蒲生家は団結した、らしい
日曜日の襲撃についての警察による連絡は、蒼星を応援中の母親を素通りして、大阪で単身赴任中の父親のスマートフォンに掛けられた。
晴純の父、蒲生彰人は警察からの連絡に驚き、月曜日の夜に有休を三日取ったからと自宅に帰って来た。
彼は警察から概要を聞くと、取りあえず有給申請を会社に行い、その後は会社の顧問弁護士に連絡を取り、その弁護士から我が家近辺で活動している民事訴訟に強い弁護士を紹介して貰ったそうだ。
蒲生麻美が晴純の障害を自分の過失による後遺症だと悩みながらも、言葉が上手く出ない晴純を愚鈍だと蔑んでいたのは、頭の良い男の子供に知能障害が出たら自分の遺伝だと思われる、というくだらない思い込みでは無いだろうか。
「社の秋津さんにこういう場合はって教えて貰ってね、大丈夫だったかな?いじめがあったなんて酷いね。弁護士なんか立てたら、蒼星の学校には影響ないのかな?」
俺は晴純が三十年後のような顔をした中年男を見返し、晴純が十四年も不幸だったのはお前こそ一因かよと、数十秒前の俺の彰人についての考察を脳みそから一気に削除していた。
こいつが動いたのは、晴純を助けるため、ではなく、蒼星の生活を守るためだけだったというのか?
「晴純を虐めている奴らが好き放題している方が俺の迷惑。俺の彼女に嫌がらせもされたし、今後は俺が闇討ちされかねない。それに、晴純の治療費は高額になるんだろ?俺がそのせいで大学どころか、塾にも行け無くなったら困る。とにかく紹介してもらった弁護士に相談をしてみてよ」
一番状況を把握しているどころか、晴純にとっての思いやりめいたものを持っているらしいのが、両親に可愛がられていた蒼星であるというのは皮肉だ。
しかし、現状の打開には使えるものは使うものであり、俺は何も言わずに蒼星の言葉を受けた蒲生夫妻を眺めてた。
悲しい事にこの両親においては、晴純の発言こそ晴純の為に働かないらしいからだ。
さて、蒼星の言葉の影響は、両親の心にしっかりと響いているようだ。
父親、彰人は、そうだよな、と考え直し始めるそぶりをし始めた。
晴純の母である麻美は、夫を期待するような目で見返していた。
彼女は大学病院で自分の罪が許されるならばと晴純への治療を了解したが、時間が経つたびに今後の治療費の請求について脅えを見せるようになっていたのである。
今や期待の瞳を彰人に向けているのは、蒼星の言葉によって、自分を悩ましていた金の問題が、弁護士への相談によって解決すると思いついたからだろう。
現金な女だ。
「わかった。明日にも予約の電話を入れて……」
明日かよ?
お前の有給は三日しかないんじゃ無いのか?
そこで聞きなれないメロディが流れ出し、彰人のスマートフォンの呼び出し音だったらしく、彼は慌てたようにして自分の服を漁りはじめた。
帰宅するやリビングのソファに投げ込んで、風呂にも入って着換えたお前が持っているわけ無いだろうと俺は呆れながら、リビングのソファを指さした。
「あ、そこか。晴純、ありがとう。何かお前は変わったよね」
この男は鈍感なのか鋭いのか、どっちだ!
彰人はのそのそダイニングの椅子から立ち上がると、煩く鳴っているスマートフォンへと近づいてそれを取り上げた。
「はい。蒲生です」
彰人は相手の応答を聞いた途端にびくっと体を震わせ、次には素っ頓狂な声を上げた。
「うそ。あ、はい。え、明日ですか!あ、いいえ、はい。それでよろしゅうございます。お願いします」
スマホを耳に当てる彰人が小市民化しているのは、恐らく相手が自分が伝手を貰ったまま連絡もしていなかった相手である弁護士であるからだろう。
自分が入れていない予約だろうと、相手が弁護士という権威者だったら違うと言えずに受け入れてしまう、彰人はそんな男だ。
「予約は何時にした?」
「事務所が開くらしい午前中の十時に。今どきの弁護士事務所はメールで予約もできるからいいね」
俺の所に戻って来た晴純は、これから事態が動いてその要とこれからなってくれる父親であろうに、担任の谷繁に対するような視線を向けていた。
そうだな、彼は谷繁と一緒だ。
おそらく、妻がこうだと言えばそれに従うって男であり、妻が晴純を見ないようにしていたから彼も妻に倣って晴純を放置していたのであろう。
「大丈夫か?」
「取りあえずアンリが描いた絵に親を乗せる事が出来たから、大丈夫」
俺はその通りだから安心しろ、と彼に答えた。
翌日、俺と両親は弁護士事務所に赴き、俺から奪われた金と怪我への賠償を曽根と林田と今泉の三家に請求することが決まった。
賠償は俺の腹の傷を治すための高額医療費の支払いと同額となる。
「内容証明は遅くとも今週末には彼らの元に届くでしょう」
「わ、私は、明後日には大阪に戻らねばなりませんが」
「何のための私という代理人ですか?」
弁護士は悪辣にも見える笑いを顔に浮かべた。
年配の女性弁護士は、柔らかい外見の雰囲気だけは晴純の学校の芦沢を彷彿とさせたが、彼女は芦沢のような自分には毒が無いと思い込んで毒を振りまいている人とは違った。
自分の毒の効果を知っている上で、燦然と咲き誇っている人だ。
つまり、負け戦には手を出さない。
芦沢 古典の教師
ふっくらした体型の五十代の女教師で、職員会議の時に良い人ぶった風情で上杉先生を窘めていた人です




