連絡その三 自分の無念は自分にしか伝えられない
阿栗の両親というか、阿栗翠祥は白戸町の祥鳳大学医療センターにいると思っていたが、彼は住居地であるかだえ町の病院にずっといたと言う事だ。
「え、でも拓海先生が担当医?え?でも、研修医さんを使ってって。」
「実際には担当医じゃないね。意識が戻らないからこの道の権威の僕に見立てて欲しいと診察依頼が来たって言うのが正しいね。依頼が来たならば、僕は下僕をいくらでも潜りこますことが出来る。」
拓海は研修医や学生に関しては本気で酷い扱いをするよなと思いながら、俺は気安くなっている彼に生意気な口をきいた。
「もちろん出張費用もろもろな?」
「晴くんは時々下世話になるね。」
「俺はお金がいくらあっても足りない人ですから、お金の話には敏感なんです。」
拓海は俺の頭をさらっと撫でた。
俺の頭には彼の手術痕である大きな傷跡が残っている。
今は髪の毛があるから隠せているが、髪の毛が無くなったら、きっとエイリアンを閉じ込めているような傷の縫い目が出てくるに違いない。
「医学は日々進歩している。美容外科の技術はね、事故に遭った人への修復技術を転用しているものなんだよ。数多くの皮膚科や形成外科の医師達が人の火傷痕や切り傷を美しく治す研究をしているんだ。そして、」
「そして、その技術の被検体となればお金が要らないって事ですね。」
「そう!だから君は未来だけを見ていればいい。なりたいもの、行きたい大学、将来的に欲しいもの。大丈夫。研究費を国や大学、あるいは支援者から、かっぱらう事に関してはこの道の権威という僕が君に付いているんだ。」
「でも先生。俺はこの腹の傷を高校生になる前に消したいです。」
北沢にナイフで切り刻まれた傷であり、その後に全裸にされて公園で裸踊りをさせられた記憶の傷だ。
決して消えない恥辱と恐怖と絶望の汚れ。
拓海は俺に微笑んで見せた。
そして俺に囁いた。
「逸原教授は君を治す手術の準備中だよ。ただし、皮膚細胞の培養にするか、君の皮膚を伸ばして、それを縫い合わせるか、お悩み中でもある。」
「つまり、結局は腹の傷も逸原先生の論文材料になるのでお金はいらない?と言う事なのでしょうか?」
「うーん。そっちは歯医者みたいに、ここからここまでは保健で治療できますが、ここから先は高額医療になります的な感じなのかな?よその科のことは良く分からないね。だけど、そのぐらい僕が払えるから君は心配いらない。」
「そんな!だって!」
拓海は片眉を上げて俺を黙らせ、いらない、ともう一度言った。
それから俺に手を差し出した。
「代わりに僕の説得材料になってくれ。君が有咲ちゃんに言って見せた言葉を翠祥君の両親に掛けて欲しい。」
「僕と同じように殺されても良いですか?と。翠祥君はもう殺されているのだから違う言葉の方がいいと思います。」
「例えば?」
「僕は生き残れたので未来を夢見る事が出来ます。」
「最高だ!頼むよ。」
俺達は翠祥の両親の前に出て、拓海は近隣住人の話から翠祥が飛び下りを強要された可能性があることを告げ、俺は同じようにいじめられた被害者である立場から拓海に語った言葉を繰り返した。
けれど、翠祥の両親は本気で子供を失いたくないだけの人達だった。
どうしても亡くなる可能性がある限り決断を踏み切れないのだ。
「あの、翠祥君に挨拶だけさせていただけますか?」
翠祥の両親は俺を訝しそうに見返したが、左顔半分にガーゼを貼り、新聞で元担任に暴行を受けた人間だと報道された人間だと知っているからか、どうぞと言って俺に翠祥の横たわるベッドへの道を開けた。
俺はまっすぐにベッドに近づき、眠っているだけにしか見えない綺麗な状態の翠祥を見下ろし、これでは親が渋るのも無理が無いと思った。
眠っているだけにしか見えない温かな大事な息子。
ピー。
俺は電子音にハッとして、もう一度翠祥を見直した。
彼は眠っているだけではない。
血圧などを確認する機械に繋がれ、当り前だが採尿されて腕には点滴だ。
そうだよ、人間は食べて出さなきゃいけない。
それで、何日眠ったままだって?
「拓海先生。人間は眠ったままだと何日持ちますか?いえ、あなたの手術に耐えられるリミットは後どれだけですか?」
「きみ!急に何を言い出すんだ!妻はもうボロボロなんだ!」
「知ってます!羨ましいぐらいにあなたも奥さんも翠祥君を愛しているってわかっています。だから、後悔して欲しくない。選択する時は全ての情報があってこそです。そのうえで判断するべきだと思います。」
俺はぐっと拓海に引っ張られた。
そして、拓海は阿栗夫妻に頭を下げた。
すいません、とも言った。
この傲慢な男が、俺の失言を庇うために謝罪なんてしたんだ!
「なぜあなたが謝るのです!あなたはもっと傲慢でいいのです。子供を助ける気が無いなら自分を二度と呼ぶなと言い切るぐらいでいいのです!」
「こら、晴くん。」
「だってそうでしょう?可哀想だ!翠祥君が!せっかく頑張ったのに、せっかく生き残ったのに、生きるための手を差し伸べて貰えない!生きているのに、生きたいから頑張ったのに、ここで終わりなんて!」
「こら、晴くん!」
「だって、僕は先生の手術で助かったじゃないですか!」
「はれ!」
拓海はかなりの叱り声をあげると、俺の口を塞いで、俺を殆ど抱きかかえるようにしながら俺を引き摺って翠祥の病室を引き上げた。
それからずんずんと廊下をそのまま歩き、最初の曲がり角で俺を開放すると、俺にやり過ぎだと言って笑った。
「だけど、もっと傲慢でってとこの台詞は僕は大好きだな。」
「それは良かったです。そこは本心ですから。あなたは俺のことで頭を絶対に下げないでください。」
彼は、善処しましょう、と笑った。
それから、あと三日しかない、と言った。
それは翠祥に拓海が手術を施せるタイムリミットである。
だから俺も彼に言った。
善処しましょう、と。




