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連絡その一 俺は自分を阿栗だと仮定しようかなって

 阿栗のマンションを見上げていた俺は、急にあのマンションに上がって見たくなった。

 阿栗が落ちたとされる六階の自室、そこから下を見下ろしてみたくなったのだ。


「できますか?別に六階でなくとも構いません。できましたら六階が良いですけど、五階でも、七階でも。」


「阿栗君の気持ちになりたいんだね。」


「そうですね。俺は飛び降りる気には絶対になりません。だからこそ見下ろした時の情景が見たいですね。彼は落ちる時に布団に絡まったと教授はおっしゃいましたけど、手を伸ばしたら掴めて助かると彼は考えていたら、とか。」


「いいね、それ。彼は最後まで死ぬ気などありませんでした、お母さん。いや、お父さんと阿栗俊介さんを攻めた方がいいのかな。」


 人でなしの思考しかしない男は、自分の為にはいくらでも動ける男であるので、拓海はすぐさまマンションの管理会社に電話をして空いた部屋の内覧をさせるように連絡を始めた。

 が、そんなにすぐに人が動けるのはドラマぐらいだ。


「あ、うそ、いや、別のマンションは、といいますか、もう!いいです。」


 一分で交渉を決裂させてどうする!

 俺は黒塗りセダンを降りると、そのまま杖をついて阿栗のマンションのエントランスへと歩いて行った。

 俺の後ろを慌てたようにして拓海が追いかけてきたが、俺の足ならば彼を待たずともあと数歩もしないで追いつくだろうとそのまま歩いた。


「ちょっと!鍵も無いのにどうするの?」


「鍵はあります。あるはずです。阿栗君は何度か鍵を無くして、それで無くした時用に予備の鍵を郵便ボックスの底にガムテープで貼り付けてあるみたいです。母親とのメールでそんなやりとりありました。」


「そんなログを掘っていたら最初に教えてよ。ああ。鍵を無くしたその時に警察に行くか、あるいは鍵を取り換えていれば、彼は落ちずに済んだ気が僕はするよ。」


「あ、そうか。鍵が盗まれていた可能性ですか!」


「転落時に自宅玄関に鍵が掛かっていた理由になる。で、郵便ボックスのキーナンバーは何番かな。自宅の鍵が誰でも手が届く場所に隠してあるとは、ぞっとしないね。」


「ええと、江戸幕府の創設ですって。何年ですか?」


 拓海は俺を見返し、俺の頭をさらっと撫でた。

 それから俺に指を二本立て、軽く振って見せた。


「普通に意識がありますよ?どんな返しですか。」


「いや。学年一位になったはずの僕の晴純が何を言っているのかなって。ええ?わかんないの?現役でしょう?」


 俺は面倒になって有咲にメールを送っていた。

 彼女は授業中だろうが、絶対に返信してくれる!

 有咲は俺のお世話係を自称しているだけあって、俺を絶対に見捨てないという心優しい人なのである。

 スマートフォンは数秒しないで震え、俺の画面に返信があることを知らせた。


「一六〇三でお願いします。って、知っていたんじゃないですか。」


 拓海は阿栗家の郵便ボックスを既に開けており、大量のDMやチラシをより分けながら底の方にガムテープで貼り付けてあるらしい鍵を取り出していた。


「普通覚えているでしょう。江戸幕府ぐらい。では、はい、中学生。室町幕府の開設は何年だ!」


「室町って鎌倉の前でしたっけ?後でしたっけ?俺は社会科が苦手なんですよ。社会性が無いからですかね。ハハハ。」


 拓海は珍しく頭痛がしているかのように眉間に指先を当てて数秒動きを止め、それから俺を見返して俺に何かを言おうとして口を閉じた。

 彼は気が付いたのだろう。

 俺が苦手科目についてカンニングをしていた、という事実を。


「どうして!いや、そこまで君はしたのか!」


「谷繁は社会科の担当でした。俺は彼の授業こそ勉強などしたくなかったし、彼が教えた事など自分の血肉にはしたくなかった。ですから、二学期の期末は社会科のテスト答案を盗みました。安心してください。谷繁が教壇に立たないならば、俺は三学期は真面目に勉強します、から。」


 拓海は俺を軽く睨んだだけで、行くぞ、といって身を翻した。

 俺は彼についていき、彼が俺の前を歩いていようが、彼が俺の足の速度に合わせてくれていると数歩も歩かないで気が付いた。


 子供の足が悪いのならば、親は歩く速度を合せるものだ。


 一度だって立ち止まってもくれなかった親を思い出し、自分は足が悪くて障害を持っていて良かったと考えた。

 健康だったら気が付かないままだったろう。

 彼らが自分本位でしかない人間だと言う事に。

 気が付かないから、きっと、死ぬまで、どうして彼らは自分が求める愛情を自分にくれないのかと悩むばかりだったろう。


「大丈夫か?足は動いても痛みはあるんだよね?」


「大丈夫です。拓海教授が優しいとこがあるなって、感動しちゃってて。」


「悪かったです。ほら、僕の肩に右手をかけて。エレベーターまで僕に寄りかかりなさい。これくらいのひょろがり。僕だって持ち上げて運べます。」


「あと三メートルぐらいは?」


「あと三メートルぐらいは。」


 俺は拓海の肩に右手をかけた。

 彼は自分が言ったとおりに俺の腰に左腕を回して持ち上げ、俺をほんの少しだけ宙に浮かせた。

 体に羽が生えた気がした。

 アンリの周りをふよふよ飛んでいた時は、もっと飛んでいたのにこんな爽快感は無かったなと思った。

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