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連絡その二 現場検証してみれば

 阿栗家は息子が飛び下りた日から、このマンションの自室を放棄したようだ。

 当日の警察の現場検証された状態のまま掃除もされず、流しもキッチンも数日以上使用された形跡もない。


 親達、おそらく、息子翠祥すいしょうが病院に搬送された後は、母親は病院の息子のそばから離れられずに病院前にあるビジネスホテルに泊まり、父親もそこから職場に向かうという生活にして、きっと二人とも息子の現場となったこちらには一切戻って来ていないのであろう。


 流しには翠祥の弁当箱が放置されており、それは後で洗うつもりで水につけてあったのに、そのまま放っておかれて乾燥してしまったような姿となっている。


「流しの食器ぐらいは洗ってあげたい感じだな。」


「では自宅の食器を洗ってください。冬なのに流しに蠅が飛んでましたよ。」


「君も意外と何もしないよね。」


「していいのならしますが?」


 拓海は、俺に顔を向けた。

 それで、好きにしたら、とまで言いかけて、そうか、と口を閉じた。


「君は冷蔵庫も勝手に開けないし、台所には一切入らないし、そうか、自宅の時はそうだったんだね。」


「母は台所が自分の城だったようで、可愛い弟の蒼星にだって台所に立たせませんでしたよ。冷蔵庫は、ええ、俺は触っちゃいけないって。」


「君は自殺のために桃の種を食べようとしたでしょう。桃の種はどうしたの?」


「生ごみから取っておきました。病院の図書館で青酸カリが簡単に毒性を失うって知ってがっかりでした。」


「ふふ。二度とその手を使わないと知って安心した。それなら冷蔵庫は好きに探って構わない。さあ、僕達は家に帰って食器を洗おう。だから、やるべきことを早く済まそうか。」


「そうですね。」


 俺は勝手に人の家の中を歩き、俺とは違って家族にとっての宝物でしかない翠祥の部屋へと向かった。

 部屋の扉には彼の部屋だと知らせる飾りが飾ってあり、ドアを開ければ、狭いながらもベッドに勉強机と、俺の部屋には一生不要となるだろうピアノが置いてあった。

 俺は自分の部屋どころか蒼星の部屋にだってない、翠祥のピアノをまさに驚いたという風にまじまじと見つめてしまった。


「晴君もピアノを習う?電子ピアノぐらい買ってあげるよ。」


「いらないです。翠祥君のレポートに誰も彼が音楽をやっているって書いていなかったから、ピアノをまじまじと見ちゃっただけです。」


「でもやっていないよ。中三になった途端に受験があるからって本人が止めちゃったってお母さんが言っていたもの。」


「こっちに引っ越してきたのは中二になってから、でしたっけ?お母さんがいじめに何も気が付かなったのは、引越してしばらくは友人も家に遊びに来ていたから、でしたっけ?だとすると、いじめが中三になってすぐに始まったって考えて、いじめの暴力で指が痛くてピアノが弾けなくなったのでしょうか。あるいは、ピアノを壊されてしまったから、彼はピアノを弾かなくなった?」


 俺達は顔を見合わせると電子ピアノに向かい、そこで鍵盤を覆う蓋を開けた。

 真っ黒く染まった鍵盤からは墨汁の匂いが漂い、完全に固まっているそれが最近ぶちまけられたものではないと物語っていた。


「ひどいな。弁償もんだぞ。」


「弁償させられるのが嫌だから虐めた?違うか。忌々しかったのかな。阿栗君は親にこんなに愛されて、いくらでも望むだけ望むものが得られるって考えて。でも、どうして親は気がつかなかったのでしょうか。俺の親だったら、蒼星がサッカー止める言い出したら、尋問みたいにして蒼星を囲むでしょうに。阿栗家だって息子に電子ピアノを買ってやっているぐらいなんだし。部屋だって普通に親は掃除ぐらいするでしょうに。ピアノの異常にどうして気が付かないんだ。ピアノなんだよ?」


「だからさ、僕が君にピアノ買ってあげるよ?」


「だから、ピアノが欲しいわけじゃないですって。もう!」


 俺は阿栗の部屋の窓を開けてベランダに出た。

 ベランダと言っても室外機を置ける程度の狭さでしかなく、下の階の人はよく同じ仕様のベランダの柵に布団を干せたなとぼんやり考えた。

 それでもっと下を覗こうと身を乗り出して、俺の胸元には大人の腕が差し込まれて後ろへと引き寄せられた。


「そんなに身を乗り出したら落ちるでしょう。」


「意外と過保護ですね。でも、ありがとうございます。それで、あの、下に花壇はありませんよね。まだ亡くなっていないけれど、縁起が悪いから片した?」


「まだ二週間もたっていないのに、そんな訳って。ベランダが違うのか。」


 拓海は俺から離れると翠祥の部屋を出ていき、同じ向きだが離れた位置のベランダから翠祥の部屋のベランダに立つ俺に向かって大声を上げた。


「こっちだ。両親の寝室側!君は両親の寝室から出て来て!」


「どうして!」


 俺は急いで翠祥の部屋を飛び出し、拓海の指示通りにリビングを抜けた隣りの部屋となる部屋に入り、そこで親が自宅に戻れなくなった理由を知った。

 部屋中が墨汁塗れの真っ黒な状態なのだ。


「これをしたのは阿栗?それとも小塚達か?」


 ベランダから拓海の声が聞こえた。


「その検証は警察か親に任せればいい。僕達はここから翠祥君の視界を共有しよう。僕も君と同じだ。絶望したって飛び降りようとは思わない。」


 俺は損失の窓の鍵を開けてベランダに出て、拓海の隣に立ち、それから下を見下ろした。

 ひゅうと下から冷たい風が、下を覗き込む俺の顔をほんの少しくすぐった。


「確かに。絶望したってここから飛び降りようとは思いませんね。」


 マンションのエントランス側と言える正面から見えるマンションのベランダは等間隔にある同じタイプしかなかったが、3LDKから5LDKと部屋数にバラツキのある家族タイプの部屋ばかりの中庭側は、ベランダが部屋によって仕様が違っていたのである。


 阿栗家のベランダは寝室とリビングが繋がった広めであるが通常タイプであるが、二階下の斜め下にあるベランダはルーフバルコニーと言えそうなほどに突き出しているタイプだった。

 阿栗家のベランダから身を乗り出した感覚として、その斜め下のベランダに落ちてしまいそうに思えるのだ。


「彼は逃げようとしたのかな?だが、上から見た風景では正確な距離感はつかめない。彼はあのベランダに逃げるつもりで下に落ちてしまった。」


 パンパン、パンパン。


 小さな手を叩く音に俺達は右側に振り返り、隣りの部屋の住人がベランダに出て来ていた事を知った。

 ベランダには幼稚園入園前ぐらいの男の子がおり、その子が俺達に向かって手を叩いていたのである。

 その子は俺達に注目されているとわかると大きな笑顔を作り、さらに俺達に向かって、大きく口を動かした。


「まあ!ゆうくん、止めなさい!何をしているの!」


 母親らしき女性がベランダに飛び出してきて、俺達が声をかける前に子供を抱えてすぐに隣の部屋に消えてしまった。

 子供の声だって掻き消して。


 けれど俺は両手を叩いた。

 あの幼児と全く同じにして。


 パンパン、パンパン。


 そして、人の口の動きだけは読み違えないと自信をもって、幼児が唱えた言葉を拓海に聞こえるように声に出した。


「と~べ。」


 拓海は喉を鳴らして低い声で笑い、俺の肩に腕をかけた。


「よし、ご両親を説得しよう。」

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