報連相が終わったならば傲慢な神に差配を頼め
拓海がドアを開ければ、待機室Bにはすでに三十代後半の美しき女性が説明を受けている最中で、彼女に説明中の拓海の部下だろう医師がいた。
拓海と同年代と言える人で、どうして同年代と言えるかは、三十代後半から四十代前半の一般の人の体型と肌の張りをしているからだ。
決して、拓海と同じようだから、では無い。
拓海はよれよれが多いが、一般の三十代後半から四十代前半と比べればかなり見栄えのいい人である。
そして拓海は、同年代の医師に対して、とても偉そうだった。
「あ、君。僕が説明をするからいいよ。」
「かしこまりました。教授。」
拓海は彼女に説明していた彼の部下を立たせると自分がそこに座り、物凄く偉そうに俺と伊織に腰かけるような手ぶりをした。
そこに部屋をまだ出て行かない部下が拓海に声をかけた。
「あ、では教授。私がご説明しましたところは。」
「あ、ああ。今までありがとう。どこまで説明したかな?って?まあいいや。十分後に戻って来てこの伊織ご夫妻に続きをお願いしていいかな?」
拓海の部下は一瞬無表情になったが、どこまで説明したのか教授に説明する面倒くささよりも十分後に自分が戻る方が楽との計算をしたらしく、軽く頭を下げて部屋を出て行った。
実は演技などしなくても、拓海教授は傲慢な人なんだよね。
「あの、説明は?」
「千野さんへの今後の御対応に関しましては、僕の見解をまず申し上げてからの方がよろしいかと思いましてね。琉し亜さん。」
美しい女性こそ、千野の養女の琉し亜だったらしい。
彼女はおどおどとした風に微笑みだけをつくろうとして失敗し、拓海は、彼女に患者の誰をも安心させる笑みを見せた後、深くて良い声で尋ねた。
「ファティマの奇跡はご存じですか。」
「もちろんですわ。」
「そんな有名な話を知らない人間など――。」
「あ、俺は知りません。」
三人の大人に一斉に無言の視線を浴びるのは辛い。
俺は彼らから身を隠すようにして体を縮めた。
そこに温かい笑い声が響き、その温かい笑い声を立てた男は、俺にも理解できるようにと、ファティマの奇跡について語りだしたのである。
「一九一七年五月十三日。ポルトガルのファティマという地に住む羊飼いの子供達三人が、マリアの託宣を受けたという話です。しかしそのマリアの姿は、純粋なる子供達にしか見えず、子供達は一時は嘘吐きと罵られもした。」
「そのようなことぐらい。」
伊織に対して拓海は軽く手を上げて黙らせると、拓海は彼が本当に伊織夫妻に告げたかった事を語り始めた。
「その三人の子供のうちのジャシンタと言う少女は、その体験をもとに好きだった踊りや歌を封印して神に祈るだけとなられた。そして哀れな事に、一九二〇年二月二十日、スペイン風邪によって彼女は九歳で短い生涯を終えました。あなた方こそご存じでしょうね。千野さんは自分こそそのジャシンタの生まれ変わりと信じて、同じようにして歌と踊りを封印された方でしたから。」
「ですから、何を言いたいのですか?私達が知り過ぎているほどに知っている事を、私達と教義を同じにしないあなたがなぜわざわざ私達に突きつけるのでしょうか?」
「琉し亜さんは、素晴らしい唄い手でいらっしゃるそうですね。」
「ええ、妻は素晴らしい唄い手ですが、あなたは、――あ。」
伊織は拓海の言わんとしている事に気が付いたのか、大きく口を開けたまま、横にいる妻を見返した。
そして当の琉し亜こそ、大きく口を開けて拓海を見返していた。
俺は意味が分からないと拓海を見返せば、拓海は、だからこそ、と言い放ったのである。
「だからこそ千野さんは自分の聖なる力を神様に返上しようとなさっているのです。ただの人になれば愛する娘の一番の幸せだけを望むことができる。娘の歌声に合わせて一緒に歌を口ずさむ事も出来るのです。また、琉し亜さんを次代の主幹事にしてしまえば彼女の歌声さえも封印しなければいけなくなる。主幹事、つまりジャシンタを継ぐのはそう言う事では無いのですか?」
「あ、ああ、お母様。」
俺には意味がわからないが、琉し亜は自分の顔を覆って泣き出し、伊織はそんな妻を抱き締めて、拓海にお礼を言って来たではないか。
「ありがとうございます。未熟な私達はようやく母の思いを知りました。ああ、母こそこの琉し亜の幸せだけを考えていたとは!」
「理解して下さったようですね。僕の息子は千野様の意思を継ぎ、あなた方を一番良い方法に収める事でしょう。あとは僕達に任せていただけませんか?千野様の安らぎとあなた方ご夫妻の幸せのために。」
伊織夫妻は拓海に対して、机に額を擦りつける勢いで頭を下げた。
拓海はそれこそ法王みたいな顔をして彼らの礼を受けると、悠然と立ち上がり、今だという風に俺の首根っこを掴むや俺を連れて待機室Bからするりと逃げ出したのである。




