罪を裁くのは神の仕事であるゆえか
「ちょっと道筋を作れば?信じたいものを信じる馬鹿は煩いんだよ。君のお父さんのことはよく知っている?知りもしないくせに本当に煩いよ」
谷繁の喉から銀色の切っ先は消え、今後は一切モノ言わなくなった谷繁はそのまま俺の真横に倒れた。
谷繁の後ろには北沢がいて、彼は谷繁を刺したばかりの文化包丁を持っていた。
「か、買ったの?わざわざ買ってここに来たのか?」
「家庭科準備室には包丁がいっぱいだよ」
俺と目が合うと彼はニヤリと笑い、俺に襲いかかる代わりに立ち上がった。
彼が自分でつけた頬の火傷は傷としては治っていたが、逆さ十字のケロイドとして彼の頬には赤く浮き出ていた。
「ガマ、脅えなくてもいいよ。俺はやれない。俺はお前に突っ込む気なんか無い。だってほら。」
北沢は学生服のズボンを下ろし、パンツもずり下げた。
そこにはケロイドが広がる三角形があるだけだった。
陰嚢も無い。
陰茎も無い。
尿道の為のストローのような器具がほんの少し顔を出しているだけだ。
「だけどさあああ、ここが痛くて堪らない。モヤモヤして堪らない。お前を見る度ムカムカしてモヤモヤが増すんだ。だからお前は憎い。だけどお前は楽しかった。あの日はとっても気持ちが良かった。もう一度お前の腹にナイフを刺したくて堪らない。あの感覚が忘れられなくって堪らないんだ。」
俺はごくりと唾を飲み込んだ。
北沢は本当に壊れていた?
カッコイイからと思い込み、狂っている振りをしているだけの、痛すぎる中学生では無かったのか?
「そ、その怪我は、か、火事の時に?」
北沢は自分の下腹部を見下ろして、そう、と答えた。
落雷で教会が火事になったなんて皮肉で笑えるだろう、と彼は付け足した。
「どうして皮肉になるんだ?」
「だってほら、雷が落ちるのは罪びとの上だって決まっている」
北沢は自分の何もない下半身を見下ろし、罪は消えたはずなのに、と言った。
男性器が罪そのものと彼の母親は思っているのか?
「かあさんがさ、男の身体は不浄で汚いからそれでいいって言うんだ。神は割礼を望んでいる。割礼をしなければ神を冒涜した事になる。だから神様が俺を選んで割礼をしたって言うんだよ?俺は天使だから、この世で汚される事が無いようにって神様が選んだって言うんだよ」
俺は自分の記憶を思い出していた。
担架に乗せられて、救急車に運ばれる北沢。
必死で息子にしがみ付く北沢の父。
「さ、再建は出来るんじゃ無いのか?」
「母さんはこれこそ神の思し召し?って言っている。俺が無くなったものがざわざわすると言うと、母さんは俺の中に悪魔がいるからだって。俺がざわざわするのは悪魔が目覚めたんだって言っている。だから、お前が全部悪いんだ。せっかく神様に選ばれて綺麗になった俺が、再び汚れて悪魔に憑りつかれたのは、全部、全部お前がいけないんだよ」
ゆらっと動いた北沢は、俺に包丁を向けながらしゃがみこんだ。
彼の狂気に満ちた血走った眼は俺の股間を見つめていて、俺は彼の持つ包丁がギリギリに俺の腹の上にあることで完全に動けなくなった。
俺は死ぬのかな。
やり過ぎたから、俺は死ぬのか?
北沢はもともと心療内科に通院していたが、谷繁も俺へのいじめが表面化した事で自分の責任問題となってから、責任逃れの口実なのか心療内科に通い始めたのである。
病院はカルテのやり取りをしている。
その改ざんを俺はした。
精神を本当に病んで苦しんでいる人がいるのに、この二人は詐病で自己保身をして好き勝手にしていると俺は考えたからだ。
本当の苦しみを味わえ、と。
だから彼らに処方される薬を、副作用がある強いものに書き換えてやったのだ。
たった一回だけ。
だってそれだけで中毒になる量だ。
禁断症状に苦しめ、それぐらいの軽い気持ちであった。
パソコンで何だって書き換えられる、そんな万能感に俺は突き動かされており、そこで俺はやり過ぎてしまったのだ。
ハハハ、北沢に関しては本当に病気で、俺こそ彼が完全に壊れる後押しをしてしまったとは!
