相談その一 拓海が目の前にいないときは
拓海の指先は、奇跡を起こすだけあって、常に繊細な動きをする。
俺は顔に大怪我を受けた時、ガーゼの取り換えがとても嫌いな時間だった。
顔のガーゼに貼り付けられたテープを剥がす時はいつも、熟練の看護師の手によるものなのに、絶対に皮膚の一枚ぐらい剥がれてしまったような痛みを感じてしまうからである。
けれど、拓海の自宅に戻ってからは彼が取り換えを担当してくれたのだが、拓海が取り換える時は痛みの一つも感じなかったのだ。
「痛くなかった?」
「ダイジョブです。」
「痛いって言っていいんだよ?こんなに肌が赤くなっている。昔ながらの包帯の方が君にはいいのかな?」
彼は俺が痛みに強いと嘆くが、俺の右頬に添えている大きな拓海の手の平は温かいし優しいしと、俺がそっちばかり気になるぐらいに拓海はテープの張替えが上手であるだけなのだ。
だから俺は包帯でなくていいと拓海にいつも言っていた。
「テープの方がずれないので、テープでいいです。」
「全く君は!痛いって僕には言っていいんだよ?」
そしてここには拓海はいない。
郷田とその手下二人と、俺を守ろうと俺を背に隠した藤と俺の五人だけだ。
拓海には俺は痛いとは言わないが、この目の前の悪漢達には拷問を受ける前に痛いと言ってしまった方が良さそうだ。
俺はそう判断すると、藤を押しのけて一歩前に出た。
しかしすぐに藤に引っ張られて藤の背に隠された。
「ちょ、ハレ君!だめ。」
「大丈夫です。俺は怪我したくないですから。」
「いや、でもこの状況を考えよう!俺に任せて。」
「でも三対一です。藤さんはボディーガードじゃ無いじゃないですか~。」
「そういうのはこの場面では言わない!もう!本気でこの子はお勉強だけ出来るお馬鹿さんじゃないか!もう!拓海先生は~!」
俺と藤のやり取りに対し、郷田は馬鹿にしたようにして鼻を鳴らした。
そして、これ見よがしに藤のスマートフォンをプラプラ翳した。
「ほら、あんちゃん。そのガキの方が賢いじゃねえか。だなあ、ガキ。痛いのは嫌だもんな。ほら、解除をしようか。」
「だ、だったら俺にそのスマートフォンを返してください。」
郷田は藤の背に隠れながらおどおどしている俺に小馬鹿にしたような目線を返すと、ふざけるな、と言った。
「てめえに返したら、てめえこそが好きにするって奴じゃないか。言え!解除方法を言え。そうしたらお前は助けてやるよ。」
「俺以外が解除するのは面倒だから言っているんですけど。あの、事務室に戻りませんか?事務室で解除ボタンのコードをメモさせてください。ほら、何度も言っている通り、俺が危機的状況という設定ですから、物凄く大量の数字を入力しないといけないのですよ。間違ったら大変な事になります!」
「うるせえ、口で言え!」
「じ、じゃあ。」
俺は藤の背から一歩だけ前に出たが、藤の右側から出て行ってしまったために、藤の右手に俺の左手が掴む杖を奪われた。
「藤さん!」
「ダメだよ、晴君。君は後ろ!」
藤は俺を再び自分の背に隠した。
そのせいで、郷田は痺れを切らしたようだ。
大声で怒鳴って来たのだ。
「ここで嬲り殺されてえか!」
「ひゃっ!」
俺は慌てたようにして自分の衣服をまさぐり、ジャケットの右のポケットに入っていた自分のスマートフォンを取り出すと、藤の後ろから郷田に投げた。
郷田はそれをパシッと受け取り、俺に何だと凄んで見せた。
「お、俺のスマホにコードが入っています。口で言って間違えたら怖いので、それで確認して打って下さい。だから、嬲り殺すのは止めて!」
「ちょっと、晴君!」
「最初からこいつを出せばいいじゃねえか!くそガキが!」
「だって、ここは寒いし、事務所だったら殴られないかなって。渡したんだから殴らないですよね。藤さんにも何もしないですよね。」
「しないよ。で、コードは。」
「メモ機能に円周率を二十桁入力してあります。それを打ち込めば、あの。」
郷田はヒヒっと嫌らしい笑い声を立てた。
そして、勝ったという顔を俺達に見せつけた後、自分の手下に俺達を捕まえろ、と指さした。
「一発二発ぐらい叩き込んでしまえ。痛い思いをした方が今後は素直になる。そうだろ?おいたが過ぎた子供は躾が必要なんだよ。」
郷田はすぐさま俺のスマートフォンのメモ機能を呼び出し、俺の言った通りのメモを呼び出し、藤のスマートフォンに数字を打ち込み始めた。
手下二名は俺達に真っ直ぐに向かってきた。
それも互いに数歩の位置だったから、彼らが迫るのはあっという間だった。
がッ。
藤は長い足で最初の一人の膝を蹴り込んだ。
男は転ばないが狭い場所だ。
隣りの仲間に体をぶつけた。
男二人は一瞬動きを止めた。
そこを藤は、二人の男達の喉元に向けて、俺から奪った軽いが金属製でもある俺の杖を大きく振り回したのである。
杖を喉にしっかりと受けた男達はよろめいて後退り、よろめいたすぐ後に大きな爆発音をその背に受けた。
「ぎゃあああああ。」
「うわ!」
「いた!」
後に残るは呆然と突っ立った藤である。
彼は恐る恐ると言う風に俺に振り返り、声にならない声で、どうしたの?と俺に口を動かして尋ねた。
俺は手と顔を自分の血で真っ赤にして床に倒れている郷田と、その郷田の姿に呆気に取られて座り込んだままの手下を見返して、藤に言った。
手下はまだ藤にやられた喉に手を当て、げほげほと咽てもいる。
「まずは動ける敵の拘束をお願いします。」
藤は俺に対してバイクを大破させた頃のような反抗的な目を向けたが、俺に対して出した言葉は従順なものだった。
「かしこまりました。」




