さあ、僕のフクロウよ、烏を蹴散らしてくれ
「僕は蒲生晴純です。」
「そうだね。君は三人いた。泣くばかりの晴純君と、隠れて出てこない主人格、そして、君自身を守り君が得られない親の愛を担当していた、アンリ君だ。」
俺は拓海を見返し、それから自分の布団の上に放られた書類袋を初めてのように見返し、中身が俺の小説だったと気が付いた。
「読んだのですね。」
「ああ。君への一年半以上の暴行について、僕は余さず知ることができた。凄いなって思ったのは、その記録だけでなく、誰にも助けて貰えずに傷ついている自分の為に、不幸な現状を壊していける主人公の物語を綴っていた事だ。」
俺は封筒に目を落とし、そんないいものではない、と呟いた。
「俺は俺以外にもっと不幸な人間がいると考えたくて、大好きだった小説の主人公を不幸に書き換えていたんです。」
「その主人公は不幸じゃないよ。僕は読んでそう考えた。最後は、そうだね、君が自分を終わらせるために彼を君と同じ自殺という結末にしてしまったけれど、それまではどんな屈辱にだって彼は耐えて敵を打ち破っていたじゃないか。ぜんぜん不幸どころか格好いい主人公だって僕は思ったよ。だから彼は君の為に蘇ってくれたのでしょう?」
俺は返事などせずに口をぎゅっと閉じた。
それで口を閉ざす拓海ではない。
彼はさらに俺を追い込んだ。
「アンリ・ヘイムルダム。君が作り上げ、君が限界となったその日に降臨した、君のヘルパーとなった人格だ。」
拓海は指先で俺の頭、アンリがいると彼が思っている場所をツンとついた。
「君が赤ん坊の時に受けた大怪我による障害のために、君の脳は、通常だったら眠っている場所を活動させているんだよ。それは幼い子供のてんかんを治すための半球切除手術の結果と似た結果を示している。失われた機能の代りに異なった場所に脳はネットワークを繋げ、生きていくのに必要な機能回復をと、脳が自らを進化させているんだよ。」
「アンリを俺の脳が作った幻影のように言わないでください。彼はいました。俺は彼が俺の体を使っている時、彼の傍で幽体となって浮かんでいたんですよ。」
「幽霊って質量はどのぐらいなのかな。」
「え?」
拓海はにんまりと笑った。
科学者こそ夢見がちなんだよ、とも言った。
「夢見、がち?」
「大昔は、人間の眠っている八十パーセントの脳の部分を活性化することで、超能力が発揮できると研究していた人間もいた。」
「ちょう、のう、りょく?」
「幽霊その他がこの世に存在しているならば、物体として質量があるはずだ。魂の質量を計った科学者もいたね。現代では死後に抜けてしまった水分量でしかないと結論づけられているけどね、脳の不活性部分についてはまだまだ宇宙の深淵ぐらいに解明されていないんだよ。人は脳の大きさや機能によって、猿という種からは大いに外れた生き物となっている。全ては脳だ。脳の活性化によって、人は今の人である種から進化できるかもしれない。異世界の人間を召喚できる、とか、異世界の出来事をリーディングできるとか、僕達はまだまだ夢を見てもいいのではないのかな。」
俺は拓海の言いたい事が分かって来た。
彼は俺をモルモットにして、俺の症例を元に、人の可能性を探る脳手術の研究を重ねていきたいと言っているのだ。
俺の目覚ましく見える回復結果は、脳を弄った結果の死を考えても手術を受けたいと患者が考えるような、医者こそ俺の結果になるように脳に刺激を与える手術を試してみたいと考えるような、そんな結果ともなっているのか?
俺は自分を保つために自分で書き続けてきた大学ノートに目を落とし、封筒の中に俺のノートではない別人のノートが入っていることに気が付いた。
俺はそれを取り出して開き、自分の字ではない別人の字で書かれたそれを読み始めた。
「日記だ。俺みたいに虐められている人の日記。」
「でも、君みたいにはっきりとした個人名称も無ければ、された事をはっきりと書き残していない。そここそ必要なのにね。君は勇敢だったから、された事に目を背けずに、ありのまま、出来うる限り詳細にされた事を書いた。けれどこの子は脅え切って、怖い痛い死にたい、しか書けていない。」
俺はこのノートの書き手にとって最後のページになるはずのページを探し、そこに俺と同じような遺書を発見した。
やはり、加害者の名前が書かれていない。
普通は書くよな、そう思いながらページをめくり直すと、ところどころ破られて消えているページがあった事に気が付いた。
「もしかして、強要された自殺という、殺人?」
拓海を見返せば、彼は教授然としてパイプ椅子に座り直しており、今までの軽い雰囲気を捨てて学生を指導する威厳を持って俺に頷いて見せた。
良くできたという風に。
「五日前に自宅マンションベランダから飛び降りた。六階であったが、下が花壇だったことと二階下の干しっぱなしの布団に絡まったからか、今のところは命に別状はない運の強い子だ。ただし、意識不明。」
俺は拓海を見返し、開頭手術がしたいのですね、と尋ねた。
彼は嬉しそうに微笑み返した。
俺の母を説得した時のように、その子供の両親の心を揺さぶって手術の承諾書を貰えるための何かが欲しいのだ。
これは殺人だったよ、ぐらいの衝撃的な証拠が。
「命の危険があると言えば、普通に手術の承諾書ぐらい。」
「意識は戻らない今の状態でもね、命の危険が無いんだ。でも、僕の手術を受けたら死んじゃう可能性があるんだよ?」
「でも、あなたは手術をしたいと。」
「僕は君みたいな子が沢山ほしいし作りたい。だから手術をしたい。そのためには親の承諾が必要だけど、親は自分達に非があると思い込んでいて、子供を失う可能性は嫌だと言い張っている。殺人を伴ういじめがあったと親が知れば、子供を叩き起こして何があったと親は子に確かめたくなるかなって僕は思うんだけど、どうかな?」
俺は、俺のパソコンを、と拓海に言った。
それから、その子のスマートフォンの番号が欲しい、とも。
「わあ!ありがとう。晴くん。」
彼は立ちあがると部屋の隅に置かれた大きなカバン、そこから俺のノートパソコンを取り出して、俺に手渡した。
「さあ、フクロウよ。心置きなく烏の群れを追ってくれ。」
俺が彼を睨むと、彼は俺を窘める眼つきを返した。
「感謝するんだよ。僕が、君の大事なものを匿っていたんだ。警察にこれの中身を見られたら事でしょう?」
「――感謝します。ええ、感謝します。それで、一つだけ伺っても良いですか?あなたの家に行ったら、病院での入院中と同じように盗聴盗撮も必ずあるという認識でいいですか?」
拓海はニコッと笑い、俺にふざけたことを言った。
「子を見守るのは親の役目だ。」




