地蔵医師とマッドドクター
市村がアンリに怪我をさせた現場は、俺の住む白戸町の隣、ビジネス街となる江里須町だったが、救急車はアンリを白戸町の東病院に運んだ。
本当は江里須町の救急指定のある病院に運び入れる予定だったらしいが、手術室が塞がっていたことで、急遽、と言う事らしい。
「いや、本当は祥鳳大学医療センターに運んで貰うつもりだったんだけどね。どういった行き違いなのか。」
有咲ちゃんが見舞いに来てくれた翌日の早朝、俺の病室に来て俺の体を診察していた拓海医師は、俺の体の状態とは関係ない所で首を傾げていた。
「いや、普通に俺が死にそうだったからじゃないですか?江里須町からだと祥鳳大学医療センターよりも東病院の方が近いし。」
「ええ~。肋骨三本折ったぐらいじゃ死なないよ。」
「いや、肺に折れたのが刺さっていたって聞いてますよ。俺は。」
「あ、起き上がっちゃ駄目。静かに横になって。」
アンリは拓海に言い返すために顔を動かしただけなのだが、拓海は慌てたようにしてアンリ=俺の頭を両手でそっと支えた。
その行為に、俺とアンリは拓海にされた数分前の出来事を思い出していた。
拓海は病室に来るや俺の脈や体温を測り、そして、胸の怪我についての質問をするどころか、俺にぶすっと注射を刺してきたのだ。
ここは彼の勤務先の祥鳳大学医療センターではないが、医師という免許を持っていて、自分の患者だと言えば好きに治療行為が出来るのか?
で、先程の注射は何の治療行為だったのか。
「あ、拓海。もう来ていたのか。早いな。」
今回の担当医ではないが元担当医のよしみなのか、俺の病室に楢沢医師までが見舞いに来てくれたようだ。
って、楢沢医師も、拓海医師が持ってきて俺に射込んだのと同じ、薬瓶と注射器が乗ったトレイを持っているとは何事なのか?
「時は金ありって言うでしょう。それに僕以外の注射で晴純君の調子が悪くなって全部がおじゃんになったら悲しいからね。造影剤は打っておいた。」
え?造影剤?
楢沢医師は、ハアアア、と疲れたようにして大きく溜息を吐き出した。
そして、廊下にいたらしい看護師に自分のトレイを手渡した。
「うん。不要になった。馬鹿が自分のうちから持ってきていたらしい。で、打ってしまったからカルテにも記入しておかないと。カルテを。」
「あ、僕がもう手元に持ってきている。」
「全く。君は。」
「仕方が無いじゃない。うちに呼んだのに、救急車が君んとこに行っちゃったじゃない?もうさ、晴純君が気になって気になって。」
地蔵で人格者な楢沢医師は、トンだサイコ医師に対して呆れたのか自分の額に手を当てて大きく息を吐くと、こっちに呼んで良かった、と言った。
「え、君が横取りしたの!」
「そうだよ、拓海。そんな緊急時にCTかMRIで脳みそ検査したいだけの奴に手渡したら、この子が死んじゃうじゃないか。この子の事を考えたら、手術室も空いているこっちに連れてこいって救急車無線に割り込むさ。」
「このとんび!晴純君はうちの子なのに!」
「人格者だと言え。もともとうちの子だろうが!」
俺は楢沢医師を見つめ、彼は俺の本当の命の恩人だったと合掌した後、マッドサイエンティストだったらしき拓海医師を見つめた。
ベッドで身動き取れない状況にされたアンリだって、思いっ切り不信の表情で目だけぎらつかせて拓海を見返しているではないか。
拓海はそんなアンリの目にも友人医師の呆れにもどこ吹く風で、スマートフォンを取り出して時間を確認すると、ニヤッと笑った。
「じゃあ、時間だ。MRIに遠足に行きましょう。」
「お前んところはCTもMRIも二か月先まで予約があるんだものな。全く。連日貸せ貸せと煩い電話をしてきて!絶対に君はそう動くと思って、晴純君の肋骨には金属じゃない肋骨ピンを使ったんだぞ。再手術のいらない、合成吸収性骨片接合材料を、だ。金属よりも扱いが難しいのに。」
「それを聞いたから僕は自分を抑えられなくなったのじゃない。術者は宇津木君だっけ?今度奢ってあげるって伝えておいて。」
「宇津木君は嫌がると思うよ。君が脳組織の話題しかしないのは有名だもの。」
「人間の可能性を探れる宇宙みたいな場所なのにねえ。」
俺もアンリも、拓海は脳みその事しか考えていないのかあ、と、見舞いに来てくれていたと数分前に喜んだ自分達を拓海に返して欲しくなった。
そして、かって同期で悪巧みの仲らしい楢沢こそ、拓海になんだかんだと言い返してもいるが、この拓海に彼の望むままに俺の検査をさせるために俺をこの病院に呼び寄せた気がした。
「どうせ入院中はこんなことしかできないんだ。この余計な検査の分は今回の怪我の慰謝料に含ませればいい。」
拓海はやはり俺のことを考えてくれたのか。
すると、楢沢も、そうそうと嬉しく相槌を打った後に、地蔵と名高い慈愛しか感じないその顔を悪辣に歪めた。
「決して治療費として請求しちゃだめだよ。精神的慰謝料にするんだよ。だって、こんな検査は肺にも肋骨にもぜんぜん関係ないじゃない。脳の中に逃げたPTSDを探していましたって言いなさい。」
俺もアンリも笑い、しかし、アンリは肋骨の痛みに胸を押さえ、そして血も涙もない医師達は、移動用のベッドにアンリを移乗させると、ベッドを動かして俺達を東病院のMRI室へと運び始めた。




