」
「じゃあ最初から依頼を受けなければ良かったじゃないですか! ついでに言えば、あなたはエルナン・イマムラ氏から物凄い額の寄付金を受け取ってますよね! それで執刀は嫌だはどこにも通じないですよ!」
「え、知らないよ。そんなの」
そこで、我が家のカウンター席にお座りの拓海の秘書が、ハイと右手を上げた。
鹿角は律義に兵頭に振り返ったが、それは美人だが兵頭でしかない。
彼女は拓海しか見ていないのだ。
「教授、申し訳ございません。大学への寄付という名目で受け取っております」
拓海は兵頭を見返して、あら、と軽く言った。
けれど、彼にはそれだけだったようだ。
「じゃあ仕方がない。明日にでも腫瘍を取ってお終いにしよう。それでいいね」
拓海は本当に面倒そうに吐き捨てると、もう話し合いは終わりだという風に、座卓に広げたロールピアノを弾き出した。
ホルストの土星をピアノで? 木星じゃなく?
ぴぽぴぽと宇宙船の信号みたいな音のあとに重いメロディで、彼は鹿角にお前のせいで疲れて年老いたと言いたいのだろうか。
「拓海教授? それで良くなんか無いですよ。ご高齢のイマムラ氏は、今は手術のための体力調整中じゃないですか。明日手術なんて、それじゃあ、普通にイマムラ氏が死んじゃうじゃないですか!」
「僕ならイケるけどね」
「教授! イケなくて逝っちゃったら国際問題ですよ!」
鹿角は拓海に当たり前の声を上げたが、話し合いを終わりとした拓海が応じる訳はない。
ソファに座って抱きぬいぐるみを抱き締めていた俺は、二人の終わらない言い合いに大きく溜息を吐く。それから、ぽすっとソファに転がった。
そして寝転がったまま鹿角を見上げ、誰も彼に言わないが言いたいだろう台詞を口にした。
「今日はもういい加減に帰ってよ。俺はお昼が食べたい」
本当に、どうして誰も鹿角に、帰れ、とはっきりと言わないのであろう。
鹿角は俺を見返し、失礼な俺を怒ると思ったが、なんと、ソファの横に跪いた。
俺こそ彼の所作に驚いて身を起こす。
えと、鹿角は俺に優しく微笑んだ?
「ほら、起き上がった。太々しい子供を演じて居ますが、本当のあなたは礼儀正しくていい子ですね。私はそんなあなたの身こそ心配なのですよ。これは拓海さんの選択ですから、彼が死のうがそれは彼の選んだ運命です。ですが、未成年のあなたは巻き込まれただけです。その上、あなたが拓海さんを揺さぶれる駒だと知れ渡っている」
ブダーンと、拓海がいつも絶対に立てない不協和音を響かせた。
俺達が拓海を見返せば、拓海は目を眇めて俺達を睨んでいる。
「先生?」
「晴純。君は部屋に戻っておいで」
「そうですね。晴純君。一週間ほどの着替えをまとめておいで」
俺は何が起きたのかと拓海と鹿角を交互に見返すしかなかった。
え、俺が口を挟んだせいで状況が変わった?
拓海はあからさまに怒りを燻らせており、鹿角は余裕の顔で顎をあげて拓海を見下ろすという不敬さだ。
そして、口を開いたのは鹿角だった。
「ご同意の上で移動していただけたらと思っておりましたが、受け入れてはいただけないようですね。これからあなたにはこちらが用意したホテルに移動して頂きます。晴純君はまた別のセーフティハウスにてお預かりいたします。守る人間を一か所にまとめないのが鉄則です」
「イマムラ氏が入院してから一週間、君達が姿を現すまで何事も無かった事を考えると、君達との行動の方が危険極まりないと思うがね」
「何事も無かった一週間だって私達は働いています。また、今までお伝えしておりませんでしたが、イマムラ氏を狙う人間が雇って日本に送ったのが、日本赤軍系のテロリスト崩れです。平気で何でもしますよ? この素晴らしき自宅に爆弾を投げ込まれたくないでしょう」
「それは君達が防げない程無能と言っているのか? 今日の式でも君達は簡単にあんな闖入者を許してしまった。そんな君達に、僕の身の上どころか僕の大事な子供を預けると本気で思っているのか?」
鹿角は喉を鳴らす笑い声を立てた。
拓海を見据えている瞳は揺るがず、笑みを作った表情は硬質的という、相手を威圧するために出しただけの笑い声である。
「あのヤクザこそ、あなたが呼んだものでしょうに」




