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連絡その二 流浪の民にはしばしの饗宴を

 俺と藤は食事に戻り、食事の後にはコーヒーまでも所望した。

 藤はなんだか俺を守る人という立場を辞めて、俺を楽しむ人に変えたらしく、俺の振る舞いにクスクス笑うだけの人になってしまった。


 郷田は俺達を監禁している事実に安心したのか、俺達の前に食後のコーヒーが配膳される頃には席を立って自分の巣へと戻って行った。

 いや、俺達の監禁に安心したのではなく、いまや千野の手術が始まっているのだから、祈りをしていなければ信者の信頼を失ってしまうからであろう。

 彼が現在籠っているのは、食堂からよく見える、受付と扉一枚で繋がっている、事務室である。


「凄いや。君のお陰で捕虜のはずの俺が生クリームが浮いているコーヒを飲んでいる。拓海先生が君を手放したがらないわけだよ。常に君は俺達に意外性を見せつけてくれる。」


 郷田がいなくなったからか、藤はさらに声を大きくして笑い出した。

 俺のお陰と言うが、ずうずうしくウィンナーコーヒーを所望したのは藤だ。

 食堂の配膳に若い女性スタッフが二名奥に残っていたが、彼女達に藤が軽くウィンクして、僕は生クリームを乗せて欲しいな、なんて声をかけたのである。


 結果、彼女達はふわふわの生クリームが乗ったコーヒーを俺達に持ってきてくれたどころか、藤の耳に今度は外で会いましょうと囁いていたのだ。

 くすくす笑いしながら祈りの為に食堂を出て行った二人を俺は茫然と眺めたと思い返しながら、俺は呆れた様な声を藤に出していた。


「あなたこそ、ですよ。藤さん。あなたは人によって色々と雰囲気を変える。俺はその度にあなたにびっくりですよ。」


「俺は役者になりたかったからかな?」


 藤はぐいっと、俺の頭に左手を伸ばして俺の頭を抱えて自分に引き寄せると、俺の頭に彼の頭をくっつけた。


「貝殻の声を聞くようにして君の心を聞きたかったが、君は貝よりもモノ言わぬ冷たい塊となっていた。ああ、僕は遠くで聞こえる電車の駆動音を君の心臓の鼓動だと思い込もうと、冷たいだけの君を必死に抱きしめていた。」


 舞台の台詞のような言葉を藤は吐くと、彼は俺から手を放した。

 俺は藤を見返して、藤が初めて会った時の顔、疲れ切った頼りない顔付をしているそこで、今の台詞が藤に実際に起きた事なのかと思った。


 もしかして、彼のバイク事故で、彼が二人乗りをしていたとしたら、と。


 国道に散らばった脳みそと彼は言っていた。

 それを拓海先生が拾って頭に戻してくれたんだよ、と。

 彼が彼でないように振舞うのは、失った誰かを演じているのだろうか。

 彼の頭の中の脳みそにはその失った誰かのものが紛れ込んでいる、と思い込もうとして?


「藤さん。」


「君とアンリ君に起きた様な事が、俺にも、いや、俺こそ欲しいと願っている。」


「藤さん。」


 藤は急ににっこりと微笑むと立ち上がり、ふらふらと言う足取りでグランドピアノの方へと歩いて行った。

 そしてピアノの蓋を開けたので弾き出すのかと思ったが、彼は蓋を開けただけで俺に対しておいでおいでと手を動かしただけであった。


「連弾しよう。」


「できません。俺は弾けません。」


「もう!拓海のおじさんが君に買ってあげたピアノで遊んであげていないの?」


 俺は唇を尖らせながらベンチ式の椅子に座り、藤は俺の左側に腰を下ろした。

 腰を下ろした藤は当たり前のようにして鍵盤に両手をおき、てれれれれと聞き覚えのあるイントロをすると、柔らかいメロディーを奏で始めた。


「ボディアンドソウル。脳みそを弄られて魂を失った俺達のような題だな。」


「演奏が見事で、俺には聴くしか出来ませんよ。」


「ジャズってね、飲食している所のバックで流れるんだ。人々のお喋りを邪魔せず、だが、自己主張もしなきゃね。また、ジャズは新たな音が加わることで即興音楽に変えることも出来る。さあ、君の好きな音を奏でてごらん?」


 俺は恐る恐ると、鍵盤を一つだけ押し、ぴ~んと甲高い音を奏でてしまった。

 すると藤はそれに対応するような音を奏で、俺はそれが面白くて別のキーをいくつか押した。

 テレレテテレレと藤が応答する。


「ふふ。面白い。」


「でしょう。だけど、拓海先生が弾いている時にこれをしちゃだめだよ?」


「あら。拓海先生こそこういう遊びがしたいって教える為なのかと思いました。」


「違う違う。あの先生はピアノを集中するために使うんだ。自分の考案した手術のイメージトレーニングに使っているんだ。だから彼のピアノは教授室にある。自宅に置かせたら一日中弾いて寝食を忘れてしまう。それで兵頭ちゃんに取り上げられたって話。」


「やっぱり彼は俺にかこつけてピアノを手に入れようとしていたのですね。」


 俺はでーんと、藤の方にある低い音の出る適当なキーを押した。

 すると藤の指は俺の方へと伸び、コロコロと物が転がるような可愛らしい音のメロディを奏でた。


「それもあるけど、あの人は自分の好きなものを君にも好きになって欲しい。それだけじゃない?あるいは、う~ん、実はやっぱりこういう遊びを君としてみたかった、かもしれない。」


 藤は端から端へ鍵盤を奏でると、今度はジャズでは無い別のメロディを奏で始めた。

 ついでに彼は歌い始めもした。


「ぶなのもりのはがくれに、うたげほがいにぎわしや~。」


 流浪の民だ。

 誘拐された俺達、いや、一度は死んで蘇ったような俺達にはお似合いな合唱曲の題だと思った。

 しかし、今のように俺達はこの身の上でも笑いふざけ合っているので、酒を酌み交わしている楽しい歌詞ともリンクしているが、これからの俺達は異なる。


 さあ、これから俺達は惑い、生き延びねばならない。


「ねぐら離れて鳥鳴けば 何処(いずこ)行くか流浪の民~。」


何処行くか流浪の民 何処行くか流浪の民 流浪の民


 ぎゅいいいいいいいいいん。


 建物全体を揺るがせるような機械音が、突然に地の底から響いた。


「え、何の音?」


「電力供給を絶たれたボイラーが落ちた音でしょう。」


「え?ハレ君?」


 食堂の時計は俺がエントランス前で藤にメールをした二時間後きっかりを指し示し、宗教法人ゴルゴダの丘精神修練研究所の本部の仮の姿、ジャシンタステラホームを真っ暗な闇に落とし込んだ。




2022/1/4 流浪の民の歌詞をもう少しだけ加筆しました。

ちなみに、藤さんはテノールです。

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