目覚めた俺への贈り物
市村に鞄で殴られかけて俺が庇った女性は、父親が教育委員会の偉い人だという、谷繁の婚約者であった。
市村が彼女に襲いかかった理由は、谷繁の二股行為の結果である。
市村はまず妊娠初期だった。
ところが俺の身代わりに北沢のスタンガンを受けた事で、市村は流産してしまっていたというのである。
そんな憐れな彼女は、さらなる追い打ちをその身に受けたのだそうだ。
見舞いにも来ない男との約束だからと、具合の悪い体を引き摺りながらもあの週の金曜の夜にレストランに行ってみれば、彼女が目にしたのは谷繁が楽しそうに自分以外の女性と腕を組んでいる、という光景を見せつけられただけだった。
その時の市村は、レストランのスタッフに予約が無いからと追い返され、募る憎しみを谷繁ではなく相手女性に向ける事になったのだそうだ。
入院中でベッドから動けない俺が市村の事情を知ることができたのは、当り前だが何が起きたのかを警察が両親に説明したからであり、ふよふよそこいらを飛び回っている晴純が噂話も含めて聞いた事を全て俺に伝えてくれるからである。
「さんきゅう。晴純。ああ、もう三日か。明日には退院したいな。」
「昨日まで痛み止めやらで半分以上寝ていた癖に。でも、肋骨骨折って、全治三週間の大怪我でしょう。今は痛くない?」
「痛み止めも効いているし、痛みも……慣れているから大丈夫。それよりも、俺はこれからずっと病院なのかな?身動きが取れなくなるのは困るな。」
「退院して自由に動けてもね。……あのさ、復讐は終わった、かも。」
「そうなのか?」
俺は自分の意識が無い時にどんな話し合いがあったのかと晴純を促すと、彼は納得はしていないという顔で語り始めた。
身を呈して人の盾となった俺への称賛の声が大きくなり、それによって俺へのいじめ行為が町内で浮き彫りになって脅えたいじめの首謀者一家、曽根家と林田家と今泉家が雁首揃えて和解を求めてきたと言う事だ。
「それでお前が納得いかないのは、何が起きたからだ?」
晴純は幽体だけれども半透明な顔の眉根をぎゅっと寄せ、怒りを吐き出すような口調で言い捨てた。
「バカな親が林田家への被害届を全部下げたんだよ!お金で和解できるならって。あいつらは犯罪者じゃなくなった。」
「全部か?一度取り下げたら二度と出すことはできないのに?」
俺は慌ててベッド脇の棚にあった晴純のスマートフォンを取り上げると、依頼した女性弁護士に電話をかけていた。
受付の女性は弁護士が不在とだけ答え、俺はどうしたものかと通話を切った。
「俺の治療費は全額彼らが払うって事になったけど、本当に払ってもらえるのかな。あの人達は逃げたりしないよね。」
俺は晴純の危惧ぐらい晴純の両親はしなかったのかと呆れ、あの弁護士もそれで蒲生家に匙を投げたのではないかと考えた。
ぶるるるる。
スマートフォンが振動し、俺は相手先の表示を見て急いで通話に出た。
「はい、蒲生です。」
「呉崎です。」
俺は相手が何かを言う前に、相手を咎める言葉を上げてしまっていた。
「両親に届を全部下げさせたって本当ですか?入金はあったのですか?無ければあいつらは絶対に払いませんよ?どうするのですか!」
電話の向こうの弁護士は、生意気な俺に気分を害するどころか、ふふっと嬉しそうな笑い声を立てた。
「笑い事ですか?俺の生死が掛かっているんです。」
「そうね、ごめんなさい。あなたの芯の強さが嬉しかったの。見ず知らずの女性を守るための盾になるだけあるわね。大丈夫よ、あなたへのお金が払い込まれなければ、私こそただ働きになるじゃないの。」
いくら相手が中学生でも、物凄く悪人風な喋りをしてこの人は大丈夫だろうかと俺は一瞬だけ考えたが、彼女は俺を判断したいのかもしれないと思い直した。
そこで俺と晴純の目的の一部を彼女に伝えてみることにしたのである。
「林田の父を犯罪に問えなければ、その犯罪の原因となった俺への虐め、それがなあなあにされてしまいます。」
一瞬だけ間があった後、彼女はクスクス笑い出した。
笑いながら、やっぱり、と言ってきた気がする。
「あの?」
「林田のお父さんへの恐喝被害届は穴がありすぎる。本当に裁判になったらあなたこそ負けてしまう。だったら、そこは金になるうちに捨てるの。それからあなたの家への不法侵入。あなたが玄関を開けたから招いた事になるわね。でも、あなたを助けようと手を差し出した警官に抵抗をしている公務執行妨害は成立していて、これはあなたが届け出る犯罪行為ではない。公務執行妨害って罪は意外と重いのよ。懲役三年以下あるいは禁錮。または五十万円以下の罰金。」
「五十万円払ったらチャラですか?」
「いいえ、懲役三年以下の刑には執行猶予というものがあるの。執行猶予中に犯罪を犯した場合、彼は懲役刑になるわね。」
「俺は彼に殴られかけ、首根っこを捕まえられて振り回されましたよ。」
「そうね。警察の調書にはその記載があったわね。でもまだ、それはあなたからの被害届にはなっていないわね。出す時は必ず私に相談なさい。被害届は出したら下げるか追及するかしなきゃいけないの。それに、被害届は同じ事件につき一回しか出せない。わかるわね。」
俺はお任せします、と彼女に応えて電話を切った。
そして一番電話の内容を知りたくて聞き耳を立てていた晴純を見返せば、彼の目はキラキラと輝いていた。
夢の中で北沢の父に向けていた、凄い、という純粋な尊敬の瞳だった。
つまり、俺への称賛ではなく、電話の向こうの呉崎弁護士へのものであろう。
「思いっ切り女狐だぞ。」
「でも、でも、お金はちゃんと手に入るんだよね!俺が元通りになる!」
俺は、そうだな、と晴純に笑ってやり、腹の傷が綺麗になっても晴純は元通りになるのだろうか、と急に考えた。
彼が元通りになった時こそ、俺は消えて無くなるのかもしれない、とも。
2021/12/20 全治三か月→全治三週間に修正しました
いくらなんでも大怪我過ぎる




