犯罪者として刻む
ちゃんと警察であることを伝えての呼び出しならば、林田の父は呼び出されたまま姿を現さざる得ないだろう。
もちろん、俺の姿が林田の父に見咎められないように制服警官が俺の壁となって隠してくれているので、受付に降りてきた林田の父に友好的に話しかけたのは、彼を呼び出した刑事その人である。
「恐れ入ります。江里須署より参りました防犯課の瀬田と申します。先程中学生から手渡されたものを拝見させて頂けませんか?」
「な、なにも渡されてなど!」
「確認させてください。そこの受付の方もあなたが白い封筒を受け取った所を見ていますよ。」
「そ、そんなものは無い。言いがかりだ!」
林田は警察というものが自分を呼び出した事こそ脅え、慌て、自分が置かれた状況を深く考える余裕はなかったようだ。
いや、誤解ですよと、封筒を見せれば良かっただけであろうに、中身が自分と愛人との素敵写真だからと思い込んでいるから見せるに見せられなかったのか。
それとも、子供から金を受け取った事を知られれば、それこそ大ごととなってしまうと思い込んだのか。
結果、混乱しすぎた林田の父は、近づいてきた瀬田刑事の胸を思いっ切り突き飛ばした。
「公務執行妨害。現行犯、確保!」
瀬田は活舌の良い声を上げると林田の腕を掴んだ。
それから今度は静かな声で、子供に言い聞かせるように質問を繰り返した。
最初と違い、周囲の人間の誰もが聞き取れる声で、である。
「子供から受け取った封筒はどこですか?」
「つ、机の引き出しに。」
「では、取りに行きましょう。」
瀬田と林田は受付を抜けて奥へと消えていき、十数分後に受付に戻って来た。
林田は鞄を持ってコートまで着込み、会社の表に回してあるパトカーに乗り込まされてそこで消えた。
「君はもう少し警察署でお話を聞かなきゃだけど、大丈夫かな?」
アンリは俺がするようにして、何度も頭を上下させた。
その上、涙目で見上げるという、俺でさえあざといと思った振る舞いをしてくれたのである。
自分の顔に見慣れているこの俺が、自分の顔が初めて可愛く見えたぐらいに、あざとい表情だった。
「僕の動画はこれで消して貰えるんですよね?」
若き警察官は、当り前だと自信をもって言おうとしたのか、あたり、まで笑顔で口を動かしたが、そこで口を噤んで悲しそうな眼差しと変わった。
子供達が次々に自殺している動画の類は、消しても消しきれないからこそ絶望した子供達を死に向かわせるのだ。
それを知っている警察官だからこそ、大丈夫と俺に言えなくなったのだろう。
アンリは頭を下げてがくりとした。
演技だと知っている俺でさえ心を抉られるぐらいに、寄る辺の無い可哀想さを演出した俺の姿だった。
「何かあったら警察に相談してくれ。今日みたいに。君の自宅が管轄となる警察署にも話は通しておくから、君はもう大丈夫だよ。」
若い警察官は、本気で俺を助けてやりたいと決意してくれたような言い方をしてくれた。
俺は彼の真摯な言葉に感動するどころか、アンリに対して呆れかえるぐらいに凄いなって思ってしまっていた。
「アンリが一番汚れた大人みたいだ。」
「ハハ。言っただろ?伝説になるにゃ、綺麗ごとだけじゃないってな。」
アンリの機嫌のよすぎる声が憎たらしい。
「笑っていられるための先行投資はしておくものなのさ。」
「え?」
アンリの先行投資の意味が分かった。
日曜日、我が家に林田の父と神妙な顔をした林田が訪ねて来て、誤解だったと警察に言ってくれと頭を下げてきたからだ。
蒼星はサッカーの遠征、母はその応援と、自宅に俺以外しかいないその時を狙ってやって来たことで、彼らは俺を脅せば何とかなると思い込んでいたのだろう。
それは正しいが、俺の中の人は、地獄の鬼な英雄アンリ様だ。
「息子も反省しているんだ。私も大人げなかった。君だって誤解だっただろう?これからの人生を考えれば、みんなと仲良くできる方がいいんじゃ無いのか?」
「それは、誤解と僕が言わなければ、これからも林田君に僕が酷い目に遭うって事ですか?」
「ハハハ。そうじゃないよ。でも、そうなるかもね。このままでは私は会社を首になって家族が路頭に迷ってしまう。そうしたら、この子はどうなってしまうのか。全部君のせいじゃないか。」
「チャラにしてやるって言ってんだ。ガマはいい気になってんじゃねえよ。」
謝罪だからと他人の家の玄関に入り込んでおいて、真っ当に謝罪するどころかその家の子供を脅すとは何事だろうか。
アンリはシャツを捲り上げて、腹の傷を林田達に見せつけた。
「ちゃら、ですか?俺のこの傷は一生残るんだそうです。それに、ここでチャラにしたら、林田君に奪われた金、それも一生戻って来ないんですよね?」
泣いたように鼻をすすりながら喋った彼は、一度口を噤んだ後、今度は馬鹿にしたようにして林田の父の耳元に囁いた。
「路頭に迷えよ、この犯罪者一家。」
俺は二階への階段の中段に座って彼らを見守っていたが、俺の脇に置いてあるスマートフォンには聞こえない、アンリという大人の計算した囁き声であった。
「ぶちのめされたいか!このガキが!」
林田の父は怒鳴るやアンリに殴りかかり、当たり前だがアンリは林田の父の拳を避け、前のめりになった彼の隙をついて玄関扉を開けて外に飛び出した。
「待て!ガキ!」
「待て!ガマが!」
当り前だが俺の身体の動作は鈍い。
アンリは簡単に林田の父に襟首を捕まえられた。
開いたばかりの玄関ドアからアンリは顔を出すだけしかできず、すぐさま引っ張り上げられて玄関へと引き込まれてしまったのである。
「助けて!」
「うるせえよ!このガキが!二度と生意気できないように躾けてやる。」
「誰か助けて!」
「お父さん、待って!」
林田が父の憤慨を抑えようと声を上げたのは、彼の良識ではなく、彼の父の後ろの状況を見たからでしかない。
閉められたばかりの玄関扉は再び開いており、通報で駆け付けてくれた制服警官の二人組が玄関口を破裂させる勢いで聳え立っているからである。
林田の父は青くなった息子が見つめる後ろをゆっくりと振り返り、自分の状況をゆっくりと理解していった。
人間の顔色って、本当に青くなったり白くなったりするんだね。
林田の父親は警察官たちによってアンリから引き離され、手錠をかけられた。
そんな父親の姿を見せつけられる林田は、今までの自分の世界が壊れたと呆然自失の状態となっていた。
俺は哀れで間抜けな親子を見つめながら思った。
ざまあ。




