報告その三 自分も呼吸が出来ませんでした
拓海が有能すぎる人間であるのは、一切無駄な時間を作らないからだ。
彼は俺との話合いが終われば、すぐさま自分の運転手を呼び出した。
拓海が車の運転などするはず無いじゃないか。
マンションの駐車場に黒塗りの大型セダンがあるが、病院からの退院に際しては、俺は初対面の拓海の運転手にそれに乗せられて、有無を言わさずに拓海の自宅マンションに搬送されたのである。
拓海のマンションに現われたのはあの日の運転手の藤剛という若い男性であり、拓海の藤へのフランクな物言いに藤への信頼はあるのだとはわかったが、俺と拓海の企みを知らせてもいいのかと考えた。
ただし、車に乗り込んだ後、藤は頼りなげで静かそうな雰囲気とは違って意外とお喋りで、彼は拓海との出会いを俺に聞かせ始め、俺の心配は杞憂だと思わざるを得なかった。
「両親に反発してバイクを転がしていたら本当に転がっちゃいましてね。俺の脳は国道のあちらこちらに放り出されたんです。そこを拓海先生が、使えるものだけ頭に戻して俺を蘇生させてくれたのですよ。それで生きていますが、忘れっぽいし怒りっぽい。まともな就職ができませんから、俺にとっての先生は、本当に救世主様なんですよ。」
「わあ!」
俺の感想はそこまでだ。
バイクの運転を誤って大破した人間が運転する車は大丈夫なのかと、忘れっぽくて怒りっぽいと言ってるけど大丈夫かと、後部座席の俺の隣に座る教授を盗み見れば、教授は当り前のように仕事をしていた。
自身のノートパソコンで、なんか、いろいろ、見ていらっしゃる。
そして、仕事中だ話しかけるなオーラを拓海は纏っていた。
「ハハハ。先生は車に乗るといつもこうですよ。だから今日は楽しいです。話す相手がいるのは良いですよね。喋るって、それだけでストレス解消になりますもの。いや、俺のせいで君こそストレス、かな?」
「そこは心配ご無用ですよ。俺は今まで喋りたくても喋れなかった。ですから、こうやってあなたが喋ってくれて会話をしてくれるのは嬉しいです。」
「そう言ってくれると嬉しいね。俺は事故の前は親や兄弟と喋りたくないって反発していたのに、今や喋りたくとも喋らせてもらえないってストレスをためているダメ人間だ。」
俺は両親に知的障害者と思われていた。
そこで障害を遺伝と認めたくない両親に、俺はいないものとして扱われた。
そんな俺の過去の日々のように、彼は事故の後遺症から家族に同じような目に遭っているのだろうか。
「まあ元気?今は大丈夫なの?困った事は無い?顔を見せれば朝から晩まで纏わりついての大騒ぎです。」
そっか、幸せ者ですね。
俺は冷めた目で車外の風景に視線を動かした。
国道には飛び出し注意の看板や地元の産業の広告看板が立っていて、車の脇を次々とそれらが過ぎ去ってった。
ただ一つ、何度か見かける大手建設会社の看板があり、何度も見て運転手と同じ名前だなと何度も思ったせいか言葉が口から勝手に出ていた。
「藤建設って、藤さんと御親戚だったりですか?」
「父ですね。社長が。祖父が政治家をやってる藤これみちです。名前は平仮名で覚えてください。投票用紙には藤が無くともこれみちだけでも大丈夫ですよ。」
俺は大金持ちで権力もある一族の御子息を助けたらしい教授を見返し、この人は当たりをひく人なんだなあと考えた。
阿栗翠祥の父は、大手電力会社の偉い人だ。
いや、金があるから拓海を指名できるのか?
するとやっぱり拓海が凄い人と言う事になるのか。
「さあ、重苦しい田舎風景が始まりましたよ。人を押し潰す世界の始まりです。俺はバイクに乗っている時だけが呼吸が出来た様な感じがしました。」
俺は藤の言葉に前方を見返した。
畑や田んぼが広がる風景で、俺が住む町と比べれば農村地帯としか言いようのない広々とした世界である。
しかし藤が言う通りに世界が重苦しく感じるのは、冬の空が灰色で重苦しく、空がとても低いと感じるからであろうか。
「俺にはこの土地に先祖代々の大きな家がある。だから、都会に遊びに行けても、そこに住んで暮らしていくことは許されない。祖父が政治家をしているからこそね、家族は地元から離れちゃいけないって縛りがあるんですよ。嫌でしょう?自分達は頑張って田舎の土地にしがみ付いているのに、自分達が投票した人の家族は田舎を捨てて都会で面白おかしく生きているって知ったら。」
「あ、ああ、そうですね。」
俺は何かに気が付かされた気がした。
周囲を見回し、藤が重苦しいと言った風景を見直した。
そこで大きな家のすぐ手前で車は止まった。
「まず、五人組の一人、石井蓮の自宅になります。本家の跡継ぎって所でしょうか。」
広々とした敷地はぐるっと植木を組んだ塀で囲まれて、旅館みたいな大きな門構えがあり、家屋の横には日本庭園らしきものも確認できる。石井連の自宅は、俺が住む町には見る事の出来ないお屋敷であった。