なんて皮肉なんだ。
自分で自分の死刑執行書にサインをしてしまっていたのか。
「お前も同じ目に遭えば俺の気持ちがわかるよな」
北沢の言葉に、俺は自分を罵った気持ちのまま怒鳴り返していた。
北沢か谷繁に襲われる事は想定していたが、想定よりも最悪なこの事態なのは、この俺が余計な策を講じてしまった結果だからであろう。
そんな後悔の気持ちで俺は逆切れてしまったのだ。
「わかるわけないだろ!俺はお前に散々に腹を切られてんだよ?お前に一生同情なんかできるか!」
「一緒になったらわかるよ」
北沢の返しを聞いて、俺は自分を守る必要があるのに、煽るばかりの台詞を吐いていたようだとさらに後悔の悲鳴を心の中であげた。
どうしたらいいんだ!
「お前を、俺と同じに、同じに」
包丁は俺の腹から遠ざかり、その代わりとして俺の顎先に突き付けられた。
「脱げ」
俺は両手をズボンのベルトに掛け、言われるがままベルトを外した。
ズボンを尻の下まで下げた。
それから、ついさっき北沢がしたようにしてパンツを下ろし、パンツの中にあった俺自身を空気に晒した。
北沢は目を輝かせて、自分にはない俺の性器を覗き込んだ。
そこで凍える寒さを俺は急に感じて身が震え、殺される前の生き物が出来る行動を体が勝手にとった。
「うぎゃああ!」
俺の怯えがスイッチとなって漏れ出た尿は、意外にも勢いよく上へ飛び、北沢の顔に直撃してしまったのである。
北沢は反射的に両手を顔に当て、俺に向けていた包丁は俺から遠ざかった。
いまだ!進軍しろ!
頭の中で聞きなれた声が響き、俺は思いっきり左足で北沢を蹴り込んでいた。
腹を蹴られた北沢はよろめき、二歩ほど後ろに退いた。
俺は飛び掛かるようにしてコードリールに抱きつき、闇雲となってそれを北沢に向けて押し出した。
包丁を再び振るわれる前に!
「畜生、ガマ!」
北沢が俺に包丁を向けたのと、俺が北沢に向かってコードリールを押し出したのは同時だった。
文化包丁は俺でなくコードリールのケーブルを切り裂いた。
「ぎゃああああああああああ!」
電源が舞台右側奥という関係上、パイプ椅子を外に出さねばコンセントを電源に繋げないからと、コードリールは常にコンセントに繋がれている。
常にコードリールは通電状態なのである。
俺の小便、アンモニアと塩分が入った水を浴びていたがゆえに、包丁で絶縁体を切り裂いてしまった北沢は簡単に感電し、叫んで燃えて崩れ落ちた。
俺はバタンと仰向けに横たわり、地下の暗い天井を見上げながら、自分こそとうとう人殺しになってしまったと考えていた。
考えるだけだった。
後悔は全くしなかったから、本当に考えるだけだったのだ。
この殺人は公となり、北沢の入学を認めた校長もその他の職員も、自分達の決断の責任を全員が背負うことになるであろう。
計画通りじゃないか、と。
「アンリ。ドブネズミは駆除したよ」
常にびりびりと痺れて痛い感覚なだけで動かせる左足の膝部分を見つめ、よくやったとアンリの代りに俺は自分を褒めてやった。
けれども谷繁と北沢の死骸に対し、ざまあ、と思えなかったのは、俺には本気で悲しい事だった。
俺が得たものは虚しさだけか?と。




